2 魔術師と美青年
身体中が痛くて動かない。
思うように呼吸ができず、魔力切れで頭はくらくらする。
仲間たちも自分と同じようにひどい怪我をしたり意識を失っている。
負けるのはわかっていた。しかし何もせず死を迎えたくはない。
せめて誰か1人でも……。
そう思いながら意識が途絶えた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
目を瞑りながら、身体の中が空っぽだなと感じる。
死んではいないのかもしれないが、力で満たされた感覚はまるでない。
頭の中で意識は目覚めてるのに、瞼さえも上げられない。
ーーまだ起きてはいけないよ
誰かの優しい声が響く。
覚醒しかけていた意識は、素直にその言葉に従って再び眠りについた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
……ゆっくりと目を開ける。
ぼんやりしていた視界が徐々に輪郭を表してくる。
見慣れない部屋だった。
白い壁ばかりで目の前には何もない。壁にはヒビも染みもなく、殺風景だが質素な造りではないようだ。
エルネストはゆっくりと頭を起こし、それから上半身を起こした。
寝ていたのは胡桃色のベッド、掛け布団はシンプルな白色だ。
見回すと縦長の窓が2つ、ベッドと同じ胡桃色の窓枠だ。さらに同じ色の丸いテーブルと椅子がある。
部屋はシンプルだが壁紙も窓も新しい造りのようだ。さらに置いてある家具も細かい装飾が施された上等な品ばかり。
「ここは……?」
窓の外には針葉樹がいくつも見えた。
ぼんやりとした違和感。
それを深くは考えず、エルネストは窓を見続けた。
「目が覚めた? エル」
愛称で呼ぶその声に全く聞き覚えはない。
エルネストは義務であるかのように、声の方に顔を向けた。
壁の前にいたのはやはり知らない人物だった。
男とはわかるがかなりの美貌の持ち主だ。目や鼻の形が完璧で、黙っていれば人形に間違えそうなくらい。
歳は20歳を少し超えた頃だろうか。白銀の長い髪を後ろでまとめている。
すらりとした身体に、薄いグレーのシャツと白く長いベストを羽織っていた。離れていても上質な生地なのがわかる。
まるで美しい銀狐のようだ、とエルネストは思った。
「身体の調子はどう? どこか痛いところは?」
王都の医者でもそんな優しくは聞いてこない。
エルネストは不思議に思いながらも頷いた。
「ここは、どこだ? 俺は……」
長い夢を見ていた気がする。
目を瞑って記憶を呼び起こす。
突然、最後に覚えている記憶が蘇った。
エルネストは跳ねるようにベッドから降りる。
「俺の仲間は? 金髪の筋肉だらけの男と、派手な化粧と爪の女と、赤毛のひょろひょろした小僧なのだが」
銀狐のような青年はちょっとだけ目を丸くし、軽く口角を上げた。
「あの子たちなら大丈夫。森の外の村で静養してるんじゃないかな」
「あの子たち?」
仲間たちは子どもなどではない。
この青年は何か勘違いをしているのではないだろうか。
「……では、ここはどこなんだ?」
「どこって、森の中だよ」
「森の……中?」
魔王の森のことを言っているのだろうか。
しかしあの森は常に魔物がいて人の住めるような場所ではない。
次々とやってくる違和感にエルネストは口を噤んだ。
「エル、起きたらお腹が空いたでしょう? 何か持ってくるよ」
「君は……どうして俺の名を?」
最大の違和感はこの青年の言葉だ。エルネストが身につけている物に名前のわかるものはない。
青年はニコリと笑った。
「だってあの子たちがそう呼んでいたから。――エルネスト」
「炎よ! 我が手に集い、我に仇なす者を焼き尽くせ!」
エルネストの手から炎が放たれ、一瞬にして白銀の青年を覆う――はずだった。
しかし魔術師の手には何も現れない。
エルネスト自身も、体内から魔法を発動したときの痺れるような感覚が一切ないことに呆然となる。
「くっ……どういうことだ?」
「だめだよ、エル。そんな危ないことをしちゃ」
エルネストの困惑や焦燥など少しも気にせず、青年は笑顔のままだ。
「まだ身体の調子が戻ってないから、魔力は全部没収させてもらったよ」
「……何を言っている?」
エルネストは不気味なものを見るような視線を彼に向ける。
魔力の没収だなんて聞いたこともない。
しかし自分の中にずっと空っぽの部分があるのには気づいていた。
じっと手の平を見つめてそこに魔力を集めてみる。
だが体内の魔力の流れを感じられない。
「お前は何者だ? 俺や仲間のことを知ってるなら魔族なんだろう?」
エルネストの問いに、青年は少しだけ残念そうな顔になる。
「もう忘れちゃったんだ。でも仕方ないかな。あのときは魔王様バージョンだったから」
「魔王……?」
「うん、魔王って呼ばれてた」
エルネストは口を半開きにしてぽかんとした。
人前でそんな間の抜けた顔になったのは初めてだ。
あの魔王は顔立ちは美しいものの、同時に凄惨さを纏っていて恐ろしかった。
黒くて長いマントに包まれていたが、肩幅は広く筋肉質なのもわかった。
視線を送っただけで全てを凍らせるような目、腹の底を震わせるような低い声は今でもはっきり思い出せる。
しかし壁を背にしてにこにこしている青年は、顔の造りや白銀の髪は魔王に似ているものの、あの恐怖の存在と同じ者には見えない。
「話してて忘れてた。スープを持ってくるよ」
青年が踵を返したとき、エルネストは最大の違和感の元に気づいた。大股で彼に近寄りその腕を掴む。
「うぇっ!?」
おかしな声を上げて振り向いた青年の顔は……なぜか真っ赤だった。
「おい、この部屋は……」
「え、えるっ! すぐ戻るから待っててっ!」
さっきまで悠然としていたのに、青年は慌てふためいてエルネストの手を振りほどく。
何か言う前に、彼はすっと壁の中へと消えた。
「転移……か?」
この部屋の最大の違和感、それは家具も窓もあるのにドアがないことだった。