16 魔王討伐
枯れた木々、雪に覆われた地面、一瞬で白くなる息。
目の前には、いくつもの巨大な塔が連なった城と鋼鉄の頑丈な門。
数十日前に来た時と全く同じ光景だ。
「1回の転移でここまで来られるとはな.......」
「エルの本気、すこずきるねー」
「それより! 見てよこれ!!」
エルネストの魔力に感心するアレシュとセスだったが、ベアトリスは大層ご立腹の様子だ。
いきなり何の予告もなく魔王城まで転移させられれば当たり前だろう。
彼女は仲間たちに両手の甲を見せてきた。
「ネイルしてる途中だったのよ! もー、信じられない!」
見せたいのは指の爪だったようで、左手の爪は薔薇色に塗られているが、右手の爪は自然なままだ。
「怒るところ、そこかよ?」
「そうよ、格好悪いでしょ!」
「ベティ姉さん、形は綺麗だから大丈夫だよ」
数十日前と違い、勇者たちには少しも緊張感がない。
さっきまで王都にいたので当然と言えば当然だった。
「アレシュ.......」
何かを言おうとしたが、急に視界がぶれてエルネストはしゃがみ込んだ。
「エル? どうしたの?」
「魔力切れかしら」
セスが回復をかけてくれて気分は良くなったが、魔力切れは元には戻らない。
エルネストはゆっくりと立ち上がり、心配そうにしている3人に告げた。
「済まないが魔王の間まで俺は何もできない。魔物は3人で倒してくれないか」
アレシュは大袈裟なくらい眉間に皺を寄せた。
「はあ? 強引に連れてきて何言ってんだ? お前がそんなんじゃ魔王にすぐやられるじゃねえか」
エルネストに詰め寄るアレシュの腕をセスが引っ張る。
「大丈夫。エルには考えがあるんだよ」
やけに自信たっぷりに言われてアレシュは戸惑った。
セスはパーティの最年少だが魔術師としては王都でかなりの実力者だ。
エルネストらしくない大暴走でここまで連れて来られたが、セスが言うなら信じられるかもしれない。
「エル、その考えをわたしたちにもわかるように教えてくれない?」
ベアトリスは落ち着き払っているが、どうせエルネストは止められないだろうと半分諦めの表情だった。
エルネストが考えた魔王を倒す方法、そして師匠ロドルフとの実験、それらを手短に話すとベアトリスとアレシュは半信半疑な様子だった。
しかし実験台になったばかりのセスが「エルはちゃんと術を身につけたよ」と言ってくれたお陰で、彼らの中では成功確率が少しは上がったようだ。
アレシュは「足手まといになるなよ」とぶっきらぼうに言い放ち、ベアトリスは「ネイルを塗れなかったお詫び、忘れないでよね」とウインクした。
重々しい灰色の門の取っ手を握り、アレシュは改めて「行くぞ」と仲間たちに声をかけた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
魔王城を常に覆う厚い雲と同じ色の壁と床。
装飾はなく窓もない。ぽつぽつと並ぶ壁掛け灯が唯一の明かりだ。
前に来た時は様々な魔物が行く手を阻んだが、今はネズミ1匹現れる気配もなかった。
最初は警戒していた4人だったが、歩いていくうちにだんだんと気が抜けてきた。
緊張が解けた4人はいつの間にかだらだらと話をしていた。
「エル、どうして他のパーティを出し抜くようなことをしたの? 彼らが魔王を倒せたかもしれないのに」
「あの慌てっぷりは尋常じゃなかったな」
ベアトリスとアレシュの問いに、エルネストは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「.......とにかく先に魔王のところへ行きたかった。それだけだ」
エルネストと最後に別れた日、白銀の青年は自分の命を奪うよう望んだ。そんなことを他の誰かにさせようとするかも、そう思っただけで頭が真っ白になったのだ。
腑に落ちない戦士2人に、セスはにこにこと微笑んだ。
「魔王はエルにとって特別な人なんだよ」
「は?」
「それ、どういう意味?」
エルネストも2人と同じようにきょとんとした。
自分にとって誰かが特別などと考えたこともない。
「他の誰かに代えられない、ってこと。ねえ、エル?」
急に話を振られてもどう答えればいいかわからない。
しかしよくよく考えれば魔王は1人だけなので、きっと特別なのだろう。
「そうだな。魔王は特別な存在だ」
そう言うと、セスはにこりと笑って頷き、他の2人はますます不思議そうな顔をした。
一瞬、壁のロウソクの炎が大きく揺らめいたように見えた。
廊下を進み階段を上ると、最奥の広間の前へたどり着いた。
扉は木製だが取っ手は装飾のついた金属製だ。この部屋の奥に魔王がいる。
アレシュがごくりと喉を鳴らし取っ手を掴んだ。
「先手必勝だ。まずセスが幻惑の術をかけてくれ」
「うん」
セスは詠唱を始めようとしたが、エルネストはその肩を叩く。
「必要ない」
「へ?」
エルネストはアレシュの前に出て取っ手を引く。
すうっと冷たい空気が流れ出た。
「おい、エル!」
「そこにいてくれ」
戸惑うアレシュとセスをそのまま残し、待ってと呼ぶベアトリスの声を無視し、エルネストは部屋の奥へためらわず歩いていった。
壁のロウソクに照らされ、その姿がはっきり見えてくる。
長い銀髪はくくらずにおろしたまま、漆黒のマントを羽織っている美貌の青年。
しかし以前ここで遭遇した冷酷な魔王とは違い、エルネストが一緒に過ごした青年の姿だった。
「エル、また来てくれたんだ」
白銀の青年は嬉しそうに微笑んだ。
再び彼に会って、エルネストの中に言いようのない感覚が生まれる。
それをひとまず押し殺し、エルネストは静かに告げた。
「俺は魔王を倒しに来た」
青年は軽く目を見開く。
エルネストはそれ以上何も言わずにただ彼を見つめた。
緊張を押し隠し、心を平静に保つ。
「エル.......本気なんだね」
青年は留め具を外してマントを脱いだ。着ているのはシンプルな白いシャツと黒いズボンだけ。
無防備すぎる姿にエルネストの決心は揺らぎそうになるが、表情に出ないようにする。
エルネストはローブの中から鞘に収められた短剣を取り出した。
一歩近づくと、青年は少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「魔王.......。名前があれば教えて欲しい」
「僕の?」
「ああ」
少し考えるように視線を下ろしてから、青年は形の良い唇を開いた。
「.......アオイ」
エルネストは軽く深呼吸する。
「アオイ」
名前を呟くと、彼の心の中と道が通じたような気持ちになる。
高揚しそうになる自分を抑え、青年の胸に手の平を当てた。
鼓動はとても速い。
「アオイ、必ず魔王は倒す。だから俺を信じてくれないか」
「信じるよ、エルネスト」
そう答えたアオイの目に迷いはない。
エルネストは両腕を彼の腰に回してしっかりと抱き締めた。短剣はまだ鞘の中にある。
「エル.......」
心臓の鼓動が伝わる。
アオイの心臓が奏でる旋律に、エルネストは自分の鼓動を合わせるようにイメージした。
ーー今だ。
狙っていたその一瞬を捕らえ、エルネストはアオイの唇に口付けた。