8.『女』に『化』ける
ジョーカーという単語をどこで聞いたのか、僕はどうしても思い出すことができなかった。
ともかく、思い出せないことにはそれ以上こだわらず、僕は歩みを再開させる。
こうして歩いてみると、ニュータウンほどではないけれどこのあたりにも結構家がある。
とはいえ、やはり新品ピカピカの家というのは一軒もないのだけど。
みんな我が家の『昔側』に通じるような家づくりで、ある家の庭には今では使われていないはずの家庭用の焼却炉が置きっぱなしになっている。
どの家も歳月の洗礼を受けて色褪せていて、それが生み出す空気というか雰囲気は、なんだか懐かしく心地よい。とても。
セピア色の町。
さてそこからはもう、神社は本当に目と鼻の先だった。
看板に従って少し行くと片側二車線の幹線道路があって、その道を渡りきると、向かう先から祭囃子が聞こえてきた。
あとはその音を目印に歩けば、すぐに鎮守の森らしき緑と道路上にはみ出した屋台とが見えた。
風変わりな名前に反して、ジョカ神社は(暫定的にそう呼ぶことにした)意外なほど立派な神社だった。
広い境内や鎮守の森ももちろんだけど、まずもって印象的なのはその表参道だ。四〇〇メートルかあるいは五〇〇メートルはあるかもしれない長い長い参道が、一直線に社殿まで伸びている。
参道にはいくつもの鳥居が建てられていて、その様子が京都の伏見稲荷を想起させる。
そういえばここもお稲荷さんの神社だってお隣さんが言ってたっけ、と僕は思い出す。
境内はお祭りの活気に満ちていた。
立ち並ぶ屋台や出店を眺めながら、ぶらぶらと歩く。
焼きそばや大判焼き、それにじゃがバターに鳥の手羽先。それらお祭りではおなじみの食べ物の屋台がそこかしこにあって、しかしそれ以上に目を引くのは個性豊かな出店の数々だ。
農具や草木の苗、乾物やら唐辛子を商う出店に、洋服や帽子の出店まで。わかめ、ちりめん、川エビ、しらすを並べた店からは磯の香りが強烈に漂う。
多様性に満ちた出店の数々が立ち並ぶ様はお祭りというよりも昔ながらの市を思わせて、僕にはそれが面白かった。
参道の終点、社殿の側の屋台で鳥の唐揚げを買った。
アツアツの唐揚げを頰張りながら歩いていると、女子高生らしき女の子たちが巫女さんを囲んで記念写真を撮っている場面に遭遇した。
自撮り棒のスマホに向かってピースサインの女子高生、そして巫女さん。
おいおいお前もピースするんかい、と僕は心の中でツッコミを入れる。
と、その時。
不意に、その巫女さんと目があった。
巫女さんはしばし僕を凝視した後で、女子高生のグループから離脱して、真っ直ぐこちらに歩いてくる。
それから、僕に向かって笑いかけた。
知己の気安さと親しみを込めて。
「おっす、ハチ。祭りは楽しんでるか?」
いきなり名前付きで話しかけられて、目一杯きょとんとしてしまう僕である。
だけど、よくよく見れば、僕はその巫女さんの顔を見知っていた。それにこの新天地で(というかこの日本全国まるごとひっくるめても)僕をハチと呼ぶのはただ一人だ。
「……夕声さん?」
僕がそう呼ぶと、「だから呼び捨てでいいって」と巫女さんは楽しそうに笑って言った。僕の背中をバシバシ叩きながら。
巫女装束にばかり目が行っていて(それに昨夜は後ろで結びあげていた髪を今は下ろしてもいる)気づかなかったけれど、それは、間違いなく昨夜の女子高生。
栗林夕声だった。
そうこうしていると、さっき夕声と一緒にいた女の子たちがこちらにやってきた。
「なにジョーカー? それカレシ?」
ジョーカーと呼ばれた夕声が、そんなんじゃねーよ、と笑って反論している。
『ガッコの友達はボイスとかジョーカーとか呼ぶから』
昨夜の彼女の言葉を思い出す。それから、どこでジョーカーを聞いたのかも。
続いて、もうひとつ連鎖的に蘇る。
『あたし、近所にある神社で世話になってんだけど』
謎めいた点と点が今、線で繋がった。
つまり、彼女がお世話になっている、ついでにジョーカーというあだ名の由来となった神社は、他ならぬこのジョカ神社なのだ。
しかし、星座よろしく線で繋がる点は直後、もうひとつ煌めいた。
「つかジョーカーって読み方それ、何度も言ってるけど間違ってっからな」
それも、赤星並みの特大の点が。
「いいか、ジョカじゃなくてオナバケ、女に化けるで『女化』な。つかお前ら、わかっててわざと間違えてんだろ?」
そのようにして謎のオナバケは謎のベールを剥ぎ取られたのだった。いとも唐突に。