6.栗林夕声、十六歳
「……異類婚姻譚?」
「お、よく知ってんな。そうそれ、イルイコンインタン」
夕声は満足そうに復唱する。いるいこんいんたん。
「日置さんが言ってた通りだ。『甥はそういうのに理解があるんだ』って」
確かに、こう見えて僕は民話や伝承には詳しいタイプだ。職業柄というか。
しかし、それと理解があるかどうかはまた別の話である。
こんな荒唐無稽な話、誰がすんなり受け入れられるというのか。
「日置さんは奥さんと知り合う前からここらの妖怪変化と仲良くしててさ、市役所職員と恋仲になった蛇女の恋愛相談とかも聞いてやったりしてたし。でも、まさか本人がイルイコンインタンの当事者になっちまうとは――」
「待て待て、待って! ちょ、ちょっとタンマ!」
立て板に水と続く夕声の話を、どうにかこうにか遮る。
……このまま聞いてたら頭がおかしくなる。
「あまりにもツッコミどころが多過ぎる……。だいたい、今の話が全部事実で現実だとして、君の立場はなんなんだ? 君みたいな女子高生が、いったい叔父とどういう……」
「あたしはここらの化生どもの、まぁ顔役みたいなもんだよ」
彼女はあっさりとそう答えた。
化生……? 妖怪、あやかし、魑魅魍魎とか、ああいうの……?
「あたしは近所にある神社で世話になってんだけど、そこの奥の院にあたる森がこのあたりの化生の溜まり場でさ。で、さっきも言った通り日置さんはそういう連中と仲良くしてたから。人間のくせにタヌキたちの酒盛りにしょっちゅう顔だして――っておい、お前また『なに言ってんだこいつ?』って思ってるだろ」
いかん、顔に出てたらしい。いや、でもだって仕方ないじゃん。
「まぁいいけどさ。いきなり信じろって言っても無理なのわかるし」
「……いやまぁ、信じたよ」
「まじか!」
「まじだよ」
「わーい、やったね! 流石のあたしの説得力ってところだな!」
夕声は実に全身で喜びを表現した。わーいって言って喜ぶ人を初めて見た僕である。
「それじゃ、ここまででなんか質問とかあるか?」
「んーと……君って何歳? 高校何年生?」
「……? 来月の四月で十七歳で、同じく四月に高二だけど……」
へえぇ、かなり限界ギリギリまで遅生まれなんだなぁ。早生まれの僕にはちょっと羨ましい。
「おい、それがなんなんだよ?」
「いや、ということは、今は十六歳の高校一年生なんだなって」
「そだよ?」
「うん。十六歳で高一なら、中二病を引きずっててもギリギリセーフだね。春休みのうちに出来るだけ治した方がいいとは思うけど」
「うん……ん?
……あっ! もしかしてあんた、ホントはあたしの話を少しも、一ミリも信じてないだろ!?」
当たり前だ。信じろという方が無理である。
僕は彼女の手を引いて立ち上がらせると、残りのピザを半ば押し付けるように持たせて、リビングの外に連行する。
今夜語られた内容の中で僕にとって一番重要な情報は、彼女が『十六歳の高校一年生』だということだった。
もう夜の八時をすぎてるのにJKが(それもJK一年生が)一人暮らしの男の家にいるのは、こう、なんかまずい。なんか由々しい。
そう、具体的には事案になりかねないのだ。不埒な男が未成年を拐かした系の。
事案は困る。事案は嫌だ。事案は、御免被りたい。
だから、お引き取りいただくのである。
「このっ! いいか、あたしは日置さんにあんたを頼まれたんだからな!」
だから、また来るからな! と彼女は言った。
もう来ないでくれ、と僕は思った。
さて、さんざん喚いていた夕声だったけれど、玄関にたどり着く頃にはすっかり大人しくなっていた。
彼女のイメージにぴったりの活発な色合いのスニーカーに踵を入れながら、そういやさ、と夕声は言った。
「そういやさ、この家の鍵、むちゃくちゃわかりやすい場所にあったろ?」
「ああ……」
玄関ドアにガムテープで貼り付けられた鍵を思い出す。
……思い出すたびに頭が痛くなる。
「日置さん、人間のくせに時々とんでもない真似するからな。でもあれが盗まれなかったのはさ、ここらに住んでるタヌキどもが見張ってくれてたからなんだぞ」
怪しい奴が来たら警官に化けて話しかけたりしてさ、感謝しとけよ、と夕声。
僕はため息をついた。この子の病状は相当に重篤らしい。
それから、ふと思いついて言ってみた。
「もしかして、君の正体もタヌキだったりするのか? それとも白鳥?」
冗談半分、皮肉半分のつもりだった。
僕のこの皮肉に、しかし夕声は楽しそうに笑って言った。
「あはは、ハチって面白いこと言うな。あんた、このあたしがタヌキや白鳥に見えるか?」
見えない、と僕は言った。
肯定が返って来なかったことに、少しだけ安堵しながら。
しかし『昔側』の玄関から出ていくとき、夕声はとんでもない台詞を口にした。
「だろ? だってあたしはキツネだもん」
僕は脱力して上がり框にへたり込んだ。