5.イルイコンインタン
玄関のドアを開けると、訪問者は一人の女子高生だった。
外見の描写は必要か?
おそらくは必要だろう、と僕は判断する。
まずは服装だけど、これは先にも記した通りジャージと制服の取り合わせという如実に身分を物語った代物(これで女子高生じゃなかったら逆にホラーだ)。
髪は少しも脱色していない黒で、セミロングの長さのそれを頭の後ろの高い位置で束ねている。
顔つきは年齢相応にあどけなく、目元には人懐っこさと勝気さが同居している。
さて、ジャージのポケットに手を突っ込んだままで女子高生は言った。
「あたし、オナバケの栗林夕声」
必要と思われる前提情報の提示を一切省略した、名前だけの自己紹介だった。シンプルすぎて清々しくすらある。
「あ、そう……ええと、僕は、 椎葉八郎太……」
完全に面食らっていた僕は、ついつい相手のシンプル・イズ・ベストに倣った返事をしてしまう。
それから慌てて「今日からこの家に住んでます」と付け加える。これだって状況に適した言葉だとは到底思えない。
しかし、女子高生は当然のように言った。
「うん。知ってる」
「……は? 知ってる?」
「いや、名前までは知らなかったけど、今日引っ越してきたのは知ってる。だからこうやって会いに来たんだし」
言って、女子高生は続けた。
「あんた、 日置さんの甥っ子だろ?」
「あ、うん」
日置とは叔父の名字である。
「あたし、日置さんからあんたのことを頼まれてるんだ。いろいろ面倒見てやってくれって」
「は?」
なんだそれ?
「ありゃま、その様子じゃなんにも聞いてないらしいな。いいよ、ゆっくり説明してやるよ、この夕声さんがさ。
ええと、ハチロウタだっけ? 長いからハチでいいよな。なぁハチ、それピザだろ? 長くなるだろうから、食いながら話そうぜ」
なんだかよくわからないけど、とにかくそういうことになった。なってしまった。
リビングに通すと、女子高生は勝手知ったるという感じでテレビのリモコンを手に取った。
勝手にチャンネルを変えて、勝手に音量を一つ上げる。
それから、これも勝手にピザのパッケージを開けて、誰よりも早くひと切れ食べる。
僕よりも先に。もちろん許可なんて出してない。
さすがにこの傍若無人っぷりは目に余った。
混乱も落ち着き始めていた僕は、とにかく一言言ってやろうとして……。
「にゃはは、あたしここのピザ好きなんだ。うーん、うんまい!」
……一言も言ってやれなかった。
嬉しそうにサラミを味わい、楽しそうにチーズを伸ばしている彼女の表情が、あまりにも屈託がなさすぎて。
こんなにも裏表のない表情なんて、きっと生まれてこのかた見たことがなくて。
だから、文句を言う気なんて、完全に失せてしまった。
「このピザ屋、日置さんから教わったんだろう?」
「……あ、うん。さっき電話で。デリバリーの圏内だからって」
「だよな。日置さん、あたしたちにもよくご馳走してくれてたんだ。ああ、それでその日置さんだけどさ」
言いながら彼女はふた切れ目に手を伸ばす。
やれやれ、ようやく本題か。
そう思いながら僕もひと切れ手に取った。少し冷めかけていたけど、まだ温かかった。
「ええと、あんたのおじさんが白鳥と結婚したのは知ってるよな?」
一口かじったところでそう言われて、手も口も止まった。
「なんだよ。それも知らなかったのかよ」
「あの……栗林さん?」
僕がそう呼びかけると、「夕声でいいよ」と彼女は言った。
「あんたのほうが年上だし、呼び捨てでいいよ」
ガッコの友達はボイスとかジョーカーとか呼ぶから、なんならそっちでもいいよ、と彼女は付け足した。
ボイスはそのまんまだとして、ジョーカーはどういう由来のあだ名なんだろう。
「じゃあ夕声……さん。……あの、白鳥って、あの白鳥?」
頭の中に龍ケ崎市駅上り線の発車メロディが響いていた。三十羽あるいは四十羽が市内北西部に位置する牛久沼に生息しているという美しい水鳥に由来した選曲。
白鳥の湖。
「その白鳥だよ。日置さんは牛久沼の白鳥と結婚したんだ。そんで何年かここで暮らしてたんだけど、ほら、関東って夏場の猛暑ヤバいだろ? 白鳥の奥さんには結構キツかったんだよ。ほら、奥さん一年中いるコブハクチョウじゃなくて冬に北から渡ってきたオオハクチョウだったからさ。だからふたりして北の方に引っ越してったの」
なに言ってんだこいつ、と僕は思う。
「なに言ってんだこいつ」
気付いたら声に出てた。
「失礼なヤツだな」
女子高生……夕声は、少しだけムッとして言った。
「あんましオープンにされちゃいないけど、日置さんみたいに人間以外と結婚する人って昔も今も珍しくないんだよ。特に日本ではさ」
ほら、昔話でも結構あるだろ、と夕声。
それは、つまり、あれか?
「……異類婚姻譚?」
「お、よく知ってんな。そうそれ、イルイコンインタン」