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女化町の現代異類婚姻譚  作者: 東雲佑
最終章 来つ寝
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12.まるで、本当に消えてしまおうとしているみたいに。

 暮れなずむ境内で、何度も夕声の名前を呼んだ。

 通話履歴から彼女の番号にコールしてもみたし、SNSのアプリからメッセージを送ってもみた。


 だけど、いくら呼んでも応える声はなかった。

 繰り返すコールが自動音声のアナウンス以外につながることもなければ、どこかから着信音が聞こえてくるということもなかった。


 そのようにして夕声は僕の前から姿を消した。


 しばらく呆然と立ち尽くしたその後で、どうにか気持ちを奮い立たせて帰宅の途についた(その場に背を向けて歩き始めるには気持ちを奮い立たせる必要があった)。


 日常的に歩き詰めた片道十分の道が、なんだか心細く不案内なものに感じられた。

 耳に届くすべての音が、奇妙な具合に近くなったり遠くなったりした。

 なにもない場所でなにかに蹴躓いて転びそうになった。


 そうして、どうにかこうにか我が家に辿り着いて、鍵をあけて玄関に入って。

 そこで、限界を迎えた。


 靴も脱がずに、尻餅をつくのと同然の有様で、上がり框に腰を下ろした。

 心臓が早鐘を打っていた、耳に聞こえるほどに。


 己の拍動を聞くともなく聞きながら、大変なことをしてしまった、と思った。


「……大変なことをしてしまった」


 声に出して言ってみた。状況をより明瞭にするために。より明瞭に自分に現実を思い知らせるために。

 おい、お前は大変なことをしでかしたんだぞ。


 まず第一に、僕は夕声を傷つけてしまった。

 最初から(つまり、ノーの答えを携えて家を出た時から)ひとつも傷つけずに終わらせられるなどとは思ってもいなかったのだけれど、しかし、それならせめて少しでも与える傷を浅くしようと……そう無駄な気を回した結果、最悪の想定を遙かに超えて深く傷つけてしまった。


 さて、その結果どうなったか?

 夕声は僕の前からいなくなってしまった。


 しかも、様々な要素から鑑みるに、かなり強固な意志を持って彼女は姿を消した。


 ――まるで、本当に消えてしまおうとしているみたいに。


 自分の内側に湧いた印象に、自分で凍り付いた。


『もう永久に、僕は夕声に会えないかもしれない』


 そう考えるのは、僕にとってはまったく純粋な恐怖だった。




 日が沈んで家の内外が真っ暗になってから、僕はようやくその場から立ち上がった。

 リビングに行って、テレビをつけて、そのまま消した。食欲はなかったけれど義務的に軽い食事を準備して、義務的にそれを食した。

 夏目漱石言うところの『鉛のような飯』とはこういうものかと、そう感じさせるような味のしない食事だった。


 食事が済むと風呂にも入らずに二階にあがり、ベッドに身を投げ出した。

 眠くはなかったし眠れる気もしなかったけれど、今日は起きていてもろくなことがない気がした。

 ろくなことをしないだろうし、きっとろくなことを考えないだろう。


 そうだ、今日の僕はどこまでもろくでもないのだ。

 だから一番傷つけたくなかった女の子を傷つけてしまった。


 眠れぬまま無為に横たわるうちに、いつしか僕は眠りを獲得していた。


 真夜中過ぎ一度目が覚めて、ふとスマホを見た。

 夕声に送ったメッセージには、まだ既読がついていなかった。



 




 昨日の僕はどこまでもろくでもなかった。ろくでもないほどにボンクラだった。

 だから、まさか翌日の今日がさらにろくでもないことになるなんて、予想もしていなかったのだ。




 夕声が姿を消した翌日、時刻は十一時を少し過ぎた頃。

 僕は菓子折の入った紙袋を手に女化神社を訪っていた。


 幸い、尋ね人の姿はすぐに見つけることが出来た。

 いや、もちろん夕声に会えたならそれが一番よかったのだけれど……

 でもとにかく、社務所の前の参道をいましも紫色の袴が横切っていくのが遠目に見て取れた。


「宮司さん!」


 まだ少し距離のある場所から僕がそう声をかけると、呼び止められた宮司さんがこちらに向き直り、すぐに相好を崩す。


「おお、椎葉くん」


 僕に向かって丁寧にお辞儀をしてくれる宮司さんに、小走りに駆け寄る。


 女化神社の敷地内には幾棟かの家屋が存在しており、夕声はその一軒に住まわせてもらっている。

 夕声にとって、青木宮司は家主であり巫女さんバイトの雇い主であり、また人間社会での後見人のような存在だ。

 夕声の親しい友人として認められている僕も、宮司さんにはなにかとよくしていただいている。


「やぁ、今日はどうしたのかね?」


 宮司さんはニコニコと僕に質問する。


 この反応から察するに、僕と夕声の間にトラブルがあったことはまだ宮司さんの耳には入っていないのだろう。

 少しだけ安心すると共に、そんな風に安堵を感じている自分に軽く自己嫌悪を覚えもする。

 まるで悪さがばれていないとわかった悪ガキみたいだ。


「あの、実は、本日は宮司さんに折り入ってご相談があって伺いました」


 そう言って、僕は深々と頭を下げる。


「実は昨日、夕声さんと喧嘩を……いえ、双方に原因のある喧嘩というのではなく、非は完全に僕にあるのですが……とにかく、僕の言葉と態度によって、心ならずも夕声さんを傷つけてしまったんです」


 申し訳ありません! と言いながら、もう一度、平謝りに低頭する。

 宮司さんは夕声の後見人で、砕けた言い方をすれば保護者のような人だ。

 ならば、大切な子供を傷つけてしまったことを、まずは誠心誠意謝らなければなるまい。


「そういうわけで、どうしても夕声さんに会って直接謝りたいんですが、昨日から僕からの連絡は受け取ってもらえなくなっているみたいで……それで、虫のいいお願いであるとは重々承知しているのですが、宮司さんから一言、『椎葉が連絡を待っている』と彼女にお伝えいただけないでしょうか?」


 そこまで言ったあとで、僕は持っていた紙袋を差し出した。

 朝一でニュータウンのショッピングモールまで出かけて買ってきたものだった。

 宮司さん用に和菓子の詰め合わせと、夕声に洋菓子店の焼き菓子を。


(……ダメか)


 差し出した菓子折を、宮司さんはなかなか受け取ってくれなかった。

 当たり前だ、いい大人が高校生の女の子を傷つけて、それで仲裁をお願いしてるなんて、そんな……。


「あの、椎葉くん?」


 宮司さんが、ややあってからようやく口を開いた。

 僕は緊張しながら宮司さんの言葉を待った。

 叱られても怒鳴られても甘んじて受け入れようと、そう身構えながら。


 しかし、宮司さんの次の台詞は、そのどちらでもなかった。

 叱られたり怒鳴られたりしたほうが、よほどましだった。



「椎葉くん、その夕声ってのは、一体全体どなただろう? 私の知ってる人かい?」


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― 新着の感想 ―
[一言] あーあーあー、事態がドンドン悪化していく……
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