21.大親分 対 椎葉八郎太(後)
「アライグマはかわいそうだから助けてあげてください、とでも言うつもりかね?」
「はい。最終的にはそういう主張に着地する予定です」
ごちゃごちゃと言い訳はせずに、率直に認めて即答した。
僕のそんな態度が意外だったのか、文吉親分が少し黙り込む。
その隙を逃さずに僕は続けた。
「もっとも、今し方申し上げた通り、アライグマは我々人間にとっても害獣です。だから、すべてのアライグマを受け入れてやってくれとは言いません。皆さんが彼らを認めてくれたころで、人間が認めずに駆除を続けたら意味なんてありませんし。
僕が助けて認めてあげて欲しいのは、アライグマという種ではなく、たまたまアライグマだっただけの一人の女の子なんです」
文吉親分が何か言おうとする――その機先を制して、僕はさらに言葉を続ける。
このまま、このままずっと僕のターンのまま、いけるところまでいかなくては。
「先ほど、僕は『むじな』という言葉についてこう解説しました。『ある時代には特定の動物の通称として用いられていた』と。
その動物とは、ズバリみなさんタヌキのことです」
吐き出す一語一語にあらん限りの力を込めて熱弁をふるう。
「この言葉の用法は、未だ完全に過去にはなってはおりません。現代においてすら、一部の地域ではタヌキはむじなと呼ばれ続けているのです。大正時代に行われた『たぬき・むじな事件』なる裁判においては『むじなという語はタヌキを指すのか?』が法廷で真剣に議論されたこともあるほどです。この裁判とその判例は、法学関係者であれば知らぬ者のないほど有名なものであると聞きます」
さて。
ここまでも十分に詭弁を弄してきたけど、ここから先は、いよいよ屁理屈をこじつけで煮染めたような内容になってくる。
だから、ここからはとにかく勢いで誤魔化して押し通すしかない。
椎葉八郞太、一世一代の大演説だ。
「このように、むじなと言えばタヌキ、タヌキといえばむじななのです! そして、いいですか皆さん、そしてです! むじなという言葉が動物全部をひっくるめた言葉であるのだとしたら、皆さんタヌキは全動物の代表といえるのではないでしょうか! 百獣の王ならぬ、百獣の代表です!」
つまり! と声を張り上げる。
「つまり! ライオンが王様だとしたら、皆さんは総理大臣ということです!」
僕の強引な論法に、文吉親分以外のタヌキが「おお!」っと声をあげる。
この人たちのチョロさが今の僕にはなによりも頼もしい。
そんなタヌキたちの反応を横目に見ながら、僕はここで、ターゲットを文吉親分に定める。
「僕はね、文吉親分。さっきも言ったけど、全部のアライグマを認めて欲しいなんて思っちゃいないんです。その中のたった一人だけを認めて受け入れてくださいと、そうお願いしてるだけなんです」
「……」
「総理大臣なら、ひとつ清濁併せのむ懐の深さを見せてくださいよ! たかだか小娘一匹、気前よく許してみせてくれていいじゃないですか! がっかりさせないでくださいよ!」
「――こんガキがぁ! よくも威勢のいい啖呵切りよったなぁ!」
文吉親分が、ここに来てとうとう爆発した。
そのあまりの剣幕に、タヌキたちが揃って息を呑む。夕声が小さく悲鳴をあげる。
体感温度は、言うまでも無く極寒だ。
「ごじゃっぺのでれすけがぁ! 優しくしておればつけあがりやって、この小貝川の文吉をようもそこまで侮り舐め腐りよってからに!」
「いいえ! 違います!」
激昂する文吉親分に、僕はここまでで最大の声を張り上げて反論する。
一見して文脈を完全無視したこの否定に、文吉親分が呆気に取られて一瞬黙る。
「僕は、文吉親分を、侮っても舐め腐ってもいない! 少しも、一ミリもです!」
僕は立ち上がり、その場でくるっと半転する。
そして。
「これがその証拠です! さぁ、とっくりとご覧になってください!」
そう宣言して、遠山の金さんよろしく背中を親分に見せつけた。
ワイシャツもその下の肌着も、水でも被ったようにびっしょりになっていた。
冷や汗で。
「……舐めるなんて、侮るなんて、滅相もありません。今夜この家にあがらせてもらった時からずっと、僕はこの通り親分にビビりっぱなしです」
さらにダメ押しとばかりに、ブルブル振動する手を見せる。
演技ではなく、本当にさっきから震えが止まらないのだ。ほんとは足だってガクガクだ。
「……いや、今日だけじゃない。あの日あの夜、あの初午の宴会で『東北妖怪スターシリーズ』を目撃したときから、僕にとって親分は恐怖の対象です」
僕の告白を聞いて、タヌキたちがひそひそと囁き交わす。
そういえばあの夜、たしかに失神した人間が出たな。
いた、いた。
そうか、この小僧があのときの。
あの夜、それぇ聞いた文吉さんはたいそう嬉しそうだったなぁ。
「だから、信じてください。この椎葉八郞太に、偉大な小貝川の文吉を見くびる心は少しもありません。天地神明に誓って、僕はあなたが恐ろしい」
「……まさか、こんな形でこっちの面子を立てよるとはなぁ」
呆れたような、あるいは感心したような声で親分は言った。
「……なぁ、日置の甥御くん」
やがて、親分は静かな口調で僕に切り出した。
「君の言いたいことはわかったつもりだ。それにこの文吉をそこまで恐れている君が、その怯懦を押し退けて立ち向かってくれたことも、甥の叔父として嬉しい」
だが、と親分は続けた。
「だが、この問題がそう簡単でないこともわかってくれるな? もし仮に小次郎とあの娘が結ばれたとしよう。そうしてやがて子供でも出来れば、龍ヶ崎タヌキの親分の系譜にアライグマの血が入ることになるんだ そのことを、君はどう考えるのかね?」
この世で一番恐ろしいとさえ感じた親分はもういなかった。
文吉親分はお釈迦様のように優しく穏やかに、僕にそう意見を求めたのだ。
僕はじっくりと時間をかけて考え、さらに重ねて熟考し、それから。
「……僕には、タヌキの社会のことはよくわかりません。ですが」
「ですが、なんだね?」
「血は、混じり合って強くなります。これは、雑種の犬は純血種より強いとか、そういう話だけじゃありません。信田の森のうらみ葛の葉の子供が、長じては名高い安倍晴明となったように、多くの異類婚姻譚もまたそれを物語っています。
だから、異類婚姻譚の伝承が息づくこの女化で、よりによって化生であるあなたたちが血統書に縛られるのは……それは、なんだかもの凄く大きな誤謬であるように僕には思えます」
僕はどうにかそう答えた。
僕の返答を受けて、文吉親分がしばらく考え込む。
それから親分は仲間のタヌキたちを集めてなにやら話し合いを持った。
「……なぁ、お二人さん」
五分ほど後に、親分は僕と夕声に向かって言った。
「たぶん、わしらの顔はしばらく見たくもなかろうからな。だから、手間をかけてすまんが、二階の二人にはお前さんたちから伝えてくれんかね。
……認める、と」
親分がなにを言ったのか、僕も夕声もしばらく飲み込めずにいた。
やや時間をおいて、理解は唐突にやってきた。
「あ、ありがとうございます!」
ほとんど直角になるほど腰を折り曲げて、深々とお辞儀をする。
隣で夕声が「信じられない……」と呟いた。
「おい、椎葉くん」
一刻も早く二人に決定を伝えてやろうとリビングを飛び出しかけた、その僕の背中に親分が言葉をかけた。
「今夜耳に入れた中で一番に残念だったのは、君が下戸だという話だよ」




