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女化町の現代異類婚姻譚  作者: 東雲佑
二章 むじな
40/70

20.大親分 対 椎葉八郎太(中)

「皆さんは『むじな』という言葉をご存知ですね?」


 文吉親分だけでなく、他のタヌキたちにも視線を配りながら僕は言った。


「同じ言葉でも地方や社会階層によってしばしば異なる意味を持つように、『むじな』という言葉も、僕たち人間と皆さんとでは違った意味を持っているそうですね。皆さん人でない方々の間では、『むじな』は正体不明の動物の化生を指す言葉として使われているとか」

「我々のことをよく勉強してくれているようだね。感心感心」

「恐縮です。夕声さんの受け売りですけどね」


 思えば僕が彼女からそれを聞いたのはまだ数時間前のことなのだ。やれやれ、たった数時間でずいぶん遠いところまで来てしまった感じがする。


「しかし、これはとても残念なことですが、僕たち人間の間では『むじな』という言葉は、昨今あまり使われていません」

「残念なのかね?」

「いかにも残念ですね」


 親分の目をまっすぐ直視したままで肯き、それから他のタヌキたちを見渡す。


「あまり知られていませんが、『むじな』はとても長い歴史を持つ言葉です。最初にこの言葉が使われた時期を調べると、平安時代よりもさらに以前まで遡れます。日本書紀にも登場してるんですよ。文献として残るだけでもこの通りですから、口語として使われてきた歴史はきっともっと古いはずだ」


 こんな言葉が失われつつあるのが残念でないはずがない、と僕は言った。


「土地や社会だけでなく、言葉は時間によっても変容します。『むじな』もまたこれは同様。ある時代には特定の動物の俗称として使われ、また別の時代にはなんらかの妖怪の固有名詞だったこともあります。ですが最古の時代において、どうやらこの言葉は野の獣全般を指す言葉だったようなんです。タヌキもサルもイタチも、太古の日本においてはみんないっしょくたに『むじな』だったんです。もしも――」


 高まりきった緊張を生唾と共に飲み下して、続けた。


「もしもその時代にアライグマがこの日本にいたなら、アライグマもまた『むじな』と呼ばれていたでしょう」

「ようやく本題に辿り着いたようだね」


 クックック、と文吉親分がしゃがれた声で笑った。


「まどろっこしく遠回りしてくれたが、やはり結局はそこに話を持ってきたか。まぁ、最初からわかりきっていたがね」


 背筋が粟立つ。喉の奥で何かが詰まったような感じがした。

 ああ、恐ろしい。


「なぁ、日置の甥御くん。わしは確かに言ったはずだぞ? タヌキの問題には口出しはできんと。君は、なにかね、わしを甘く見ておるのかね?」


 甘く見るなんて、冗談じゃない。

 僕はこんなにあんたにビビってる。ビビり倒してる。


 けど。


「甘くは見てないけど、口出しはします」


 言ってしまった瞬間、もはやすっかりギャラリーと化しているタヌキたちが一斉に色めき立つ。夕声も愕然とした顔で僕を凝視している。


「面白い。よくも()かしおったな小僧」


 文吉親分が、両の口角をニヤっと吊り上げて言った。あたかも本気で面白いと感じているみたいに。

 それから。


「むじなの話は、まだ先があるのかね? あるなら、聞くだけ聞いてみようか」

「……! あ、ありがとうございます」


 意外にも向こうから先を促された。僕はここぞとばかりに話を続ける。


「アライグマは、現代の日本社会においては最下層のむじなです。というか、いわゆるパブリックエネミーですらあります。なにしろ我が国の自然環境に深刻な被害をもたらす侵略的外来種です。存在することを法的にも禁じられた害獣、イリーガルな動物です。自治体によってはアライグマ駆除に助成金すら出しているような有様です」


『イリーガル』『パブリックエネミー』のあたりで文吉親分以外のタヌキたちが「ふむ」という顔をした。

 こいつら、さては横文字に闇雲な説得力を感じてしまうタイプだな?


「このように、アライグマの立場はかなり弱い。翻って、皆さんタヌキはどうか?」


 もう一度、タヌキたち全員に視線を配る。


「アライグマとは対照的に、タヌキは我が国で最も親しまれ、市民権を得た野生動物の一つだと言えます。神話の太古からこの国に棲まう正真正銘の在来種ですし、人間に迷惑をかけることも滅多にない。だから、駆除されるどころかむしろ手厚く保護されている。ドライバー向けの動物注意標識のイラストはタヌキであることが大半ですし、もっとストレートに『タヌキ出没注意』の標識が設置されている場所もあるくらいです」


 これほど大切にされている野生動物なんて他には一部の野良猫くらいだ、と僕。

 親分以外のタヌキたちがうんうんと肯いている。まずはチョロいこの人たちから味方につけてしまう作戦は間違ってなかった。


 しかし、問題は。


「それで、君はいったいなにが言いたいのだね?」


 やはり、難敵はこの親分一人だ。


「アライグマはかわいそうだから助けてあげてください、とでも言うつもりかね?」


 親分が問い、僕は答える。



「はい。最終的にはそういう主張に着地する予定です」


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― 新着の感想 ―
[一言] 親分ほんとに楽しんでそうだなあ まだまだ新参者な若造が自分にどう挑んでくるのか楽しみにしてそう
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