18.こう見えて僕は
「ねぇ、アライグマって、君たちみたいな化生なの?」
僕の問いかけに、夕声は黙って首を横に振った。
「アライグマが化けるなんて話、聞いたこともない」
夕声は続けた。
「たまにいるんだよ、突然変異みたいにいきなり化けだす動物がさ。だけど突然変異は結局突然変異でしかなくて、そいつの変化の能力はただそいつだけのものなんだ。断言するけど、龍ヶ崎の化けアライグマはこの爆竹娘一匹だけだよ」
なんなら賭けたっていい、と夕声はさらに付け足して強調した。
たった一匹の化けアライグマの孤独を僕は想像してみた。
群れで生きるタヌキと違って、アライグマは単独行動の生き物だ。
仲間のぬくもりも得られずに日々をなんとか生き抜いていたら、ある日突然、憎いはずの人間に化ける能力を手に入れていた。
そのとき、この子は喜んだのだろうか? 嘆いたのだろうか?
「……いや、孤独ではなかったか」
もう一度、僕は檻の中の二匹に視線を移した。
並んで眠っている二匹に。
ひとりぼっちの女の子と、そんな女の子に手を差し伸べた男の子を見る。
「……なんともまぁ、尊いじゃないか」
関八州の守護者にして板東の大英雄。義理人情と義侠心を併せ持つ、男の中の男。
桔梗ちゃんにとって、小次郎くんは本物の平将門公だったのかもしれない。
「……ねぇ、夕声」
だから、それが極めつけの愚問であると知りながら、口にせずにいられなかった。
「……この子たちが、これから先も一緒にいられる可能性って――」
「あるわけないだろ、そんなの!」
夕声が、苛立ちもあらわに僕の言葉を遮った。
「いいか? アライグマがタヌキを嫌うのと同じように、タヌキの方もアライグマを嫌ってんだ。理由はさっきあらかた説明した通り、さらに付け加えるなら下賤な外来種としてはっきりと見下してすらいる」
人間で言うところの差別感情とか、そういうのがあんだよ、と夕声。
「そんな薄汚いアライグマに、大事な大事な未来の大親分が誑かされ――どっちが誑かしてどっちが誑かされたのかなんてこの際どうでもいい――たんだ。タヌキどもにとっちゃすげえショックだし、すげえ頭に来る。というか事実激おこだ。こいつらの仲を認めるなんて有り得ないし、引き離すためならなんだってやる」
そこまで一気にまくし立てた夕声は、最後にあざ笑うようにこう言った。
「……はっ、まるでロミオとジュリエットだな」
夕声がなにをあざ笑ったのか、なににそんなにも苛ついているのか、僕には嫌になるほどわかった。
彼女はどうしようもなくままならない現実に苛つき、その現実に対して無力な自分自身をあざ笑ったのだ。そして今のこの状況が含有するすべてに対して傷ついていた。
「……あんたはいい奴だよ」
ややあってから、そこまでとは打って変わって消沈した声で夕声が言った。
「あんたは、すごくいい奴だよ。良い奴だし、それに善い奴だ。だから今回だってきっと『当たり前』の良心でもってこいつらに同情して、『当たり前』の良識でもってなんとかしてやりたいと考えてる。……でも、それじゃダメだ」
夕声は力なく首を振った。
「こいつはあんたの『当たり前』が通用しない問題だよ。『自分は大人だから子供の味方をする』なんて、たったそれだけの理由じゃあまりにも弱いし、足りない。あたしらに出来るのは、せいぜい爆竹娘の助命を嘆願してやることくらいだ」
それが限界なんだよ、ハチ。
諭すように、言い聞かせるように夕声は言った。
僕に対してというよりは。彼女は自分自身に対して諦めを促していた。
夕声が少しも納得していないことは明白だった。
当たり前だ、僕をいい奴だと言ってくれた女の子は、僕に負けないくらいとびきりにいい奴なのだ。
しかも彼女は僕と違って小次郎君と親しくしている。その心痛はいかばかりか、僕には想像もつかない。
だけどこれもまた僕とは違って、夕声はタヌキとアライグマの確執、その問題の根深さを理解している。
この問題に出口がないことも、自分には諦めるしかないことも。
タヌキとアライグマの異類婚姻譚が、決して成就することはないということも。
夕声の笑顔が見たいな、と僕は思った。彼女の笑顔はいつだって僕に元気をくれる。
だけどそれは無理な注文だ。
笑顔どころか、彼女は今にも泣き出しそうな顔をしている。
――もしもこのまま諦めたら、僕はこの子の笑顔を永久に失うかもしれない。
そう考えた瞬間、思わずゾッとした。
もしそうなったら、それは僕にとってもの凄い痛手だ。
絶対に代えの利かない損失、埋め合わせようのないマイナス。
二度と再生されない喪失。
そんなのは、すべてを失うよりもなお最悪だ。
「あのさ、夕声」
だから、僕は言った。
「僕は、平家物語が好きなんだ」
「はぁ?」
夕声が、素っ頓狂な声をあげて僕を見た。
「おいハチ、あんた、なんで急にそんなこと……」
「僕は平家物語が好きだ。でも、一番に好きな英雄は牛若丸でも平清盛でもない」
夕声が何か言おうとしたけど、構わずに続けた。
「源平合戦が源氏の完全勝利に終わって数年が経った頃、ある若武者が平家の落ち武者狩りを命じられて九州の山奥まで出向くことになった。長い旅の果てに平家残党の隠れ里を発見したその若武者は、しかし討伐対象であるはずの平家の落人たちにすっかり同情してしまう。若武者は鎌倉に『平家は皆殺しにした』と嘘の報告をする。そしてあろうことか、平家の人々を助けて村で一緒に暮らし始める」
「お、おい」
「源氏の若武者は、いつしか平家の姫君と恋に落ちる。二人は夫婦となり、やがて姫は子供を身籠もる。だけどその頃、折悪しく鎌倉幕府から若武者に帰還の命令が下り、二人は引き裂かれてしまう。若武者は家宝の名刀を残し、涙ながらに村を去った。愛する姫と、姫のお腹にいる我が子を残してね」
ちなみにこの若武者はあの那須与一の末弟で、現代にも残るその村には『那須』という名字の世帯が数多く残されているという。歴史のロマンを感じるね。
「美しい悲恋物語、本邦のロミオとジュリエットだ。このエピソードを知ったのがきっかけで、僕は平家物語が好きになったんだ」
そう締めくくった時、夕声は怪訝を極めた顔をして僕を見ていた。
「いや、確かにいい話だけど……でも、なんで今そんな話をするんだ?」
戸惑いきった様子の夕声に、僕は言った。
というか、宣言した。
「つまり、こう見えて僕はロミオとジュリエットには肩入れしたくなるタイプなんだ」




