17.人間とタヌキ、両方が敵
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開け放した窓の外は土砂降りの雨だった。
風にあおられた雨粒が部屋の中に吹き込んで、窓際の床をびしょびしょにしていた。
檻の中の二匹は……小次郎くんと桔梗ちゃんは、まだ目を覚まさない。
僕と夕声の会話も途切れていた。
雨音をバックグランドミュージックにして、室内には重い沈黙が鎮座していた。
夕声と共有する沈黙を重いと感じたのは、たぶんこれがはじめてだ。
『よりによってアライグマかよ……』
さっき夕声がそう毒づいていたのを僕は思い出す。
悔しそうに、そして同時に何かを諦めるように、夕声はそうこぼしたのだ。
そもそもアライグマとはどのような動物なのか。
アライグマ、北米原産種。合衆国やカナダでは古くから国民的動物として親しまれている中型哺乳類。
本来は日本に生息しない動物だったが、1970年代に放送されたテレビアニメの影響で知名度が急上昇し、ペットとして大量に輸入されることになる。
しかし、ここで大きな問題が顕在する。
愛らしい外見とは対照的に、アライグマは非常に気性の荒い生き物だった。凶暴で人には懐かず、むしろ飼い主相手でも平気で牙と爪を剥く。
原生地である北米大陸においても、身近な動物ではあっても飼育対象として選ばれることは極めて希であった。
このように彼らはペットとしてはまるで適さない存在なのだけれど、それが知られるようになったのは大量の個体が国内に持ち込まれた後だった。
結果として、大量のアライグマが遺棄されることとなった。
飼い主たちは家族として迎えたはずの彼らをあっさりと野に放った。
罪悪感を誤魔化すために『やはり動物は自然で暮らすのが一番』などと嘯く元飼い主も少なくなかったという。
身勝手な人間によって原産地から一万キロの距離を隔てた土地に捨てられたアライグマたちだったけれど、しかし日本の自然環境だけは彼らの味方をした。
天敵のいない新天地で、アライグマたちはしぶとく生き延びた。
生き延びて、捨てられた個体同士が出会って繁殖して、そうして個体数を増やし続けた。
近年、増えすぎた彼らは我が国において大きな問題になっている。
彼らは四十七のすべての都道府県に分布を広げ、各地で生態系や農作物に深刻な影響と被害を与えている。
「……現在、アライグマは特定外来生物に指定され、駆除対象となっている」
そうした現実を、僕はテレビのニュースで見て知った。
人間の無知と身勝手に振り回されて、挙げ句の果てに害獣扱い。ひどい話だなぁと思ったのを覚えている。
そのときは他人事だった問題が今、時間を隔てて僕の目の前にいた。
「そりゃ、憎まれて当然だよな」
獣の姿で横たわる桔梗ちゃんを見つめながら、謝るように呟いた。
自分が人間を代表して謝らなきゃとか、そんな風に思い上がった考えを持ったわけではない。
だけど、それでも僕は間違いなく人間だった。悲しいことに。
「タヌキもだよ」
それまで黙っていた夕声が、ぼそっと言った。
「アライグマから憎まれる理由は、タヌキにもあるんだ」
「そうなの?」
「うん。ほら、タヌキとアライグマってすごく似てるだろ? あんただって、こいつらの片方がアライグマだってすぐには気付かなかったみたいだし」
確かにその通りだった。
「だから、アライグマがした悪さなのにタヌキのせいにされることがよくあってさ。ちらっと見ただけじゃ見分けなんかつかないし、タヌキのほうが知名度は上だしで」
「ああ、そりゃ……タヌキからしたら迷惑極まりないね」
「うん。あとアライグマってかなり凶暴でさ、臆病なタヌキは自然界じゃ結構いじめられてんだ。でも、なんといってもタヌキには化けられる奴がいるから、そういう連中が化けられない仲間の代わりに報復すんの。今言った濡れ衣の恨みもあるから、結構エグいことやるんだよ。捕まえて皮剥いだりとか」
アライグマやっつけるために罠免許取った奴もいるって聞くし、と夕声。
なるほど、と僕は肯く。
なるほど、これでようやく合点がいった。
子ダヌキトリオの直観は、やっぱり間違っていなかったらしい。
「人間とタヌキ、この子にとってはどっちも敵だったんだな」




