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女化町の現代異類婚姻譚  作者: 東雲佑
二章 むじな
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16.むじなの正体

「やった、のかなぁ」


 リビングから廊下に出て深呼吸したその後で、僕はようやくそう言った。

 やったなハチ! とさっき夕声はそう言ってくれたけど、あの状況を切り抜けるために僕がなにか貢献出来たかというと、それにはかなりの疑問がある。

 あの場をどうにかしてくれたのは夕声の口八丁と、あとは叔父の七光りだ。

 僕はといえば、ひたすら無様をさらしていただけという気がする。


「やったんだよ」


 共に緊張の現場を乗り切った夕声が、身体をほぐすように背伸びをしながら言った。

 彼女は楽しそうに笑って続けた。


「『ぼぼぼ、僕は下戸です!』って、史上最強にダサかったな、あれ」

「し、仕方ないだろ! 咄嗟に出ちゃったんだから!」


 実際以上に誇張されたものまねに思わず裏返った声が出た。

 自分の無様を自覚してはいるけど、でもそれを人からつっつかれるのはちょっと傷つく。


「あれはほんと、痛恨のダサさだった」

「もう勘弁してくれよぅ……」

「でも、会心にかっこよくもあったぞ」

「……え?」


 意外な返しに驚く僕に、夕声は上半身の軽いストレッチをしながら続けた。


「意味不明な反論だったけど、あんたはあの文吉親分に言い返したんだ。それも直接話をしたこともない子供のためにさ。たいしたもんだよ。そんなあんただから、あたしもどうにかして支えてやんなきゃって頑張れたんだ」


 だから、やったんだよ、あんたは。

 僕の顔は見ずにそっぽを向いたまま、夕声はそう言い切った。


 彼女が今どんな顔をしているのか、なんだか無性に気になった。


「さ、そんなことより、さっさと二階に行こうぜ」


 そのために根性見せたんだろ? と夕声。

 僕は肯いてそれに応じる。


 親分によれば、小次郎くんと桔梗ちゃんは謹慎処分を受けて二階で反省中だという。

 ともかく一度彼らと話してみたいと言うと、親分は快く面会を許可してくれた。

 そのときの文吉親分はとても好々爺めいていて……だからこそ、その直後の言葉がひどく不気味に感じられた。


 親分はぼそっと呟く声で、『話せる状態かどうかは知らんがね』と続けたのだ。


「うん。なんにせよ、まずは二人に会うのが先決だ」


 あとのことはそれから考えようと僕が言い、夕声が力強く「おう!」と応じる。

 そうして僕らは階段を上って二階にあがった。


 タヌキ屋敷の二階は一部屋の洋室と二間続きの和室という間取りだった。見張り役のタヌキなどは一人もいなくて、正直ちょっとだけ拍子抜けする気分だった。

 最初に入った洋室はほとんど物置部屋同然の有様で、一つ目の和室は逆に殺風景なほど物が置かれていなかった。どちらもハズレだ。


 そうして、残された三つ目の部屋に通じるふすまを開けた、その途端。


「うわ……タバコくさ……」


 最後の和室は、部屋いっぱいにタバコの煙が立ちこめていた。

 鼻だけでなく目にまで染みるようなヤニの煙幕。副流煙と受動喫煙の直売所という有様だ。


「まるでパチンコ屋か雀荘だよ……どっちも入ったことないけど――」

「換気! 窓開けろ! はやく!」


 のんびりとぼやいた僕の声を遮るように、夕声が血相変えてそう叫んだ。


「タヌキは煙草なんか吸わない! むしろ大の苦手なんだ! ヤニは変化(へんげ)を剥ぎ取って正体をあばく――この煙は、あたしら化生には毒だ!」


 僕は大慌てで部屋に飛び込んで窓を開けた。

 そういえば『狐狸こりに化かされたら煙草をめ』という昔話があるのだと、そのときようやく思い出した。


 案の定というべきか、テーブルの灰皿の中に火のついた煙草が何本か放置されていた。どうやらこれが煙の発生源らしい。

 同じテーブルの上にペットボトルのお茶が出しっぱなしにされていたので、それをかけて消火した。


「君は大丈夫?」


 思いつくだけの換気の手段を講じたあとで、僕は部屋の外で青い顔をしている夕声のところに戻った。


「あたしはだいじょぶ……ちょっと気持ち悪くなったけど、ほんの短い時間だったし煙もほとんど吸ってない、それに体力も余ってるから。

 だけど……」


 夕声が言葉を濁す。

 消え入った言葉の先は、みなまで言われずとも察せられた。


 ――もしも体力の落ちている子供が長時間この空気の中に置かれたら。


 部屋の片隅で物音がしたのはそのときだった。


 音のした方に、二人揃って視線を走らせる。

 そこにあったのは、無造作に布をかぶせられた小動物用のおりだった。


「……嘘だろ、ここまですんのかよ……小次郎だぞ。自分の甥だぞ……」


 夕声が、沈痛な声で呟いた。


「……檻に捕らえて苦手な煙でいぶして、これのどこが『反省して謹慎中』なんだよ!」


 目の当たりにした文吉親分の仕打ちがよほどショックだったのだろう。

 夕声は、ほとんど泣き出しそうな顔をしていた。こんなに弱々しい夕声を僕は初めて見た。


 彼女の代わりに、僕が檻にかかっていた布をはらう。

 鉄製の檻の中には、気を失った二匹のタヌキが並んで横たわっていた。


 いや。

 よく似てはいるけれど、二匹には所々にはっきりと生物的な差異が認められた。


 たとえば、片方はもう片方よりもわずかに顔つきがシュッとしている。

 片方の毛皮は茶色で、対するもう片方の毛皮は灰色。

 決定的なのは手の形状と指の本数の違いだ。片方は犬のような肉球のついた四つ指で、もう片方は人や猿を思わせる五本指。


 一匹は確かにタヌキだけど、もう一匹はそうじゃない。


「……そうかよ、そういうことだったのかよ……」


 夕声が、苦虫を噛みつぶしたような声で言った。

 なにかを理解して、しかし理解はしたけど納得はしていないという声だった。


 僕はもう一度二匹を見た。

 最も目を引く二匹の違いは、その尻尾に表れていた。


 タヌキでないほうの尻尾には、特徴的な黒いシマシマ模様があったのだ。


「……アライグマだね」


 それがむじなの、桔梗ちゃんの正体だった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 物語的な任侠道かと思ったら現実的な暴力団だったみたいな……
[一言] この仕打ちをやりすぎとは思ってないんでしょうねえタヌキは
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