2.ニュータウン、タヌキ、オナバケ
キヨスクの二人と手を振って別れると、改札を抜けて、案内表示に従い自由通路を左手に折れた。
『東口に出てニュータウン北竜台行きのバスに乗って、終点の長山バス停で降りろ』
叔父からの案内はそれだけだった。
いくらなんでもアバウトすぎだろうと抗議したのだけど、案の定それ以上の助言や説明はなかった。
『終点のバス停から見える一番それっぽい家がお前の新居だ』
まさしく変人の面目躍如とでも言うべきガイドに、常識人である僕はため息をつくしかなかった。やれやれ。
さて、東口に出てみると、ロータリーのバス停にはちょうど一台のバスがスタンバっていた。
運転手さんに確認してみると、これぞまさしくニュータウン北竜台行きのバスである。
「へええ、引っ越してきたんですか? 若いのにお一人で」
大変だねえ、と運転手さんはしきりに感心してくれた。感じのいい初老の運転手さんだった。
「駅前はちょっと寂れて見えるかもしれないけど、北竜台とかあっちのほうは綺麗なもんですよ。なんせファミリー層の住む土地だからね、生活の便はそりゃあいいですよ」
そもそも竜ヶ崎ニュータウンってのは昭和の終わりに開発がはじまった東京のベッドタウンで……と運転手さんは説明をはじめる。
老運転手の語る地方史を苦笑交じりに聞いていると、乗客のお婆さんが透明な包みにくるまれた飴をくれた(こう見えて僕はいろんな人から飴ちゃんをもらうタイプだ)。
「一人暮らしじゃ心細いだろうけどね、ここの人はみんな、いい人だからね。悪い人は、滅多にいないから」
だから、心配しなさんな、とお婆さんは言った。
僕は、はい、と返事をする。本心から同意して。
そうこうするうちに発車時刻がやってきた。
アナウンスと運転手さんの両方に呼びかけられて僕は着席する。なにかのサービスのように、クラクションが一度だけ鳴らされる。
そしてバスは走り出した。
龍ケ崎市駅のロータリーを出発したバスは東へと針路をとった。そのまま県道271号という幹線道路をゆったりと走行し、いくつかの停留所を過ぎた頃、今度は北に向かって信号を折れた。
そこで一旦バスは市街区を離脱するのだけど、気がつくとやがてまた別の、しかも、さっきよりも真新しく若々しい町並みの中を走り出していた。
これが件のニュータウンらしい。
車窓を流れ行く景色を、僕は注意深く眺める。
生活の利便について検分し、今後利用するかもしれない商店や施設に目星をつける。
町に満ちる空気を読み、人々の醸し出す雰囲気を確かめる。
ショッピングモールの巨大な駐車場に地域の活力を感じ、道沿いの小児科に平穏な日常風景を想起する。
大きな公園の中の誰もいないテニスコートに冬の名残を嗅ぎ、引率されて横断歩道を渡る幼児たちの列に春の予感を垣間見る。
これが今日から僕の暮らす町だった。
住宅街を中心に開発され発展した、近代的なニュータウン。
計画整備された街区は清潔さすら感じさせて、アスファルトとコンクリートの眺望の中で意図的に残された緑が鮮やかだった。
「快適そうな場所だな」
僕がそう呟いた、その時だった。
街路樹の茂みから、なにか、黒っぽい動物が顔を出したのが見えた。
最初は猫かと思った。でもその動物のフォルムは、どう見ても猫とは少し違う。
明らかに猫よりも丸い。猫はこう、もうちょっとスマートでしなやかな気がする。では犬かといえばそれも違う(だいいち住宅地に野犬はまずいだろ)。
――と。
「ほらほら、あんなところにタヌキさんがいたよ」
三歳くらいの男の子を連れたお母さんが、猫でも犬でもないなにかを指差して我が子に語りかけた。
タヌキ? タヌキって、あの?
「へぇ、タヌキがいましたか?」
ハンドルを握ったままの運転手さんが声をかける。
男の子が、タヌキいたー! と元気よく応じる。
こんな町の中まで来るもんなんだねえ、と僕に飴をくれたお婆さんが感心した様子で言った。
「ですねえ。まぁ、北竜台もここまで来たらオナバケが近いですから」
もっともあそこはタヌキじゃなくてキツネの神社ですけど、と運転手さんが言い、車内に笑いが広がる。
僕はといえば、生まれて初めて見た野生のタヌキに、しばし一人で感動している。
それからふと、今しがた会話に登場した単語について思いを馳せた。
オナバケ……いったいどういう漢字を当てるのだろう?