8.ざしきわらしと天邪鬼
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民俗学者の佐々木喜善が採集した話に、こんなものがある。
明治43年の夏、岩手県土淵村の尋常小学校(小学校の昔の呼び方だ)の運動場で一年生の児童数名が遊んでいると、見知らぬ一人の子供が遊びに参加してきた。
子供たちは仲良く遊んだが、この謎の子供は一年生の児童にしか見えなかった。「ここにいる」と指さし教えられても、上級生や大人たちはついぞその姿を捉えられなかった。
また、怪談研究家である熊沢隆道の著書では、次のような怪談が紹介されている。
平成十年台の新潟県の小学校に、大人には認識することのできない子供が現れた。
児童らは当たり前のようにその子供を受け入れている様子だったが、先の話と同様、やはり大人は姿を見ることができなかった。
この見えない子供は一時期のあいだは毎日のように現れたが、やがてぷっつりと話題にのぼらなくなったという(熊沢はこの怪談に特に大きな関心を持ち、取材のために問題の小学校まで足を運んでいる)。
さて、これとそっくり同じような現象が、水沼教諭が勤める龍ケ崎市立北竜台小学校でも起きているらしい。
児童にだけ認識される、実体のない謎の子供。
「ざしきわらしみたいだ」
思わずそんな感想を漏らした。
子供にしか見えない子供の姿をした妖怪といえば、なんといってもざしきわらしだろう。基本的には家に棲み着く存在だけど、時折は学校などの子供の集まる場所にも現れたという。
さっき名前を挙げた佐々木喜善も、一つ目の岩手の話を『遠野のザシキワラシ』としてあの柳田國男に紹介している。
「椎葉さんたら、本当にこういうのがお好きなんですね」
「あ、いえ、ちょっと職業柄というか……」
「オタクだよオタク。ここまで行くとなんかちょっと気持ち悪いよな」
やかましい。
「でも、ざしきわらしとはちょっと違うかしらね」
「そうなんですか?」
「ええ。だってざしきわらしっていうのは、幸福を呼び込む妖怪でしょう?」
水沼さんは北竜台小学校のざしきわらし(仮称)について話しはじめる。
四月に新学年がはじまったあたりから、校内における児童の非行件数が目に見えて増加している。
教職員が事情を問いただすと、子供たちは口を揃えて「知らない子がやった」と証言する。
しかしもちろん、そんな子供は影も形も見当たらない。
「架空の存在に罪をなすりつけようとするなんて嘆かわしいって、ダーリンも最初はそう憤ってたんです。だけど、あんまりにもみんなして同じことを言うでしょう? それにダーリンが言うには、子供たちからはウソをついてる感じが全然しないんだとか」
しかし子供たちがウソをついているのでないとしたら、校内に部外者が侵入している可能性がある。それがたとえ子供であれ、児童の安全を預かる学校に侵入者はまずい。
「そんなわけで、今学校では防犯カメラの導入も検討しているそうですよ。ね? 正体がなんであれ、ざしきわらしではないでしょう?」
どちらかというと天邪鬼とかかしらね、と水沼さん。
「……」
僕はといえば、なにかが引っかかったような、すっきりしない気分に陥っていた。
見れば、夕声もそれは同じらしかった。彼女もえらく微妙な表情になっている。
そうだ。僕はこの話を、どこかで聞いたことがあるんじゃないか?
「ねぇ静さん。ガキどものする悪さって、どんなん?」
ややあってから、夕声がそう訊いた。
「そうねぇ。非行って言っても大したものじゃないのよ。お友達をぶって泣かせたり、先生を狙って黒板消しをもくもくさせたり……深刻なものでもせいぜいこのくらい」
あ、それから、と水沼さんは思い出したように言った。
「それから、トイレで飴の袋が見つかることが増えたとか」
その瞬間、僕と夕声は揃って「あっ!」と声をあげた。
参考資料
佐々木喜善『遠野のザシキワラシとオシラサマ』
柳田国男『遠野物語』『妖怪談義』
水木しげる『妖鬼化 第五集 東北・九州編』
熊沢隆道『IT時代のフォークロア』




