2.そいつは、人間とタヌキ、両方の。
このタナゴのような事例は、他にもある。
他にも、それこそ枚挙に暇がないほど。
たとえばある夜には自分を蛇だと語る着物の美人が、また別の夜には酒臭い息のタヌキ親父たちが顔を出した。白髪の見事なハクビシンの老人や白鳥の美少年の訪問を受けたこともある(ちなみに彼はオオハクチョウではなくコブハクチョウだった)。
我が家には玄関が二つあり、お隣の奥さんをはじめとする常識的な人々はもっぱら『今側』の玄関を訪う。
ではもう片方の『昔側』に来るのはどんな連中なのかといえば、こういう連中なのである。
こういう、非常識な。
……最近、僕は自分が『常識』とか『普通』とかいうクリシェから日に日に遠ざかっていることを切に感じる。
ああ、いかにも。
いかにも、それらは形骸化して中身を失った虚しい常套句でしかないのだ。
※※※
ともかくこのように、僕がこの家に越してきて以来、二つの玄関の訪問者比率は圧倒的に『昔側』が勝っているのである。
「にゃはは、日置さんは人望、というか人外望? まぁともかく、人気あったからな」
おかげで退屈しないだろ、と彼女は言った。
巫女装束には全然似つかわしくない、大口をあけた大笑とともに。
それから皮を剥いた甘夏を一房、その大口に放り込む。
お隣さんが甘夏のお裾分けをくれたこの日も、僕は女化神社に足を運んでいた。
彼女を、平凡だったはずの僕の新生活における一服の覚せい剤……もとい、一服の清涼剤のようなこの女子高生を。
栗林夕声を訪ねて。
「僕の日常が刺激に満ちてる原因はおじさんだけじゃないと思うけどね」
僕がそう言うと、原因のもう一端である彼女は、またもにゃははと笑う。
とぼけるでもなく、さりとて開き直るでもなく、いともあっけらと。
やれやれ、と僕はいつものようにため息をつく。
そのあとで、でもまぁ、と思う。
でもまぁ、確かに、退屈はしていない。
……と、そんな風に僕が我と我が身の置かれた現状を心密かに肯んじていると。
「ただいまー」
「おかえりー」
「ばっくほーむ」
騒々しくも元気よく声をあげて、三人の小学生が社務所に飛び込んでくる。
子ダヌキの松・竹・梅だった。
三月のあの宴会の夜……僕のそれまでの常識が木っ端微塵に粉砕されたあの記念碑的な夜に見事『初化け』を成功させた彼らも、この四月から龍ケ崎市内の小学校に通っている(すべての化けダヌキが人間の学校に通えるわけではないそうなので、こう見えてこの三人は優秀なのかもしれない)。
夕声が冷蔵庫からジュースを出して来てついでやると、コダヌキたちは競うようにして飲み干しながら口々に「学校の校庭で友達と遊んで来た」と話してくれた。
そうかそうかと頷きながらそれを聞いてる僕。タヌキに人間の飲み物はよくないんじゃないかとか、もはやそういうツッコミは口にする気にもならない。
常識? なんだそりゃ。
「三人とも、楽しかった?」
野暮なツッコミの代わりにそう質問すると、コダヌキトリオは声を合わせて「はーい!」と返事をしてくれる。
かわいいなぁ。基本的にこいつらは素直ないい子たちなのだ。たまにぶん殴ってやりたいほど小憎らしいけど。
「みんな、友達は好き?」
調子に乗ってまた聞くと、また「はーい!」と返してくれる。
「先生は優しい?」
三度「はーい!」。うんうん、お兄さんなんだか気分が良くなってきちゃったぞ。
「学校はいいところ?」
しかし、四度目はなかった。
学校という言葉を出した途端、三人は揃って暗い顔をして俯いてしまった。
「……? どうしたの?」
「……学校、悪いヤツがいる」
ややあって松がそう言うと、よくないヤツ、こわいヤツ、と残る二人が続く。
「そいつ、みんなに紛れて問題起こす。たとえば、挨拶しないで職員室に入ったり」
「ウワバキで校庭にでたり」
「おまけに……トイレに、アメの袋をすてる」
悪さの規模が小学生サイズだった。
いや、小学校という小さな社会においては大問題なのだろうけど。飴の袋なんて見つかったらそれこそ全校集会ものだ。
ダヌキたちはさらに続けた。
さらに声をひそめて、さらに恐ろしげに。
「そいつは、すごく凶暴なヤツ」
「そいつは、にんげんじゃない」
「そいつは、タヌキでもない」
それから、声を揃えて締める。
――そいつは、人間とタヌキ、両方の敵。




