10.物語と地続きの場所
そのようにして夕声は女化ぎつねの物語を語り終えた。
「めでたしめでたし」
「いや、全然めでたくないだろ」
僕がそうツッコミを入れると、彼女は本気で驚いたように「あれ?」っと言った。どうやらめでたしめでたしを昔話が終わる時の定型文かなにかと思っていたらしい。とっぴんぱらりのぷう、みたいな。
「まぁとにかく、それがこの土地の名前の由来。女に化けて人に嫁いだ狐の物語にちなんで、女化」
神社仏閣的にいうなら由緒ってやつ? と夕声。
なるほど、と頷く僕である。
「動物報恩譚であり、そして異類婚姻譚か。興味深いな」
「イルイコンインタンはわかるけど、ドウブツホウオンタンってなんだ?」
「平たく言えば動物が恩返ししてくれる系のお話のことだよ。鶴の恩返しとか浦島太郎とか、それに舌切り雀とか」
「ふーん。あんた、詳しいんだな。そういうの好きなのか?」
まぁ、職業柄ね、と僕は答える。ふーん、と興味なさげに流す夕声。
そのあとで、「あっ、そうだ」と一声あげて、彼女は僕に向かい直る。
「なぁ、ちょっとこっち来てみろよ」
そう言うと、夕声は僕の手を引いて歩き出した。女子高生の体温を手のひらに感じて、不覚にもどぎまぎしてしまう僕である。
夕声が僕を連れて行ったのは、社殿の前に置かれている一対の狛犬の所だった。
いや、狛犬ではなくて、狛狐だ。お稲荷さんの神社なので、神使の像は犬ではなく狐を象っている。
「ほら、これ、見てみろよ」
夕声が、狛狐の石像を指し示す。
狛狐の足元には、親狐にじゃれつく子狐が居た。
「これってもしかして、さっきの話の?」
「そ、忠七と八重の子」
きっと、子供と離れ離れになった八重を昔の人が可哀想に思って、こうして像だけでも一緒に居させてくれようとしたんだよ。夕声はそう解説した。
僕は素直に感じ入って、ちょっと感動のため息などもらしてしまう。
「この神社は……この町は、物語と地続きになった場所なんだね」
自分で口にした言葉に、自分でときめく。
意図せず発した言葉だったのに、僕にとってそれはあまりにも魅力的な惹句だった。
物語と地続きの場所。
物語の町。
まいったな。
こいつはちょっと、特別に素敵だ。
「ふふーん」
自分の話に感動している僕に、夕声が得意げに胸を張る。可愛らしくも癪にさわる態度。
でも、悔しいけれど認めざるを得ない。
この町のことも、この子のことも。
夕声はいい子だと、とりもなおさず僕はそう思っている。
ファーストコンタクトはいささかファンキーに過ぎたが、しかし昨夜初めて会って話した時からその印象は変わらない。
そして、今日またこうして話したことで印象は確信に変わった。
多少風変わりなところはあるにせよ、栗林夕声はとてもいい子だ。
――そういえば、この子は自称キツネなんだっけか。
昨夜彼女が語った設定を思い出して、ついついにやけてしまう僕である。
だって、やっぱりどうしたってキツネには見えないのだ。
コロッケとピザが好きで平日は高校に通ってておまけに今日は巫女さんで、そんなキツネは聞いたことがない。それにさっきはスマホだって使ってた。
少しは自分で語ったキャラ設定を大事にしろよ。
「ところで君、好きな動物はなんなんだい?」
試しにそう聞いてみると、即答で「ネコ!」と応じられる。
思わず吹き出しそうになる。キツネじゃないんかい。
でもまぁ、中高生のキャラ作りなんて、こんなものなのかもしれないな。
「夕声ちゃん、ちょっといいかい?」
その時、談笑する僕らに話しかけてくる人がいた。六十歳くらいの、見るからに温厚そうなお爺さん。白衣に紫色の袴という出で立ちが神社関係者であることを示している。
宮司の青木さんだよ、と夕声が教えてくれた。
「青木さん、どうしたの?」
そう夕声が応じると、宮司さんはまず彼女と一緒にいた僕に会釈をして、それから夕声に「少し社務所の番をしていて欲しいのだがね」と言った。
もちろん夕声は承諾する。
そのようにして僕らの談笑の時は御開きとなった。
少しだけ残念に思っている自分を発見して、僕は自問する。おかしいな、僕は彼女を厄介に思っていたはずではないのか? なぜ残念に思うのだ?
僕にとって、この子はいったいどういう存在なのだろう。
あるいは、これからどういう存在になっていくのだろう。
「なぁハチ」
去り際、夕声が僕に言った。
「今日の夜って、あんた、暇か?」
予定はないよ、と僕は答える。
すると夕声は嬉しそうに――実に嬉しそうに、にんまりと口角をあげた。
あの表情。あの裏表のない笑顔。
「それじゃ、夜になったら迎えに行くな」
一方的にそう宣言すると、彼女はそれっきり振り返りもせずに行ってしまった。僕の返事なんか待たずに。
僕はため息をつく。まったく自分勝手というか、マイペースというか。
しかしともかく、これで今夜のスケジュールは決まった。決められてしまった。
だって、仕方がないだろう。
ほとんど魔性なのだ。僕にとって。彼女の笑顔は。




