【番外編】もう一つの女化民話
女化ぎつねの伝承にはいくつかのバリエーションがあります。
本編では『子供に尻尾を見られてしまった狐が泣く泣く去って行った』という最もポピュラーなバージョンを採用したのだけれど、ここでもうひとつ別の形のものを番外編という形で紹介させてください。
(ちなみにこの番外編は本編には関係ないので、興味がなければ読み飛ばしてしまってください)
昔々、根元という里に、貧しいが慈悲深く正直者の忠七という男が暮らしていた。
あるとき根元ヶ原を通りがかった忠七は、眠っている古狐を狩人が射殺そうとしているのを見かけた。
狐を可哀相に思った忠七がわざと咳払いをすると、狐はその声で目を覚まし、間一髪で逃げ出すことが出来た。
獲物を逃して怒り心頭の狩人に、忠七は有り金の大半を渡して謝った。
さて、その日の夕暮れである。忠七と年老いた母とが家にいると、五十歳あまりの男が二十歳ばかりの女をひとり連れてやってきて、「旅の者ですが、日が暮れてしまって困っています。どうか一夜の宿をお恵みください」とこう頼み出た。
忠七と母親はこころよくこの願いを聞き入れたが、しかし翌朝、女ひとりを残して男の姿がない。
女はしくしく泣きながら語りはじめる。
「わたしは奥州の岩城のもので、代々仕えた家来を伴って鎌倉の伯父を訪ねるところでした。ですが昨夜、あの男はわたしが寝入ったあとで旅費をもって逃げてしまったようです。これではもう引き返すことも、鎌倉へ行くこともできません。どんなにつらいことにも、苦しいことにも耐えて尽くします。どうかしばらくここにおいてくださいまし」
こう事情を説明して懇願した女に、根っから正しい心の持ち主である忠七と母親は「ならばしばらくここで足を休めていなさい。その上でどうにかして鎌倉にも連れて行ってあげましょう」と、頼みを聞き入れて言ってやった。
こうして忠七の家にとどまることとなった若い女は、顔かたちが美しく、それのみならずたいへんに利口であった。
百姓の仕事も並の人間より早く、針仕事や機織仕事も何一つ不都合なことはない。誰に対しても分け隔てなくやさしくしたので、近所の人たちもその女を褒めない者はひとりとしていなかった。
やがて近所の人たちが心づき、忠七と女は夫婦として祝言をあげた。
それから、あっという間に八年が過ぎた。その間に、 夫婦は三人の子供をもうけていた。
秋の終わりだった。
忠七の女房は庭を見つめていた。
心の晴れない、ふさぎこんだ様子で。
やがて、さめざめと涙を流しながら、次のように語りはじめた。
「実は私は、昔根元ヶ原で忠七さんに命を救われた古狐なのです。恩を返そうとやってきたけれど、温かい布団にくるまれて夢を見続け、夢を重ねるうちにはや八年。昨日別れよう、今日別れようと思いながらも決心がつかず、ついには一女二男をもうけてしまった」
かわいい子供たち。いとおしい義母上。そして、お名残惜しい忠七さん。だけど、この身が浅ましい古狐であることを人にさとられてしまっては、もう人間界にはいられない。
ああ、畜生に残された行方はなんと悲しいことか。
女房は独り言を言いながら泣きわめき、やがて次のような一首の歌を紙にしたためると、末の子の帯に結わえつけた。
みどり子の 母はと問わば をなばけの
原に泣く泣く ふすと答えよ
そして涙ながらに「お許しください忠七さん、お許しください……」と繰り返しつつ、夕暮れの中をもといた根元ヶ原の古塚へと去っていった。
この番外編は『利根川図志 巻5』収録の『栗林義長伝』を典拠としています。
利根川図志に女化の話が収録されていると調べ当てて教えてくださった蝉川夏哉先生、いつもありがとうございます。




