9.狐嫁の伝承
社務所の北側には二張りのイベントテントが並んで設営されていた。
シンプルな白地の天幕にはそれぞれ黒で文字入れがされている。
片方は女化神社(ジョカ神社あらため、オナバケ神社だ)。
そしてもう片方は龍ケ崎コロッケ。
今、夕声は後者のテントからこちらに戻って来るところだった。
両手にコロッケの入ったプラスチック容器を持って。
「ほれ、遠慮なく食えよ。昨日のピザのお返しだ」
そう言ってコロッケを差し出す夕声。
ピザ丸々一枚とコロッケ二つじゃ釣り合わないぞと、そう思っても口には出さない大人な僕である。
黙って受け取って、黙ってかじる。
「……あ、美味しい。なんだろこれ。ほんのり甘くて、アップルパイみたいな」
「竜ケ崎商店街が誇る名物のりんごコロッケだよ。それ、あたしのイチオシ。テレビでも何度か紹介されたことあるんだ」
もう一個の米粉のコロッケもいってみろよ、と夕声。
勧められるままに一口かじると、とろとろのライスクリームが衣の中から溢れ出す。
こちらもすこぶる美味い。
「龍ケ崎がコロッケの街だったとは知らなかったな」
「これから嫌でも知るさ。この街のコロッケ推しはすごいからな。うんざりするぞ」
そう言いながら、言葉とは裏腹の得意げな顔をする夕声。きっとこの街のこともコロッケのことも大好きなのだろう。
二人でコロッケを食べていると、ご近所の人だろうか、自転車を押した二人のおばさんが彼女に声をかけて通り過ぎた。
この人たちだけじゃなく、さっきからたくさんの人たちが夕声に話しかけてくる。参拝に来たご老人から近所のガキンチョまで、それこそ老若男女を問わずに。
「夕声さんって、人気者なんだね」
僕がそう言うと、夕声は少しだけ照れたような顔をして笑った。
「この神社は、これで結構みんなに大事にされてるんだ。それで、あたしはこうして巫女さんやったりしてるからさ」
もじもじしながらも夕声はどこか嬉しそうだった。巫女装束の赤い袴を弄りながら、えへへと笑う。
僕はといえば、自分の中で彼女の印象が大きく変わるのを感じていた。
というか、勝手な偏見でこの娘を見ていたことに気づいて、そんな自分を少し恥じた。
多くの自称霊感少女がそうであるように、僕は彼女を友達のいない孤独な女の子なのではないかと考えていた。高校時代の僕の同級生にもそういう子がいた。見えないものが見えると言ってみんなの気を引こうとするその子は、常にひとりだった。
しかし、今僕の前にいる巫女服姿の女の子は、どうやらそうではなさそうだった。
夕声は愛されることに慣れているし、自分を寂しい存在だとは少しも思っていない。さっき同級生たちとの会話を側で聞いていたけれど、どうやら学校でも人間関係の中心にいるらしい。
うん、お兄さんは安心したぞ。たとえ重篤な中二病を患っていても、君は――
「おいハチ。あんた、なんかすごく失礼なこと考えてないか?」
僕の心を読んだように、夕声がむっとした顔になる。まったく、妙に勘のいいガキだ。
「あ、いや、その……ああそういえば、ここがオナバケだったんだね」
苦し紛れに話題を変えるヘタレな僕である。
いやでも実際、ここが件のオナバケだと知った時は驚いたもんである。
「昨日からちょくちょくその名前を聞いてて、なんなんだろうと思ってたんだ。まさかこの神社の名前だったとはね」
「正確にはこの神社とここら一帯だな。女化町って言うんだ、この辺りは」
オナバケチョウ、と僕は復唱してみる。やっぱり変な名前だ。
「バケ、バケ……化けて出るぞー、なんちゃって」
脊髄反射的につまらないボケを飛ばす僕。
そんな僕を、しかし夕声は少しもバカにしなかった。彼女は言った。
「そのバケで間違ってないよ」
「は?」
「だからさ、女化のバケは、『化けて出る』とか『化ける』の、そのバケだよ」
夕声はそう言い、さらに言った。
「この土地にはさ、伝説というか、昔話があるんだよ」
そして彼女は語り始める。
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『女化ぎつね』
昔々、まだこの辺りが根元の里と呼ばれていた頃。
ある日、農夫の忠七が里の近くの根元ヶ原という原野を通りかかると、いましも猟師が眠っている狐を射殺そうとしているのが見えた。
哀れに思った忠七はわざと咳払いをして危機を知らせ、狐の命を救ってやった。
するとその夜、 八重という名の娘が忠七の家の戸を叩いた。
忠七は美しく働き者の八重を家に住まわせてやり、やがて妻として娶った。
二人は夫婦となって幸せに暮らし、一女二男の子を儲けもした。
しかし七年後。あるとき八重が次男と一緒に昼寝をしている際に、彼女の尻から大きな尻尾が生えているのを家族は見てしまう。
八重の正体は七年前に根元ヶ原で忠七に命を救われた狐だったのだ。
正体がバレてしまってはもう一緒には暮らせない。
八重は狐の姿に戻り、泣く泣く忠七と出会ったあの根元ヶ原に姿を消してしまった。
忠七と子供達はいつまでも八重を探したが、母は結局帰っては来なかった。
女に化けて人に嫁入りした狐が、再び姿を消した場所。
それ以降、根元ヶ原は女化ヶ原と呼ばれるようになったという。




