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巫(かんなぎ)

 真礼が歌う。

 ひたすらに、何もかもを削ぎ落として、ただ歌う。

 歌は舞い上がり、伸びてゆき、天へと駆け上がってゆく。

 もっとも年少ではあるが、真礼ほどの歌い手は他の猿女の中にいない。それはすでに周知というよりは既定の事実というのに近かった。

 だから御門も臨御される祭の歌い手は、誰よりもまず真礼がつとめる。

 真礼は歌う。

 英雄の勲を。

 旅の辛苦を。

 敗北の苦さを。

 勝利の輝きを。

 歌い、舞い、歌い上げ、歌い収める。

 真礼が静かに膝を付き、歌の余韻の最後の響きが消えると、しんとした静寂が残った。

 「見事であった。」

 その静寂を御門の声が塗り替える。

 おくれて賛辞のざわめきが湧いた。

 「畏れ多い事でございます。」

 真礼が本当に畏まり、恐れるのは御門ではない。

 真礼が歌を、舞を献じるのは、いつでも天にいます神々だ。だからこそ猿女の歌は天にかけ上がらねばならないのだから。

 御門は確かに大神の裔だが、やはり人に近く真礼には感じられる。

 今上は荒々しい御門であるという。

 戦乱によって多くの血を流し、力をたのんで御位を掴みとった御門だ。

 大津のを廃し、古くからの京の地に戻ると決まった折は、巫は皆喜んだものだった。外国との戦に負け、大津の地に京を移してから、外来の知識や技術を重んじる傾向は強くなるばかりだったからだ。京と同じように祭もまた元の形を取り戻すのではないかと、巫たちは期待している。

 しかし、そんなに単純な話なのだろうか。

 今上は荒々しい御門であるという。

 しかし、遷都や大嘗祭を終えた後に宮中に上った真礼は、泰然と座す以外のお姿を見た事がない。

 御門は鎮まる山の如く。

 傍らにひかえる后は淡海の水面の如く。

 ただ静かに、底しれぬ深さをたたえて座す様は、まるでこの世の始まりからそうしていたとでも言うかのようだ。

 きっと単純な話ではない。この静けさの内に荒々しさを宿すという御門が、そんなに単純だとは思えない。

 京が旧に復したから、それ以外も旧に復す。

 勝手にそんな顛末を当て込むのは、余りに馬鹿げているのではないか。

 もっとも、真礼もそんな事を口にはしない。

 歌は認められてもまだ若輩の真礼が口にするのは難しい。御門よりも何よりも、まず今は巫の内での立場をこそ確立しなければならないのだ。

 猿女の立場はこの数十年揺らいでいる。

 6代前の御代に日輪の欠け消える凶事から、時の大王を救えなかったというので。

 そして今上の即位の折にもまた凶事があった。

 即位の夜に猿女の一人が倒れたのだ。

 倒れた猿女美乃はその夜の内に宮中を出され、次の年初を期して真礼が猿女として宮中に召出された。

 表向き、猿女交代の理由は、美乃が老いてその任に耐えぬため。

 だが実際には真礼が京に上ってきた折りには、もう美乃はこの世の人ではなかった。


 真礼がその話を大刀自から伝えられたのは、猿女として宮中に上がる事になったその時だ。厳重に人払いをして告げられたので、阿礼にさえ話していない。

 神器の内、常に宮中に写しを置かないのはただ一つ、剣だけだ。

 鏡と玉の本体は、今では伊勢の社に収められ、その地の巫によって祀られている。即位の折も宮中に写しがあるので動かさない。

 剣は熱田の社に祀られ、即位の度に京まで運ばれてくる事になっていた。

 その剣に神威がなかったのだという。そのまま即位に臨めば、宮中の写しの神器と釣り合いが取れず、あるいは神器の障りを受ける可能性もある。

 「そこで最も年長の美乃が剣に付き、歌を献じたが、剣から神威を引き出す事はできなんだ。」

 結局、美乃は神器の障りを一人で引き受ける事になった。

 「美乃は覚悟の上で障りを引き受けてくれたが、我らは良き猿女を失うた。残念な事じゃ。」

 本来なら真礼はもう一年か二年早く猿女に上がり、美乃に教えを受けるはずだったのだ。真礼の出仕が遅れたのは、御代代わりの戦乱があったからだった。

 「美乃亡き後、残る猿女は力が劣る。特に若い紀里と田鶴は長くは務めまい。おそらく子を生めるうちに引かせることとなろう。元々は真礼と引き換えてどちらかは引くはずじゃった。年長の美津や亜弥とて美乃には及ばぬ。真礼が一日も早く猿女を率いるのでなければ立ちゆくまい。」 

 剣の神器はすでに熱田へ戻されたという。

 熱田では猿女の剣の扱いに不備があったように言っているらしい。

 「じゃが、美乃だけでなく美津と亜弥も、先の御即位の折に剣に仕えた事がある。二人によるとこの度の剣は写しであったそうじゃ。しかも外見だけの神威を写さぬ写しだと。」

 それがもし本当なら剣の本体はどうしたのかという話だが、遠回しに探りをいれると、熱田は猿女の不備を言立ててきたらしい。

 「美乃は自ら障りを引き受けてくれたのじゃが、その事さえまるで猿女の不備の証のように言われての。しかも強引に剣まで持ち帰られてはどうしようもない。」

 古い巫たちとてそれぞれに立場も利害もある。決して一枚岩などではない。

 「歌うときはただ神々だけを思い、歌わねばならん。だが、それ以外の時は他にもしっかりと耳をすまし、目を凝らしていることじゃ。同じ巫でも油断してはならぬ。

 真礼は大刀自の教えを胸に刻んで、京に上り、猿女となったのだった。


 

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