1-6 藤堂館
完全に失敗であった。要反省である。
戦闘自体は問題なかった。瞬殺といってもいい位に終わったのだから。どうやら、健在だと思った方のオークの脹脛は予想以上に深く斬れており、動きに精彩がなく、オレにとっては牢獄に等しい藤堂家の英才教育によって仕込まれた精神鍛錬のための武道のおかげもあってあっさりと倒せた。これまではサッカーやバスケといった周りの子供たちと一緒にスポーツをやらせてもらえなかったことを恨んでいたが、こうも役に立つと複雑な気分になる。もっとも、主たる目的が精神鍛錬であった以上、達人でもなんでもないのだが。それでも気構えという意味では役に立っている。
問題は経験値増量作戦を行っている最中に起きた。北西方向と南東方向からそれぞれ2匹のオークがブヒブヒ言いながら現れたのだ。
考えてみれば当然である。
コロニーを作っているということは、キングないしは相応の上位種がいることを指す。そして、上位種となれば狂暴ではあるが、それなりの知性を持つのだ。つまり、コロニー周辺を哨戒するオークがいて当然であり、オレはそれを見越して各個撃破するつもりでいた。ついでに言えば敢えて藤見湖南方にいるフォレストウルフと東方にいるオークの境界線でコトを荒立てるつもりでここに来た。上手くすれば2勢力で争って欲しかったからだ。だからこそ、高威力の火魔法ではなく、フォレストウルフの上位個体が使うことの多い風魔法でオークを攻撃したのだ。
つまり、出来るだけ静かに各個撃破しなければならなかったのである。それなら奇襲する必要があり、索敵として使った魔力照射なんて使うべきではなかったし、初撃も足の腱を狙うのではなく喉を狙うべきだったし、気合を入れるために大声を上げるべきでなかったのだ。
異世界に舞い上がっていたのか、魔法に舞い上がっていたのか。もしくは、初の実戦を前に己を見失っていたのか。いづれにしても失敗である。
幸いだったのは、オレとオークの声は最初に殲滅した2匹の前後を哨戒していた4匹にしか届いていなかったらしいことだろうか。もし、前後の哨戒に出ていたのが上位種であれば異常を知らせるために片方をコロニーに向かわせていたかもしれないのだから。最初から3匹以上いた可能性もあるが、今となってはツーマンセルであったことを願うしかない。
「反省終了」
結局、合計6匹のオークを仕留めることが出来、最初の2匹分の死後直後に起こる魔力解放については死後数分のみ治療魔法を利用した経験値増量作戦を実行できた。その最中に現れた4匹については北西方向から現れたオークの方が到達が早かったこともあってそちらを先に殲滅し、取って返す形の南東方向から現れたオークどもを蹴散らした。前者については実行できなかったが、後者に関しては最初から最後まで実行できた。結論から言うと……
「増量作戦成功!?」
自信がないのは、予想外の戦闘があったことと、戦闘前に自身のランクを知る意味でも試し打ちを行っていたこと、そして、移動自体でも身体強化を行っており、結構な魔力を使っていたからである。悪友曰く定番である数字でステータスの確認が出来ない以上、感覚に頼るしかないのだ。それでも、それなりの魔力が体内魔石に残っているように感じられる。睡眠を取るなどして最大回復してみないことには増量を確定的に理解出来ないのはもどかしい。
「とりあえず、第2、第3案も試してみて、体感的に良かった方法で再検証しよう」
経験値増量作戦は、治療魔法を結界状に展開して拡散を防ぎつつ順次回収する、治療魔法の要領で対象魔石に直接干渉する、治療魔法を自身に展開しつつ対象魔石を抱え込む等いくつかあるのだ。今日は日が暮れるまで哨戒中のオークを襲いまくらねばならない。魔力残量や疲労度合いを考慮しつつ。
「さて、一応フォレストウルフの襲撃に見せかけるためにも勢力境界線付近に進みますかね」
およそ4時間掛けて8組16匹のオーク哨戒部隊を殲滅したオレは現在、太陽が沈み始める中で愛車を駆って旧藤堂邸に向かっていた。旧藤堂邸は藤見湖の北方にある小高い丘の上に立っている。つまり、南畔にある藤見学園とは湖を挟んで反対側にある。
本来であれば学園へ状況確認を兼ねて行くつもりであったのであるが、思ったより戦闘による疲れを感じていたこともあり、夕食と仮眠を旧藤堂邸で取った上で学園に行くことにしたのだ。
道中魔物や魔獣に出くわすこともなく、また、学園関係者の姿を見る事もなく無事に到着できた。
旧藤堂邸では昨今の神社仏閣を始めとした歴史的建造物へ行われている落書きや器物損壊、放火等の犯罪行為を抑止するために監視カメラや警報装置が導入されている。そのため、まずは通用口の脇にある認証システムで警報装置を解除してから入る。
これからしばらくはここを拠点とすることになるだろうから、敷地内に車を止めるとすぐに旧藤堂邸内の確認に移る。疲れてはいるが、安全確認はしなければならない。
索敵のために魔力を極小放ち、魔物、魔獣、人間が敷地内にいないことを確認する。その後すぐさま表門の扉を閉め、石塀伝いに一周する。途中裏口に当たる人一人が辛うじて通れる程度の裏口扉が閉まっていることも確認する。少なくとも百メートル四方の石塀内の安全を確認したオレは、母屋に当たる武家屋敷内の状態をさっと確認すると、すぐさま管理棟へと向かう。文化財指定されている武家屋敷というだけあって生活の役に立つモノがないことは最初からわかっているのだから。
管理棟はおよそ10メートル四方の平屋建てであり、玄関から入ってすぐに応接室があり、これだけが公共スペースとなる。また、玄関からは管理スペース側へも行くことができてダイニングキッチンへと入れる。それに加えて風呂、トイレ、事務室、管理人の寝泊まり用に2部屋ある。
このほかに敷地内には蔵が1つと小さな物置小屋がある。蔵は武家屋敷の付属品的な扱いだが、中には価値はそれ程高くないが刀剣類があるはずであったし、小屋には保存食もあるはずである。どちらも今の状況では有用であり、後程確認する予定だ。それよりも安全が確保されたのであれば、痛みやすい食品を車から冷蔵庫に移さねばならない。今後二度と手に入らないかもしれない地球産の生野菜や果物は貴重品なのだ。当然ながらオール電化蓄電池付の我が旧藤堂邸管理棟の電気設備が稼働中なのは確認済みである。
完全に陽が落ち切らない内に蔵と物置を軽く見て回り、日持ちしない生ものを中心にした夕食を終えたオレはおよそ1時間の仮眠を終えていた。時刻は19時12分。異世界でも同じである。そして今は、手持ちの物資を書き出したノートを見ながら思案中である。
「オレ1人ならこの藤堂館で1年は籠城できるな」
時代を遡れば藤堂館と呼ばれていたらしいこの屋敷は、相応の人員がいれば倍する敵を寄せ付けない堅牢さがあったらしい。敷地内から見れば高さ1メートルと頼りない石塀だが、外から見れば館周辺から3メートル以上切土されている。そこを石垣で補強していることから、都合4メートル以上の梯子を掛けなければ侵入出来ない造りなのだ。だが、それは四方を守る人員があってのこと。いくら食糧があって1年は篭っていられるとしてもオレ1人では無意味である。
「それに、籠城は援軍あっての戦術だからな。1年後に餓死とか洒落にならんわ」
実際は、魔獣や獣を狩れば肉は手に入るし、植生豊かな藤見湖周辺であれば山菜等が取れるかもしれない。環境の変化で全滅の可能性もあるが。いずれにしてもこの世界の街に出なければ将来性がないことは確かであり、力が付けば脱出するつもりである。
「問題があるとすれば、オレだけが力を付けても脱出成功率が低いことなんだよなあ」
この件についてもすでに色々考えてはみた。藤見湖周辺の3大勢力である、ゴブリン、オーク、フォレストウルフを倒すなり避けるなりしても、最寄りの街までの道中には単体の戦闘力でいえば数倍に匹敵する魔獣が多数存在するのだ。
とはいえ、時間さえ掛ければそれらを退けられる可能性は高い。なぜなら、限定的ながら経験値増量作戦が成功したからだ。その方法は、魔獣または魔物を殺害した直後、治療魔法で対象の魔石に魔力的に接続することで高効率で魔力を吸収すること。効果として体感的には通常の5倍以上。まさにチートであるが、制約が厳しい。殺害直後に治療魔法で接続して10分近くその場に居なければならない。複数の敵がいた場合、待ってくれるはずがないのである。この件については、余裕があれば敵全てを瀕死の状態もしくは行動不能に追い込んでから時間を掛けることしか出来そうもなかった。今後魔力操作技術が向上して複数同時に行使出来るようになることや、魔力吸収速度の向上を願うしかなかった。
だが、問題は他にもある。例えそれらを凌駕する戦闘力を身に付けても、飲まず食わず、さらには寝ずに2週間以上移動することは不可能なのだ。
前者の飲まず食わずは大袈裟である。実際は、水魔法で飲料水を出せるし、携帯食程度は持ち運べるだろう。それに、狩った魔獣を焼いて食えば飢えるまではいかないかもしれない。だが、睡眠だけはどうしようもない。今日索敵に使った魔法は純粋な魔力を照射することが必須なのだ。寝ながら自動で行うことはできない。マップ機能だとか、危機感知スキルのような便利システムはない。さすがに強大な魔力を放ちながら近寄って来れば寝てても飛び起きるだろうが、奇襲を狙って気配を抑えられたら寝込みを襲われることになるだろう。
「最低でも1パーティは仲間がいないと厳しいよなあ」
わかっていたことではあるが、やはり学園関係者との協力関係が必須である。それに、現在の学園職員の1人は中高の同級生であり、借りのある相手ということもあって出来れば保護したい。保護だなんて上から目線すぎて本人にダメ出しされそうだが、叶うことなら目の届く範囲に居てもらいたい。彼女であれば信用できるし何よりもオレのストッパー役を務めた実績もある。彼女を保護ないしは仲間にすることによって発生するであろう面倒事も多少であれば目を瞑るつもりである。
「美里委員長のことだから多少の範囲を間違えないだろうしな」
改めて方針を確認し終えたことで次の行動に移ろう。オレと中高6年間同じクラスで、同じく6年間クラスの代表委員を務め、現在は調理師免許を持つ管理栄養士として藤見学園職員になっている佐野美里を訪ねに。