2-4 中等部2年 長野玲
私たち藤見学園中等部の新体操部7人が副顧問の佐野先生に呼ばれたのは昨日の夕食後だった。
初めて入った佐野先生の私室で身を寄せ合って2時間近くも話をした。いくら私たちが小柄であるといっても、佐野先生も含めて8人が一室に入ればおしくらまんじゅう状態になる。二人掛けのソファーに3人、佐野先生のベットに5人が肩を寄せ合って話し合ったのだ。
私たち2年生4人、1年生3人の全員が佐野先生を信頼している。なにしろ、名ばかりの新体操部の実質的顧問を務めてもらっているのだ。部員不足で休部状態だった新体操部を私たち2年生4人が乗っ取る手助けをしてもらった恩もある。乗っ取るは言い過ぎかもしれないけど、実際に新体操は少ししかやっていない。新体操、体操、バレエ、ダンスと4人それぞれの得意分野を教え合いつつ遊んでいるのが実態で、単に身体を動かすことの好きなメンバーの集まりというだけなのだ。それを承知で面倒をみてくれている佐野先生には感謝している。
ちなみに、名目上の顧問は高等部の新体操部顧問の先生が名義を貸してくれている。佐野先生が全て責任を負うという条件で根回ししてくれて。ちなみに翌年入部した後輩たちは名目上の顧問の先生の顔を覚えているかも怪しい。高等部の英語担当教員なので先生が部活に顔を出さなければ滅多に会うこともないので仕方ないけど。
そんなわけで、佐野先生から大切な話があると呼ばれれば、現在の異常で不穏な状況下でも私たちには断るという選択肢は浮かびもしない。そして、佐野先生の話も概ね納得のいくものだった。
私たち7人は全員が学園で超越者と呼ばれている存在から情報端末を与えられてこの世界の情報を得ている。さらに、私を含めた2年生2人と1年生1人はあの空間で魔法を疑似体験できることに気付いて転移直後から自分に適した魔法を使えるようになっている。
だからこそ今私たちが置かれている危険性も理解している。物語のように、学園生、教師、職員全員が力を合わせても全員無事に脱出出来る可能性が低い事を。それこそロープを針の穴に通すかのような難易度である事を。
それでも1年生を中心に、クラスの友人や寮の相方も一緒にという話が出た。ちなみに私は違う。自分で言うのもアレだけど、ちょっとクラスで浮いているから。2年生4人は程度の差こそあれ似た状態だ。だからこそ新体操部を乗っ取って居場所を確保した。全寮制なだけに居場所の確保は大事なのだ。
それはそうと、後輩たちも佐野先生の生存競争だという強い言葉に渋々納得した。この生存競争という言葉は、情報端末の置かれた世界に送られる前にあの超越者がこの世界について語った中にあったものだ。かなり衝撃を受けた話だっただけに、後輩たちも印象に残っていたのだろう。
だが、今は後輩たちも完全に納得していることだろう。なにしろ、馬鹿がバカをやったせいで学園は大混乱に陥っているからだ。実際のところ、馬鹿が愚かな行動をしなくとも数日内にこういった事態になっていたとは思う。だけど、馬鹿と一緒にいると私たちも危険な状態に晒されるということを身をもって理解する機会になった。ある意味グッジョブではある。生き残れれば。
なにが起こったかというと、高等部の男子と中等部の男子がそれぞれ夜中に抜け出したのだ。学園の基本方針はしばらくは防衛戦で数を削ってから攻勢に出ると決まっていたのにだ。その方針が正しいかはともかく、高等部男子は西のゴブリン狩り、中等部男子は東のオークの偵察が目的だったらしい。両方ともゲームや小説で序盤のヤラレ役であったり、女の敵というイメージが強かったらしく、転移者であり男である自分たちなら俺tueeが出来ると思ったらしい。で、返り討ちにあって逃げてきた。トレイン状態で。
本当に馬鹿だと思う。だけど、同情もする。学園の方針のせいでもあるからだ。
ここでいう方針とは防衛戦うんぬんのことじゃない。情報封鎖のことだ。この世界に送られてすぐに学園長たちに私たち情報端末に触れた者たちだけが集められ、端末から得た情報を極力口外しないように言い渡されたのだ。情報を得る機会を失った人たちが動揺するからとか、私たちは戦って生き残る事に集中すべきだとか言われて。もちろん、完全に情報封鎖出来る訳はない。私でさえクラスメイトに魔力や魔物の情報は流したし。
ちなみに、最初こそ混乱して怪我人が出たけど、私のように身体強化が使える人や攻撃魔法を使える人が参戦することによって何体かは倒し、残りを追い返すことが出来た。トレインといっても大した数に追われているわけではなかったからだ。第一波のゴブリンと第二波となったオークともに。
だけど、すぐに始まりでしかなかったことがわかった。始めは西、次に東に多数の魔物が集結していることがわかった。
この時点で中等部女子寮に駆けつけていた佐野先生が調理部と新体操部で1人ずつ代表を出して旧藤堂邸に行くようにこっそりと指示を出した。佐野先生の同級生である藤堂慎司さんに今の状況を伝えるようにと。
藤堂さんのことは新体操部、調理部ともにすでに聞いている。佐野先生によれば、普段はともかく非常時においてはこの上なく頼りになるとのこと。敵対すれば新体操部7人、調理部12人では束になっても敵わないだろうことも。
佐野先生を疑うわけではないが、ちょっと私たちを過小評価している気がする。
新体操部はすでに全員が身体強化の魔法を習得している。もともと身体を動かすことが大好きな私たちにとっては相性がよかったようだ。ランク的には私が4、楓っちが3で他のみんなは2以下だけど、高等部の男子にだって簡単には力負けしない。しかも、調理部は後衛向きの子が多い。4人が攻撃魔法を使えるし、情報端末に触れられなかった子とも情報共有出来ているらしいから頼りになるはずだ。全部で19人。魔力に適応済の子が11人もいる私たちが大人の男の人が相手とはいえ1人に負けるとは思えない。そう思っているのは私だけではない。なぜなら「佐野先生ちょっと話盛り過ぎだよね」「きっと私たちがこの話に乗りやすいように安心させたいんだよ」「恋の病で美化してるのかも」なんて会話があったから。
とにかく、1人の助っ人を呼ぶために今にも西からゴブリン、東からオークと挟撃されそうなこの状況で2人も魔力が使える子を派遣するのは良くないと思った。かといって戦闘力の低い子だけで行かせるの論外だ。もしも旧藤堂邸に辿り着く前に魔物に出会ってしまったら危険だから。
佐野先生にはそう言ったんだけど、先生はゆっくり首を振って言った。
「長野さんの言うこともわかるのよ。実際、新体操部と調理部の合計戦力と慎司くん1人の戦力を比べたら間違いなくあなたたちの方が上だと思うのよ」
「んん、だったら」
「それでも負けるのはあなたたちなのよ、彼が本気になればね」
佐野先生の言葉には確信とも呆れとも取れる感情が溢れていて、私は次の句が継げなかった。いつもなら「んっ」とか「んん」とか言いながら次の言葉を捻り出す時間を稼ぐのに、それすら出来なかった。だから指示に従った。佐野先生がそこまで言う男の人を自分で見極めるために。なにしろ、この襲撃を生き残った後に命運を託す相手なのだ。しっかり見極めなければならない。それが新体操部副部長たる私の役目でもあるのだ。
最初の印象は悪くなかった。何度呼び鈴を押しても中々出て来なかったことにはイラついたけど。
深夜の見知らぬ来訪者に対して油断しないその姿勢は生存競争下において必須だから。
私たちが中等部女子であることを知ってからも態度に変化がなかったことも悪くない。小柄な私を見縊らない姿勢には好感すら覚える。
状況把握も早く、その後の時間を惜しんで要領よく質問してきたことも高評価だ。
何よりも柔剣道場から拝借していた木刀の代わりに本物の刀を献上してきたことで評価爆上げである。
ここまではいい。あとは、実際に佐野先生が強いというだけの実力があるかどうかだ。
180センチ程の身長で贅肉の無さそうな体型であり、運動が苦手そうには見えない。事実、調理部の海津さんに合わせて小走り程度とはいえ、走りながらの会話で息を切らせることすらない。元々鍛えていたか、私たちのように身体強化に相性が良いのかもしれない。強そうではあった。
また、これから魔物の大軍と戦うかもしれないというのに平然としているように見える。少なくとも、戦闘に怯えるのではなく、戦闘方法を思案しているのは確かだろう。新体操部と調理部の戦力の確認にとどまらず、トレインされてきた魔物の撃退状況を聞いて中等部女子寮全体の戦力を掴もうとしているから。
残念ながら他の防衛拠点に関しての質問には答えられなかった。夜中の襲撃とあって視界が悪く、さらにこちらは混乱していたから。おそらく、最も西の高等部男子寮とその隣の中等部男子寮はゴブリンの襲撃を受けていると思われる。逆に、最も東の高等部女子寮とその隣の中等部女子寮はオークの襲撃を受けていると思われる。教職員がどう動いているかは不明だ。佐野先生のように援軍に駆けつけてくれていればいいのだけど。
そうこうしているうちに藤見湖東岸を過ぎ女子寮2棟に近付いていた。やはりオークの集団が寮を囲っている。そしてあちこちで悲鳴が上がっており、窓ガラスの割れる音や魔法の炸裂音も聞こえる。旧藤堂邸に着いた頃から聞こえ始めた爆発音でわかっていたけど、私と海津さんが女子寮を抜け出してすぐに本体による襲撃が始まったのだろう。時間的には襲撃開始から20分くらい経っているだろうか。佐野先生や新体操部、調理部のみんなは無事だろうか。私の足は自然とペースが上がっており、いつの間にか海津さんを追い抜いていたらしい。それを自覚したのは私の左肩に藤堂さんの右手が乗せられたからだ。
「今はまだペースを乱すな。息が上がってしまっては助けられる者が減るぞ」
藤堂さんの静かだが力の篭った声がした。
「んん。わかった。あと少し我慢する」
そう答えた私は少しペースを落として先頭を藤堂さんに譲る。藤見湖東岸を走る中、オークが寮を包囲している状況であった場合の行動方針と役割を指示されていたからだ。この場合の最初の行動方針は現在展開されているであろう中等部女子寮の防衛ラインまでの強行突破である。佐野先生や新体操部と調理部のみんなはそこにいるだろうからだ。そして私の役割は近接戦闘の苦手な海津さんの護衛、海津さんは余裕があれば進行方向とは逆側へ追撃阻止を目的とした魔法攻撃だ。進行方向へ攻撃魔法を使わないのはフレンドリーファイヤーを避けるためらしい。そして残る藤堂さんが1人で突破口を開くという。
無茶だと思っていた。有無を言わさぬ物言いについ頷いてしまったけど。
だけど、無茶でも無謀でもなかったことはすぐに証明された。
藤堂さんが繰り出す槍は視界が暗かったせいもあるけど、穂先の動きが殆ど見えなかった。右肘に注目してやっと初動が見えた位だった。その右肘もすぐさま元の腰元に戻っていたけど。あれは絶対に槍の経験者だと思う。
しかも一刀両断ならぬ一槍一殺だ。中等部女子寮を包囲する群れを突っ切る中、倒れ伏しているオークを見れば、その殆どが喉を突かれて死んでいた。動いているオークの喉を正確に突くのは簡単ではないだろうに。相手の動きを見切る洞察力と高い技量は素直に感嘆できる。
それが有効なのもわかる。下手に胴体を突けば槍が刺さって抜けない事態になるかもしれないから。ただ、少し左右に躱されるだけで大ピンチにもなる。オークの太い腕で振るわれたこん棒に当たってしまえば頭なら即死、それ以外であっても一瞬で戦闘不能になりかねない。いくら身体強化をしていても無敵ではないのだから。どれだけ度胸があるのだろう。
「海津さんは魔力節約に切り替えて! 長野さんはよそ見しないで左右から来るオークの警戒!」
いったいどうやって私のよそ見に気付いたのだろう。私、あなたの後ろにいるんですけど!
なんとなく佐野先生の言いたかったことがわかった気がする。確かに私たちは力を手に入れたけど、そもそもの下地が違うのだろう。積んできた経験とか、修練の末に体得した技術とか。少なくとも、藤堂さんと同じレベルの身体強化と攻撃魔法を得ても勝てるとは思えない。
どうやら私たちは力を得て浮かれていたらしい。これでは馬鹿と罵った相手と変わらない。反省の意味を込めて目標にすべき存在に目を向ける。私たちが生き残るために必要な力を持つ相手を。
「---ッッ! 」
藤堂さんの勢いに押されたのか、右に逃げたオークを左手を離して右手一本で槍を操って攻撃した藤堂ささんの横顔が目に入ってしまった。その凄まじいまでに強烈な意志の篭った右眼と共に。
もしも正面から両の眼であの眼差しを受けてしまったら私は身動き一つ出来ないであろう。もしかしたら、呼吸すら出来ないかもしれない。それだけの圧力があった。明確な殺意という圧力が。
どうやら私は反省度合いが足りなかったらしい。
確かに今日までに積み重ねてきたものにも差があるようだけど、最も私たちに不足しているのは成し遂げようとする意志のようだ。仲間を守ろうとする意志、敵を屠ろうという意志、そして生き残ろうという意志だ。今は生きている内に気付けた幸運に感謝しよう。そして絶対に敵を屠って仲間を守って反省会をしよう。生き残る為に!