2-3 真夜中の訪問者
遠くでセミの鳴き声が聞こえる。ジィージィーと鳴くセミは確か油蝉だったような気がする。
「あん!?」
今は11月。絶対に居ないとは言えないが、この季節にセミの鳴き声が聞こえるのはおかしい。この3日間山中を数十キロ走り回ったがセミの声を聞いた記憶はない。異音だ! そう認識した瞬間に掛布団を乱暴に取り払って飛び起きる。そして懐刀代わりに枕元に置いておいた小太刀を手に取る。
「うん?」
ここでようやく規則的に聞こえてくる異音の正体に予想がついた。旧藤堂邸の表門と裏門についている呼び出しボタンを押すことで管理棟に来客を知らせる音だということに。確信ではなく予想に留まるのは、この音を聞いたのはまだ藤見学園中等部に入学する前が最後であることと、腕時計によれば午前4時を少し回ったところで日の出前のこの時間に真っ当な来客があるとは考えにくいからだ。魔獣や魔物がご丁寧にも近所挨拶に来るはずもなし。
「学園側で問題が発生したか?」
それしか考えられない。美里委員長の夜這い以外はご遠慮いただきたいのでお帰りいただけないだろうか。
アホなことを願っていたが、起きて1分近く経つ今も呼び出し音は続いている。気になるのも確かなので、とりあえず気配を消して表門の外を窺える門の左右どちらかの櫓に登ろうと管理棟の玄関をそっと開けた。
「魔物の襲撃か内部抗争か……」
玄関を開けてすぐに風に乗った音が聞こえた。この音の発生源が学園であれば中々に大きな騒動がおきているらしいことがわかる。なにしろ、この藤堂館と学園は2キロ程離れているのだから。暴走族御用達の直管型バイクの爆音並の音でなければ聞こえないはずなのだ。それが散発的に聞こえるということは、魔法を用いた戦闘が行われているのだろう。
戦闘の存在を認識したとたんに急速に寝ぼけて霞掛かっていた頭がクリアになる。そして逸る心と身体を理性で押さえつける。まずは来訪者を確かめねばならない。敵か味方かわからない状態なのだ。十中八九敵ではないとは思うが、油断は即死に繫がると思わねばならない。
忍び足に加え、魔力を極力体内から漏らさないように気を付けながらも急ぎ足で南東の櫓に登る。櫓に設置されている矢や鉄砲を撃つための狭間からこっそりと表門を見る。
「女子中学生2人?」
月明かりしかないために詳細はわからないが、シルエットからして小柄な女性徒であるとわかった。まず間違いなく中等部の女子生徒だろう。1人は150センチほどの少女で小さなリュックサックを背負い、周囲を頻りに警戒している。もう1人はさらに小柄で140センチ程の少女だが、こちらは木刀を片手に持ったまま呼び出しボタンを苛立たし気に連打している。
この2人が美里委員長と繋がりがある可能性が高まった。彼女と近しい者として真っ先にあげられるのは調理担当の職員仲間だ。だが、彼女と繋がりが合って庇護したいと思うのは未成年の生徒の方だろう。その場合、彼女が副顧問を務める中等部の調理部と新体操部の女性徒である可能性は高い。ここは居留守を使うのではなく、話をするべきだ声を掛けることにした。
「君たちは中等部の子でいいのかな?」
念のため、表門内の通用口は開けず、櫓の上から声を掛けた。
「んッ!?」
どうやら驚かせてしまったらしい。出来るだけ怖がらせないように優しい声音を心掛けたのだが、いくら出向いてきたとはいえ、暗闇の中から10以上も年上で見知らぬ男に予想外の方向から声を掛けられれば怖がって当然だろう。しかも、緊急事態に遭遇した直後なのだし。
「んっ。藤堂慎司さんですか?」
2人は僅かな間声の出処を探しあぐねたあとでしっかりと上を向いて問いかけてきた。どうやら驚きから立ち直ったらしい。いや、リュックサックを背負った子の方は動揺が収まりきっていないかもしれない。わわずかだが漏れ出る魔力に揺らぎがある。一方、オレの名前の確認を行った木刀を持った子の魔力に変化はない。違うな……この子は最初から身体強化の為に魔力を全身に巡らしている。オレと同じで警戒態勢を取っているということだろう。
「美里委員長に聞いたのかな?」
はいともいいえとも言わず質問返しで答える。子供相手に大人げないが、すでに魔力の扱いを知る相手を侮るのは危険である。敵でない確証を得るまではこの対応を変えるつもりはない。
「んん。先に名乗るが礼儀でした。藤見学園中等部2年、長野玲といいます。佐野先生が副顧問をされている新体操部所属です」
長野玲と名乗った小柄な木刀少女は自己紹介をするとペコリと頭を下げた。その上で隣のリュック少女が着るジャージを引っ張っている。挨拶しなさいということなのだろう。それにしても、オレの質問に直接答えなかったのは質問返しをしたオレへの意趣返しなのだろうか。『佐野先生』の名前を出したことから回答はイエスなんだろうけど。
「あ、あの、私は藤見学園中等部2年、海津未来といいます。佐野先生には調理部でお世話になっています。あと、こんな時間にすいません」
少しオドオドした感じはあるが、長野さんに促されてきちんと挨拶してくれた上に非礼を詫びられてしまった。そうなるとオレも名乗らねばなるまい。なんか木刀少女にしてやられた気分になるが。
「オレは藤堂慎司、藤見学園の卒業生で美里委員長の同級生です。よろしくね」
藤堂慎司と名乗った瞬間に2人とも僅かに安堵したことに気付いた。美里委員長の指示で来たことで間違いないようである。ただ、2人とも小声で「委員長!?」と首を捻っている。それはそうだ。委員長と呼ぶのはオレたちの内輪内での呼び方なのだから。しかし、いまさら佐野さんとか美里ちゃんとは呼べないのでこれで通させてもらう。
「それで、起きてから気付いたけど学園で問題が発生してるみたいだね。その件で来たのかな?」
状況把握のために話を進めるとすぐに教えてくれた。やはり学園で戦闘が行われているようだ。そして、美里委員長の指示で来たことも確認出来た。
いくつかの質問をし、その回答を得たことで一旦質疑を中断して管理棟に戻る。戦闘準備のために。
「まず、長野さんはこれを使ってくれるかな。で、海津さんはこれを」
木刀少女は身体強化が得意らしいので昔分家の人が刀匠見習いの頃に打ったらしい刀を、リュック少女にはオレと同じ短槍を持たせる。武器が木刀だけでは心許ないどころではないから。木刀少女は喜んでいたが、リュック少女は魔法主体らしく惑っていたが無理やり持たせた。学園に着いたら前衛担当にでも貸せばいいといって。
ちなみにオレ自身は長袖のTシャツの上に革のジャケット、ジーンズ、トレッキングシューズに着替え、武器としては小太刀を腰に差し手には1メートル強の短槍を装備している。
いまだに騒音が聞こえているので急いだ方がいいだろう。美里委員長が危惧していたという敵の増援があった可能性が高いのだから。
「じゃあ、行こうか。走るペースはそちらに合わせるけど、戦場に着いたときに動けなくならない程度に抑えて行くんだよ」
戦場という言葉でリュック少女こと海津さんはビクッと震えたが、すぐに決意の表情をみせて気丈な返事をくれた。彼女が最も体力的にも身体強化ランク的にも低いようなので彼女のペースに合わせて進む。夜間ということを考慮に入れて10分前後はかかるだろう。その間、余裕がありそうな木刀少女こと長野さんに詳しい情報をもらうことにする。
目指すは美里委員長がいるという中等部女子寮だ。