2-2 嵐の前の静けさ
異世界3日目の朝を静かに迎えることができた。どうやらお月見の最後に感じた暗雲はオレの不安を表しているだけだったらしい。時間的にいつ魔獣や魔物の襲撃があってもおかしくないだけに目覚まし替わりに魔法による爆発音で飛び起きることも覚悟していたのだが、良い意味で裏切られた気分である。
藤堂館内の管理棟バスルームで魔法によって出したお湯で身体を清め、手早く朝食を済ませるとすぐに行動に移る。
今日の予定は午前中は館内の環境整備で午後は北方探索である。
環境整備の目的は、今後行動を共にするメンバーの拠点として使えるようにすることだ。明日の夜には藤見学園で美里委員長が選抜したメンバーとの顔合わせがある。いつ彼女たちがこちらに拠点を移しても大丈夫なように受け入れ態勢を整えておく必要があるのだ。
部屋数は十分ある。何しろ武家屋敷には板の間、畳の間合わせて8部屋も寝室として代用可能な部屋がある。その他に囲炉裏を備えた大部屋もあり、客間として使う分には十分である。だが、生活の場としては欠けているものも多い。キッチン、風呂、トイレ、洗面といった設備は展示用に表面的に整えられているだけであって使用不能なのである。ちなみに、管理棟も給水タンクに魔法で水を生成して入れておかなければ蛇口を捻っても水は使えない。
「ということで、この辺にトイレを作りますか」
西側の石塀に接する場所を選んでトイレを作る作業に入る。本物のチート持ちであれば土魔法を使って簡単に小屋を作りだし、便器も陶器製に出来るのかもしれない。もしかしたら、錬金術とかを用いて糞尿すら浄化する魔道具も設置できるかもしれない。だが、あいにくとそんなことはオレには出来ない。将来的には万能燃料たる魔力のごり押しで出来るようになるかもしれないが、現在のオレの魔力量は一般人の3~5倍程度であり、この程度は冒険者や騎士の中に入れば並以下である。
「知識チートで消費魔力が少なく済むと言っても限界があるからね」
つまり、コツコツと作るしかないのである。
ということで、まずは糞尿を藤堂館の外に送るための配管作りを行う。これは土魔法を使った穴掘りだ。ぼっとん式便器の先を敷地外につなげることで匂いを遠ざけるのだ。親父について行ったリニア新幹線のトンネル工事用建設機械をイメージしつつ土魔法を行使する。直径40センチ程の穴を掘りつつその周囲を固めることが出来る魔法だ。
3本の配管を作り終えた後は、土を固めただけの便器を作り、配管作りで出た土を使って一応は個室となるように高さ2メートル程の壁を3方に作る。出入口の扉はすぐには作れないため、あとで布で仕切るしかないし、今は屋根もないので青空トイレである。屋根も土魔法で作れなくもないが、残存魔力量からして作成するには強度に不安があるので後回しである。いつ魔獣や魔物の襲撃があるかわからない状態で魔力枯渇は避けねばならない。
こうしてオレは魔法的作業と人力作業を交互に行うことで魔力の消費と回復を繰り返しながら藤堂館の整備を続ける。
結局、太陽が中天に昇った頃には、トイレ3つ、5人程度が浸かれる浴槽付き露天浴場といった最低限の水回りを整備することが出来た。十分チートであった。
昼食を済ませ、魔力回復のために僅かな昼寝を終えた後、北方探索に出た。
とはいえ、藤堂館を出発したのが13時、日が暮れる前に戻ってくることを考えると大したことは出来ない。藤見湖の北側には魔獣や魔物の大勢力はないはずなので、転移した環境と元の環境の境目付近を確認しに行くだけである。大勢力がなくとも狩れそうな魔獣や魔物が生息していればより多くの学園関係者の強化が可能になるかもしれないからであり、食糧確保につながる猪や鹿のような食肉となりそうな存在がいないか、川があって魚を獲れるような場所がないかの確認もあるのだ。
「うん。どっちも期待薄だなこれは」
10キロ弱を走破して境界に至ったのだが、そこから見えたのは鬱蒼とした木々に覆われた南方とは違って荒地であった。荒れた大地が数キロ続き、その後ろはこの地を囲う巨大な山脈へと連なる岩だらけの山肌しか見えない。目視、魔力索敵の双方に引っ掛かるものも何もなかった。山裾に位置することからせめて川でも発見できないかと東西に走ってみたが、水脈が地下に潜っているのか地形によってこの近辺に水路が形成されなかったのかはわからないが見つけられなかった。
成果なし。これが北方探索の結果であった。
「なんとなく魔鉄鋼みたいな鉱石が眠ってそうな気がするけど」
こういう一見なにもなさそうな未開地にこそファンタジー系希少鉱物は眠っている。悪友ならそう言いそうだと思うが、仕入れた知識で存在は知っていても実物を見たことが無いので魔力による探索も出来ない。そもそも魔力量的に厳しい。職業制RPGの採掘師とか、種族ドワーフとかになれれば見つけられるかもしれん。この世界にはないけれど。
成果ゼロのせいかしょうもないことが頭をよぎるが、切り替えて次の行動に移ろう。
一応懐中電灯は持って来ているが、出来れば夜間の山中移動は避けたいので撤収である。明日の夜には美里委員長のところへ行くことになっているので、受け入れ準備を再開する必要もあるのだ。これ以上無駄な時間を過ごす訳にはいかない。
藤堂館の表門まで戻ってきたオレはすぐに魔力索敵を行う。3メートルの石垣と1メートルの石塀を簡単に乗り越えられるとは思わないが、万が一魔獣や魔物、そして人が中に入り込んでいる場合に備えての行動である。特に人は要注意だと思っているので。藤見学園の関係者であれば殆どの人間がこの旧藤堂邸を知っている。何しろ、藤見湖周辺で人の出入りのある人口構造物といえば学園施設と旧藤堂邸くらいしかないのだから。
幸いなことに今日もこの藤堂館には誰もいないようだ。安心してオレは巨大な表門の中に埋め込まれる形となっている通用口の鍵を開けて中に入る。
烏の行水並の早さで身体を清め、10分クッキングで腹を満たす。その後は眠くなるまで、もしくは魔力が半分になるまで内職の時間だ。
昨日一昨日で一通り食材の保存加工は終わったので、今日は別の内職の予定である。保存加工といっても、冷凍保存できるものを魔法を使って冷凍し、同じく魔法を使って作った冷温貯蔵庫に入れただけであるが。そして北方探索の成果がゼロでは悔しかったという理由で帰路に伐採して持ち帰った竹をナイフと魔法で加工するのだ。水筒、皿、箸と色々作れるはずである。
「美里委員長たちを受け入れるときに色々持ち出せれば不要かもしれないけど」
とはいえ、備えあれば憂いなしということで作業に入る。
実際のところ、昨日一昨日の生きる為に必要な内職と違って今日のこれは違う。主目的は精神安定である。結果は圧勝だったとはいえ32匹の魔物との戦闘は精神的に楽ではなかったし、異世界に放り込まれたことも完全には消化しきれていないかもしれない。自分では大丈夫だと思っても負荷が掛かっていて、肝心なところでミスが出る恐れもある。そのミスが致命的になりかねない環境にいるのだから精神の安定は必須である。
だからこその無心になっての生産活動である。
オレらしくないとナイフ片手に作業しつつ思う。だが、昨夜のお月見の際に感じた暗雲の予感が外れたばかりなのに、藤堂館に帰って来てから嫌な予感がして落ち着かないのである。日焼けした時に肌が突っ張った感じというか……
藤堂館に他者の侵入の痕跡はなく、先ほど櫓から見た学園にも見える範囲で異常はなかったはずなのにだ。
結局、持ち帰った竹を全て使い切っても違和感の正体はわからず、無心になることも出来ず仕方なく寝ることにした。