1話
「はぁ、今日も疲れたぁ」
部活おわり、日も落ちて暗くなった街路を歩きながら伸びをする。季節は5月だというのに流れる風が肌寒く、部活で流れた汗が乾ききっていない俺には少し寒く感じるくらいだった。
「うぅ、暑くなったり寒くなったり最近変な気温だな」
夜も昼間と同じく暑いくらいだ、と宣っていた朝のお天気キャスターを恨みながら、等間隔で置かれた街灯が照らす道を家に向かって進む。
近道のために通りより一つ裏の道に入る。いつもはこの道は灯りが少なく、ひっそりとしているのであまり使わない。
別に怖いから使わないわけじゃないホントホント、なんかこの道寒くない?
しかし今日はいた仕方なし、もうすぐスーパーのタイムセールが始まるのだ。時間的には普通のルートでも間に合いそうだが、特売が始まるより前に、如何にどの品がどれだけ安くなるのか把握して待機しておくことが、タイムセールにおいては大事なのだ。
今日は確か魚介類が安くなるはず、などと考えながら裏道に入って急いでいると、前方に違和感を感じてふと足が止まった。
少し先、もう切れかけなのか時折点滅する街灯の下、大きな黒い"何か"が落ちていた。ただでさえ人の通りが少なく薄暗い道で、前には得たいの知れない物体。
いや、何あれ何だあれ嫌だあれ……。
思わず止めた足はジリジリと後ろに進もうと動いていた。が、その何かは点滅する街灯に照らされるたびにキラキラと光っている。よく見ると……
「髪……?…………っ!?」
灯りに照らされていたのは真っ黒のキレイな髪だった。よくシルエットを見ると、そこに横たわっているのは人。それを理解した途端思わず駆け出していた。
「だ、大丈夫ですかっ!」
側まで駆け寄ると実際にその"何か"は"人"だった。うつ伏せに倒れていたので肩を持って抱き起こす、瞬間甘い香りが漂い、その匂いで思考がクリアになる。
その人は女性だった。スラリと伸びた手足は黒のセーラー服と黒のストッキングに覆われている。なるほどさっき暗がりで真っ黒に見えたのはこのせいか。さらに街灯に照らされて輝いていた黒の髪は触れると溶けてしまいそうなほど艶やかでキレイだった。
すると髪が重量に逆らわず落ちて、隠れていた顔がハッキリと認識できるようになった。自然その顔が視界に入った刹那、思わず呼吸を忘れる。漆黒の髪に隠されていた顔は目を瞑っていても分かるほど美しくて、品が漂ってるようだった。
意識してなかったけどこの制服近くのお嬢様高校のやつだ。通りでなんか変なオーラあるわけだよ、俺とは住む世界違う人かぁ……っていやそうじゃなくて!
「あの、大丈夫ですか! 聞こえてますか!」
思わず見とれてしまい思考が別の領域に行きかけたが、その間も女性はぐったりとしていて呼び掛けても意識がない。これはいよいよマズイのではないかと今さら焦り始める。
「と、とりあえず救急車! 呼ばないとっ!」
この女性が誰でなぜここに倒れていて意識がないのか、色々とわからないことはあるがとりあえずは目の前の人を助けることを優先すべきだ。確認してみると呼吸はしているようなのでまだ最悪の事態ではないようだ。
しかし、救急車を呼ぶという結論に至ったもののその救急車を呼ぶ手段がない。俺はこのIT技術が発達したネット現代で未だケータイすら持っていない古代人なのだ。
どうやって救急車を呼ぶか、落ち着いて辺りを見渡すと近くに鞄が転がっていた。紺のスクールバック、何かピンクの小物がついている所を見ると恐らく彼女の物だろう。状況が状況なのでやむなし、と鞄の中を探る。ふと手についた物を見ると学生証だった。
「ありす……さらって名前か、17歳ってことは同じ年!?」
思わず見てしまったそれには彼女の名前と年齢、学校名が書いてあった。女性の年を勝手に見るのは如何かと思ったが目に入った数字に驚く。
まあ、高校の制服着てる時点で近い年なのはわかるけどまさか同いだとは。せめて年上だろ……。
学校は着ている制服から大体察していたがやはりここら辺じゃ有名なお嬢様学校だった。名前に関しては容姿に違わずかわいい。名前からかわいいとか反則だと思います。
て、感心してる場合か。目的の物は学生証じゃなくてと更に鞄の中を捜索。無いな、と思っていると内ポケットの中にそれを見つけた。
「あった、コレで救急車が呼べれば」
目的の物とは現代人ならほぼ全員が持っている(さっそく俺が例外だが)であろうケータイ電話だった。この形状だとスマホの方が正しいのだろうか。
いやまて、これ内容量で行くと学生証なんか比にならないくらい個人情報のかたまりなのでは……。いじっちゃったりして大丈夫? 俺ケータイ持ってないし壊したらどうしよう、いやそれよりも見ても大丈夫なのか……? いやそんなことよりこの人を助けるのが優先だし……。いやいやそんなことより……。
なんか進退窮まった感あるんだけど。
「ええい、ままよ!めんどくさいことは後で考える!俺は悪くない!それじゃ、失礼しま――――」
「ちょっとあなた何してるんですか!?」
覚悟を決めていざスマホに手を伸ばそうとした時、後ろから大きな声を掛けられ思わず持ちかけていたスマホを落としてしまった。心臓止まったかと思った。
勢いよく振り向くとそこには小柄な女の子が立っていた。声の主はこの子のようだ。
「何してるんですか!?そこに倒れてるの女の人ですよね……?あなたもしかして――」
「わー、違う!何か勘違いしてます!俺はこの人を助けようとしただけで!」
「嘘です!じゃあなんで鞄なんか漁ってるんですかっ!」
それを聞いてハッとした。状況は至ってシンプル。倒れていて意識が無い女性、その女性の側に怪しげな男がいて女の物と思われる鞄を物色中、そこへ通りすがりの第一発見者。
これ端から見たら女の人を襲って私物奪おうとしてるヤベー奴にしか見えないんじゃ……。
「って、違う違う違う!誤解ですって!俺はこの人が倒れてたから助けようとして、ちょっとケータイ借りようとしただけで!」
「さっきから助けようとしてたって、じゃあその女の人の鞄を探る必要ないじゃないですかっ!ケータイなんて自分の使えばいいでしょ!」
「いや俺自分のケータイとか持ってなくて、この人のをちょっと借りようとしただけで!ホントに他意はないですって!」
「えっ、もしかしてケータイ持ってないんですか……?」
「もしかしなくても持ってないし……あ、そうだ。あなたの方から119番に連絡してくれませんか?そしたら勝手にケータイ拝借しなくて済むし」
コレは名案とばかりに頼んでみる。俺自身勝手に他人の私物を使うのは大義名分があるとはいえ気が引ける。それをしなくていいならそっちの方がいい。
「あ、なるほど、そうですよね!私がします!」
「助かります。一応呼吸はしてるんでそこまで大事ではないと思うんですけど、僕が倒れてるの見たのがついさっきで、いつからこうなのかわからないので急ぎで、と伝えて下さい」
「分かりました。それじゃ、私がかけますね」
ふぅ、これでとりあえずの障壁はクリア。幸いここの近くに総合病院があるので救急車が来るのがとんでもなく遅れる、ということはないはず。後はこの女の人、ていうか名前は確か有栖紗良さんだっけか、が無事に助かるのを祈るばかりだ。
「あ、はい。お願いします。
あの、救急車すぐ来てくれるみたいです。一応ケガ、特に頭とか強く打ったりしてないかみておいてくれって言われました」
「ありがとうございます。助かりました。ケガとか目立った傷はないですね、意識がないだけみたいで……」
救急車の要請が滞りなく済んだようで女の子がこちらに向き直る。
「そうですか、とりあえず良かったです。
あの、それより……」
「ん?どうかしました?」
「いや、あの、なんていいますか……」
「んん?」
なんだなんだ、急に女の子がしおらしくなったぞ。いきなりどうしたんだろう。実はまだ誤解が解けてなくてホントは何してたんだって問い詰められるんだろうか……。
と俺が態度が急変した女の子に対して戦々恐々としていると
「あの、ほんとにすいませんでしたっ!」
「へっ?」
二拍くらい遅れて間の抜けた声が出てしまった。
いやでも何がなんだ?
「だから、勝手に女の人襲ってるって決めつけちゃってそれで色々と、その……不快な思いさせちゃったかなって思いまして……」
「あ、あー!なんだそうゆうことか!いや、全然大丈夫ですよ、僕も端からみたらそうゆう状況にしか見えないなって思いましたし!」
「あはは、私も最初見たときびっくりしちゃいました。それよりもしかして西高の人ですか?」
「え、そうだけど。なんで分かったの?」
「なんでってそれ確か西高のバスケ部のユニフォームですよね?」
今の俺の格好はハーフパンツにロングTシャツ、端的に言うとバスケをするときの格好だった。正に今言われた通り着ているのは桜西高校バスケ部のユニフォームだ。背中には桜西高って書かれてるしそこから察せられてもおかしなことは無かった。
「そうゆうことか。うん、西高ですよ。部活帰りにこんな場面に出くわしちゃってびっくりしました。って、そうゆうあなたもそれ西高の制服じゃないですか?」
「あっ、今更気づいたんですか?結構動揺してたんですね。まあいきなり目の前に女の人が倒れてたら無理もないですけど」
よく見ると彼女が着ていたのは西高指定の女子制服だった。暗がりだったとは言えよく今まで気づかなかったものだ。彼女言うとおり余程気が動転していたということか。
「ところで名前、なんて言うんですか?」
「僕の名前?僕は羽柴大樹って言うけど……」
「羽柴さん……ですか、あっ私は長谷湊って言います!ほんとにさっきは勘違いしちゃってごめんなさい!」
「いや、そんな全然大丈夫大丈夫。長谷さん?こそ救急車呼んでくれてありがとう、助かりました」
同じ高校だけど聞いたことない名前だった。見た感じだと年下かも知れない。西高は学年ごとにネクタイやリボン色が違う、なんてことはないので相手が何年生なのかわからなかった。唯一校章の形で判別できるのだが基本的に下校時は外す生徒が多いのだ。
しばらく長谷さんと謝罪と感謝の応酬をしている内に遠くから救急車のサイレントの音が聞こえてきた。どうやら病院への通報は上手くいっていたようだ。
「ごめん、申し訳ないんですけど通りに出て救急車の誘導お願いしてもいいですか?」
「あ、はい、わかりました!」
ここは裏道だしもし救急車が迷っても大変、と言うことで長谷さんに頼む。
表通りに向かって駆けていく長谷さんの背中を見送りながら、ふと視線を"未だ意識がない"彼女へと向ける。目を覚ます気配もないがかと言って何か命に関わるほど重篤な状態、という感じもしない。
「ただ寝てるだけって感じだよなぁ」
彼女の綺麗な黒髪に向かって伸ばした手を止める者はもういなかった。触れた髪は思っていたよりもずっと柔らかくてすべすべしてた。
え、なに、女の人の髪ってこんなすべすべしてて柔らかいの?超気持ちいいんだけど。
撫でるのを止められない右手を放置しながら目を覚ました彼女――紗良と会って話をしてみたいなと、ふと思った。
活動報告更新、よければ目を通して下さい。