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特に派手になったと言う訳ではないのだけれど、ここ数日の私の変化に両親は納得がいっていない様だった。さすがに悪い友達ができたとか、そっち方面の心配はしていないだろうから面と向かって何かを言われる事も無く、私は今まで通りの態度を崩していない。と、思う。
「みしろ、夏服は大丈夫なの? お友達と買いに行くのならばお金を用意しとくわよ」
学校に寄る事も有るからと夏休みに入っても制服で出かける私に、母が心配そうに尋ねてくるけど、「取り敢えずは足りているかな」とだけ返しておく。
私服はどうしても母と買いに行く事が多くなる。
デザインや模様などは解るものの、どうしても色合いが合わない組み合わせも出来てしまうからだ。そんなだから、私服自体をあまり持っていないのもあって、宗方君に撮ってもらった写真も制服姿になってしまった訳だ。
もっとも、制服だったからこそ学校に寄って写真が出来るまでを見る事が出来たのだし、付き合っているわけでも無い男女が私服で何処かに遊びに行くと言うのは、周りの人にはどう映るのだろうかよく分ってもいない。
八月に入ると宿題も終わってしまって、学校に行く用も特になくなってしまったので私服での外出に変わり、制服はクリーニングに出されてしまっていた。
図書館でする事と言ったら読書くらいしかないのだけれど、読みたい本を既に読みつくしてしまっている。音楽も聞けないわけではないけれど、借りられる物に新譜は皆無だし、気に入った曲はダウンロードしているので用も無い。
携帯プレーヤーを持ち込んで聞く事が禁止されているわけでは無いけれど、それでは図書館に用がある事にはならないし、それなのにそこに居座るのはなんだか居心地が悪い。それでも外出先が他にないので、館内を散策していると写真集に目が留まった。
ふと、宗方君にお勧めのモノでも紹介してもらおうかと、メールを打ち始めたけれども送信前に思い止まった。お強請りのメールでは引かれる要素ではないかと思ったし、直ぐに返信が来るとは限らない。ラインで送るほど急用でもないし、私服を見られるのもなんだか恥ずかしい。
彼、絶対に図書館まで来ると思うのですよ、なんだかんだ理由を付けて。そうしてくれると嬉しいとは思うけど、素っ気ない返信だったらと思うと少し怖い。
貸し出しの受付に目を向ければ、私の目について知っている司書の女性が見えたので、申し訳なかったけれど声をかけさせてもらう。
「こんにちは、田口さん。本を探してもらいたいんですが、いま大丈夫ですか」
「あら水無月さん、こんにちは。本のタイトルか作者は分る? ジャンルからでも良いわよ」
司書の田口さんは結構なベテランさんで、「館内の本を全て暗記している」なんて言われるほどの人なものだから、備え付け端末で調べるよりも的確に案内してくれる。
「えっと、写真集なんですけど。白黒写真だけを集めたものって有りますか?」
「人物? 風景? どちらも何冊かは有るはずよ」
「どちらも見てみたいので、お勧めが有ったら三冊ほど選んでもらえませんか」
田口さんは少し何かを考えた後、笑顔に戻って本の場所まで案内してくれた。迷う事無く棚から写真集を三冊選んでくれたのだけれど、「こっちもお勧めよ」と別の棚から一冊持ってきてくれた。
「こっちは?」
「この画家さんは、鉛筆だけで描きあげるの。とっても繊細なタッチで描かれている画集だから、見てもらえると嬉しいわ」
そこまで言われてしまえば興味が湧いてしまう。お礼を言って受け取ると、窓際の席に着いて早々画集の方から見始めた。
英語だろうか、白い表紙には黒の飾り文字でタイトルが書かれているだけで、なんの本なのかは開いて見なければ解らない。雰囲気的には映画なんかで見る、ヨーロッパなんかの古い聖書とか伝記とかが近いのかもしれない。
表紙を開くと、幻想的な風景が目に飛び込んでくる。
細部まで緻密に描かれたそれは、森の中に広がる朝靄が漂う湖畔。写真ではないかと疑いたくなるくらいの木々の描写に、漂う霧にぼかされた対岸の小屋。それでも写真でない事が判るのは、その構図に現れている。
写真はある瞬間を切り取った物で、広大な風景を納めれば写り込む対象物が小さくなり、逆に対象物をある程度大きく写すと、周りの情景が切り落とされてしまう。だから、見たイメージと写真とには乖離ができてしまい、特に私達みたいな素人が撮ると顕著に表れる。
そしてプロのカメラマンだって数枚の写真をもってしないと難しいと思うのに、この絵には記憶として脳に収まってくる情報が過不足なく描かれていて、その一枚の絵から物語のワンシーンでも零れてきそうな感覚を抱く。
「は〜〜〜ぁ」
思わず出てしまった声に「クスクス」っと笑い声が聞こえて、慌てて開きっぱなしになっていた口を閉じ、咳払いをひとつ吐いて恥ずかしい気持ちを落ち着かせる。
ページをめくって行けば、幻想的な自然の風景や石畳の古い町並み、市場の喧騒などが緻密に描かれていて目を奪われてしまう。そして半分を過ぎた所からは肖像画が並んでいて、さらに感嘆の声が漏れてしまう。
瞳の彩光や髪の毛一本一本の流れ、頬に浮かぶソバカスや目尻に寄った皺。老若男女の笑顔や泣き顔などが、気持ちまでも描かれているのかと思える程に描写されている。
今まで絵にしても写真にしても、じっくりと鑑賞した事って正直なところ無かったと思う。授業で絵を描かされる事は有ったので、全くないかと言えば嘘になってしまうかもだけど、こんなに見入ってしまったのはこの画集が初めてだった。
最後まで見終わって顔をあげると、外に広がる景色に影が伸びている。慌てて時計を見ると二時をまわっていて、お昼も食べずに四時間近く見入っていた計算になる。
よくもここまでと我ながら感心してしまったけど、このままでは夕飯までお腹が持ちそうもない。
「いったん戻して、お昼にしよう」
そう独り言を呟くと、画集や写真集の表紙を写メして棚に戻し、荷物を抱えて図書館を後にする。ここのところ蒸し暑い日が続いているので、お店に入ってお昼を食べる事が多くなっていて、今日は駅前のファーストフード店に行くつもりでいた。それでも『この時間であれば、お蕎麦屋さんもアリかな』なんて考えて、駅のコンコースにある蕎麦屋さんで冷やしたぬき蕎麦を頼んだ。
お蕎麦が出て来るのを待っている間に、ネットで【鉛筆画】を検索すると結構ヒットする事が分った。中には書き方や道具の選び方なんて事まで紹介しているので、後で見返せるようにとブックマークを付けておく。
お蕎麦を食べ終わる頃にはお客さんが引けてしまって、のれんも仕舞われたのでお昼休憩に入るようだ。
「ごちそうさまでした」
慌ててお会計を済ませて店を出ると、うだる様な暑さが身を包み汗が噴き出してきて、図書館へ戻る事をためらわせる。
それならば、とそのまま駅ビルに入っている雑貨屋さんへ向かう事にした。
実は、宗方君に焼いてもらった写真を飾っておきたいと思ったのだけれど、サイズが大きめなのでアルバムにも入らないしピンは刺したくないしで、未だに引き出しに入れっぱなし状態だった。
手ごろな写真立てでもあればと思ったのだけれど、やっぱり普通サイズの写真用しかない。代わりに成りそうな物はとあれこれ見ているが、しっくりくる物が無くって諦めてしまった。
『普通のサイズで焼き直してもらおうかな?』
そう考えながら、画材屋さんに足を向ける。
絵心が有る訳では無かったけれど、簡単なイラストくらいは書く事も有るし、小中学生の時は色が付けられないながらも、常に綺麗に描く事を心掛けていた。
そんなだから久し振りに画材屋さんへやって来て、暇つぶしも兼ねて隅から見て回ろうと考えたのだ。イラスト関連の画材コーナーから回っていると、水彩画材のコーナーまで来たところで、見知った顔がいて足が止まる。