雪解け
はい!2話!
幻想世界はなかった。
それが今回得た結論。随分と暗闇の中で迷っていたようなきがする。いや、地に足がついていなかったと言うべきか。いつか、あちらの世界で生活するのだからと、目の前のことを真剣に取り組もうとしなかった。何より希望にした世界を逃げ道にして、努力を怠った。
もし…生きていたら。ちゃんと向き合おう。無意識に逃げていた事に…現実に。現実を変えるために。…今度こそは。
「…………俺の部屋…」
カーテン越しに射し込む日の光で目が覚めた。いつも通りの朝、いや…違う。誰かの気配、息づかいが聞こえる。
「…すぅ…すぅ…」
そこには史人のベットにもたれこんで寝ている妹、清水美紗希がそこにはいた。
「…なんで…お前が…っつう!」
少し驚いて動くと腹に激痛が走る。その痛みの心当たりなど一つしかない。あの骸骨の刺突。
「……夢じゃない?…ハッ…ハハッ…なんで…生きてんだ?…俺」
じゃあ、美紗希は怪我の看病の為にここにいてくれたのか?ここ数年会話なんて無かったのに?いや…違うか。
「俺が…勝手に劣等感を感じて…避け始めたんだ…」
史人と違い優秀な妹。1年部での成績優秀者の三本指に入り、容姿端麗で運動神経抜群。比べられるのが怖くなって妹から逃げていた。
「こうやって…看病してくれたのに。…本当に馬鹿だな…俺は」
謝らなければならない。今まで事と、今日のことを。独り言が多過ぎたのだろう、身動ぎしてボーッとした顔で起きた美紗希。
「うぅん…んっ?……はっ!……………起きたの?」
「あぁ。さっきな」
「そう…じゃ」
目が覚めた美紗希は素っ気ない様子だ。寝起きを見られて少し恥ずかしそうに頬を染めているのが微笑ましい。…微笑ましいと思えるだけの心の余裕が出来たのだ。それが自分でもよく分かった。
「ちょっと待て美紗希」
慌てて部屋から出ていこうとする美紗希。それはまるで美紗希自身が出ていきたいわけではなく、俺を不愉快にさせないように焦ったような様子だ。
「…な、なに?」
少し戸惑ったようにこちらを振り向く妹。気丈に振舞ってはいるが、隠しきれない不安が顔に滲み出ていた。
「ぐっ……がぁ……」
多少傷口が開いても構わないと身体を起そうとする。
「だ、駄目!まだ動いちゃ!」
それを美紗希が慌てて止めようとするが、多量の冷や汗と共にそれはもう完了していた。
「だ、大丈夫だ。今…少し時間があるか?」
「う、うん」
「よかった…」
部屋にある椅子にすわり静かに話を始める。これは現実に地に足をつけて、新たに始めていく為に必要な過去の愚かな自分の行いの清算。
「まず、看病ありがとうな。大変だったろ?」
「へ、平気。少ししかやってないし。鮎川先輩達が兄さんを運んできた時にはもう殆ど血は止まってたから。……通り魔に刺されるなんて…兄さんあいかわらず運が無いね」
通り魔…そうか。そういうことになっているのか。まぁ、もうどうでもいい話だ。あっちに首を突っ込む気は微塵も無いのだから。
「そうだな…本当に馬鹿で運が無い…。それで美紗希に迷惑をかけたからな、本当にすまん!」
「…別に…迷惑なんかじゃない。家族だもん…そんなこと思った時なんて無いよ。それに兄さんだって、私が風邪をひいたらお粥と風邪薬を部屋に持ってきてくれるでしょ?」
「それは別に…当たり前だろ」
「じゃあ、私も当たり前。それでいいじゃない」
「………ハハッ…そうだな。その通りだ」
「そうよ……フフッ」
静かに笑い合う。あぁ、こうして笑い合うのなんていったい何年ぶりだろうか…。懐かしくて、暖かくて、心が熱くなる。
「あ、あれ。ご、ごめんね。おかしいな…悲しくないのに…」
美紗希の頬を伝う涙。それを拭っても拭っても、とめどなく溢れて出てくる。
「―――あぁ、俺は本当に馬鹿だな。こんなに美紗希に気を使わせるなんて…」
俺は美紗希が嫌いでは無い。たが、避けられていると勝手に被害妄想していた。美紗希も同じだ、嫌いじゃないのに避けられていると感じたのだろう。ほとんど一緒にいる兄に、そう思われることへの不安は相当大きかったはずだ。
「美紗希…ごめんなぁ…。俺はお前のこと好きだけど…馬鹿だから避けちまった。本当に、ごめんなぁ」
「兄さんは…馬鹿じゃないよ…。私が勝手に…嫌われたって勘違いしただけ…だから…」
「……あぁ、もう泣くな。ほら、こっち来い」
「うん…ぐずっ」
妹をベットに呼びよせて座らせる。昔…かなり昔だ。それこそ5年以上前。かなり仲の良い兄妹で、まだ生きていた母親に心配されたのは懐かしい思い出だ。その時は妹が泣くと、後ろから優しく頭を撫でてやれば泣き止むのが早くなった。
……高校一年になって、効果があるか分からないが何より美紗希の方から身体を預けてきた。撫でろと、要求するように。そんな、我が儘な妹をゆっくりと優しく頭を撫でていく。
今まで凍りついた時間を動かすように。ゆっくりと、暖かく、溶かして、動き始めた時間を確かめていくのであった。
「じゃあ兄さん。部活に行ってくるね」
「あぁ、頑張れよ」
「兄さんはちゃんと休んで下さい、あと包帯は先程替えましたけどキツくないですか。それと…」
「大丈夫だよ。そんなに心配するな」
過剰に心配する妹に苦笑しながら送り出す。そんなまる1日いないわけじゃない。せいぜい数時間、たいした時間ではないのだから。と、何度言っても部活を休むと言った美紗希。その気持ちは嬉しいが、あまり自分の事で美紗希の時間を奪いたくない。
「……何かあったら必ず電話を下さいね?すぐに飛んで来ますから」
それを最後に玄関の戸が閉まる音がして出ていった事がわかった。
「………昔より過剰になっているような気がするな…。まぁ、仲直りしたばかりだからだろ。そのうち普通に戻るよな」
兄妹で抱き合って頭を撫でるなんて事を、高一と高二がやっているなんてかなりダークよりのグレーだということを史人は分かっていない。ちょっとダメかな?くらいの認識しかないのだ。この認識のズレに気がつく頃にはもう戻れないようになるなど、今の史人には分からないことであった。
「さて…もう一眠りするか……………………なんだ?」
家のチャイムが鳴り響く。お客人が来たようだ。申し訳ないが今の史人は動けない。
「ここは居留守を使わせてもらおう…」
チャイム音を無視して目を閉じる史人。もう何が何でも寝るのだと意識を手放そうとした時。
「あー!やっぱりいた!優人!いたよー!」
「真由!勝手に上がったらダメじゃないか!」
「えー?昔はよく入ってたじゃーん!」
「小学生と高校生は違う!それにもし寝てたらどうするんだい!」
「…………そうだな。どうしてくれるんだ?」
「「あっ…」」
勝手知ったる清水家。鮎川は勝手に上がり部屋の前で騒ぎ始める、止めようとした優人も上がった時点で同罪だ。
「おはよう。お前らのおかげでよく目が覚めた。…それで何のようだ?」
好きだった相手のカップルが睡眠妨害してきた。だから、このくらいの嫌味は許されるであろう。
「…いきなりすまないね。それと久しぶり。1ヶ月ぶりくらいかな?」
「さぁな。いいから要件を話せ。っても、この傷の事なんだろうが…」
腹をさすって鋭い痛みにすぐに手を引く。
「……そうだ。僕達は君に謝らないといけない。まず、謝らせてくれ。すまなかった、君をあんな危険な目にあわせてしまって」
「………ごめんなさい。私の確認不足でした」
相馬と鮎川は同時に頭を下げる。まだ詳しい内容は聞いていないために分からないが…それでもあの骸骨達の件だろう。
「…別にお前らが謝る必要は無い。あれは俺が勝手に入って自滅しただけだ。俺がお前らに礼を言うべきだ。…本当に助かった…ありがとう」
「「………」」
目を見開き唖然とする二人。さっきから二人揃って同じ行動をするな、ベストカップルみたいで腹が立つ。
「怒って…ないのかい?」
「どんな経緯があったとしても、俺はお前らに怒るのはお門違いだと思っている。だから怒るも何も無い」
危険だと分かって引き返すタイミングなんていくらでもあった。それを無駄にしたのは俺だ。それに怒るというのは、この1件の責任はそっちにあるということになる。
それは違うし、そうしてはいけない。これは俺の目を覚めさせて、妹と仲直り出来たきっかけを作ったのだ。この怪我だって、そう考えると安いものだ。少なくとも、史人はそう思っていた。
「君は…昔から変わってないな」
「変わってるよ。いや、一周まわったのか?」
「……一応説明する必要かある。僕達は実は…」
「いや。いい。聞かないよ、俺は。お前達が何者であるかなんて、興味が無い。そして、俺もそっちには首を突っ込む気はしない」
「待ってほしい。これは大事な」
「話は終わりだ。俺はもう寝る。傷が痛み出した。イテテ!優人がいるとよけいに痛くなる!イテテ!」
寝返りをうってわざとらしく痛い痛いと繰り返す。
「…………分かった。でも何かあったら必ず言ってほしい」
「……あいよ」
そう言って優人は部屋から出ていく。
「……………………………」
「……………………………」
「……………なぁ?なんでお前は残ってるんだ?」
「えっ?だって優人がいれば痛いんでしょ?私は別に問題ないはずだよ?」
「いや…お前…あいつの彼女なんだから…男の部屋に一人でいるなよ…」
なんで俺が初恋の相手にこんなこと言ってんだ?アホらしくなってきた。
「怪我人の看病で残ってるの。ちゃんと優人の許可は貰ってるから大丈夫!」
「はぁ…勝手にしろ…。俺は寝る…」
「はい。おやすみ。多分次起きた時には傷は完治しているはずだから。ゆっくりね」
傷口に温かい熱を感じる。目を閉じている為に何をしているか分からないが、科学の力では無いのは確かだ。気になるが、目を閉じて見ないようにする。もう、そちらにはいかないのだから。
「ん……あいつらは…もう帰ったか…」
それはそうだろう。外が暗く、時間はもう夜になっている。
「寝過ぎた…これ夜眠れねぇぞ」
明日は学校だ。夜眠れないと明日の日中がキツい。そう思いながら、身体を起こした。
「…すげぇな幻想世界」
服を捲り、風穴を開けられた腹を見てみる。そこには傷跡は残っているが、触っても叩いても過剰な痛みは無い。完治、と言ってもいいだろう。
「現代の医療のレベルを遥かに越えてんなぁ…。本当にあんだねぇこういうの」
感慨深そう呟く。最初で最後だろう、こういった種類の力に感心するのは。ペチペチと傷跡を叩いて満足したら、部屋から出る。
「美紗希は下か?」
時刻は夜9時を回っている。部活が終わって帰るのが6時頃と聞いていた。とっくに家に帰っているであろう。
「いるかー?」
一階の居間を覗いてみるが、暗く誰かいるようには見えない。寝るには早いが自室か?とそこも確認してみるが、誰もいない。
「………買い物か…流石に時間が遅いぞ?」
都内とはいえ、繁華街から離れた暗い住宅地。近くにあるのはコンビニくらいであとは、少し歩かないとスーパーなど無い。ここら辺は最近変質者がでると、注意の紙が貼られているのだ。女子高生が一人で出歩くには少し危険だ。
「………スマホも反応なし。…行くか」
考えれば考えるほど嫌な予感が頭をよぎっていく。
「………………一応な」
家を出る寸前に、折りたたみ式のナイフの存在を思い出す。中二病の時に通販で買ったものだ。あんなことがあったのだ、用心するのも無理は無いだろう。
「杞憂であってくれよ」
そう言って、家を飛び出すのであった。
「あぁ…あれかぁ…ぼくが殺しそこねた…雑魚は」
都内のある雑居ビルの使われていない階の整備されていない一室。そこに彼はいた。真っ黒な服に、痩せすぎの身体。風呂に入っていないのか身体から異臭を放ち、黄色い歯は虫歯に蝕まれている。年齢は30近い男だ。それが目をつぶり、ブツブツと呟いていた。
「…ぼくはぁ…鼻が効くからねぇ…自分の臭いは…すぐわかるのさぁ…。僕の魔力が染み付いているからねぇ…ヒッヒッヒッ!」
生理的に嫌悪感を抱く笑い声が響く。それに身体を震わす人が一人。
「ねぇ?美紗希さん?」
学生証を両手で掴んで名前を呼ぶ男。目隠しをされて両手両足を拘束されている美紗希は、恐怖でガタガタと身体をまるめて震えるのみだ。
「勘違いしちゃったんだ。ごめんねぇ…君からも僕の臭いがしたから…。可愛い女子高生に僕の臭い…グフフッ!興奮するねぇ…!まぁ、このままお約束通り凌辱してもいいんだけどっ!」
椅子から立ち上がり、身動きできない美紗希に近づいていく。
「い、嫌!こ、来ないで!」
「うっふふふん!いいねぇあんまり拒否されると更に興奮して我慢しきれなくなっちゃうよぉ!」
「…………………」
「あらあら震えちゃって…可愛いねぇ。……流石に最近飽きてきてね…ほかの趣向が欲しくなっちゃった。あれ…君の彼氏ぃ?」
あれと言われても、見えているのはこの男だけ。いったい誰のことか美紗希には全くわからない。
「あの時仕留めそこねた雑魚なんだよぉ。国魔師に邪魔されてさぁ?最悪だと思わない?そのせいで、全然女の子をさらえないし!酷いよねぇ!人権侵害だ!女の子だって最後は僕にメロメロなんだから犯罪じゃないのぃ!まぁ、薬を沢山使ってるんだけどぉ!フヒヒヒヒ!」
また、気味の悪い笑い声が部屋に響いた。
「彼氏捕まえて寝取りプレイだよぉ!どんどん堕ちていく彼女を見せるのさぁ!グフッ!最高に興奮するねぇ!今からイっちゃうよ!」
股間を抑えて笑う痩せた男。その狂ったような哄笑が、更に美紗希の精神を削っていく。
「……助けて…お兄ちゃんっ……!」
その呟きは誰にも、届きはしない。まだ、誰にも。
感想乞食!