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化物退治の黒一点  作者: オセロット
第1章 化物退治の黒一点
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第6話 化物退治としての体裁

 黒江は、現状あんまりな人間関係に、げんなりしていた。


 午後の集合場所を聞きそびれていたことに気付き、葵にそれを聞いたのが五分前のことだ。

 集合場所は、地下五階の射撃訓練場だった。午前中に受け取った対化物(フリークス)拳銃を、早速使うらしい。


 このフロアは、おおよそ四つの広大なエリアに分けられている。それぞれの場所は、それぞれ状況に応じた射撃環境に則った作りになっていた。


 黒江らが集合するのは、エレベーターを降りてすぐの、一般動体射撃訓練場だ。ここは、広い面積か幅二メートルほどの訓練用ブースに区切られており、色々な設定の的撃ちをすることができる。


「結構銃声が聞こえるな」


「あ……本当ですね。今も訓練している方がいるんでしょうか」


 訓練ブースには、防音処置のようなものはされていないのだろうか、と、歩きながらそんなことを考える。


 黒江ははっきり言って、不安だった。拳銃なんてものは、当然今まで見たこともなかったし、撃ち方なんて知るはずもない。


「聞く話じゃ、拳銃って正しい撃ち方しないと肩が外れるらしいし……」

 

 化物フリークスと戦う以前に、ただ銃を撃つだけでも、大きな不安なのだ。


 そんな不安を携えて、葵と一緒に奥へ歩いて行くと、いかにもイライラというオーラを放っている白石双葉班長を発見した。そして、なるべくにこやかに、「お疲れ様です」と挨拶したのが、たった今のことである。


 なんというか、実にさっぱりしたもので、なんの返事も帰ってくることはなかった。ただ一つ舌打ちされて、無視されただけ。

 ヒラタ主任は双葉のことを、「極度の男嫌い」と表現していたが、これは相当だ。


 ともかく、現在の三十九期局員、第十三班は悲惨なものだった。

 黒江と兼村は、さっきのこともあって、完全に敵対関係。黒江自身は、さっさと人間関係を修復したいと考えているが、相手はそれをしようとはしないだろう。

 対して双葉は、「男嫌い」というどうしようもない性の持ち主。化物退治(フリークスハント)内なら今まで問題はなかったのだろうが、しかしこの班においてはかなりの弊害だ。

 葵は、今のところ黒江とは友好的な関係を築いてはいるが、「班内の人間関係の修復」という問題に関しては、頼りになることは一切ないだろう。


 前途多難の極み。黒江は出来るなら、このまま自分の部屋に戻って寝逃げしたかった。


 と、黒江がそんな風に嘆いている間に、残る兼村も訓練場に到着していた。そのまま黒江たちには目もくれず、双葉に「お待たせしました、班長」と頭を下げた。


 班員が全員揃ったことを確認すると、双葉はようやく口を開く。


「……さて、全員揃ったわね。伝えた通り、午後は射撃訓練を行います」


(俺それ伝えられてねえ……)


「あなた達はそもそも、銃なんて握ったことも無いと思うけど……やっていれば慣れるわ。午前中に言った通り、ここの銃は、操作が簡易化されてるから」


(それ俺聞いてねえ。ヒラタ主任説明不足だ……)


「ぶつぶつうるさい、黒江亮!さっきから声に出てるのよ‼︎」


「えっ、あ、はい⁉︎」


 頭の中で一人愚痴を吐き出していた黒江だが、知らず知らずのうちに口に出ていたそれを、双葉に咎められる。突然名指しで叱られて、黒江は頓狂な声を上げた。


「これから、私が見本を見せようと思ってたけど……失敗例を先に見せましょう。黒江、そこのブースに入って」


「えっ?い、いきなりですか?」


 双葉はすぐ近くのブースを指差して、黒江にそう命じた。黒江はぞんざいな扱いに抗議しようとしたものの、「文句は?」と冷たい目で問われ、思わず「ございません」と答えてしまう。


 ある意味、人間的な相性は良いのかもしれない。冷たく厳しい女上司と、メンタルの強い新入り。


 とはいえ、黒江は実際のところ、不満タラタラだった。


「俺そもそも撃ち方知らねえんだけど……」


 黒江は心の中でそうぼやきながら、そそくさと指定されたブースに入り、銃を構える。すると、ブースに人が入ったことにセンサーが反応でもしたのか、立体映像のように、五重マルの的が現れた。


「すげえな、ハイテクだ」


「感心する前に弾倉から実弾を抜きなさい。右に訓練用の弾があるでしょ」


 そう言われて、黒江はブース右側の仕切りを見る。確かに、六発ずつにまとめられたゴムのような弾が、ずらりと用意されていた。


 黒江は言われた通り、弾倉から実弾を抜き取り、代わりにその模擬弾を詰める。リロードの操作だけは、ヒラタ主任がやっていたので、黒江にも出来た。


 しかしここからは無理だ。黒江が知っているのは、引き金を引いたら撃てる、くらいのものだ。射撃の正しい姿勢どころか、銃の持ち方さえそもそも知らない。


 しかし双葉は、


「じゃあ、試しに撃ってみなさい。的は動かない設定にしてるから」


 と、無茶振りをしてくる。黒江はため息をつき、そして映画のワンシーンを思い出しながら、銃を構えた。


 そうして、引き金を引こうとした——が。


「……あれ?動かない」


安全装置(セーフティ)の外し方を教えたでしょ。さっさとやりなさい」


「俺教わってない……」


「銃身左側のつまみを引いて、降ろす!」


 双葉の怒号が射撃場に響く。


 ちなみに、本来リボルバー拳銃に安全装置はついていない。引き金自体が重いからである。

 が、化物(フリークス)の身体能力に対応し、咄嗟に撃てるようにするため、化物退治(フリークスハント)で使われる銃は、引き金が軽くされている。その代わりに、通常存在しない安全装置が追加されていた。


 と、それはともかく、黒江は言われた通りに安全装置(セーフティ)を外し、両手で銃を構える。

 そして、今度こそ引き金を引いた。


「っ、うお……!」


 黒江の銃から、爆音が奏でられる。映画で見るのとは全く違う、重みと銃声に、腕から肩までが痺れた。

 そして、撃ったのと同時に、反動(リコイル)によって黒江の右手が大きく跳ね上がる。


「リボルバーは反動(リコイル)が強いわ。あなたのように、左手を受け皿のようにして右手に添えて構えると、反動によって腕が跳ね上がる」


「それ、出来れば先に言ってもらえると……」


「失敗例を見せるって言ったでしょ」


 双葉はにこりともせずに言った。その淡白な反応に、黒江は肩を落とす。


「黒江がやったのは、映画なんかでよくやる撃ち方ね。けど、化物(フリークス)相手の時に、一々腕が跳ね上がっていたんじゃ、連射性がかなり落ちる」


 そこまで言うと、双葉は腰のバックルから自分の銃を取り出し、構えて見せた。


「銃を構える時は、グリップを握った利き手をさらに握るように、左手を添えなさい。これである程度は、反動(リコイル)の影響を減らせるから」


 黒江は、はあ、と嘆息した。

 確かに黒江がやったのは、映画で見たのと同じ撃ち方だ。しかしあれでは言われてみれば、動きの速い化物フリークス相手ではやりにくいのも事実だろう。


 と、黒江がそんなことを考えている間に、双葉は先ほどの的を確認する。


「……射撃の才能は……まあまああるようだけど」


 双葉は、銃を腰のバックルにしまいながらそう呟いた。

 黒江が撃った的には、中心からやや左に逸れた場所に、命中のサインが出ている。初めての射撃であれならば、上出来だ。

 もっとも双葉は、その黒江の功績に関してはむしろ、苦々しくすら思っていたが。


「……。とにかく、今言ったことを守って、各自ブースに入りなさい。あと、安全装置があるからって、撃つ時以外は絶対に引き金に指をかけないように」


 そう注意を促して、それから双葉は、目にかかった髪を払った。


 それを合図に、葵と兼村もそれぞれブースに入る。葵は黒江の右隣に、兼村は二人と一ブース間を挟んで、だが。

 兼村は先ほどから何も話していない。双葉に、後輩として挨拶をしたきりだ。黒江は、やはり仲直りも簡単じゃなさそうだ、とため息をつく。


 こじれた人間関係はともかく、そうして射撃訓練が始まった。


 射撃訓練自体は、なんというか、非常に簡素なものだった。三人の新入りはひたすら的を狙って訓練用弾を撃ち、班長は後ろで腕を組んでそれを見守るだけ。

 というのも、この三人は基本的に、アドバイスも何も必要としてはいなかったからだ。


 まず黒江だが、最初の一発で構え方を間違えて以降は、双葉に言われた通りの姿勢で、真面目に射撃訓練をしていた。


「いや……でもこれ、普通に構えても結構衝撃が来るな」


「そうですね……んっ」


 その隣で葵も、何度目かの射撃を行う。もっとも葵の小さな体にはリボルバー反動は、黒江以上に大きく響いていた。今も、引き金を引いただけで体が大きく揺れ、声を漏らしている。


「つーか、それ以上になかなか当たらねえ」


 黒江はそう言いながら、また引き金を引く。今度の弾は、的の右側に逸れて、広いフロアの向こうの防弾壁に傷を付けた。


 黒江の撃つ弾は、先ほどから五割ほどの確率でしか的に当たっていない。それにしたって上出来ではあるが、しかし黒江本人にとっては、納得し難いものだ。


「くそ……っていうか、小村は上手いな」


「そ、そうですか?」


 葵は照れたようにそう言うが、実際、彼女の射撃精度はかなりのものだった。的から外れた弾は一発も無いし、ほぼ全ての弾が五重マルのうちの、中心から二本目あたりに当たっている。


「こういうのって、真面目な奴ほど得意だって聞いたことはあるけど……」


 葵は、真面目というか、まあ生真面目だ。

 馬鹿真面目な性格だ。それに起因しているのか、こういったただ狙って撃つだけの単純作業はは、得意なようだった。


 そしてその様子を、双葉は忌々しげに後ろから見ている。


「本当にきちんと戦力になりそうね……チッ」


 言うまでもないことだが、双葉は苛立っている。

 この苛立ちは今朝、ヒラタ主任から呼び止められた時から始まっていた。本当に元をたどるなら、それは自分の班に黒江が所属すると決まった時なのだが、まあそれは根本的すぎることなので省こう。


 ともかく今朝。おそらく双葉にとって、この世で話したくもない人間ランキング堂々一位に輝いているであろう、ヒラタ主任に呼び止められた。


 黒江は、ヒラタ主任は双葉から嫌われそうな人間だ、と考えたが、まさにその通りである。双葉は遊び人のようなヒラタ主任を、かなりの勢いで嫌っていた。


「あー、白石ちゃん。探したよ」


 と、その憎っくきヒラタ主任が親しげに話しかけてきたのは、双葉が制服に身を包んで、二階に到着したエレベーターを降りた時だった。ちなみに、一応上司であるにも関わらず、この時盛大に舌打ちをしている。


 しかしヒラタ主任は気にすることなく、なおのこと気さくに話し続ける。双葉のように、基本的に他人に冷たく当たる人間にとっては、馬鹿みたいにメンタルの強い彼がある意味で天敵だった。


 で。聞きたくもない話に、なんとか耳を傾けると、双葉は話されていることが、そこまで聞くに値にしないわけではなかったことを知る。


「君の班の黒江亮くんをさ、午前中の間貸してくれないかな」


 なんでも、せっかく男性局員が増えたのだから、お友達になっておきたかったらしい。

 完全に職権乱用・勤務時間の私使用である。これによって双葉のヒラタ主任に対する好感度は、さらに下がった。


 だがしかし、彼の提案自体は悪くないものだった。


 何しろ、班員との初顔合わせという重要な場で、ストレス・苛立ち要因以外の何物でもない黒江が消えるのだ。少なくとも、他二人の通常(じょせい)班員の前で、冷静さを保つことは出来るだろう。


 それに、黒江がヒラタ主任に奪われる予定カリキュラムは、彼自身が武器装備の教授を行うことで補うらしい。


 何も問題はない。即決である。


 かくして、双葉は珍しくヒラタ主任の頼みごとを聞き、午前中の間黒江を班から追放したのだ。それにより、一旦は彼女の苛立ちも鎮まってはいた、のだが。

 黒江が必要以上の優秀さを見せたことで、それは再燃した。


 そして、その怒りの渦中にある黒江は、何も知らずに段々とノリノリで射撃を行うようになっていた。

 

 具体的には、弾倉に込めた六発の弾を、一度に撃ってしまう、なんてことを。要は連射である。

 当然後には、反動の負担を体に溜め込むことになったが。


「っえ!やべえ、腕にじわじわ来てる!反動がやばいってこれ——」


「黙りなさい、この馬鹿!」


 痺れた腕を振っていると、後ろからそう咎められる。黒江は慌てて「す、すみません」と安定しない声で謝った。


 すると、双葉は唐突に黒江のブースに踏み入り、前面に大量に設置されているタッチパネルを弄りだした。


「え、あの、班長何を?」


「普通の射撃訓練で暇になったようだから、設定を変えてあげるのよ」


 そう言って、双葉は赤色に表示されている「設定終了」を押した。


 それを合図にして、今まで前方に出ていた的が、左右に動き出す。速さは人間の反復横跳び程度。程度じゃない。結構早い。


「あの。白石班長?少しふざけてたことは謝りますから、この設定はちょっと……」


「どうせ後々やることになります。さっさと動体射撃に慣れることね」


 双葉はそう言って、黒江のブースから出て、再び三人の後ろで腕を組んだ。


 残る黒江は途方にくれる。止まった的でさえ、命中率は五割ほどなのに、動体射撃なんてものは、流石にまだ早すぎだ。

 もっともこれは、双葉を怒らせたことによる自業自得である。黒江は素直に反省し、この制裁を受け入れた。


「くそ……見た目より速いな、あれ」


 黒江は弾倉に訓練弾を込めて、再び銃を構える。そうしてきちんと正しい構え方をするものの、しかしこの固定された姿勢では、あの動く的にはかすりもしないだろう。


 一か八かというか、黒江はヤケクソ気味に、両手で構えていた銃から左手を離した。そして、片手だけで標準を合わせる。


「結構重いな……片手で持つと」


 左右に動く的は、等速で運動しているわけではなかった。時々加速したり、減速したりを繰り返している。

 つまり秒数数えて、左右の端で撃つという手は使えないということだ。


(本当、よく出来た設備だよ——)


 頭の中でそう呟き、黒江は片目を瞑る。そして、変則的に動く的に狙いを定め、引き金を引いた。


 ドン!と、重い音が響く。それは黒江の耳に届いた音というよりは、片手で拳銃の反動を受け止めたことによる、骨から伝わって響いた音だった。


「あー……頭に響くぅ」


「だ、大丈夫ですか?黒江さん」


 葵の心配そうな声に、黒江は左手を振って応えた。

 言うほど黒江の体には、負担はかかっていない。衝撃でびっくりする程度のものだから、慣れればどうとでもなるだろう。


「んで……的はどうなった?」


「え?あ……」


 葵は、すでに動きの止まっている的を、隣のブースから覗き込むように確認した。


 弾は、五重マルの、ぴったり真ん中に命中していた。


「す、すごい……」


「やっと当たったのか。良かった良かった」


 黒江は胸を撫で下ろす。が、しかし、後ろで見ていた双葉の心境は、そんな穏やかなものではなかった。

 ただ、今までと違い、それは苛立ちではない。純粋な驚きだった。


「黒、江……どうしてあなた、動体射撃はそんなに正確なの?」


「あ、班長。やりましたよ。命中して……」


「答えて。なんで楽々と、そんな風に動体訓練をクリア出来たわけ?」


 双葉の淡々とした、それでいて威圧的な口調に黒江は眉をひそめる。冗談の通じるような雰囲気ではない。


 しかしそれもそのはずであり、黒江が見事弾を命中させた動体設定は、特に難易度の高い不規則動体設定の中での、「最速」だった。双葉が純粋な嫌がらせ本意で設定したものだ。

 本来ならば、新入局員である黒江に当てられるはずがない。


 と、そんな事態になっていることは知りもしない黒江だが、真面目に答えた方がいい空気であることだけはなんとなく察した。

 とはいえ、真面目に答えようとしても、黒江に言えることは実際のところ、


「えっと……普通に撃って普通に当たりました」


「……つまり?なに、あなたは自分が動体射撃の天才だって言いたいのね」


「いや、そうじゃなくて……動体射撃っていうか。動体視力は、まあ人よりは優れてるみたいですけど……」


「動体視力……?」


 まずいな(・・・・)、と黒江は思った。目の前の神経質な班長は、自分のことを、結構な度合いで怪しみ始めている。

 絶対にバレたくないことが、バレてしまうかもしれない。黒江の心に、本気の焦燥が生まれ始めた。


「……ん?」


 と、そんな黒江は、自分の目端(めはし)に映った見覚えのあるモノに、声を漏らす。


 こちらに歩いてくるその人は、とても見覚えがあった。ついさっきーーというか、午前中ほとんどを使って、黒江と話していた人間だ。


 ()は。


「ヒラタ主任……?」


「……は?誰ですって?」


 黒江が呟いた、その聞きたくもない人名に、双葉はいち早く反応する。黒江が返事をするよりも早く、後ろを振り向いた。


 そして、盛大に舌打ちした。間違いなく、笑顔でこちらに歩いてきているのは、ヒラタ主任だった。


「やあやあ黒江くん、さっきぶり。早速白石ちゃんに怒られてるのかな?」


「いや……何しに来たんです?」


 気さくに話しかけて来る、本来訓練場などに来るはずのない「研究室主任」に、黒江はそう聞き返す。


 ちなみに、どさくさに紛れてちゃん付けで呼ばれた双葉は、またも盛大に舌打ちをし、そして男二人が揃おうとしている空間から退避した。

 そんなに嫌か、と黒江は肩を落とす。


「……で。もう一度聞きますけど、何しに来たんですか?」


「いやねえ、うっかり忘れちゃってね。君に一つ、渡しそびれた装備品があったんだ」


 そう言って、ヒラタ主任はにこやかに、首からかけた鞄から、黒い何かの機器を取り出した。

 何の用途に使うのかよくわからないが、十センチほどの大きさの直方体からイヤホンが一本伸びている。


「えっと……それは?」


「小型通信機。化物退治(フリークスハント)局員の常備品なんだけど、ごめん、完全に忘れてた」


 ヒラタ主任はそう言って、手を縦に見せて「ごめん」のジェスチャーをした。


 黒江はそう言われてみて初めて、ヒラタ主任の持っている黒い機器をよく観察してみた。確かに、それにはダイヤルのようなものと、小さく飛び出たアンテナのようなものも付属している。

 かなり小型化されてはいるが、確かにそれは小型通信機だった。


「これね、制服の胸ポケットのところに引っ掛けるところがあるから、そこに付けといて。それから、イヤホンはちゃんと耳につけてね」


 そう言って、ヒラタ主任は通信機を黒江に手渡して来た。黒江はそれを受け取り、そして言われた通りに左胸のポケットに引っ掛ける。


 通信機自体はとても軽いものだった。ずり落ちそうになることもないし、留め具を使えば激しく動いても外れないだろう。


「あとはこのイヤホンを……って、ん?何ですかこれ?」


 残るイヤホンを耳にはめようとして、ふと黒江は動きを止める。


 通信機から伸びるコードの先端には、よく見る耳にはめ込む形が見当たらない。代わりに、C字型のプラスチックのような素材の部品が付いていた。


「ああ、それ普通のイヤホンとは形が違うよ。耳の周りに引っ掛けるんだ」


「耳の周りにって……こう、ですか?」


 黒江は言われた通りに、そのプラスチックの部品を左耳に引っ掛けた。サイズはピッタリだ。これも、多少激しい運動をしたところで、落ちることはないだろう。


 しかし、黒江は一つの疑問を抱く。何しろ、これではスピーカーからの音は鼓膜には届かないはずだ。


「あの、これ、音聞こえないんじゃ……」


「聞いて欲しいこと聞いてくれるよね、黒江くんって。これはね、耳小骨を直接振動させるタイプだ。だからそれでも聞こえるし、外に音が漏れることもない」


「耳小骨に、直接?へえ……そりゃまた、ハイテクな」


 黒江は素直にそう感心したが、しかしヒラタ主任は首を振った。


「この技術自体は前世紀のものだからね?今は体内にナノマシンを入れて、それ経由での通信システムを開発中さ」


「体内にナノマシンを……うん?なんか、聞いた限りだとそれ、やりたくないような」


 というか、そもそもその設定、どこかで聞いたことがあるような。その内アメリカを裏で支配するAIシステムとか登場するんじゃないだろうか。


 と、黒江が馬鹿な想像をしていると、ヒラタ主任は、彼自身の胸ポケットにもある無線機のスイッチを入れた。


「それじゃあ、ちょっと離れたところからCALL(コール)してみるよ。通信音が聞こえたら、通信機の上についてる赤いボタンを押してくれ」


「赤いボタン……あった、これか。分かりました」


 そう返事をすると、ヒラタ主任は頷いて、黒江から十メートルほど離れた場所に歩いた行った。


 それを確認して、黒江は胸の通信機に胸を向ける。重さは感じないとはいえ、体積だけで言えば結構なものだ。ヒラタ主任はああ言っていたが、実際、これを開発するのにはかなりの労力を必要としたんじゃないだろうか。


 そうして黒江が考えを巡らせていると、ブルルル、ブルルルと、電子音が耳に響いた。

 確かに、直接的な音ではないが、しっかりと伝わって来た。耳小骨を直接振動させるというのは、伊達ではなかったようだ。


 黒江は通信機の上の、赤いボタンを押した。すると、ヒラタ主任の陽気な声が聞こえてくる。


『メーデーメーデー。SOS。聞こえますかー?』


「……いや、何で助けを求めてるんですか」


『白石ちゃんが僕のことすっごい睨んでる。男二人が揃っちゃったのが、よっぽど気に入らないんだろうね』


 そう言われて、腕を組んで壁に寄りかかっている双葉に目をやると、確かに鬼のような形相でこちらを睨んでいた。

 感情的な段階は「怒り」ではなく「苛立ち」だろうが、もうオーラが見えるようなレベルだ。黒江はすくみ上った。


「く、訓練中断したからですかね?」


『ああー、それもあるかも。じゃあさっさと切り上げようか』


 ヒラタ主任はそう言うと、通信を切り、小走りでこちらに戻って来た。


「ふう、怖い怖い。まあ通信は上手くいってるみたいで良かったよ」


「そうですね。音もちゃんと聞こえてました」


 距離が近かったからかも知れないが、ノイズの一つすら入っていなかった。普通の電話で話しているような感覚だ。


「まあ、仕組みは無線機とかよりも、携帯電話に近いからねえ。回線も大手民間企業のを借りてるんだよ……おっと。無駄話したくなる癖、直さないとな」


「まあ……今は少なくとも無駄話はやめときましょうよ。班長キレるかもだし」


「そりゃご愁傷様だ。なら、伝えることだけ伝えて僕は退散するよ」


 ヒラタ主任はそう言って苦笑し、それから自分の通信機を指差した。胸ポケットの外に出ている、前面部だ。合計で八つのボタンと、ダイヤルが付いていた。


「このボタンは、連絡先の登録ボタンだ。君のは、忘ちゃったお詫びに、僕が設定しておいたよ」


「連絡先の登録、って……登録されてるのは誰なんですか?」


「えっとね。右上から、僕、白石ちゃん、小村ちゃん、兼村ちゃんだね。班員みんなと、追加で僕」


「……」


 あっけらかんとそう言うヒラタ主任に、黒江は呆れる。班員は分かるが、彼が登録されている意味が全くわからなかった。

 分からなかったが、どうせそれを聞けば、「サボりたい時にダベる用」とか言って来そうだ。黒江はその質問を胸にしまった。


「……えっと。それじゃあ、色々とありがとうございました」


「うん。まあ、何か聞きたいことがあったら僕を呼びなよ。大体の時間は暇だからさ」


「あなた研究室主任ですよね?」


 黒江の冷めたツッコミには答えずに、ヒラタ主任は「それじゃあね」と笑って、駆け足にエレベーターの方へ行ってしまった。双葉と接触するのを避けたいらしい。


 というか、それは黒江も同じだった。出来ることならば、双葉の小言は避けたい。

 別にサボったり遊んでいたわけじゃないのだから、説教をされる義理はないのだが。しかしやはり、あの班長はくどくどと何か言ってくるだろう。


 しかしまあ、良しとしよう、と黒江は思う。ヒラタ主任がまた何か忘れている可能性もあるにはあるが、とりあえずは今度こそ、化物退治(フリークスハント)局員としての体裁は整ったのだ。


 先輩のお叱りを受けるのも良いかもしれない。兼村との仲違いも、まあ甘んじよう。それら全て、この化物退治(フリークスハント)での、あの十三班でなければあり得ないことだ。


 歪な形ではあるが、しかし自分が化物退治(フリークスハント)局員として、曲がりなりにも体裁が整ったことを、黒江は純粋に喜んでいた。


 その歪に成り立った十三班は、この後大した期間も開けずに、ものの見事に形を崩してしまうことを、黒江はまだ知らなかった。

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