第3話 化物の正体
翌日、朝七時。黒江は持参した目覚ましの、やかましい音で目を覚ました。
まだ眠い。昨日は十一時には寝たはずなのに。
(やっぱり昨日の吉兆なんて無かったんだ……)
黒江はベッドから体を起こすと、部屋の隅に重ねられたままの段ボールの山に目をやった。
何しろ一昨日ここに入居はいったばかりなのだ。荷物の整理もろくにできていない。こんなことなら、申請が通った時点でさっさと引っ越すべきだった、と黒江は少し後悔した。
「さ、て……朝飯はどうするかな」
そういえば、この部屋には食材のひとつも無い。朝食を取ろうにも、どうしようもないことに黒江は気付いた。
「……そうだ。そういえば、二階に売店があったか」
今日は昨日と同じく、講堂のある二階に集合だったはずだ。なら、早めに下に降りて、集合時間までの間に売店でおにぎりでも買って食べておこう。
そうと決めると、黒江はさっさとベッドから出た。そして洗面所で顔を洗い、制服に袖を通した。
この紺色の制服を着ているのは、今期の入局員では黒江一人である。ほかの入局員女性たちの制服は白色だ。
目立つことこの上ないが、まあ、それはこの際我慢である。黒江にはどうしようもないことだ。
そうして制服に着替えた黒江は、部屋の玄関近くのハンガーにかけっぱなしにしていたネックウォーマーを忘れずに被る。そして、鼻から下の顔半分をしっかりと覆った。
「それじゃ、行ってきます」
誰もいない部屋の中にそう言って、黒江は扉を閉めた——まあ、誰もいない部屋にこんなことを言うのは寂しい奴だという意見もあるし、それも否定しないが、習慣というものは一度ついたら取り払えないものである。
廊下に出て、オートロックの閉まる音を確認すると、黒江はふと思い出す。
「そういえば、小村のやつはもう起きたのか……?また呼び出されてたりしないだろうな」
腕時計を確認すると、7時15分を指している。今日の集合は8時だ。
もうそろそろ、部屋で朝食を食べて出てくるにしろ、黒江のように売店で済ませるにしろ、起きていていい時間だ。
どうせなので、黒江はついでにインターホンを鳴らしていくことにした。ドアの隣に備え付けられたボタンを押す。
『……ドタドタ……バタ……ふぁ、あい!小村ですっ!』
「えっと……黒江だけど。もしかして寝てたんならごめん」
慌ただしい音と、呂律の回っていない声で出迎えられ、黒江は頭をかいた。
『く、黒江しゃん……?な、何の御用ですか……?』
「いや、俺は早めに下に行くことにしたんだけど、一応声かけておこうと思って。メール見たよな?俺ら、同じ班だった」
『あ、ああ……そうでした』
「まだ寝てたのか?」
実際、まだ集合45分前だ。局寮利用者の特権を活用して、まだ夢の中だったということも、十分あり得る時間である。
それを考えると、特に考えも無しにインターホンを押したのは配慮に欠けたかもしれない。黒江はそんな風に後悔したが、
『あれ?えっと、目覚ましは6時半にセットして……あっ、あ!セット出来てない!』
「……6時半」
と、非常に気の抜ける返事が返ってきた。黒江が考えていたよりも、葵はずっと早起きをするつもりだったらしい。
なら、ここで声をかけておいて良かったかもしれないと黒江は思った。目覚ましをかけ忘れていたんなら、8時になっても起きれなかった可能性は十分にある。
「まあ……なんだ。その、小村は朝食はどうするつもりなんだ?俺は下の売店で買おうと思ったんだけど。何か作るのか?」
『えっと、朝食……は、作ってる時間が無いです……あの、私もご一緒して良いですか?』
本来なら自分で作るつもりだったらしい。ここは女子男子の認識の差だろうか。
ともかく、黒江は「じゃあ待ってるから準備しろよ」と答えて、そのまま壁にもたれかかった。
そうして5分ほど待っていると、部屋のドアが開き、制服に身を包んだ葵が出て来た。
「お、おはようございます……」
「おはよう。……眠そうだなお前」
「昨日、遅くまで本を読んでて……その、お待たせしてすみません」
「いや、まだ時間には余裕あるから大丈夫だろ」
葵を見ると、化粧っ気こそ無いものの、寝癖くらいは整えられていた。まあ、もともと化粧などはしないのだろう。
黒江は急かした罪悪感に悩む心配は無くなったと、胸を撫で下ろした。
そのまま、二人は直通エレベーターに到着する。そうして二人はエレベーターに乗り、二階へと降りた。
二階は一般人の入れない職員フロアだ。業務開始時間の前なので、さすがに閑散としていた。
「売店は……あそこか」
エレベーターを降りてすぐ前方に、駅にあるコンビニのような売店を発見し、黒江はそこに歩いて行く。葵も後に続いた。
黒江は予定通りおにぎりを二つ、それと緑茶を買った。葵は少しの間悩んでいたが、サラダの盛り合わせを選んだ。
二人は眠そうな目をこする店員に見送られ、朝食を購入し終わる。
「……野菜だけで良いの?」
「は、はい。朝ですし……」
朝だからといって、野菜だけで済ましてしまう人間の気持ちは黒江にはよく分からなかったが、それもダイエット志向の強い女子特有の考え方なのだろうか。
それから黒江はビニール袋を手に、座れる場所を見つけ、そこに腰掛ける。
「小村、座れよ」
「あ、は、はい。ありがとうございます」
黒江の言葉に従って、葵はその隣に座る。
黒江はビニールからおにぎりを一つ取り出して、封を開けた。中から海苔の香りが漂い始める。
「ご飯派、ですか?」
「ん、まあな。パンを食う人間の気持ちは分からん……」
葵のそんな質問に答えながら、黒江は特に何も考えず、口元を覆っていたネックォーマーを下げた。
それで、隠れていた顔の下半分が露わになる。
「っ、ぁ……」
葵は、それを見て息を呑み、顔色を変えた。
黒江はすぐに葵のその反応に気付き、それから、しまった、と声に出す。
そうだった。何のためにネックウォーマー付けてるんだ、と。
「ああ……くそ、忘れてた。人と飯食うなんてのは久しぶりだったから……。悪い小村。食欲の失せるもん見せて」
黒江はそう言い、使っていない左手で、自分の口元を葵に見えないように隠しながら、おにぎりを食べ始めた。それを葵がこれ以上見なくて済むように、と。
「あ……いや」
葵は、その黒江の慌てたような動作を見て、罪悪感を覚えたらしい。
「あの、私は別に、気には……」
「するだろ。いや、本当、悪かった。配慮が足りなかったよ」
困ったように笑いながら、黒江はそう言って頭を下げる。それを言いながらも、ぽいぽいと買ったおにぎりを二つとも、口の中に放り込みながらだが。
そうやってさっさと食べるものを食べ、最後に緑茶を喉に流し込み、黒江は再びネックウォーマーを鼻先にまで上げた。
気まずい、と黒江は思う。葵とは、同性のいないこの環境の中で、とりあえずは良好な関係を築けそうだったのに、と。
とりあえずと言うなら、とりあえず黒江は、この二人きりで黙りこくっているという状況を何とかしたかった。気まずいのは仕方がないし、どうしようもないことだが、気まずい空気を放置するのは精神的にもキツイ。
「あー……そういえば、なんだけど。班分けのメールは見ただろ?」
「……班分け、ですか?それは……はい。見ました」
「あのさ、もう一人の『兼村洋子』って、昨日言ってたやつで間違い無いわけ?」
「そう、ですね……すみません」
やっぱりか。黒江はため息をついた。
「大体、あのメール、第十三班って書かれてたよな……」
一班三人の編成だから、最低でも自分たちの前に、39人が班分けされている計算になる。
つまり、あ行が39人はいて、その後に続いたのが「兼村」「黒江」「小村」というわけだ。
あ行はそんなにいるのに、本当にどうしてか行はこんなに少ないんだ。せめて自分の前にあと2人いれば、兼村洋子とは同じ班にならずに済んだものを。
「本当に頼むぜ全国区……ん?」
そうぼやいて、ふと黒江は、講堂前にちらほらと人が集まってきていることに気づいた。
自分とーーではなく、葵と同じ白い制服を着た、若い局員たちだ。見たところ、黒江らと同い年か、一つ上くらいだろうか。
時計を見ると、腹は8時40分を指していた。集合の20分前だ。
「あっ……もしかして、班長たちか?」
黒江たち新入局員は、三人編成スリーマンセルの班に分けられた。しかし、実はその上に、もう一人局員が追加されることになっている。
「化物退治」38期生。黒江たちの一年前に入局した、いわば先輩にあたる局員たち。彼女らが、一つの班に一人ずつ、教官として配属される。
(えっと……俺らは十三班だから)
黒江は、講堂前にずらりと並んだ「班長」たちの、左から13番目を探し出す。その人が十三班の班長のはずだ。
「十、十一、十二……小村、あの人じゃないか、俺らの班長」
「え?」
黒江はサラダを頬張る葵の肩を叩き、そう話しかける。葵は黒江の目線を追って、講堂前に立った十三番目の班長に目を向けた。
今時珍しい、銀髪の女性だった。長く伸ばした髪をツインテールにして、頭の左右で結っている。
ツンとした表情の、いかにも厳しそうな上司といったイメージだ。
「また厳しそうな人だな……」
「……ですね。頑張りましょう」
そう話しているうちに、葵はサラダを食べ終わっていた。黒江は自分のビニールに、出たゴミを二人分入れ、職員用のゴミ箱に放り投げた。
「じゃあ、行くか。早めに集合して媚び売っとこう」
真面目な先輩なら、少なくとも早めの集合には好感を持つだろう。
というか、ただでさえ黒江に関しては、性別の違いからどうしても他の局員から睨まれることになる。何しろ、まさにこの「女の園」の中では、黒江は異物そのものなのだから。
媚は売れるだけ売っておかなければならない。より良い局内生活のためにも。
と、概ねそんな思考を巡らせながら、黒江は葵とともに、その班長の前に進み、話しかけた。
「あの、十三班の……」
「失せなさい」
玉砕した。一も二もなく、消え失せろ、と冷たい視線と言葉で追い払われた。
「俺何かした……?なんで初対面で嫌われてんの……?」
「な、泣かないでください黒江さん。私が話しかけてみますから……」
葵は、おいおい泣きながら(という茶番をしながら)戻ってきた黒江をそう慰める。
あそこまで取りつく島もない対応では、再び黒江が行っても、追い返されるだろうと、葵でも判断せざるを得なかった。
「あ、あの。私たち、十三班に配属された新入局員なんですけど……班長の方って」
「……十三班の班長は私よ。随分と早い集合ね、あなたたちは」
「えっと、それで、あの人も同じ班の……」
「黒江亮、でしょう。あなたは小村葵。事前に書類で知ってるわ。私があなたたちの班長を務めます、白石双葉よ。運悪く、唯一の男性職員担当になった……チッ」
その舌打ちは、少し離れて聞き耳を立てていた黒江にも、しっかりと聞こえた。どうやら、もう確実に嫌われているらしい。
だがまあ、班長に嫌われているにしろ、ともかくあの女性が自分の班長であることは分かった。
なぜ嫌われているのかは全くわからないものの、これから共に行動することになる班長なのだから、逃げ回っているわけにも行かないだろう。
幸い今は、あの双葉の前に行っても、葵が間に挟まる形になる。黒江はそそくさと、自分の班長の前に集合した。
「その、よろしくお願いします……」
「……少なくとも今日はよろしくすることなんて無いわよ。あなた、私たちとは別行動なんだから」
「……は?」
黒江はそんな間の抜けた声を上げた。
というのも当然で、何しろ今のが言葉通りなら、「お前今日仲間はずれな」と言われたようなものだ。
「あの、何故にこんなに嫌われているのか分からないんてますが……僕何かしましたでしょうか?」
「違うわよ。いや、嫌いなのは違わないけれど、嫌がらせで別行動させるわけじゃないわ。あなた、今日の行程は聞いてるの?」
双葉は、尖ったままの声でそう聞いてきた。
黒江を嫌いであることは重ね重ね言ってくれるが、少なくとも、個人的な感情で班員を仲間はずれにするような人ではなかったらしい。
「いや……聞いてません」
「あなたたちがこれから扱うことになる武器の説明、受領が午前中の予定。私たち十三班は、第二研究室で説明を受けるけど、あなたはヒラタ研究主任から呼び出されているのよ」
「ヒラタ……研究主任?」
聞いたことのない名前を出され、黒江は首をかしげる。
「化物退治の研究機関のトップよ。その主任が、あなたと個人的に話したいと言っているの」
「研究機関のトップって……そんな人が、どうして俺を」
黒江は昨日入局したばかりの新米だ。局内に知り合いどころか、顔を知ってるのは今話している双葉と、葵くらいのものである。
化物退治の中でも、なかなか上の地位にいるであろうそんな人物に、声をかけられる心当たりは黒江にはなかった。
「理由は知らないけど……まあ、どうせ午後の予定との間には昼休みを入れるから。午後一時までにもう一度ここに戻って来れば良いわ」
双葉はそう言って、制服のポケットを探り、
「これが五階の個人研究室に行くための通行証。エレベーターを上がって、まっすぐ進んだ突き当りの部屋をノックしなさい」
双葉は、黒江にポケットから出したカードを渡してきた。部屋のカードキーよりは、若干使い古されている。
「えっと……五階の、廊下突き当りですね」
「言った通りよ。さっさと失せなさい」
「……」
行きなさいと言ってくれれば良いものを、なぜわざわざ「失せろ」と言うのだろうか。未だにここまで嫌われているわけが分からず、黒江はげんなりした。
「……じゃあ、小村。とりあえず昼にもっかいここで落ち合う?」
「あ、はい。その、黒江さんも頑張って下さい」
葵はそう言って、ぺこりと頭を下げた。
しかし、そのヒラタ主任とは、一体何の用事でわざわざ自分を呼び出したのだろうか。やはり黒江には、名前にも肩書きにも案件にも覚えがない。
(大体、武器開発の専門家が、新入局員なんかに……ん?)
歩きながらそんなことを考えていた黒江だが、ふとすれ違った見覚えのある顔に気付いて、思考をストップする。
たった今、自分と反対方向に歩いて行ったのは、昨日入局式で隣に座っていたーーそう、兼村洋子だ。
あ、と黒江は頭を抱えた。
そういえば、あの班から自分が抜けるということは、葵が兼村と二人になることを意味する。兼村は昨日、葵を男子用トイレに閉じ込めていた張本人だ。
(大丈夫か……?いや、白石班長もいるんだし、流石にそんなところで何かしてくることはないか)
あの班長は気難しそうな人だったが、だからこそ個人的な攻撃を容認はしないはずだ。
とりあえず、この午前中の行程までは大丈夫なはずだ。黒江はそう結論づけ、ちょうど到着したエレベーターに乗り込んだ。
*
化物退治本局の五階から十階は、研究室フロアになっている。化物と戦うための武器、装備の研究・開発に二十四時間体制で務めているのだ。
そして、その中でも五階のフロアは、化物退治内でも特に実績のある研究者が働く、個人研究室の集まりだ。主任研究者である「ヒラタさん」は、ここに自分の研究室を持っているらしい。
(エレベーターを降りて、まっすぐ進んだ突き当り……ここか)
黒江は、通行証を確認した警備員(もちろん女性だった)に見送られ、廊下を歩き切ったところだった。
眼前には、いかにも近未来的な、重厚な鉄の自動ドアがそびえ立っていた。こんな扉が趣味の研究者とは、いったいどんな変人だろうか。
ともかく、黒江はさっさとその主任に会うことに決め、自動ドアの横についたインターホンを押した。
『……あー、はいはい?ピピ……黒江亮くんかな?今鍵開けるから、そのまま…ガガ……入って』
スピーカーから響いて来たのは、やけにノイズの多い音声だった。しかも声を、テレビのインタビューでよく聞くような機械音声に変えている。
たかがインターホンで話すのに、いったい何をやっているのか。黒江は肩を落とした。
と、そこで、ウィイイン……と無駄に響く電子音を奏で、目の前の扉が開いた。
黒江は「失礼します」と頭を下げながら、その先に進む。
「——やあやあ。君が黒江くんか。初めまして」
黒江を出迎えたのは、やけに大量のモニターの前に設置された椅子に座っている優男だった——優男?
「お、男……?」
「はい、男ですよ。いやあ、君ここに入局して驚いたろ。本当に女しかいないんだもんね」
黒江の目の前で快活に喋っているのは、間違いなく男だ。
髪は伸びて肩までかかっているし、声もやや高い。その上結構な美形だが、しかしその丸みのない体型と、無精髭は男性の印だろう。
「初めまして。僕はファルマ・ヒラタ。この化物退治の、研究室主任だ。よろしく、黒江くん」
黒江の衝撃をよそに、男は——ヒラタ主任は、そう自己紹介を済ませた。
そこで我に帰った黒江は、
「ああ、あの、昨日入局しました、黒江亮です」
と、焦り気味に挨拶をする。
「それで、その……自分は、なぜここに呼ばれたんでしょうか」
「かたっ苦しい話し方するね。まあいいか、新人さんなんだし」
ヒラタ主任はそう言って微笑む。黒江の「かたっ苦しい」様子とは対照に、彼は普通じゃないというレベルで砕けた態度だった。
「いやね。君も見ただろうけど、ここには女性しかいない。もう肩身が狭いのなんのって……そんな時に、話を聞いたのさ。なんと今年の新入局員に、一人男の子がいる!って。居ても立っても居られなくって、色々話してみたかったし。それで、班長の白石ちゃんにお願いして、呼び出してもらったわけ」
「……はあ……」
よく分からないが、それはおそらく、職権乱用なんじゃないだろうか。
要は、久々に同性の同僚が現れたから、仲良くなりたかった、と。黒江は無意識のうちに、ジト目でヒラタ主任を見ていた。
「その……自分は今日、武器装備の説明を受ける予定だったはずなんですが。それは、どうすればいいんでしょう」
「ああ、心配ないよ。それに関しちゃ、主任研究員の僕が直々に教授するから。この際だ、分からないこと全部聞きなよ」
これには流石に黒江も呆れた。確かに、ヒラタ主任に教わるならば、対化物用装備の知識に関して、他に遅れをとることは無いだろうが……しかし、班員との交流だとか、それ以前に局内の規律だとか、立場的にもう少し気にするべきではないだろうか。
しかし、少なくとも実質的なカリキュラムに害は与えないだろうということまで計算して、この人は自分をこの時間に呼び出したのだろうか。だとしたら、どれだけ同性に飢えているのだろうか……いや、この言い方は誤解を招くが。
「えっと……それじゃあ。ヒラタ主任は、二次検査を通ったんですか?ここに勤めてるってことは」
黒江はとりあえず、手っ取り早い疑問を口にする。するとヒラタ主任は、
「ん?いやいや、僕は一次検査しか通ってないよ。実戦は無理だしね。八年前くらいまでは、某大学の研究室で働いてたんだけど」
「それがどうして……」
「いや、ひょんなことでクビになっちゃって。それを清美さんに拾ってもらったんだよね。ラッキーだったよ……って」
ヒラタ主任は、そこまで一口に喋って、それから不思議そうな顔をした。
「そんなことが聞きたいのかい?他に化物とか魔力とかについて、不思議に思ってることとか無いの?」
この人は、なんだろう。自分の職業の話題が大好きなんだろうか。
この数分間でのイメージでも、黒江は彼のことを「昼夜問わず研究室にこもってそう」な人として認識していた。
「聞きたいこと……えっと……ああ、そうだ。それじゃあ一つ」
「なんだい?なんでも答えるよ?」
自信満々にヒラタ主任はそう言った。丁度いいことに、事前学科の時からよく分かっていなかったことがあったので、黒江もこの質問の答えを聞けることには多少乗り気ではあったが。
「いまだによく分からないんですけど……なんで二次検査って、女性しか通らないんです?」
「……へえ。核心突く質問をしてくるね」
ヒラタ主任の目が、光った——ような気がした。
良い質問、というか、回答者としてのヒラタ主任のニーズに合致した質問だったらしい——「核心をつく」というのは要するに、答えがいというか、話がいがあるということなのだろう。
話は長くなりそうだったが。しかしそこは、ついさっきまで双葉から嫌われまくって来た黒江である。
素直に、局内に好感度の高い人間がいたことに安心していた。
「そうだねえ。その質問に答えるんなら、回り回って本当に色々と説明しなきゃいけないな。ちなみに君、事前学科の講義はちゃんと聞いてた?」
「それは……その、正直あまり」
「だよね。なんとなくそんなタイプかなって思ってた。それじゃ、僕が最初から教えてあげよう」
そう言って、ヒラタ主任は説明を始めた。
世界観が未だによく理解できていないであろう皆様には朗報、つまりはこの世界の、細かい説明である——長ったらしくはなるが、そこは堪えてぜひともご静聴願いたい。
*
「今から40年前の1977年。この地球上に化物が出現した。
「それから魔力というモノもね。
「この二つは、それまでの人類史には全く見られなかったものだった。
「そりゃあ大変だったらしいよ?なんでも、日本だけで、『化物出現』初日には万を超える人が犠牲になったらしい。
「それでね、その化物と魔力なんだけど、40年前の学者たちはこいつらの正体を知ろうと躍起になったわけだ。
「彼らの奮闘のおかげで、僕らは現在、断片的にだけど化物の正体を知ることが出来ている。
「わかりやすく説明しよう。
「シマウマとライオンの話は知ってるかな?
「あるところに、シマウマが大好きな王様がいました。
「しかしある時、王様はライオンがシマウマを食べるのを見てしまいます。
「怒った王様は、部下たちに命令を出しました。『草原中のライオンを一匹残らずぶっ殺せ』——極端な話だけど、例え話だからね。小学生に説明するような話だから、単純なのはご愛嬌というものさ。
「ともかく、こうしてライオンたちは草原から消えちゃったわけだ。じゃあこの翌年、シマウマたちはどうなっていたと思う?
「ん?うん、正解だ。君、物知りだね。
「そう。シマウマは一年後、滅んでしまっていた。
「ライオンという天敵がいなくなったシマウマは、もうとにかく数が増えた。野生動物は性欲旺盛だからね。
「で、草原の草を、みんなであっという間に食べつくしてしまったわけだ。そりゃあ後に待ってるのは滅びへの道だけってわけ。
「と、こういう風に、自然界の動物には必ず数が増えすぎないように天敵が用意されている。シマウマにとってのライオンだ。
「つまり、数が増えすぎて滅びないようにする『安全装置』なんだよ。
「さて、ここで問題。人間にとっての安全装置って、なんだと思う?
「ご存知の通り、人間には天敵がいない。強いていうなら人間が天敵だけど、まあそんな哲学みたいなことはやめとこう。
「これがひと昔前までは、戦争とか疫病とかが、バランス良く人間の数を減らしてたんだけど……そうだな。
「その前に、安全装置について話しておこう。
「今話した『安全装置』はね、何か巨大な意思によってコントロールされているんだ。
「神様のようなものさ。地球上の生き物のバランスが崩れて、みんな共倒れなんてことにならないように、安全装置を使っている『意思』がある。
「地球の意思。『星の意思』だね。
「いやいや、僕が話しているのはオカルトなんかじゃない。この学説は、皮肉にも化物と魔力の存在によって裏付けされている。
「話を戻すけど、第二次世界大戦終結後、人間は『安全装置』を失った。
「数々の犠牲によって積み上げられた平和。血の流れない『冷戦』というシステム。さらには医療の進歩。
「もう人間の増殖を止めるものは、ほとんど無くなった。
「『星の意思』は大慌てだ。このままじゃ、人間の数が爆発的に増えて、バランスが崩れてしまう。
「しかしな。人間はとうに『星の意思』なんか超越しちまってたのさ。
「『星の意思』がどれだけ頑張っても、人間は進歩した技術と知恵を使って、緊急で用意された安全装置を突破していった。
「気づくのが遅かったんだね。人間は『星の意思』を超えて進化していた。
「で、『星の意思』はついに癇癪を起こした。文字通り容量突破した。
「今まで『星の意思』自身がバランスを取るために使ってきた安全装置を、完全に暴走させてしまったんだ。
「そんでもって、暴走した安全装置は大量のバグを生み出した。
「人間の数を減らすためだけに生まれる、歪な存在をこの地球上に出現させてしまった。
「それが化物の正体だ——君らはいわば、これから地球と戦うってことになるのかもね。