第2話 魔力
少し短めです。すみません。
午前八時、「化物退治」本局、二階講堂前から三列目。黒江と葵の二人は、指定された通りに、隣同士の席に着席していた。
「そっか、『くろえ』と『こむら』だもんな。登録順に並べば隣になるか」
化物退治には、基準をクリアした入局希望者が、毎年全国から集まってくる。そのあまりに多すぎる数を整理しやすくするため、基本的に新入局員の登録は名前順にされていた。
黒江ら含む新入局員は、希望する者は早ければ三月二十日から本局の居住フロアで生活を始められる。
黒江の場合はつい昨日からだった。
「しかし、俺は嫌に簡単に申請通ったけど……あれの選定基準って、魔力の強さだったりするのか?」
黒江は、隣に座る葵にさえ聞こえないような声で、そんなことを呟く。
いかに広大な建物の中でも、局員全てを養えるほどの部屋数は存在しない。その居住申請は、通常の場合、かなり高い倍率の競争になる。
しかし、黒江は新入の局員であるにも関わらず、すんなりと申請が許可されていた。
普通なら、何か裏がある不自然な話だ。
しかし黒江は、申請が通ったんだから、別に文句なんかつける必要もないと、楽観的な思考を貫いていた。
「で……そうこうしてるうちに、結構人が入ってきたな」
「あ……本当ですね」
黒江は後ろを振り向きながら、ぼんやりと呟く。
すでに講堂には、まばらに新入局員達が入ってきていた。彼女らは皆、化物退治の紋章が右肩に付けられている白い制服に身を包んでいる。
今のところ、この中で紺色の制服を着ているのは黒江だけだ。やっぱりか、と黒江はため息をついた。
「目立つよなあ、これ……」
事前に聞かされていた通り、らしい。こんなものは、居心地が悪い以外の何者でもなかった。
黒江はぼやきながら、ずり落ち始めたネックウォーマーの位置を直した。
「大体、おかしいだろ。国の一機関に、ほぼ女しか入れないなんて」
黒江は、この局の中では、いわば異物だった。
対化物に特化したこの機関には、実はほとんど女性局員しか存在しない。
というのも、国が定めた「化物と戦うに足る能力」という基準を、ほぼ女性しかクリア出来ないのである。黒江のようなのは、例外中の例外だ。
男性は基本的に、魔力の循環能力が低い。
「その辺どうなのかね。なあ、入局式で局長挨拶ってあったよな」
「え、はい。確か、ありましたね」
「とりあえず差別的発言は控えてもらいたいよなあ……局長って、あの人だろ。ホームページに載ってた、いかにもな感じの」
桜酒清美という名前だったはずだ。確か、白髪を腰まで伸ばした、丸眼鏡をかけた中年の女性だった。
あの、「いかにも」な局長が、異物の紛れ込んだ新入局員達を相手に、何を話してくれるのか、黒江は不安一杯だった。
*
八時三十分。予定表の上では、入局式開始の時刻である。
講堂内はもうすでに、全国から集まった新入局員たちで埋め尽くされていた。
化物退治は入局員の年齢を、中途入局を除いて十六歳と定めている。当然ここにいるのは、皆十代の、子供のようなものだ。入社式というよりは、入学式のような感じに近い。
おそらく、一年間の研修期間に関しては少なくとも、仕事というよりは学校に近いのだろう。
と、口にこそ出していなかったものの、黒江が頭の中で雑談レベルのことを考えていると、マイクの起動音が講堂のスピーカーから鳴り響いた。
「……この『キィイイン』って音、『静かにしなさい』の代替品に使われてるんじゃないだろうな」
どうも、先月の事前学科でも聞き覚えがある音だったため、黒江はそんなことを考えた。名目上の社会人相手に、「静かにしなさい」なんてことを言わずに済むように、マイクの音を合図にするシステム……まあ、良いこと考えられている。
『只今より、第39回、化物駆逐特殊局入局式を開始する。一同起立』
スピーカーから流れてきた、少し威圧的な声に従い、講堂内で席についていた全員が一斉に立ち上がる。
黒江と小村もそれに倣った。
『局長訓示。一同、礼』
まるで学校の朝礼だ、と黒江は苦笑する——実際に表情を変えはしなかったが。
しかし、確かに高校生ばかり集まった場所だが、これは狙ってやっているのだろうか。
それを考えれば、今のタイミングは、校長先生の話でも始まるタイミングだろうか。
化物退治局長の訓示。朝起きて間もないんだから、眠くなる話は勘弁願いたいが。
と、そうして黒江が他愛ない(というか、それこそ学生のような思考だった)を巡らせていると、講堂前面の裾から、一人の女性が歩き出て来る。
特殊局局長、桜酒清美。やはり写真で見たのと同じ、丸眼鏡をかけた麗人だ。
「さすが『女の園』の局長……美人」
黒江は呑気にそんなことを考える。とはいえこれは黒江に限った話ではなく、男ならば、いや女でも誰でも同じ感想を抱くだろう。
しかし、美人以上に彼女は、冷え切った表情を顔に貼り付けていた。そしてそのままに、その冷酷な眼光が想起させるままの、冷たい存在感を放っていた。
そして桜酒局長は、壇上中央で立ち止まり、拡声器も使わずに話し始めた。
「今から四十年前だ」
と。前置きともつかない語り始めは、一瞬で講堂中の空気を覆した。
「我々人類に、突如として共通の天敵が出現した」
その声を聞いて、黒江はひやりとしたものを感じる。
校長先生の朝礼なんて、俗な想像をしていたことが申し訳なくなってくるほどの、それは「壮絶」な声だ。
壮絶に冷たい。
冷たく、鋭い。
鋭く——威圧的だ。
十六歳の子供たちが寄せ集まった、この空間のたるんだ雰囲気を、桜酒局長はその声の威圧感を以って一瞬で矯正してみせたのだ。
あるいは、死に近いものを感じさせる声だった。
ここにいる私たちに、これからは死が付いて回るということを、いやでも分からせてくれるーーそんな、声。
「あの時、突如として人類の『害』が地球上に蔓延った。『化物』がだ。我々人類は一夜にして、その一夜だけで、その身に耐え難い試練を刻まれた」
桜酒局長は、そこまで言って、さらに眼光を鋭くし、
「だが、我々に与えられたのは決して試練のみではない。我々には試練を克服するための力を与えられた」
ここまで桜酒局長が話して、もう講堂内には、壇上の彼女から目をそらしている者は一人もいなかった。余所見などしている者は。
多分に漏れず、それは黒江と葵も同じことだった。
「それは既に、諸君らは知っているはずだ。諸君らは二度の魔力適性検査を通過し、ここにいる。我ら人類は四十年前、対抗手段を獲得した」
魔力、と呼ばれたそれは。
確かに、黒江たちがよく知るものだった。
星の意思による安全装置。世界の安定を確立するための抑止力。そして、人類の進化を阻害する巨大な「概念」だ。
「魔力は化物どもを討ち滅ぼすための唯一絶対の手段。化物を殺すためには、『魔力を武器として扱う技量』が必須となる。それ故に我が国では、二度の魔力能力選定を行っている」
桜酒局長は、握った右手を誇示するように前に出し、
「諸君らがクリアしてきた二つの試験を通過するのは、生まれながらに選ばれた才能を持つ者に限られる。諸君らは、生まれながらに化物を打ち倒す術を有した天才たちだ」
確かに、黒江ら新入局員が通ってきた魔力適性検査は、完全に生まれつきの「才能」を選定するものだった。
私立公立を問わず、全国の中学校で十五歳の男女全員に実施される、「魔力適性検査」。
そして、この一次検査を通った者にさらに実施される「魔力実運用適性検査」。
黒江たちは皆、この二つの基準をクリアして来ている。
まず一度目の「魔力適性検査」では、「魔力を武器として扱え得る人間」が選定される。この時点で、十人に一人ほどが残るのだが。
そして、この一次検査を通過した者は例外なく、魔力学科講義(通常事前学科)の受講を義務付けられる。
さらに、七日間の日程を終えると、「魔力実運用適性検査」を受けることになる。この検査は、「魔力を化物との戦闘に実運用可能なレベル」の人間が選定されていた。
そして、この基準をクリアした者が、希望により化物退治へと入局するのだ。
何よりも、この適性検査の特殊な要素は。
検査をクリアし、化物退治は入局できるのが、女性しかいないのである。
四十年前に人類全体に「魔力」という力が宿り、さらに限られた才能ではあるが、魔力を使い化物を倒すことの出来る者も現れた。
だがしかし、その才能はなぜ故か、ほぼ女性のみが優性的に持っているものだったのだ。
一次試験を通過する者の中には、大部分は女性であるものの、男性も含まれるのだが。しかしこの国の基準では、二次検査を通過できるのはほぼほぼ女性のみだった——今までは。
黒江が、日本では初の男性局員だ。
(なぁにがハーレムだよ……居心地悪いだけじゃねえか)
と、黒江は度々、愚痴に近い思考を繰り返しているが、その間にも桜酒局長の演説は続いていた。
「この化物退治の正式名称は『化物駆逐特殊局』だ」
と。桜酒局長は、言葉を続ける。
「『対策』でもなく、『排除』でもなく、いいか、我々は『駆逐機関』だ。化物相手には野放しも捕獲も許されない」
桜酒局長は、さらに語気を強めた。使い古された丸眼鏡を指でくいと抑え、
「化物どもを駆逐せよ。諸君らは選ばれた天才達だ、その力を以って化物どもを残さず掃滅しろ。諸君らの働きに期待する。以上だ」
桜酒局長は、そうして演説を締めくくった。後には拍手や歓声こそ起こらなかったものの、しかしその実、新入局員達の士気は高まっていただろう。
あれが化物退治局長、桜酒清美なのだ。
歴戦の将校にすら見える。あの人は、もしかすると生まれる時代を間違えているのかもしれない。
*
入局式はそのまま、予定通りの時間に終了した。
本日の業務はここまで、新入局員は自宅待機らしい。本格的な化物退治としての仕事は、明日から始まるという。
とはいえ、黒江たちはまだ研修段階だ。これから一年間は少なくとも、訓練生として局に従事することになる。
と、式の最後に聞かされた今後の予定を思い返しながら、黒江はふと隣を歩いている葵に目を向け、
「そういえば小村、俺の左隣に座ってたやつってお前の知り合いだったりする?」
「え……ど、どうしてですか」
「いやなんかさ、式の最中ずっと視線を感じてて。俺はあんな女知らないし、もしかしたら俺の向こうのお前を睨んでたのかな、と」
言った通り、ずっと悪意のある視線を受けていた。あれは恨みのこもった、といった方がいい気がする。
あの知りもしない女のせいで、式にはあまり集中できなかったのだから、気にもなる。もっとも、局長の演説だけは例外だったが。
「その……すみませんでした。確かにあの人は、私の知ってる人です」
「……なんであんなに恨まれてたんだよお前?」
「えっと、ですね。あの人がその……兼村さん、なんですけど」
兼村?と一瞬疑問符を浮かべ、そしてその直後に、黒江はああ、と納得した。
「あれだ。小村がさっき言ってた、お前をトイレに閉じ込めたやつ……」
「かにむら」、「くろえ」、「こむら」の順で並んでいたわけだ。全国には、か行の名字の適性者は、他にいなかったのかと黒江は思う。
しかしなるほど、目論見通りならトイレの中ですすり泣いているはずの小村が、無事に入局式に出席していたから、あんなに睨んでいたわけだ。
というか、もしかすると睨まれていたのは自分もなのかもしれない、と黒江は思った。
何しろ、トイレから謎の脱出を遂げた葵と、楽しげに雑談を交わしていた見知らぬ男というのが、兼村から見た黒江の立場だ。普通なら、「こいつが関わってる」と思うだろう。
「目つけられたかな……面倒くさい。関わらないようにしとこう」
「す、すみません……私のせいで」
「いや、小村のせいってのは違うだろ……ていうか、ああいうのは徹底的に無視しとけばそのうち絡んで来なくなるんじゃないのか」
「でも……その、黒江さんも、何かされたら……」
「大丈夫だって。つーかトイレに閉じ込められても自力で蹴破る」
と、そこまで話して黒江は、すでに自分が居住フロア直通エレベーターの前まで到着していることに気づいた。
もちろん、隣には葵がいるままである。
「あの、家帰らんの?」
「あ、いえ。私、ここの居住フロアに住ませてもらってるので」
これには黒江も驚いた。何しろ数少ない部屋を使う権利というのは、普通は申請してもそうそう手に入れることはできないものだ。
抽選か、それとも何か基準があるのかは知らないが、少なくとも入局式の段階で部屋持ち同士が知り合うというのは、かなり低い確率のはずだ。
「すごい偶然だな……」
黒江が一人そう呟いたのと、エレベーターが到着したのは同時のことだった。かくして、黒江と葵の二人は、もう少しの間行動を共にすることになった。
エレベーターはそのまま25階に到着し、そのまま二人は、同じ方向の廊下に歩いていく。
「まだ同じ方向なのか……」
「そう、みたいですね」
そしてさらに二人は、一つ二つ言葉を交わしながら、同じ方向に進んでいく。
終いに、黒江は廊下の最端の自室前に到着した。隣にはまだ葵がいる。
「お隣さんじゃねえか!」
「み、みたいですね……」
今朝、あの時間にチャイムを押しても返事が無かったわけが分かった。あの時間にはすでに、葵は兼村から、メールか何かでいじめの呼び出しを受けていたのだろう。
よく見れば、葵は髪もろくに整えていない。寝癖が跳ねている。おそらく、制服に着替えて部屋を出たのが、唯一出来た正しい判断なのだろう。
その兼村というやつは、女子をあの朝早くに叩き起こし、トイレに閉じ込めていたわけだ。
「本物のクソ野郎じゃねえか……野郎じゃないけど」
黒江は心の中でそう毒づいた。心の中で、と言っても少し声に出ていたかもしれないが。
しかし、関わり合いにならないようにしようと思ったし、葵にも「やめておけよ」くらいの軽い忠告はしたが、これは少しレベルが違う。
想像していたよりも、上の方にレベルが違った。実際に自殺者を出す類のものだ、これは。
何か、対策と大仰に表現するほどのことではないかもしれないけど、しておいた方がいい気がする。
一時間前に会ったばかりの女の子のために、乗り気で行動するというのは、どうも気恥ずかしいものだが。
「小村。メールアドレス交換しない?」
「………………、え」
「すごい間ですね?」
何も、そんなに衝撃を受けなくても良いだろうに。
「えっと、携帯持ってるよね?」
「あ、は、はい。えっと……」
黒江が一応そう確認すると、葵は慌てて自分の制服のポケットを探り出す。そして、ピカピカのスマホを取り出した。
それを確認して黒江は、自分のメールアドレス確認画面を葵に見せる。葵はせかせかと、アドレスの登録作業を始めた。
「えっと……その、ありがとうございます」
「……まあ、あれだ。どっかに閉じ込められたらメールしろ」
そう言ってから、黒江は気恥ずかしくなってきて、そそくさとスマホをポケットにしまった。
まあとりあえず、これで一人きりで孤立するなんてことは無いだろう。過激なクソ女に目をつけられた者同士、仲良くするに越したことはない。
というかそれ以前に、部屋が隣同士の同い年同士なんだから、メアド交換くらい良いだろう。
黒江は最終的に、そんな風に自分の考えをまとめ上げた。
「じゃあ、その、また明日か。隣人同士だし、付き合いも多くなるかもな」
「はい。その……よろしくお願いします」
葵はそう言いながらぺこりと頭を下げ、自分の部屋に戻っていった。
それを見送ってから、黒江も部屋に戻る。
ちなみにこの部屋は、オートロックのカード解錠式だ。何回か改装はあったらしいが、それにしてもバブル期に建てられたものがこの最新鋭というのは、すごいものだった。
ともかく、今日はもう何もないはずだ。明日の朝は、八時までに所定の——と。
そこまで黒江が考えたところで、ポケットにしまったばかりのスマホがバイブ音を出した。
電源をつけてみると、メールの通知が来ていた。
「あ、小村からか……って、ん?」
黒江はメールアプリを開き、すぐに訝しんだ。通知が二件来ていたからだ。
一件目は、差出人は見知らぬメールアドレスだが、件名の欄に「小村です」と表示されている。間違いなく、葵からのものだ。
しかしもう一件の方には、今の時間帯に送られるメールに心当たりはなかった。
「一体誰から……って、ああ。そういうことか」
メールの差出人は、「化物退治三十九期入局員連絡網」と表示されている。
ここに入局する前に、登録が義務付けられていた、化物退治の連絡用メールだ。おそらく明日のことだろう。
件名には、「訓練時の班員通達」と書かれている。
「班員……って、ああ、そういえば、三人班に分かれてやるなんてことを言ってたか」
入局式の最後に、そんなことを言われていた気がする。
黒江は特に心の準備もせずに、そのメールを開いた。
「……あっちゃー」
開いてすぐに、嘆きの声を上げた。メールの内容はこうだ。
〈第十三班 班員通達
兼村洋子
黒江亮
小村葵
以上三名、明日午前八時までに、講堂前に集合すること〉
考えうる限り、一番気を使う面子である。朝の吉兆なんてものはもはや、黒江は覚えていなかった。
ちなみに局長のイメージはcv榊原良子さん。
というかインテグラ様です。