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化物退治の黒一点  作者: オセロット
第1章 化物退治の黒一点
11/28

第11話 傷跡

 小村葵は、ゆっくりと階段を上っていく。


 あの炎の夜が終息し、十三班には待機命令が出されていた。その間は通常業務どころか、訓練場を使うことも出来ないが、まあそれで困ることはない。


 何しろ四人いる班員のうち、二人が入院しているのだ。


 屍人ゾンビに腕を千切られた兼村は言うまでもなく、長期的な入院を余儀無くされている。

 腕が、切断されていないとはいえ、千切れかけなのだ。「何針縫う」どころの話ではない。数週間は、左腕をピクリと動かすことさえ禁じられるはずだ。


 そして、双葉にも入院が必要だったらしい。

 考えてみれば、吸血鬼の腕力で血が出るほどに頭を殴られたのだ。入院の一つや二つ、慎重すぎると言われることはないだろう。


 ともかく、現在十三班で動けるのは葵と、そして黒江だけだ。


 あの夜から二日が経っていた。葵はその間、一度も黒江とは顔を合わせていない。


 黒江はあの夜、最後に意識を失ったが、それに関しては、医師にはただの疲労と判断されたらしい。なので、彼は医療機関に拘束されることはなかった。

 あの夜に、右半身を失っていた黒江は。しかしなんの治療も必要とされなかった。


 そして葵だが、他の二人に比べれば元気なものだった。顔や手に軽度の火傷を負っているだけで、ガーゼを貼っておけばじきに治るという。


 無事と言える状態で済んだのは、黒江と葵だけだったわけだが。しかし二人は一度も顔すら合わせていない。


 一度も、顔すら。

 葵はある用事で、一度出かけたのだが、黒江はそもそも部屋からも出ていないらしい。


 あの夜から二日が過ぎた。現在の時刻は午後九時三十八分。

 葵は階段を上っていく。手には小さめの紙袋を持っていた。


 黒江から突然メールが送られて来たのが、何分か前のことだ。


〈屋上に来てほしい。全部説明するから。〉


 メールの内容はそれだけだったが、葵には十分だった。


 ——そして。葵は階段を登り切り、そこにある扉を開ける。

 外には月明かりが見えた。星と、月と、それから街の灯りだけが見える。


「こんな時間に呼び出して悪かった」


 黒江はその屋上で、フェンスの上に片足で立っていた。

 下は奈落だ。地上五十階の屋上で、その下にいつ落ちるかも分からない体制で、黒江は葵を待っていた。


 葵は、そんな黒江に歩み寄る。


「黒江さん……その、久しぶり、です」


「久しぶり……ああ、久しぶりかな。今まで毎日顔合わせてたから。二日も空いたな、考えてみれば」


 そう喋る黒江の口元は、簡易な紙マスクで隠されていた。


 あの夜にネックウォーマーも燃えた。黒江にはもはや、あの簡素な紙切れしか、自分の口元を隠すものが無いのだ。

 当然ただの風邪用のマスクで、あの広範囲の傷跡が隠しきれるわけがない。頬や顎など、その所々は露わになっている。


「今更だけど、迷わなかったのか?屋上なんて、行く方法知らなかったろ」


五十階(最上階)まではエレベーターで来れましたけど……そこからは作業用の階段を使うんですね。ドアは鍵、かかってませんでしたけど」


「俺が開けたんだ。あの時と同じように蹴って開けた」


 黒江は、フェンスの上でくるくると、小躍りするように動きながら喋っている。


 今黒江は、化物退治(フリークスハント)の制服は着ていない。部屋着のようなトレーナーに、こんな長ズボンを履いた、普段着姿だ。

 

「……誰にも言わないでくれたな」


 黒江は、そう言って笑う。口元は見えないが、確かに微笑んだように葵には見えた。


「黒江さんが頼んだことを……破ったりしませんよ」


「……そうか。そりゃ良かった。なら、そのついでにもう一つの頼みごとも、聞いてくれよ」


 黒江はぼそりと呟き、片足でフェンスを蹴ってフェンスの上から降りた。


「話をしようか」


 黒江は、まっすぐ葵の目を見てそう続ける。目を見て、その瞳の中に入り込むような眼差しは、あの化け物さながらだ。


 化け物の魅力がある。化け物の、そして人間の眼差しだった。


「俺は人間じゃない」


「……はい」


「俺は人間じゃない。あの夜に見ただろうが、俺は——俺は吸血鬼だ。あそこにいた、あの糞みたいな化物フリークス同じものだ(・・・・・)


 黒江は、そう言いながら、口元を覆っていたマスクを外した。そしてそれを人差し指で回す。

 粗末なそれは、風に乗って夜空に飛んで行った。


「俺は今から、俺の全部をお前に話す。それで、その後にひとつだけ頼みごとをする」


「頼みごと……?」


「ああ。そして、もしお前がその頼みごとを聞いてくれなければ——」


 黒江はそこで一旦言葉を切り、そして眼差しを冷たいものにする。

 どこまでも、どこまでも冷たい、化け物なのか人なのかも分からないような——そんな、冷え切った目になった。


 冷たい眼差しのままに。黒江は次の言葉を、冷たく吐き出す。


「先に言っておくぞ。俺がこの、人の来ない屋上にわざわざお前を呼び出したのは、その時(・・・)に、お前をすぐに殺すためだ」


 それは冷え切っている。冷え切った言葉だ。

 冷え切った、黒江本人の魂さえも凍らせてしまいそうな、そんな言葉だ。


「俺の全部をお前に話す。嘘はつかない。だから、だから頼むから——その頼みごとを聞いてくれ」


 そうして、黒江は語り出す。それは、化け物と人間への、愛憎にまみれた彼自身そのものだった。







「俺は人間じゃない。

「俺は吸血鬼だ。あの夜、それは見たな。俺は爆弾で、右半身が吹っ飛んで——それが再生した。


「吸血鬼ってのがどういうものなのか、そもそもお前、知ってるか。


「作品だとか、伝説だとか映画だとか……それによって結構違ってくるんだけどな。今現在、『化物(フリークス)』としてこの世界に蔓延ってるタイプの吸血鬼に関しちゃ、意外とシンプルなもんだ。


「一つ。一振りで人間をボロ雑巾にせしめる腕力。

「二つ。太陽や銀十字がなければ、決して死ぬことがない不死性。

「三つ。人間の血を吸う——『食事』をするだけで、その数は鼠算式に増えていく。


「怪力、不死性、増殖力。とりあえずは、この辺が認知しておくべき吸血鬼の恐ろしさだな。


「俺にはそのうちの二つが備わってる。

「怪力と不死性の二つだ。


「あの時、小村が吸血鬼相手に時間稼ぎしてた時にな。俺はその上の階で、屍人(ゾンビ)の群れに突っ込んで、ひたすら弾を消費してた。

「毎回毎回、屍人(ゾンビ)の頭に銃を突きつけて殺してたって言ったよな。それを聞いて、お前どう思った?


「……ああ。そうだな、あの吸血鬼も言ってた。

「『人間業じゃない』。


「人間業じゃないさ、俺がやってたことは。お前が実際に、あの場で俺がやってたことを見てたんなら、もっとそう思っただろうよ。


「口で言うよりずっと激しく運動してたんだよ俺は。六発ごとにリロードしなきゃならない銃だからな、尋常じゃなかった。


「あれはいい運動だったよ。


「ああ、『いい運動』だ。ぶっちゃけると俺は、その程度にしか認識してなかった。

「何しろ、この規律ある人間社会の中じゃ、吸血鬼の腕力を活かす場なんてどこにもない。


「俺は吸血鬼の怪力を有してる。けどそれを持て余してるんだ。


「小村はストレスを発散するときには何をする?

「読書?ああ……そうか、本好きって言ってたな。まあ、趣味に走るのは実際、結構いい気分転換だ。

「俺も映画は好きだからな。嫌なことがあるとジュラシックパークを見る。


「けどそれは、俺にとっては気分転換だ。気分転換——気持ちを切り替えるっていうか、嫌な気持ちになるようなことからの逃避みたいなもんだろ。


「それは逃避であって、実を言うと『発散』出来てるわけじゃない。


「本当にストレスを発散したい時は、思い切り体を動かすようにしてる。思いっきり運動すんのが、まあストレスの発散になるんだ。俺はな。


「で、そうは言っても困るだろ。思い切り運動ったって、俺の場合はただ体を動かせばいいわけじゃない。

「全力で走るだとか、バッティングセンターに行くだとか……そんなんじゃ、駄目なんだ。


「駄目っていうか、それが出来れば良いんだけどな。

「例えば全力で走るって言ったって、俺が全力で走ったら、とんでもないことになる。吸血鬼の脚力を駆使したら、車に走って追いつくことだって出来るんだぞ。


「そんな運動能力をどこで発散すりゃ良いんだって話になる。だから俺は、もう随分と長い間、この体を持て余し続けてた。


「そこに現れたのが何十匹の屍人(ゾンビ)どもだ。頭をぶち抜かなきゃ死なない化け物の軍団が俺の前に現れた。


「不謹慎なのは分かってたけど、俺は結構テンションが上がってたんだ。久々に、全力で体を動かせるって思った。

「誰も見ていない空間で、『倒さなきゃならない』化け物が大量にいた。


「ああ、一応言っておくと、あの時『班長を助けに行く』って言ってたのは嘘じゃないぞ。俺がそういうテンションになったのは、小村が下に降りてからくらいのことだ。

「まあ、我を忘れたんだな。我を忘れて、どうせならこの危機的状況を楽しもうって思った。


「結局、あまり発散出来なかったんだけどな。


「ああ、出来なかったんだよ。

「正直がっかりしてた。いくら化け物って言ったって、所詮は出来損ないの死体の寄せ集めだったんだな、あいつらは。

「動きは鈍いし、数だけ多くて逆に面倒なだけだった。


「で、俺は苛々しながらさらに地下に降りたわけだ。

「武器も使い果たしてたから、今思うとそれが拍車をかけていた。あの吸血鬼が言ってたように、俺はあんな死体どもに弾を使い果たしていた。


「ともかく……俺はそうやって、吸血鬼の怪力を持て余したまま、あの吸血鬼と戦った。


「ところで、小村の目に見えたかは分からないけど、俺はその段階で——吸血鬼と戦い始めた段階じゃ、傷一つ負ってなかった。汚れはしていたけど、傷は一つもついてなかった。


「俺だって、流石にあんな狭いところでバタバタと乱闘してたんじゃかすり傷ぐらいは負う。増して、あそこはささくれやら飛び出した釘やらでボロッボロだったからな。

「そんな傷も、きちんと治ってた。屍人(ゾンビ)どもを殺して地下に降りるまでの間にな。


「不死性だよ。吸血鬼の不死性だ。吸血鬼の——不死者(ノスフェラトゥ)としての一面だ。


「吸血鬼の弱点は有名だろ。太陽の光に、十字架聖水、あとはニンニクやら銀やらだ。

「吸血鬼ってのは逆に言うと、それ以外は意味が無いんだ。首を切ろうが、AKで穴ぼこにしようが。


「ん?ああ、俺?


「そうだな。俺は別に太陽に焼かれたりはしない。それはお前も知ってると思う。

「俺は吸血鬼だ。けど、太陽の下で焼かれたりはしない。十字架を見ただけで発狂したりはしない。ニンニクの匂いを嗅いで気絶したりも。


「俺はまあ、眩しいのは嫌いだし。

「餃子も好きじゃ無いし。

「神様を信じたことも無いけど。


「でも、それで死にはしない。吸血鬼なのにだ。

「小村にもなんとなくは分かると思うけど、俺はただの吸血鬼ってわけじゃないんだよ。


「俺はただの化け物なんかじゃない。そんなのとは違う——もっと都合のいいもの(・・・・・・・)だ。

「俺は俺のことを、どこまでも都合のいい存在だと思ってる。


「怪力やら再生力やらは持ってんのに、その吸血鬼の弱点はほとんど克服してるんだからな。こんなに馬鹿みたいなやつはいないだろ。


「いや、分かってるんだ。試したからな。俺はもう、本当に馬鹿みたいにしか思えないような存在だった。

「試したからさ……自分の首にカッターの刃を押し込んでみたこともある。目ん玉に指突っ込んで、高いところから飛び降りたり……色々と。


「でも死ぬことはなかった。死ぬどころか、ますます自分の異常性を思い知るだけだ。

「これはさすがに試したことはないけど、俺は首を切り落とされるか、心臓に銀を打ち込まれない限り死なないんだと思う。


「え?ああ。いや、今はそんなことしてないよ。当たり前だろ。あの頃の、あの頃だけの話だ。

「一種の自殺志願者みたいなもんだったんだよ、その頃の俺は。


「最初に、自分が人とは違うって気付いたのは小学生の……何年の時だったかな。三か四、あたりだったと思う。そのせいなんだ。

「その前でも、俺は他の友達より体力があったし、不思議と怪我は——怪我って言っても、転んだ傷とかの話だけど。怪我の治りが早かった。


「けど、初めて『おかしい』とかじゃなく、『俺は異常なんだ』って気付いたのはその時だ。


「階段から落ちたんだよ。それも百段近くある石段から。

「近所にあった、小さい山の上の神社だかの階段だ。あそこを俺は、なんつーか、秘密基地みたいに思ってた。

「その石段から、俺は見事に転がり落ちたんだ。


「十歳だかの子供がだぞ?

「しかも、その神社の周りは人通りが異常に少なくてさ。子供が石段から転がり落ちても、まずすぐには救急車が呼ばれることはなかったと思う。


「そもそも落ちた時点で死んでてもおかしくなかったんだけどな……ともかく俺は、階段から転がり落ちて、そして目を覚ました。

「目を覚ましたら、腕があり得ない方向に曲がってた。


「もう見ただけで折れてるって分かったくらいに、あからさまだった。関節なんかとは全然関係ない場所が、直角に曲がってたんだからな。

「当然痛かったさ。痛くて痛くて、叫び声も上げられずに、俺はうずくまってた。


「骨折したことあるか?ありゃ本当に痛いぞ。痛いっていうか、重い。重さが辛いんだ。


「で……まあ、そうやって泣いてたんだが。泣いてたら、俺はふと、痛みが引いてくことに気付いたんだ。

「徐々に痛くなくなってきてた。

「それを不思議に思って、俺は折れた腕を恐る恐る見たんだけど……あれは、今でも覚えてる。


「べきべきと音を立てながら、曲がった腕が戻っていく最中だった。べきべきと……歪んで、形が変わって。

「それ見て、俺は——気持ち悪いって、そう思った。


「小村も見ただろ。あの吸血鬼がさ、俺が殴ったり踏んだりしたところを再生させてた。あれが、自分の腕で起こってたんだよ。

「おぞましかっただろ、あれは。


「人の体が、あり得ない速度で形を変えていくって様がどれだけ気色の悪いものか、お前はもう知ってるはずだ。


「しかもあれ、本人の意思とは全く関係ないんだ。俺自身は動かそうともしてないのに、勝手に体が——折れた腕が尋常じゃない動きをして、そんで『戻る』。


「それで俺は……まあ、恐ろしくなって家に帰ったな。もう泣いてもいなかった。痛みは完全に消えて、腕も元どおりだった。

「家に帰って、そのまま布団に入って頭を抱えて……まあ。


「怖かったよ。自分がもう、一体なん(・・)なのかまったく分からなくなって。


「ああ……いや、言わなかったよ。誰にも、その時のことは言わなかった。

「本当に誰にも言わなかったな。


「母さんにも言わなかった。母さんには何回も何回も、『何かあったの』って聞かれたけど、言えやしなかった。


「『あんたの息子は化け物だった』なんて、言えるわけなかった。


「えっと……ああ、しくった。

「いや、話す順番を間違えた気がする。まず母さんのことから話すべきだったな。


「俺の母さん——黒江霧香(くろえきりか)って言うんだが。

「彼女は普通の人間だ。吸血鬼の母親でも、彼女は普通の人間だった。


「ただ彼女は普通の人間だったんだが、二十年前に両親を化物(フリークス)に殺されていた。


「俺には祖父祖母がいない。一人もだ。

「俺が生まれる前に、二人とも化物(フリークス)に殺されたんだ。俺の生まれる二年前だから、正確には十八年前になるのか。


「それで……いや、そんな顔をするなよ。別に俺にとっては、顔も知らない先祖が、ちょっと酷い死に方をしてたってだけの話なんだから。

「今俺が話してんのは、俺の母さんの物語だ。


「まあ、俺にとっては顔も知らないじいちゃんばあちゃんだったけど……母さんにとっては、その二人は、大切な両親だった。

「その両親が、目の前で殺された。内臓を穿り出されてたらしい。母さん自身は、化物退治(フリークスハント)にギリギリのところで助けられたらしいが……。


「それで母さんは、まあ心に深い傷を負った。

「殺人鬼に家族を殺される、なんてものじゃない。詳しくは知らないけど、母さんの家族を殺した化物フリークスは、特別異形のやつだったらしくてさ。

「おぞましい姿形の化け物に家族が惨殺される様を想像したらさ。その母さんが……うん。ああその通りだ。


「そうだ。もう完全に、塞ぎ込んじまったらしい、母さん。

「部屋からも出ずに、一日中ただただ水だけ飲んで過ごしてたって。何日も何日も、水だけ飲んで、寝て起きて過ごしてたんだってな。


「で、ぶっ倒れたところを病院に運ばれた。


「まあそりゃあそうなるさ。そんな生活してたら倒れるに決まってる。隣に住んでた人が見つけてくれたらしいから良かったけどさ。


「それで、母さんは入院することになった。精神病院みたいな場所で、休養生活を送ることになったんだと。

「そうだな。実際、そんなことで癒えるような、生半可な傷じゃあなかったらしいよ。そのままだったら、心に伴って体も弱っていって……まあ、すぐに衰弱死しちまうだろうって。そんな状態だったらしい。


「俺が生まれる二年前……要は、母さんが妊娠する一年くらい前か。その頃には、まだ母さんはそんな状態だった。


「そんな母さんを救ったのは何かっていうと、まあ在り来たりなんだが、恋だった。


「恋だよコイ。愛情ってやつだ。俺にはよう分からんけど、それで救われたらしい。

「同じくその病棟で療養生活を送ってた、一人の男と恋に落ちた。


「その男は、記憶喪失だった。自分のことも周りのことも、何も覚えてなかった。

「社会的に必要なことも忘れてたから、それをなんとかするために病棟に入ってたらしい。


「家族を忘れた男と。

「家族を亡くした女。


「下手な優しいやつなんかよりも、よっぽどお似合いだったのかもな。そうして二人は恋に落ち、お互いを支え合っていた。

「母さんはその男に、社会に出るのに必要なことを献身的に教えたらしい。

「んで、その男は……何をしてくれたのかは知らん。


「俺が話してるのは、あくまで母さんの昔話だから、分かることと分からないことがあるんだよ。今話してんのは、たまたま見つけ出した母さんの昔の日記に書いてあったことだ。


「で、ともかく。

「二人は恋に落ち、互いに互いを支え合い、愛を深めていった。


「言葉足らずなのは勘弁してくれ。俺は恋愛なんか知らないし、そもそも俺の体験談でも無いんだし。

「恋愛小説じゃ無いんだからな。


「話を戻すと、二人はそうやって愛を深めていって——そして結ばれた。

「結婚したかは分からない。要は籍を入れてたのかは、俺は知らないんだが、それでも二人は結ばれたんだ。

「二人が結ばれたっていう、確かな証がこの世に出現した。母さんのお腹の中にな。


「つまり俺だ。

「母さんが妊娠したんだよ。丁度、二人が知り合って一年くらい経った頃の話らしい。


「その男は、真顔でこんなことを言うやつだったらしい。


『僕は自分のことを知らない』


『僕は自分のことも家族のことも何も知らない』


『この世で何も知らないんだ。僕のことを知ってる人も、探さなきゃ見つからない』


『でも』


『何もしなくても僕は君を知ってる』


『君のことを知っているから、僕は僕でいれるような気がする』


「安っぽいメロドラマだ。日記に書かれてたのはそれだけだったから、ただそれを読んだ俺にはそう思えた。

「でもまあ、母さんにはそれが良かったんだろうな。


「ともかくそうして、母さんは子供を授かった。そんで授かった子供を母さんは、心から慈しんだらしい。その男と一緒にな。

「毎日が幸せに包まれてたってさ。


「ん?いや、これは別に母さんから聞いた話じゃない。

「さっき言ったろ、日記を読んだんだって。

「母さんの部屋から古ぼけた日記を見つけたんだよ。俺が今話してんのは全部、その日記に書かれてたことだ。


「それで……いや、ここからは、日記には書かれてなかったことだけど。


「こっから俺が話すことは、日記に書かれてたことじゃ無い。

「確かに残る文字で綴られた物語じゃなくなる。


「一回だけ、酷く酔った母さんが俺に話してくれたことなんだ。だから、曖昧な話になるし……『今思えばこうだったんだな』って俺の主観も入る。

「でも聞いてくれ。


「幸せに包まれていた母さんは、十ヶ月後に元気な赤ちゃんを産んだ。

「つまり俺を産んだ。


「母さんは幸福の中にいた。そこは、多分人生で一番幸福な時期だったんだろうな。


「それで——その子供を産んで。俺を産んで、その男にも祝福されて。


「それで終われば良かったけど、そうはいかなかったんだ。


「出産が終わって数日経ったある日の夜に、母さんはその男に呼び出された。

「『大事な話がある』って、電話の向こうで真剣な声でそう言っていたらしい。母さんは病室を抜け出して、呼び出された場所——病院の中庭だったらしいが。そこに行った。


「そこに男は立っていた。


「母さんはその時に、その時点で怪訝には思ったらしい。そりゃそうだよな。話をするって言うなら、病室で話せばいい話なんだから……でも。

「母さんは言われた通りに、言われた場所に行った。


「母さんは、その男を心から信じてたんだろう。家族を化物(フリークス)に殺されて、緩やかに死を待つような自分を救ってくれたのが、他でもないその男だったんだからな。

「『化物(フリークス)への憎しみにまみれた人生』から自分を引っ張り上げてくれたのが、その男だったんだ。


「その男のおかげで、家族を失った悲しみとも向き合えたし。

化物(フリークス)への憎しみからも解放されて生きることが出来た。


「信じてたんだよーー『幸せな日々』ってやつを。

「自分の幸せを信じてたんだ。


「……信じてた、んだろうけど。


「……。悪い。ここからは本当、俺にも話し辛いんだ。

「俺も……話すのが辛い。そんなことを今から話す。


「いや、そうはいかないよ。小村には全部話して、それで納得してもらいたい。

「聞きたくないと言われても、これは聞いてもらわなくちゃ——俺の頼みごとが出来ない。


「……。

「酔った母さんの口から、昔に一回だけ聞いた話だから……正直意味不明な話になる。


「母さんは男のもとへ駆け寄った。そして、『何の用事なの?』って聞いた。

「でも、男はそれには答えずに、ただ笑っていたらしい。


「男は突然自分の胸に抱きつく母さんを突き放した。


「そして、話し出したんだ。



『君に聞いてもらいたいことがある』


『僕はね』


『実は僕じゃないんだ』


『僕は実は、僕じゃなくて(・・・・・・)私なんだよ(・・・・・)


『お前には理解できないだろうが。お前の信じる『僕』などどこにもいないんだよ』


『私は今日お前に、別れと……それから礼を言いに来た』


『お別れだよ。そしてありがとう』


『この二年間、私の実験に付き合ってくれてありがとう』



「……は。何を言ってんのか分からないだろ、小村。

「俺にも分からなかった。

「母さんにも自分が愛した男が何を言ってるのか、まるで分からなかったらしい。


「そんな母さんを見て、男は——いや。そいつ(・・・)は、高笑いをしだした。

「高笑いをして、そして——姿を変え始めたんだ。


「体から、服からも黒い霧のようなものを出し始めた。そして、ものの数秒で全くの別人みたいに変身したらしい。


「短く切りそろえられてた髪は、肩より下に伸びた長髪に。

「優しい、温和そうだった目は、細い細いつり目に。

「甘い言葉を吐き出したその口には、鋭く尖った犬歯が生えた。

「そして、今まで着ていた服は消えてーー赤い、マントのような、英国のコートみたいな、そんなのに身を包んでいた。


「そうやって母さんの前で姿を変えた、そいつは話を続けた。



『見たか。見たな、人間』


『お前の目の前で起こったことが、私の正体だ』


『お前が信じていた私は、これが私なんだよ(・・・・・・・・)


『まだ理解できないか?ふん、そうだろうな』


『なら分かりやすく言ってやろう』


『私は人間ではない』


『私は化物(フリークス)だ』


『私は——吸血鬼、と呼ばれるものだ』


『お前が愛した人間などどこにもいなかったんだよ。それが現実なんだ』


『お前が愛していたのは、全て私が姿を変えただけの存在だ』


『私という化け物を』

『お前は愛していたのさ』


『そう悲観に暮れるな。いや、まだ現実が理解できていないだけか?』


『ならばいい。ならばそれでも、別に良かろうよ』


『私は言うことを言って去るだけだ』


『さっきも言ったかな。私の実験に協力してくれてありがとう』


『私の無限の好奇心を、僅かに満たしてくれてありがとう、人間』


『そう。実験だとも』


『実験とはつまりそうだ。お前と過ごした、二年間の日々のことだよ』


『化け物である私が人間であるお前と共に過ごしたな』


『そして交わり。子が生まれた』


『それが実験そのものだ。それが、実験の結果だよ』


『化け物と人間は交わることが出来た。そして私の能力だけでも、人間を騙し通すことなど簡単だった』


『私はなぁ、人間』


『知りたかったんだよ。退屈だったから色々なことが知りたかったんだ』


『私の好奇心を満たしたくてね』


『今回の好奇心は、『人間と化け物の子は生まれるのか?』というものだった』


『二年かけて解き明かすに相応しい問題だったよ。この二年間はとっても楽しかった』


『人間の娯楽も楽しかったしな』


『ありがとう人間よ。私の実験に協力してくれて』


お礼(・・)の代わりだ。お前の命はお前のものにしてやるさ』


『それからお前の子も』


『お前の子供はお前のものにしてやろう』


『お前の子供は、お前の好きにすればいい。実験の副産物として持ち帰るのも良いが、私ならすぐに殺してしまいそうだ』


『お前の好きにするが良いさ』


『さて、それではさよならだ』


『もう一度言っておこうか?何度言っても足りないほど、私はこの実験に満足しているからな』


『ありがとう人間。そしてさようなら』



「……ああ。意味がわからないだろうさ。


「俺にも意味が分からなかったし、母さんにも分からなかった。


「ただ、母さんが愛した男はその日から姿を消した。どこにも、居場所も痕跡すらも失くなっていたんだと。


「結局、その男に関しちゃただの『失踪事件』で処理されたらしいよ。多分検索すれば出てくるな。普通の刑事事件として片付いた。

「その夜の、馬鹿みたいな出来事を知ってるのは母さんだけになったんだ。母さんと、それから母さんの話を聞いた俺。


「何が起こって、何を話されたのか、母さんには理解できなかった。

「でも、時間が経って——ようやく、一つの単純なことは理解できたらしい。


「母さんは、化物(フリークス)に騙されてたんだよ。


「二年間、どこにも存在しない、化け物が作り出した虚像にすがって生きてたんだ。終いには化け物の子供まで、お腹を痛めて産んだ。

「憎い、憎くてたまらない、家族の仇である『化物(フリークス)』の子供をな。


「時間が経って、そのことを理解したんだ、母さんは。

「そして、それを完全に理解して……母さんは、ベビーベッドに眠る赤ん坊の前に足を運んだ。


「目の前の子供は、愛の副産物なんかじゃなかった。化け物に自分が翻弄された証になっていたんだな。


「そして、母さんは凶行に走った。

「狂ったような行動に出た。


「母さんは、生まれて数ヶ月も経たない赤ん坊の顔を——ライターで炙っちまったんだ」

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