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化物退治の黒一点  作者: オセロット
第1章 化物退治の黒一点
10/28

第10話 化け物の狭間で

 吸血鬼とは、最も有名な「化け物」だ。

 最もポピュラーで、最も強力で、そして最も人々に恐れられた、正真正銘の化け物。


 今日にある吸血鬼というもののイメージが、広く認知されるようになった始まりは、19世紀、ブラム・ストーカーの恐怖小説「吸血鬼ドラキュラ」だろう。


 もともと「ドラキュラ」とは、吸血鬼(ヴァンパイア)を意味する言葉ではない。あくまで、登場人物の固有名詞だ。

 しかし、現代で「吸血鬼」という単語にルビが振られるのならば、ヴァンパイアやノスフェラトゥと並ぶのが——下手をすればそれ以上に使われるのが「ドラキュラ」という言葉だ。


「鷲を思わせる精悍な顔つきで。」

「口髭を生やし。」

「肌とは不釣り合いな毒々しく赤い唇に尖った犬歯が覗いている。」

 

 今日にある「ドラキュラ」のイメージはそれだ。ドラキュラという、あのマントを羽織った「黒い男爵」のイメージは、その一節が形作ったものだった。


 そして、目の前にいるこの吸血鬼は、まさにそのような姿をしている。鷲のような顔に、口髭を生やし、そして赤い唇に犬歯を覗かせている。


「お前ら吸血鬼が恐ろしいのは」


 黒江は、全力で足を動かしながら話す。すでに、戦いが始まってから一瞬で、この勝負は「捕まるか否か」の勝負になっていた。


 理由は一つ。「吸血鬼に物理的に捕まることは、死を意味する」からである。


「お前ら吸血鬼の恐ろしさの一つ目は、その馬鹿みてえな力だ」


 黒江は、そう喋りながらも、全力で全身を駆使し、吸血鬼の拳を、掌を、蹴りを避けていく。

 逃げの一手に回っている黒江のその様を見て、吸血鬼は笑いながら——嘲笑いながら、叫んだ。


「小僧!何を逃げてばかりいる!俺を殺すんだろう⁉︎」


「お前の、化け物みてえな怪力を警戒してやってるんだよ!」


 黒江は、その挑発を軽くいなしていく。

 否、それだけではない。吸血鬼が繰り出す拳を、掌を、蹴りを、掴みを避けていった。

 身を捩り躱し、背を反らして避け、巧みに足の全ての感覚を使って逃げていく。


 しかしそれは決して、逃げの一手ではない。


「——お前らの恐ろしいところ、その二だ」


 言いながら黒江は、逃げに徹していたその動きを、突如反対の方向へと変える。

 即ち、黒江を捉えようと迫る吸血鬼の方向へと攻撃に動いた。


 逃げの一手と油断していた吸血鬼には、突然の反撃を防ぐ手立てはなかった。当然の帰結、黒江の拳は吸い込まれるように吸血鬼の頬へ近づき——そして。

 一撃として、その頬を打ち砕いた。


「お前らの不死性が、一番恐ろしい」


 確かな一撃を吸血鬼の顔面に叩き込みながらも、しかし黒江は、今までと全く同じ速度でその場から退避した。


 今までと同じだけの警戒を持って、その場から逃げた。たった今、吸血鬼は頬を殴られ、怯んでいるというのに——それはいわば、確かな「隙」だったのに。


 それでも、その場から脱出する必要がある。

 なぜなら彼は吸血鬼なのだから。


「今、のは……ちょっと驚いたぁ、な」


「……直で見ると本当、気持ち悪いな、それは」


 頬を打たれ、歯を砕かれた吸血鬼は、それでもにやりと笑った。

 ゆっくりと、殴られた衝撃で後ろの方向を向いた顔面を、正面に戻しながら——「戻しながら」、笑った。


「っ——!」


 地面に座り込み、その戦いを目でやっと追えていた葵は、その(・・)様相のあまりのおぞましさに、声を漏らす。


 吸血鬼の、殴られて擦り切れた皮膚が。腫れた顔が。まるで、体細胞が、体の組織そのものが「巻き戻されている」かのように戻っていく。

 歪んだ顔の形が、瞬く間に歪み、そして元の形へと「変わる」。


 それはおぞましさだった。生物としての、法則に外れたその様相が、まさに「おぞましさ」そのものだった。


「お前ら吸血鬼は」


 黒江は、そうやって再生を終えた吸血鬼を指差し、話す。


「一、素手で人間をボロ雑巾にする腕力。二、太陽や十字架が無ければ死なない不死性。この二つがあるから、恐ろしい」


「ふん……」


 吸血鬼は、その黒江の口上を笑い飛ばす。そしてまた嬉しそうに、今度は高笑いを始めた。


「恐ろしいか。俺が恐ろしいのか小僧!そうか、そうか恐ろしいか‼︎」


 化物(フリークス)としての本能だ。「人間への抑制」として生まれた彼らは、生まれついて人間を嫌い、憎み、蔑む傾向を持つ。

 

 人間に恐れられる(・・・・・・・・)ということが、化物(フリークス)にとっての至上の喜びだ。

 避けられない本能による、生まれ持って与えられた「役目」への歓喜だ。


 ——しかし。


「恐ろしい?何が」


 黒江は、その歓喜を否定する。


「……なんだと?」


「何が恐ろしいって?何を、俺が恐ろしいと言ったよ?」


 黒江はほくそ笑んだ。これはそう、この笑みが、嘲笑だ。

 人間が化け物に送る嘲笑だった。本来あるべき嘲笑を顔に貼り付け、黒江は話す。


「俺が恐ろしいと言ったのは吸血鬼だ。お前じゃねえよ——」


「何を……」


「俺が恐ろしいと、言ったのは」


 人間が化け物を恐ろしいと思うのは。

 化け物が、人間の敵そのものだからだ。化け物という言葉が、人間にとっては「敵」の代名詞だ。


 だからこそ、黒江は恐ろしくはない。黒江は吸血鬼を恐れない。

 「吸血鬼」は。黒江にとって、敵などではない。


「っ、なに⁉︎」


 その吸血鬼が、驚愕という声を上げる。葵はそのあからさまな感情が表現された声を聞き、目の前でもうすでに、黒江が動いていたことに気付いた。


 黒江は、今の今まで話していたその位置には立っていない。この戦いが始まった時と同じだ。彼は身体中を動かし、吸血鬼へと真っ直ぐに踏み込んでいた。

 最初と違うのは、その動きにあろうことか、吸血鬼が全く反応できていなかったことだ。


「——不死者の王(ノーライフキング)のことだ。真性の吸血鬼を恐ろしいって言ってるんだ——お前みたいな、ただの不死者ノスフェラトゥなんざ、目にも入らねえな」


「っ、が……⁉︎」


 黒江は吸血鬼の後ろに立っていた。吸血鬼の意識よりも完全に先行して、彼の意識の後ろ側を突いていた。


 あり得ない、と葵は思う。吸血鬼の意識の外を行くほどの素早い動きが、人間に出来るはずがない。「星の意思」によらない、概念ではない物理的な生物に、可能なはずがない。


 そしてその考えは、またしても吸血鬼が代弁した。


「あ……りえない。俺が……俺がなぜ、人間ごときの動きに、不意を突かれ——⁉︎」


人間ごとき(・・・・・)ってその言葉が、お前の化け物としての程度の低さだ」


 言いながら、黒江は後ろから素早く吸血鬼の首元に腕を回す。そして、全力を込めて、まるで本当に首自体を押しつぶそうというくらいの力を込め、締め上げた。


「く、がっ……!」


「お前みたいな、動きも力も大したことのない雑魚はなっ——!」


 そうやって声に力を入れながら、黒江は吸血鬼の首を絞める自分の腕に、万力のような力を込めた。

 これ以上無いほどに。これ以上、どうやっても力など入らないくらいに、締めて——そして。


 ゴキン、と。そう音がした。


「——力任せに、動きを封じるに限るんだよ」


 黒江はそう言いながら、吸血鬼を見下ろす。直立姿勢を保つ力をもはや失い、吸血鬼は膝から地面に崩れ落ちていた。


 それも当然のことで、何しろ首を根本から、粉々に締め潰されているのだ。


「……やっ、た……?」


「いや、やってない」


 葵の安堵の声を、しかし黒江は即座に否定する。


「こいつは屍人(ゾンビ)とは違う。正真正銘の化物(フリークス)は、魔力(マナ)が無きゃ殺せないだろ。これは、ただ一時的に動きを封じただけだ」


 化物(フリークス)を殺すには、絶対に魔力(マナ)が必要だ。


 例えば吸血鬼には、太陽の下で歩けない、十字架に弱いことや、ニンニクが嫌いだとか、弱点と言えるものは結構ある。

 しかし、弱点はあくまで弱点でしか無い。ただの「弱い点」に過ぎない。


 太陽の光で吸血鬼を焼いたとしても、その燃えカスに魔力(マナ)を流して消滅させない限り、化物(フリークス)はすぐに生き返る。


「一時、的にって……じゃあ、どうするんですか?」


 葵は、この状況で安堵などできないことを知り、不安の声を出す。黒江は、首を無理矢理にへし折ったこの化け物が、また動き出すと言うのだ。


 ——そして。黒江の言った通りに、化け物は動き出す。

 レントゲンを見るまでもなく、吸血鬼の首の骨は完全に粉砕されていただろう。しかし、その首からは今さらに、異様な、「バキボキ」という破壊音のようなものが鳴り出していた。


「見ろ。多分今、粉々になった首の骨やら脊椎やらが、無理矢理元の形に戻ろうとしてんだ」


 元のようにこの吸血鬼が言葉を喋り、歩き出すには十秒ほどはかかるだろうが、そんなものはすぐだ。葵は、「ひっ」と声を出した。


 その泣きそうな顔を見て、黒江は「いや」と笑いかける。


「心配はいらねえよ。こうなっちまえばもう終わりだ」


「終わりって……でも、その化け物は蘇っちゃうんじゃ!」


「蘇っても意味がないようにするんだ。こうやって」


 そう言って、黒江はおもむろに片足を上げる。その下では、活力を取り戻しつつある吸血鬼の右足が、ぴくりぴくりと動き始めていた。


 それを見定め、黒江は次の瞬間、全力で足を振り下ろした。その圧力に従って、吸血鬼の右足——正確には、膝の少し上あたりだ。そこが、派手な音を立てて「壊れ」た。


「な……何を、黒江さん」


「意識が戻っても動かないようにしておくんだよ。こっちの足もだ——ふんっ」


 言いながら、黒江はまた片足を上げ、無事な左足にも同じことをした。しかもさらに、それを両足に交互に、何回か繰り返す。

 数秒で、吸血鬼の足は、見るも無残な形に変形していた。


「これで、吸血鬼の再生力でも数十秒は動けないだろ」


 吸血鬼の不死性(、、、)だ。

 太陽の光や銀銃弾シルバーバレットなどの例外はあるが、この化け物たちは、体に刻まれた傷をことごとく回復する。


 今のところ目の前の吸血鬼に関して言えば、仮死状態なものだから再生は止まっているが、しかし生き返ればすぐにまた、体は回復していく。


「トドメは刺せないからな……今のところは、これくらいしか出来ねえか」


 黒江は忌々しそうに、そう呟いた。

 黒江がここに降りてきた段階で、吸血鬼は葵の持っていた銃と警棒を粉々にしてしまっていた。あれがあったなら、今すぐにでも殺してしまえるのだが——と。


 そして、吸血鬼は目を開けた。


「っ、ぐ……」


「お目覚めか。見りゃわかるだろうが、お前はもう動けねえよ」


 意識が戻った吸血鬼に、黒江はそう語りかける。

 

 目覚めて吸血鬼は、すぐさま目の前の敵から離れようとした。しかし、自分の足がこれっぽっちも動かないことにすぐに気付く。

 結局吸血鬼は、腕だけを使ってずるように上体を起こしただけに留まる。そして、自分の砕かれた両足と、目の前の黒江を交互に見た。


「小僧が……貴様一体何だ(・・)。貴様一体何なんだ、え?」


 吸血鬼は、まるで呪い殺すような声で、しかし下品に口の端を歪めながらそう言う。呪い殺す、ような——恨みではなく、純粋な、子供が声を荒げて言い返すような、そんな意趣返しのようなものだった。


 自分をこんな有様にしてみせた、目の前の小僧(・・)への、中傷のようなものだ。


「……何、ってのはどういう意味だよ」


「ク、フフ!とぼけるなよ……」


 吸血鬼は嗤う。自分をここまでの様にした、目の前の敵への嘲笑を込めて、だ。


 嘲笑う。嘲笑い、軽蔑していた。足を砕かれ、地に伏せられなお、吸血鬼は目の前の「小僧」を軽蔑した。


「貴様人間じゃないだろう!貴様が人間なものか!吸血鬼を、この俺を丸腰で追い詰める人間などあってなるものか‼︎ええ⁉︎そうだろ小僧‼︎」


 あらん限りに口を開き、唾を飛ばしながら吸血鬼は叫んだ。笑いながら、馬鹿のように叫ぶその様は、まさに狂った化け物そのものだ。


 フリークス(狂信者)は、敗北してもなお人間を嘲笑おうとして——しかし。


「貴様は——っ、うぐ、ぉ」


「——黙れ‼︎」


 黒江はそれを許さない。動き続ける吸血鬼のその口の中に、何も容赦せずに、自分の靴先を突っ込んだ。


 唐突に口の中に押し込まれた巨大な異物に、吸血鬼は喋るのをやめ、代わりに呻き声を漏らす。


「ふざけるな化け物、俺は人間だ‼︎俺はお前ら糞化物(フリークス)とは違う‼︎俺は人間だ(・・・・・)っ‼︎」


「ぅ、ぐ……!」


「いいから黙っていろ糞野郎。お前が喋っていいのは、今から俺が聞くことだけだ」


 黒江は吐き捨てるようにそう叫び、そして吸血鬼の口に突っ込んだ靴先を、思い切り上へ動かす。その動きに従って、吸血鬼は顎をがくん、と跳ね上がった。


 そうして自分の口の中から、やっと異物が取り除かれた吸血鬼は、何度も咳き込んだ。


「く、げほっ……こ、の小僧が……!」


「うるせえぞ化物(フリークス)。その足が砕けて再生するまでの間に、聞くことに答えろ」


 黒江はそう言いながら、すでに足先を動かせるほどには再生していた吸血鬼の両足を、もう一度踏み砕く。吸血鬼は、意識のある時に初めて感じたその激痛に叫び声を上げた。


 こうして、再生する前にまた脚力を奪うのだ。トドメを刺さなくても、動きを止めておくことはできる。


 そして、黒江は尋問を開始した。


「聞くぞ化け物。お前は誰の命令でこんなことをやってる?お前にこんなことを命令したのは誰だ!」


「命令……だと。何を、根拠に……」


「とぼけてんなよ」


 黒江は、冷たい目で吸血鬼を見下ろした。


「お前みたいな野良の化物(フリークス)に、こんなことを考える知能があるのか、え?お前が今、この地下でやってたことを考えつくのは、簡単じゃねえぞ」


「……!」


屍人(ゾンビ)を使ってポルターガイストを装ったろ。そんで化物退治(フリークスハント)に通報が行くように仕向けた。何が目的なのか知らねえが、そんな手の込んだことをしてまで、お前は俺らみたいな新人をここにおびき寄せたんだ」


 全部仕組まれていたはずだと、黒江は考えていた。全て、偶然などではない。


 化物退治(フリークスハント)に来た通報は本物のはずだ。

 黒江たちがここに到着した時には、周辺の避難が行われていた。それはつまり、少なくとも警官か警備員かによって、「ポルターガイスト」という事実が確認されていたということを意味する。

 少なくとも彼らの目には、「ポルターガイスト」が映ったのだ。


 おそらくは屍人(ゾンビ)を闇に潜ませ、あたりにある自転車などを動かしていたのだろう。


 タネを明かせば子供のいたずらのようだが、しかし化物(フリークス)というものが実在するこの世の中だ。実際にポルターガイストが起きているのか確認に来た警官たちは、ポルターガイストが起きていたと判断した。


 そして周辺の住民は避難し。

 通報により、黒江らが呼ばれた。


「お前か、お前の主人かは知ってたわけだ。化物の子(チャイルド)の対応には、新人かそれに近い局員が呼ばれるってことを」


 そうしてまんまと、新米兵四人は化物(フリークス)の巣に陥れられた。

 双葉は攫われ。兼村は腕をもがれ。そして葵は、戦意と武器を砕かれた。


「答えろ。お前は誰の命令でこんなことをした。お前の主人は誰だ!」


「ク……ふふ、はっ。知りたがりに教えることはないな……」


 そう言って、吸血鬼はちらりと、遠くでへたり込んでいる葵に目をやる。その目線に気付き、葵はびくりと肩を震わせた。


「『お嬢さん』には、なんだって教えてやるがな……男が知りたがっていることをわざわざ、教えてやる趣味なんざ無いよ。俺は女好きなんだ」


「……ああ、そうかよ」


 吸血鬼が示したその答えに、黒江は鼻を鳴らし、それからまた目の前で再生を始めている両足を砕く。


 再びの痛みに吸血鬼は悲鳴を上げた。黒江はその横を通り抜け、部屋の奥へと歩いていく。

 そこには、未だに気絶したまま横たわっている双葉がいた。


「白石班長、起きてください」


 黒江は双葉の肩を揺さぶりながら、そう呼びかける。しかし双葉は、「う」とか「あ」とか言うだけで、目を覚ますような様子はなかった。


 相当に強く殴られたらしい。黒江は、双葉の銀髪を赤く滲ませている後頭部の傷口を見て、嘆息した。


「武器も、やっぱり取られてるな……あのクソ化け物が。用心深さだけは一人前だ」


 双葉の腰元のベルトには、銃も警棒もなかった。おそらくは葵と同じように、攫われた時点で奪われていたのだろう。

 

 この場で吸血鬼にトドメを刺すことは、結局諦めるしかなかった。

 黒江は仕方がないと首を振り、それからぐったりする双葉の腕を自分の肩に回す。そして双葉の体を支え、立ち上がった。


 肩を貸す形だが、しかし今支えているのは双葉の全体重だ。黒江は僅かに顔をしかめながら、意識のない双葉を、とりあえずは葵が座り込んでいる場所まで運んだ。


「————」


 その様子を、葵は呆然と眺める。


 黒江と吸血鬼が戦いを始めてから、二分も経っていないはずだ。それなのに、自分が恐怖で立つことも出来なかった吸血鬼は、足を砕かれ、無様に倒れている。


「あと数分もすれば応援が来る。銃と警棒をちゃんと持った、頼りになる先輩方がな。お前の命もそこまでだよ」


 黒江はその敗者へ向かって、淡々と余命宣告を行った。鞭打つような行為、に入るのだろう。


 しかし。

 それを聞いた吸血鬼は、突然にくつくつと笑い出した。


「……何がおかしい?」


「ふん……貴様の勝ちだよ小僧。貴様、この化け物め。俺の完全な敗北だ。俺はお前の言う通り、もうすぐ死ぬさ」


 あくまでも、吸血鬼は陽気に話し続ける。陽気に、笑って——嗤って。嘲笑うような態度が、その吸血鬼に戻っている。

 不審に思い、黒江はもう一度首でも折っておこうかと、吸血鬼に近づいた。


「あの方は俺に命じた。『化物退治(フリークスハント)を無傷で人質にとれ』と——そしてもう一つだ」


「もう一つ……一体なんの話だ?何を喋ってる、お前」


「クフ、クハハハハ……」


 吸血鬼はなおのこと嗤う。確実にこいつは、敗北して倒れているというのにだ。

 その様は、イタチの最後っ屁とでもいうように、今まで吸血鬼が吐いてきた全ての言葉よりも不敵に感じられた——そして。


 吸血鬼は、吐き出す。己の命すらも、全て。


「あの方は俺に——『ただ死ぬな』と命じられた!」


 そう叫び、そして吸血鬼は無事な右腕で、自分の着ている真っ白なコートのボタンを引きちぎり、中身を晒け出した。

 中身を——それは、コートの中身ではなく。


 吸血鬼がやろうとしていることの中身だ。


「——っ‼︎」


 吸血鬼は自分の腹に、赤いランプが点滅する、手のひらサイズの機器を——危機を、縫い付けていた。

 肌に直接針を通し、その小さな火薬で、辺り一帯を焼け野原にするためのモノを、肌に縫い付けていた。


「爆弾——⁉︎」


「俺が人間の作ったものなんぞでバラバラになって、トドメを待つことになるのは気に入らんが……ク、ふ。敗者の望みなど叶わないか」


 黒江はこの吸血鬼に相対して、今初めて明確な焦燥と恐怖を感じていた。

 これはまずい(・・・・・・)、と。これは、これが爆発するのは、マズすぎる——と、そして。


 その目の前で、吸血鬼は爆弾をただの機械に保っている信管へと手を伸ばす。それさえ抜かれてしまえば、機械は途端に破壊そのものへと姿を変える——その管を。

 今、吸血鬼は掴み、そして躊躇いなく引いた。


「今完遂致します、我が主人よ(マイマスター)!」


「っ、小村——」


 化け物は、自分という敗残兵を亡き者にするために引き金を引き。

 そして黒江は、無事でいて欲しい仲間を庇いに、その身を盾にして葵に覆い被さった。


 刹那。地下の空間を、巨大な風と炎が——破壊そのものが包み込んだ。







 葵は、息もできないような粉塵に咳き込んだ。

 辺りでは、コンクリートに一時的に付着した炎が煌々と燃えていた。その灯りで、葵は自分らの状態を確認する。


 生きている。皮膚の所々に、ちりちりとした痛みを感じるが、それでも。

 吸血鬼がその身を犠牲にした、最後のまさしく特攻から、少なくとも葵は生き延びていた。


 そのことを把握して、それからすぐに葵は、隣で倒れている双葉を見た。

 彼女も無事だ。葵と同じようにススをかぶり、火傷を負ってはいるものの、目立った外傷は見えない。


「小、村……」


「……!黒江さん!」


 葵は、上から聞こえたその声に、慌てて顔を動かした。


 見上げると、そこはもう地下ではないことが分かる。爆発の衝撃で天井は吹っ飛び、太陽も沈んだ夜空が見えていた。


 ——そう、見えていた。黒江の向こう側に、その景色が見えていた。

 黒江の向こう側の景色を。本来見えないはずの景色を——見ては、見えてはならない景色を。


 自分たちを庇った黒江を見上げて、葵は息を呑む。


「く……ろえ、さん……」


「……あぁ。まずった(・・・・)、なあ……」


 黒江は途切れ途切れに言葉を吐く。吐き出した。


 葵から見て左側。右胸、右肩、そして右腕があるべきその場所には、何もない。

 何もなかった。何も、何もかもが、なくなっていた(・・・・・・・)


 黒江の上半身右側は、その半分以上が爆発で吹っ飛んで、失くなっていた。


「ぁ、あ……嘘……」


「無事、かよ。二人とも無事……か。はは……良かった」


「私、たち、より……!」


 葵の目から、今度こそ涙が溢れる。その涙は熱くなかった。ただの冷たい、絶望の涙だ。

 そして涙は、黒江の失くした部分から零れ落ちる血と混ざり、赤く染まっていく。


 チリチリと、黒江が身を包む化物退治(フリークスハント)の制服が燃える。今や黒江は、上半身裸に近い。

 そしてそれは、顔の下半分を覆っていたネックウォーマーも同じだった。あの火傷の跡が、炎によって暴かれていく。


 黒江は右半身を失って、まだ葵たちを庇うような姿勢を保っていた。血に濡れたからか、右目を閉じているが。

 しかしそれも終わりだ。右半身を、腕を、肩を、肺を、それら全てに通じる血管を失って生きることのできる人間が、果たしているものか。

 

 絶望で葵の視界が覆われる。絶望の涙で視界はかすみ、葵が見ているものは、歪な形の影と、それを照らす炎の明かりだけになった。


「……ああ」


 黒江はまだ言葉を吐き出す。


「まずったなあ……」


 そうして、体の一部分を丸ごと失くした黒江は、未だに言葉を吐き続けていた。

 葵はその言葉を、もはや意味も為さないはずのその言葉を聞く。耳で、ほかの音など拾わずに、黒江の声だけに耳を傾けた。


 ——そして、葵の目に溜まっていた涙が溢れ落ち、視界が晴れる。

 そこに映った光景を見て、黒江は今度こそ言葉を失った。


「まずった。本当に、失敗した……まさか、こんな所で正体晒す(・・・・・・・・・)ことになるなんて(・・・・・・・・)


 そう喋る黒江の右肩には——失くしたはずの右肩は。

 その右肩は、右腕というあるべきものを失ったその箇所を、蠢かせていた。


 燃えて、千切れ飛んだその腕が。その腕の断面が。まるで、体細胞が、体の組織そのものが「巻き戻されている」かのように戻っていく。

 歪み、途切れたその肩の先が、また歪み、形を変えていく。


 それは、吸血鬼が砕かれた頬や脚を再生させていた、あの様相とそっくりだった。


 炎に照らされたその様は、しかし。

 何故だか驚くほどに美しかったが。


「——小村」


「っ、ぁ……」


 自分に呼びかけるその声に、葵はびくりと反応する。

 黒江が、目の前のこの黒江が。目の前で、失った右半身を再生させていっている黒江が——小村葵に語りかける。


「お前との……この一ヶ月の付き合いを信頼して頼む」


 黒江は言葉を続けた。


「お前の目の前で起こってることを……数日のうちに必ず、必ず全部説明するから。だから」


「だ……から?」


「だから……お前が見ていることを誰にも言うな。絶対に、何があっても他言しないでくれ。それまでの間……」


 そこまで言って、黒江は失った全ての部分を、もう人差し指の先まで「戻して」いた。


 そして、黒江はその言葉を吐いて最後、燃え尽きたように倒れ込んだ。支えを失った黒江の体を、葵はその腕で受け止める。


 遠くでサイレンが聞こえた。ようやく、もはや遅いが、化物退治(フリークスハント)の応援が到着しようとしている。

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