ヒロインを辞めた後は~
目の前に立ちはだかる、いかにも高位貴族の婦人ですといった女性に、私はどうしていいのかわからず、視線をさ迷わせた。
ディビットにお願いしたところ、カプレーゼ公爵家の領地にある、領主館の下働きとして雇ってもらうことになった。
少しの間住む場所を世話してもらって、あとは自分で仕事と住居を探すつもりだったので、仕事まで斡旋してもらえて感謝したところ「その顔で、静かに暮らせる場所は限られているから」とため息をつかれた。
容姿を褒められているのは分かるのだが、なんかイラっとした。
王族や、その関係者が領主館を利用しない保証はないが、下働きなら目に付く場所に出ることもないだろうから安全だろうと、父親のカプレーゼ公爵に頼んで下働きに無理矢理採用してくれたらしい。
うん。…… 無理矢理ですか。
無理矢理って聞いたとき、ちょっと嫌な予感はしたんだけどね。
会ったことは無いけれど、公爵様には感謝です。
そんな経緯で、領主館の下働きとして働き始めて3ヶ月。
それでもどこか安心できなくて、顔を隠しながら仕事していたけれど、完全に隠すのは無理で、素顔を見られるのも仕方ないかと諦め始めた頃。
領主館に公爵夫人がやってきて、今…… 私の目の前で立ちはだかっています。
なんで?
いや、まぁね。素顔をみた男性の使用人仲間が、露骨に態度を変える中、女性の使用人仲間から嫌味の一つもなく、下働きに対して丁寧過ぎないかな? と首を傾げることもあったけれど……
なんか、それも関係しているのかな?
公爵夫人の白い綺麗な指先が伸びてきて、私の顎をクイッと持ち上げる。
そのまま、その指で、私の長い前髪を横に流して、顔をしっかり確認すると、深くため息を吐いた。
「旦那様も何を考えているのか。 至急、近くに別邸を用意しなさい」
何が始まったのかわからずにいる私に対して公爵夫人はにこりと微笑んだ。
うん。微笑んでるんだけどね、目が笑ってない……。
「不便をかけましたね。ですが、申し訳ないけれど、このまま領主館で生活させるわけにはまいりませんの。いますぐ別邸を用意させますから、そちらに移り住んでくださいな。使用人もこちらで手配しますわ。それに、ドレスも用意しなくてわね。とりあえず、私の若い時のものを、この子に出してちょうだい」
え? 別邸?? ドレス?? 意味が分からないことをポンポンと告げられ混乱する。
公爵夫人に聞きたいけれど、下働きが直接公爵夫人に話しかけて言い訳もなく、どうしようと迷っているなか、その爆弾発言は落とされた。
「いくら平民の女性だからといって、愛妾として囲うのに領主館の下働きとして雇ってごまかそうだなんて、旦那様も何を考えているのか。そんなことが他の貴族に知られたら、旦那様の愛妾を下働きとして使っていると笑われるのは私ですのに」
下働きが直接公爵夫人に話しかけるなんてという考えは、その瞬間どこかに飛んで行って、思わず叫んでしまった。
「私、公爵様の愛妾なんかじゃありません!!」
な…… なんて恐ろしい誤解! そんなことが切っ掛けで、王太子に私の存在がばれるとかいうシナリオの強制力!? などと慄いていると、公爵夫人は、瞳の色を和らげて首を傾げた。
「あら? でも旦那様が貴女を下働きとして雇うように命じたと報告が上がってきていますわよ?」
「デ、ディビット様に、下働きの仕事は斡旋してもらったん…… でございます」
私の言葉に、公爵夫人の背後に控えている侍女たちがざわつくのがわかる。
え? なに? なんかまずいこと言った??
「まぁ。旦那様じゃなくて、ディビットの愛妾だったのね。まったく、婚約者もいないというのに、9歳で愛妾を囲おうとするなんて、ディビットったら誰に似たのかしら? こんど、愛妾の囲い方を教えてあげなくてはいけませんね。下働きとして囲おうだなんて、なっていないわ。旦那様も気が付いて注意すればいいものを」
公爵夫人の言葉に、思わず固まる。
「そ… それも、違います」
私の否定の言葉に、公爵夫人は目を見開く。
「あら? 旦那様でも、ディビットの愛妾でもないとしたら…… 密偵かなにかかしら?」
言葉と眼差しが少し鋭くなったのを感じて、思いっきり首を横に振る。
「違います!! 愛妾でも密偵とかでもありません!!」
否定する私に、公爵夫人は不思議そうに首を傾げた。
「その容姿で?」
すいませんね。傾国の美女ともいうような容姿で。
整いすぎた自分の容姿に、悪態をつきたくなる。
「王都で特定の男性に付きまとわれている所を、ディビット様に助けられまして、王都で生活する限り怯えて暮らさなければならないことを相談したところ、こちらの下働きの仕事を紹介して下さったんです」
事前にディビットと相談して用意はしていたものの、今まで誰にも聞かれなかったため使うことのなかった言いわけを話す。
「まぁ。そうだったのね。とりあえずそういうことにしておくわね」
そういって公爵夫人はにっこり笑ったけれど、完全に納得してないよね……
とりあえず、別邸とかドレスとかは無くなったので、愛妾ではないと思ってくれてると信じたい。
下働きの仕事を続ける中で出会ったのが、他の男性よりも一回りも大きく、毛深く、無口な、ロンザだった。
無口なことと、その容姿から女性の使用人から遠巻きにされていたが、唯一私の素顔を見ても態度を変えなかった男性だ。
何となく気になって目で追っているうちに、好きになっていることに気が付き、告白するつもりが、テンパってしまい、恋人期間だとかなんだとかをすっ飛ばして私からプロポーズしたのも今となっては良い思い出だ。
ロンザと結婚するまでは、どこか距離を感じていた女性使用人たちも、本当に愛妾じゃなかったのかとロンザと結婚することで納得したらしく、以前よりも仲良くなれた。
赤ちゃんをお腹に授かって、出産の時にバタバタして、ディビットだけではなく、通称2のガラス細工の乙女たちのヒロインや悪役令嬢も転生者だということも知って、ちょっとごたごたしたけれど、残念ながら私にできることは何もなかった。
ヒロイン辞めたけれど、愛する人と我が子に恵まれて幸せです。