12
一旦、教室の外へ出た。
姫川小町もいっしょだ。
栗原美智子を一人にするのは危険だが、要求が出された以上、それをどうにかしなければならない。
どのみち、彼女からは離れなければならないのだ。
「どう? だれか来た?」
「なんなんだ、どうなった!?」
沢井京之助から返されたのは、苛立ちの問いかけだった。
渡瀬紗月の姿はない。ほかの先生たちに助けを求めにいったのではないという確信めいたものがあった。彼の無反応ぶりからは、何事もせず帰ってしまったと考えるほうがしっくりくる。
「どうもこうもないわよ!」
あやめは、京之助を超えるほどの苛立ちを声に込めた。説明する時間がもったいなかった。
「いつまで、ここにいりゃいいんだ!?」
「わたしが、いいって言うまでよ」
沢井の表情が歪んだ。
「で、だれか来た?」
ほかのクラスの人間が前を通りかかろうとしたが、睨みつけて追い返したそうだ。
「なかに入れなければいいわ」
「近づけないようにしたほうが安全だろ」
と、そのとき、学年主任の小笠原が険しい顔つきでやって来た。
「なにごとですか、響野先生」
「あ、い、いえ……な、なんにもありませんよ」
「なんだか、怖い顔の生徒が、3-Dの教室の前で仁王立ちになっていると苦情があったものですから」
思わず、京之助に視線をはしらせる。
だから言わんこっちゃない──と、瞳で責めた。
「て、てめえが、やれって──」
抗議しようとした沢井の口を、小町がふさぐ。
「申し訳ありません。この子、わたしが掃除の仕方を注意したら、ふてくされてしまって……ちゃんと指導しておきますから」
「お願いしますよ、響野先生」
「は、はい」
「ところで、なかでなにかあるんですか?」
ドキリとすることを言われた。
「え!? いえ、なんでもありませんよ!」
小笠原がドアに近づこうとした。
「な、なにごともないですって! 平穏無事です!」
不自然だったが、かまわすに立ちふさがった。
「やっぱり、入れないようにしてませんか?」
バレてる……栗原美智子の状態まではわからないだろうが、自分たちが必死に入室を阻止しようとしていることは、まるわかりのようだ。
「いいですよ、むこうのほうから入ります」
教室の後方のドアへ、小笠原は目標を変えた。
すかさず、京之助が先回りする。
「ど、どうしたというんです!?」
「……」
同じように立ちふさがった京之助が、どうすんだ──という眼ですがってきた。あやめも、言葉が出てこなかった。
「小笠原先生。なかでは、女子が着替え中です。いま入るのは遠慮してください」
冷静に、小町がそう告げた。
「着替え?」
「はい。女子が部活のユニフォームに着替えてるんです」
「ここでですか?」
「はい。なんだか、部室でゴキブリが出たとかで」
嘘が、小気味よく可憐な唇から飛び出してくる。感心すると同時に、末恐ろしくもなった。
女子の着替えと言われれば、小笠原としてもなかを覗くことはできない。が、このままここで待たれてしまったら、嘘がバレてしまう。着替えといってごまかせる時間は、せいぜい一〇分が限界だ。
救いの神は、まさしく天空からの声だった。
『小笠原先生、至急、職員室までお戻りください。お電話が入っております』
学校の日常的な業務連絡だった。
仕方ないですね──という表情をにじませて、小笠原は階段へ踵を返した。小笠原の姿が完全に沈みきってから、あやめは教室のドアを開け、栗原美智子の状態を確認した。
そのまま。
首にナイフをあてて、立っている。
普段は、座ったときの左足が貧乏ゆすりをしているが、いまは全身が小刻みに揺れている。
震えているようにも見て取れる。恐怖なのか、禁断症状なのか……。
瞼を閉じて、唇がなにごとかを口ずさんでいる。声にはなっていない。
あいたい、あいたい……そう動いているように、あやめには見えた。
扉を閉めた。
「どうするんですか? 由美さんは、もういないんです。どうやって説得するつもりですか!?」
どこか攻撃的に、小町は言った。
「……なあ、あんただったら、簡単に刃物、奪い取れるんじゃないか?」
京之助のその意見に、小町が怪訝な顔をする。それでもかまわずに、京之助は瞳を向けてくる。
たしかにそうかもしれない。
しかし、それは麻薬取締官としての、自分ならだ。
教師としては、できない。
教師?
自問して、あやめは不思議な感覚に襲われた。
自分は、なにであるべきか。
教師なのか? いや、ちがう。自分は、教師ではない。そうあるべきでもない。本当は、教員免許すらもっていない偽物ではないか。
「先生?」
小町の呼びかけで、われに返った。
「由美さんっていうのは、だれ?」
「中学校時代の、彼女の親友です」
「なんで亡くなったの?」
「自殺です」
「じ、じさ……!?」
あまりにも重すぎる内容に、絶句した。
「ど、どうして……動機は!?」
予想はできたが、訊かずにはいられなかった。
「イジメです」
答えは、予想を寸分もはずさなかった。
「栗原さんといっしょにイジメられてたんです。正確に言うと、栗原さんが最初にイジメられていて、それをかばおうとした由美さんもイジメにあってしまった」
「よくある話だ」
沢井の冷めた発言が、放課後の廊下にこだました。
「オレの姉ちゃんも、むかし、それで転校したことがある」
なにげなく、京之助の姉もイジメにあっていたという告白だったが、平時に聞いていれば、もっと興味を惹いたであろう内容も、いまは耳を素通りした。
「栗原さんは、先生たちに助けを求めた。だけど、だれ一人まともに話を聞こうとしなかった」
「どうして!?」
「そんなこと、同じ先生のほうが、よく知ってるんじゃありませんか?」
同じ、というところに強い毒がこもっていた。
「学校は、不都合なことには眼をつぶる」
言ったのは、京之助だった。
『教師』ではないあやめには、そんな学校の内部事情などよくわからない。
いや……よくある話としては、わかっている。が、それが実話であるという感触は、正直なかった。
記憶なかの先生たちも、みなそうだったのだろうか……?
考えたくもない。
「助けてくれなかったどころか、担任の先生から、逆に責められたみたいですよ。イジメられるほうが悪いんだって」
「……」
「だから彼女にとっては、イジメていた人間と同じなんですよ。先生は」
恐怖の対象……。
貧乏ゆすりは、そのストレスからか。
もし薬物に手を出しているとしたら、責任は、教師……学校の側にある。
「とにかく、由美さんをつれてくるしかないわね」
「どうやって!?」
京之助の疑問に、あやめは叫ぶように答えた。
「天国からでも……どこからでもよ!」