表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/26

11

 朝のホームルームから栗原美智子の様子がおかしいことに、あやめは気づいていた。

 貧乏ゆすりだけではない。顔色も蒼白で、どこか悪いのではないかと心配になる。

「栗原さん、具合でも悪いの?」

 型どおりの問いかけだったが、訊かずにはいられなかった。二日目のホームルームが終わり、ほかの生徒たちは、次の授業の準備をはじめていた。

「大丈夫です」

 とてもか細く、聞き取りにくい小さな声が、かろうじて耳に届いた。

「千鶴ちゃん、顔色の悪さなら、渡瀬のほうがヒドいじゃん」

 下の名前で、しかも「ちゃん」付けしてきたのは、当然、遠藤政春だった。もはや恋人きどりで、ホームルームの終了と同時に、あやめのもとにやって来たのだ。

 チラッと文学男子・渡瀬紗月に視線をはしらせるが、確かに政春の言うとおりだった。が、いつもそうである彼と、今日だけ蒼白の彼女とはくらべられない。

 美智子はそれ以上、話したくない、というふうに顔を伏せてしまった。昨日、避けられているという事実があるから、あやめもしつこくはできない。

 心配ではあったが、ここは静観するしかなさそうだった。

 あやめは、姫川小町の姿をさがした。ホームルームは終わっているから、教室のなかは立ち上がったり、おしゃべりしている生徒もいて、騒がしくなっていた。一時限目の開始まで一〇分ほどあるから、それがいけないというわけではない。

 小町は自分の席に座ったまま、ジッとこちらを見ていたようだ。

 ならば、話がはやい。

 あやめは、小町の席に近づいた。

「ねえ、栗原さんの様子、注意しておいて。顔色悪そうだから」

「……」

 一瞬、無視されたのかと思った。

「わかりました」

 遅れて出た言葉に、あやめは安堵した。

「じゃあ、お願いね」

 女子のなかではリーダー格だという彼女になら、美智子のことをまかせても平気だろう。



 お昼休み。

「清水先生。二時限目は、うちのクラスでしたよね?」

「そう」

 あいかわらず、ぶっきらぼうというか、雑な対応をする女教師だった。

「あの、栗原さんの様子、どうでした?」

「栗原? ああ、あの左足マグニチュード」

「なんですか、それ?」

「冗談だから、気にしなくていい」

 貧乏ゆすりがひどいからだろうか……。

「ふ、不謹慎です!」

 あやめは、思わず声を荒らげた。

「そう怒らない。ただの冗談だから」

「冗談ですむ話じゃありません」

「わかった、わかった。謝る。わたしが悪かった」

 それでも、表情が強張りつづけているのを自覚していた。

「もう怒るな。かわいい顔が台無しだ」

 憤りを吐き出すように、ため息をついた。

「……で、どうだったんですか、彼女の様子?」

「んー。顔色が悪かったなぁ。一応、声をかけたんだが、無視された」

「そ、そうですか……」

「まあ、顔色以外に異常はなさそうだったから、大丈夫じゃないか」

 そこへ、なんですなんです──と、わきから会話に入ってきた人物がいる。英語の早見だった。あやめの下心センサーが点滅する。『わりこみ虫』というあだ名を密かにつけていた。

「あ、いえ……」

 この男は、苦手だ。正直、タイプではなかった。

「響野先生のクラスの、栗原のこと」

 かわりに、清水がそう告げた。

「栗原? ああ、あ、あの生徒ねぇ……」

 あきらかに、思い当たっていない。

「その栗原くんが、どうしたんですか? 千鶴先生に迷惑かけてるんですか!?」

 だめだこりゃ、という表情をつくってみたが、この男はそんな空気も読んでくれない。

「『くん』じゃなくて、『さん』」

 訂正したのも、清水だった。もちろん、生徒は男子でも『さん』付けをする、という意味ではない。が、彼の場合、そのことすら理解してくれたのかどうか……。

「栗原さんね、栗原さん……」

 そう反芻しながら必死に思い出そうとしているようだが、難しいようだ。

 考えてみれば、不謹慎なあだ名をつけている清水のほうが、数段マシなのかもしれない。早見のように名前を聞いても顔が浮かんでこないのにくらべれば、具合が悪そうな様子も把握しているし、声までかけている。

 あやめは職員室をあとにすると、三年D組の教室を覗いてみた。すでにほとんどの生徒は食事を終え、友達同士で談笑している光景が広がっている。部屋にいない生徒も多いが、栗原美智子は自分の席でおとなしく座っていた。

 いつもの貧乏ゆすり。

 顔色も、やはりすぐれない。

 なかに入って声をかけようとしたが、それよりも早く、あやめのほうがかけられた。

「大丈夫ですよ。ムリなら、彼女のほうから訴えて帰りますよ」

 どこかに行っていたのか、小町だった。

 小町は、すたすたと自分の席に戻っていく。

 たしかにもう高校生なのだから、彼女の言うとおりかもしれない……あやめは、準備室へ足を向けた。

 その途中、美術教師の佐伯に出会った。美術室は二階の一番端になる。三階の一番端にある実験室のちょうど真下だ。

 最初、軽く会釈をして、おたがい通りすぎただけだったが、そのことが頭をよぎり、あやめは振り返って声をかけた。

「佐伯先生?」

「いやぁ、バレちゃいましたか」

 まだ問いかけただけなのに、佐伯はそう応じた。

「階を一つまちがえちゃいましたよ」

 照れたように頭を掻く。そんな仕種まで、そっくりだった。

 思わず、あやめは笑顔をみせていた。

 佐伯のほうも、笑顔で返す。

「それじゃあ」

 右手をあげた佐伯が、遠ざかっていく。

 ダメだと思いながらも、あやめはその後ろ姿から眼をそらせなかった。



 二日目の授業も無事に終わり、帰りのホームルームに移行していた。栗原美智子は、早退することもなく残っていた。考えすぎだったのかもしれない。

 明日の予定などを生徒たちに報告すると、ホームルームも終了した。一斉に、彼ら彼女らが教室を出ていく。学校帰りの余韻を楽しむ者は少ないようだ。みな家路を急ぐか、部活に向かうのだろう。鞄を置いていく生徒は、部活組のはずだ。三年生とはいえ、夏までは引退しないのだろうから。

「じゃあね、千鶴ちゃん。デートしたいところだけど、オレ、今日バイトだから」

 遠藤政春も、急ぎ足で帰っていく。

 絵に描いたような放課後。

 掃除当番の四人だけが残った。私立校は業者を雇っているところが多いようだが、この学校では生徒たち自身にやらせている。

 よりにもよって、栗原美智子も当番だったようだ。姫川小町、沢井京之助の姿もある。もう一人は、渡瀬紗月だった。

 ほかの三人はともかく、沢井が真面目にやっていこうとするのは、とても意外だった。

(やっぱり、そんなに悪いヤツじゃないのかも……)

 それとも、小町がいるからか。

「ねえ、栗原さん、あなたは帰っていいわ。というより、帰りなさい。やっぱり、顔色が悪すぎる」

 残りの三人とも、それについてはなにも言わない。言わないが、沢井の表情が不服そうだったのがわかった。

「かわりに、先生が掃除していくから、それでいいでしょう?」

「べつに、オレはなにも言ってねえよ」

「顔で語ってたのよ」

 京之助は、チッと、これみよがしに舌打ちした。

「なに、その態度。言っちゃおうかなぁ」

「な、なにをだよ!」

「いろいろ、よ。いろいろなことよ。昨日の情けないこととか、好きな人のこととか」

「て、てめえ!」

 言い合いをはじめたところで、姫川小町にビシッと注意された。

「掃除してください!」

「ご、ごめんなさい……」

 横目で、沢井が笑っているのがムカついた。

「沢井くんも!」

 自身も怒られて、いつもの無愛想な表情へ戻った。

 あやめは、おとなしく掃除に専念しようとした。栗原美智子は帰り支度をはじめたのか、自分の鞄をあけていた。しかし、それから動かなくなった。

「栗原さん?」

 声をかけても、動かない。

 いや、ふいに振り返った。

 外の陽光が、なにかに反射した。

 キラリ。

 あまりにも想定外のことだったので、身体が動いてくれなかった。

 あやめは銀色の刃を真正面にみつめながら、考えをめぐらせる。

 これはなんだ!?

 いったい、なにがおこっている!?

(こ、これは……)

「お、おい……!」

 京之助の声。彼も気がついた。

「く、栗原さん!?」

 小町も。

「どうしたの? それはなに? 栗原さん」

 あやめは、自分でも落ち着いていると思った。

 たとえ嘘の関係とはいえ、教え子に刃物の切っ先を突きつけられているのに。

「なんの真似?」

「……てください」

 栗原美智子の唇が動いた。しかし、なにを言っているかは、小さくて聞き取れない。

「な、なに?」

「由美をつれてきてください」

 今度は、かろうじてわかった。

「由美?」

「友達……わたし、会いたい」

「どういうこと? 由美さんをここにつれてくるの?」

「そう。会いたい……」

「だったら、そのナイフを仕舞いなさい」

「由美をつれてきて……じゃなきゃ、わたし死ぬ!」

 それまでこちらを威嚇するように突き出されたナイフが、彼女自身の首筋に押し当てられた。

 肌にピッタリとついている。力を加えなくとも、なにかの拍子に切れてしまうかもしれない。

 本気だ。

「わ、わかった……落ち着いて!」

 色を失った表情からは、大量の発汗が確認できた。こんな大それたことをやらかしただけが原因とは思えない。

(この子、やってる)

 だとすれば、錯乱状態である可能性が高い。

 幻覚、もしくは幻聴によって、この行動が引き起こされていることも考慮しなければならない。

 どうすればいいの!?

 こんなとき、千鶴先輩なら……。

 いや、この子の『先生』なら、どうするべきだろう!?

「沢井くん、外に出て、この教室にだれも入れないようにして!」

「は!?」

「いいから早く!」

 幸いなことに、この部屋には五人しかいない。そのうちの一人は、彼女と同じ中学校の出身で、友達ではないかもしれないが、まったくの無関係というわけでもない。もう一人は、だれとも会話をしないような変わり者。もう一人は、すでに接触している協力者候補。

 とにかく、このことを公にはしたくなかった。できることなら、ここだけの話として隠蔽する。

 それが、麻薬取締官……そして、教師としての判断だ。

「い、入れるなって言われても……」

「あんたの得意分野でしょ! 怖い顔して立ってれば、だれも近寄らないわよ!」

 いずれ、部活動に参加している生徒が戻ってきてしまう。

「そ、そんなこと……」

「いいから、やれ! 京之助っ!」

 その命令で、やっと沢井が動いたのが気配でわかった。視線は、一瞬たりとも彼女から離せない。

 チッ、という舌打ちとともに、扉が開く音がした。

 すぐに閉じる。

「姫川さんと渡瀬くんも外へ……このことは、だれにも口外しないで!」

「わたしは、ここにいます」

 小町が言った。

 渡瀬と思われる気配が、無言で教室を出ていく。

「いいんですか、だれにも知らせなくて?」

「いいわ」

「でも……」

「責任は、わたしがとる」

「本当にとれますか!? 栗原さんが死んでしまったら……」

「縁起でもないこと言わないで!」

 声がうわずっていることを自覚した。

 もし自殺を遂げさせてしまったら、責任問題というレベルではすまされない。

「ねえ、栗原さん……由美さんは、どこにいるの?」

 雑念を振り切って、あやめは問いかけた。

「会いたい……つれてきて」

「だれなの? わたしは、由美さんを知らない。あなたの親友?」

「会いたいの……とても」

 由美という人物の情報は、もらえそうもない。正気を失っているのなら、会話は成立しないと考えたほうがいい。

「わかった、由美さんをここへつれてくる……それでいいわね?」

 彼女からの反応はない。ずっと、ナイフを首に押し当てたまま。

 こちらの言葉が、はたして届いているのか……。

「ムリです……先生」

 教室にとどまったままの小町が、呆然とつぶやくように言った。

「なにが?」

 視線を小町に移した。

「なにがムリなの!?」

 あやめにはできないと……先生とは認めないと、そう主張したいのだろうか?

「由美……由美さんは……」

「なに? なんなの!?」

「……彼女は、もうこの世にいません」

 その声が、胸の奥へ突き刺さった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ