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 こうして、そのつもりで見回してみれば、たしかに男子の眼が好奇に満ちていた。たんに新しい先生だから、という眼差しではない。いくつもの瞳に、色恋沙汰の念がこもっている。

 女子たちにも、それは言えた。

 羨望、憧れ、嫉妬……それらが突き刺さってくる。

(これはマズい……潜入どころじゃないわ)

 目立つことは、好ましくない。

 それを逆手にとって、相手からの──この場合、教員や生徒たちからの信頼を得ることもできるだろうが、正直、あやめにその自信はなかった。

 あやめのプランでは、目立たず、騒がず、空気のように溶け込んで、調査をしていくつもりだった。任務の終了とともに姿を消したとき、だれの記憶にも残らないようにするのが、あやめの理想だ。

「えぇー、炭酸カルシウムに塩酸を混ぜると二酸化炭素が……」

 授業は、ぎこちなく進んでいた。なにを教えているのか、自分でもあまりよく理解していなかった。

 文系のあやめには、理科は天敵だ。植物に関しては、ただの趣味であり、生物学的アプローチからは素人だ。むしろ、花を見て文学表現をみがけ、という授業のほうが得意なのだ。

 とにかく、事前の打ち合わせどおりにやっていく。といっても、千鶴からのレクチャーは簡単なものだった。ほんの一五分程度の時間しか割いてくれなかった。しかも電話で。それで、どうやって一時間の授業をやれというのか。

 もしものときのカンニングノートを渡されているが、さすがにそれをずっと見ながら授業をするわけにはいかない。

 本当の教員でも授業の進行をまえもってノートに書き込んでいるのは、めずらしいことではないという。が、政治家の答弁のように、紙を見ながら話していくのは、教師としては失格だ。

 目立たないことに失敗したいまとなっては、本物の先生になりきるしかないのだ。

 そして矛盾しているようだが、あやめは教師ではない。麻薬取締官としての仕事のほうが優先される。先生業に力を入れるあまり、本業がおろそかになっては、本末転倒だ。

 あやめは、ホームルームでピックアップしておいた生徒たちの様子と視線を確認した。自分の容姿を認めたうえで、どう印象がちがうだろうか?

 男子生徒は、恋愛感情を抱いているか。

 女子生徒は、同性への憧れや嫉妬を抱いているか。

 ますは、一番問題をおこしそうな不良男子──沢井京之助。

(やっぱ、敵意むき出しだな)

 お調子者キャラクター──遠藤政春。

(お、恋する男子だ)

 文学男子──渡瀬紗月。

(なんだろう……こいつは「無」だな。なんの感情も見えない)

 マジメ女子──栗原美智子。

(貧乏ゆすりは、あいかわらず……とくに憧れてるというわけでもない、か)

 ギャル女子──青木沙奈。

(あ、彼女から、あきらかな嫉妬のオーラが)

 モデル女子──姫川小町。

(ん? 嫉妬も羨望もなし。あたりまえか。これだけ外見に恵まれてたら、他人の容姿なんて気にならないわ)

 とりわけて、新しい発見もなかった。

 問題がある生徒とは思えないが、遠藤政春が自分に行為をもっているぶん、やはり接近しやすい。

 最初のターゲットが決まった。



 生まれて初めての授業は、チャイムの音に救われた。

 その場に、どっと座り込みたいのを我慢して、あやめは遠藤政春に視線を合わせる。彼のほうも、あやめを見ていた。

 ほほ笑みかける。

「先生、ホントは彼氏いるんでしょう」

 むこうのほうから、近寄ってきた。

「遠藤くんだったよね?」

 親しげに話しかけた。学年主任から、生徒を呼ぶときは男子でも「くん」ではなく、「さん」をつける、と指示をうけていたが、あえて無視をした。

「もう覚えてくれたんすか? もしかして、一番最初に覚えてくれたとか?」

 ほかの生徒の手前、その答えは笑顔ではぐらかした。

「ねえ、このクラスのこと、教えてくれない?」

 わざと小声にして、耳元でそう囁いた。

 ここでその話はしづらいだろうから、教材をまとめると、実験室の出口へ歩き出した。思惑どおり、遠藤政春もついてくる。

 一階の職員室まで、ゆっくり歩くことにする。

「リーダーみたいな子は、いるの?」

「え、リーダー?」

 廊下では幾人もの生徒たちとすれちがう。新任の教師と、それに話しかけながらつき添う男子生徒が注目を惹くのか、遠巻きに観察されているようだった。だが、断片的に聞かれることはあっても、詳しい内容まで知られることはないはずだ。

「仕切ってる、みたいな」

 いまの時代でも、そういう古臭い人間関係が成立しているのか、あやめの知識にはなかった。

 個人の趣味や感性がこれだけ多角化した若年文化のなかでは、もはやクラス単位のコミュニティーも崩壊しているのではないだろうか。あやめの高校・中学のころでも、すでにクラスの結びつきは皆無だった。絆がないかわりに、クラスメイト間のトラブルもほとんど経験していなかったと記憶している。喧嘩をするほど、深い仲ではなかったのだ。

「沢井くん、とかは?」

 彼から名前が出てきそうになかったので、あやめのほうから口にした。

「京之助?」

「なんだか、怖そうな顔してるじゃない」

「リーダーって、感じじゃないよ。あまり、他人には興味ないんだと思う」

「そうなんだ」

「べつに、悪いヤツじゃないよ」

「でも、わたしは嫌われてるみたい。睨まれてるし」

「そうかも。京之助はオトナが嫌いだから」

「教師が、ってこと?」

「先生とか、親とか、じゃない?」

 不良っぽい雰囲気にピッタリだった。

「女子の姫川さんは?」

「小町? ああ、たしかに女子のほうは、小町がリーダーかもしんない」

「あの子が、モデル事務所に所属してるんでしょ?」

「うん。でも、先生のほうがかわいいよ」

 思わず、唖然とした。

 政春の顔を見たが、冗談を飛ばしたようでも、照れくさそうにしているわけでもなかった。自然な会話の流れで、いまの歯の浮くセリフが口をついたのだ。

 教頭の危惧が、現実味をおびてきた。

 いまの高校生は、好きなものは好きと正直に言うらしい。それが、先生への恋愛感情だとしても。

「ねえ、ホントのところ、彼氏はいるの?」

 もう完全に、口調が砕けていた。

「それは、秘密」

「教えてくれてもいいじゃん。いろいろ教えたんだからさ。こういうのは、ギブアンドテイクだろ?」

 痛いところをつかれた。相手から情報を引き出すときは、ギブアンドテイクが基本だ。

 こんなド素人の高校生から指摘されるとは思いもしなかった。

「ええ、とね。いない……かな、いたかな」

「なんだよ、それ」

 真実を語るとすれば、いない。

 日々の仕事に忙殺されて、恋人をつくるどころではないのだ。

 しかし、「いる」と答えたほうが面倒なことにはならないような気がする。が、その場合、彼の興味がなくなってしまい、これ以上、協力者としては使えなくなる可能性もある。

 かといって、いない、と答えてしまったら……いまより激しいアプローチを仕掛けてくるかもしれない。そうなったら、あしらうのに一苦労だ。

(どうしよっかなぁ……)

 困ったところで、ちょうど職員室にたどりついた。

「あ、ごめん。教頭先生に、最初の授業が終わったことを報告しなきゃならいのよ」

 それは事実だった。

「なんだよ、ここまでつきあわせてぇ」

 遠藤政春はそう抗議するが、表情を読むかぎり、本気で怒っているようではない。

「また、わからないことがあったら、教えてね」

「先生も、ちゃんと教えてよぉ」

 政春は不満顔ながら、三階の教室まで戻っていった。


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