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 銃弾が、すぐ耳の横をかすめていった。皮膚を傷つけることはなかったが、髪の毛の数本はもっていかれただろう。

 渡瀬紗月の命を守ることだけ考えた。

 引き返したあやめは、佐伯の殺気を感じ取っていた。眼を向ければ、そこには清水と教頭の亡骸が横たわっていた。瞬間的に、絶命していることがわかった。佐伯が公安の……しかも裏のセクションに属しているのならば、絶対にはずすことはない。

 あやめは滑り込むように、紗月の上に覆いかぶさった。

 それが、一秒ほど前のことだ。

 凍りついたように、それからさらに十五秒ほどが経過した。

「なぜ、邪魔をした?」

 ようやく、佐伯が声をしぼり出した。

「これ以上、わたしの生徒に危害はくわえさせない」

「きみは、教師ではないだろう……」

 あやめは、視線だけを返した。

「いや……いまのきみは、先生か……」

 あきらめたように、佐伯がつぶやく。

 そしてもう一人、つぶやいた人間がいた。

「どうして……助けたんだ」

 渡瀬紗月だった。

 まるで、自らの死を望んでいたかのような口ぶりだ。

「あたりまえでしょ」

「これで、解放されると思ったのに」

「なにからよ!?」

「父さんからだよ」

 紗月が、顔を上げた。

 あやめは、紗月の腕から短機関銃を引き剥がす。

「親に不満があるなら、直接ぶつけてみなさい」

「それができたら、苦労はしないよ」

 はじめて、紗月の感情が伝わってきたような気がした。

「この子は、殺させない」

 あやめは立ち上がり、佐伯に言った。

「どうしてだ? 彼が死ねば、すべて丸くおさまるものを」

「ふざけないで! それは、あなただけの都合でしょう!?」

「かもしれんな」

 佐伯は、素直にそれを認めた。

「でも……清水先生を殺したのは、わたしのためなんでしょ? そうしなければ、わたしが撃たれていた……」

「気にするな。ただのきまぐれだ」

「これから、どうなるの?」

 それには、この事件が……という意味と、あなたが──という、二つの意味をふくんでいた。

「すべて、清水の犯行になる。ケシを栽培していたのも、麻薬組織をこの学校につくっていたのも。そして、銃乱射事件をおこしたのも……すべてだ」

 そのために、当事者である渡瀬紗月を殺害したかった。おそらく本当は、京之助や自分と柴田の存在も消したいのだ──あやめは、そうも考えた。

「もちろん……そのためには、口をつぐんでいてもらいたい。きみたちには」

「それはできない」

 あやめは答えた。

「渡瀬くんには、罪を償わせる」

「それは不可能なんだ。そんなことはありえない。彼の罪は、なかったことになる」

「ははは……わかったろ、先生? ボクは、生きてないんだ」

 紗月は言った。

「生きていないんだ……ここで死んでも、なにも変わらない」

「あなたは生きてるわ」

 紗月が、顔を伏せた。

 あやめは、それを見下ろす。

「あなたを、あへん法違反で逮捕します」

「だから、それはできないんだ」

 再び銃口を向けながら、佐伯が声をあげる。

 あやめも、紗月から没収した短機関銃をかまえていた。

「どんな妨害があっても、やってみせる」

「……われわれを敵にまわすのか?」

「あなたたちの都合や理屈なんて関係ない。渡瀬くん、きみはどうしたいの?」

 突然、問われたからか、紗月は不思議そうに顔を上げた。

「死んだままなのはイヤなんでしょ? 生きたいんでしょ? だったら、自分から断ち切りなさい」

「なにを……?」

「そんなことぐらい、あなたにだってわかるでしょう?」

 しばらく、紗月の瞳は虚空をさまよった。

 焦点がしぼられて、紗月は立ち上がる。

「父さんに伝えてくれ」

 震える声で、語り出した。

「ボクは、もうあなたの子供でもなんでもない……赤の他人だと」

 佐伯が、信じられない──という顔になった。

「本気なのか? きみは、この国の帝王になれるというのに……」

 紗月は、なにも言葉を返さなかった。

 あやめに視線だけを向けた。

 行きましょうか──そう言われたようだった。



 屋上から三階へ降りると、柴田と京之助が待っていた。京之助のほうは、自分の意志で待っていたというよりも、わけがわからず、ただそこに立っているというふうだった。

「心配したぞ」

 柴田は言った。あえて、あやめのあとを追わなかったのだ。

「話は通したんだな?」

「たぶん」

 あやめは、紗月を柴田に引き渡した。

「さっきの銃声で、校門前は騒然としてる。じきに警察が押し寄せるだろう」

「そのまえに、彼を先輩へ預けてください」

「わかった。桜井はどうするんだ?」

「わたしには、まだやることが残ってるみたいです」

 あやめは、階段の下方を見やった。

 二階の踊り場から、小町が見上げているのがわかった。

「京之助、あんたも来なさい!」

 強引に腕を取り、ともに小町のもとへ急いだ。

「姫川さん……京之助になにかをしたのは、あなたね? 栗原さんのときみたいに……」

「わたしは、なにもしてません」

「嘘。そして、山本先生にも……」

「山本先生には、悪いことをしたと思ってます」

「なにをしたの?」

「なにも……でも、教頭が本物の薬を……」

 いつものようにプラシーボ効果を狙ったのだろうが、及川がヘロインを山本教諭にあたえた──そんなところだろうか。山本のロッカーには、拳銃が入っていた。あれはおそらく、公安のものだろう。清水が協力者として引き入れようとした。が、逆に及川たち麻薬組織=CIAが、ミイラにしたのだ。

 ロッカーの鍵を準備室の机に置いたのは、清水か佐伯でまちがいないだろう。警告のためか、はたまた、あやめすら引き入れようとしたのか……。

「まだ、あなたの悩みを聞いてなかったわね……」

「わたしの悩み?」

「あるんでしょ? 青木さんや、渡瀬くん、栗原さん、遠藤くん、みんなにあったように、あなたにだって」

「わたしにはないわ」

「そんなことはないはずよ。だってあなた、一番、まともじゃないもの」

 小町の表情が、きつくなった。

「なに、それ……」

「気づいてないの?」

「先生にだけは言われたくありません! 一番、まともじゃないのは、先生です!」

 その発言は、小町の意地のようなものだと感じた。

「『先生』でもない……わたしたちを騙してたくせに!」

「そのことについて、弁解するつもりはない」

 あやめは、ごまかさなかった。

 小町と正面から向き合うつもりだ。

「あなた……モデル業のほう、うまくいってないでしょう? そこを教頭につけこまれた」

 確信があったわけではない。半分は、当てずっぽうだ。

 だが小町につけいる隙があるとすれば、そこしか考えられない。

「……そうよ。モデルとはしては、落ちこぼれ。才能ないの」

 気味の悪いほど素直に、小町は認めた。

「モデルの仕事で、よく早退とかしてたけど、実際はオーディションよ。結果は落選ばっか……」

 いつもの小町の口調ではなく、最近の女子のように言った。

「どこで調べたのか、ある日、教頭から声をかけられたの。私の口利きで、どうにかしてあげようか……って」

「それにのったってわけ?」

「そうなる……かな」

「あなたらしくないわね」

 挑戦的な眼光が返ってきた。

「わたしらしいって、なに!?」

「いつも自信に満ちていて、輝いてる」

 まるで蔑むような瞳が向けられていた。

「ホントに、見る目ないのね……」

「じゃあ、姫川さんは、自信がなくて、くすんでいるの?」

「……」

 ますます、視線に反抗心が加味されていた。

「法律は犯していないかもしれない。だけど、あなたの行為は褒められたものじゃないわ」

「だったら、どうするつもり?」

「もうこの学校で暗躍していた組織は壊滅したわ。あなたが薬物に手を出していないのなら、わたしたちがどうこうすることはない」

 小町には明確に身分を明かしていなかったが、おそらく及川に教えられたか、それでなくても、うすうすは勘づいているだろうと思い、そういう表現を使った。

「これからは、あやしげな力に頼るのではなく、自身の力でどうにかしなさい」

「……それは、教師としての言葉? それとも、本職としての言葉?」

「どっちでもいいじゃない。年上からのアドバイスよ」

「わたしね……嘘をつく人が嫌いなの」

「だから、わたしのことは嫌い?」

「先生の演技は下手だった。会った瞬間にわかったわ。この人は、演技してるって……」

「モデルじゃなくて、女優でもめざしたら?」

 皮肉半分、本気半分、あやめは言った。

「そうね。でも、そのまえに、やることがある……」

「なに?」

 小町の表情が、引き締まっていた。

 なにかを決意した──。

「沢井くん、クスリが欲しかったら、わかってるわね?」

 小町は、白い粒子の入ったパケを指でつまんでいた。

 それを眼にした刹那、それまでなんの意思も表示していなかった京之助が動いた。

 シュ!

 あやめのすぐ横の空間を、なにかが切り裂いた。

「京之助!」

 彼の手には、銀色に光るものが。

 ナイフ。

 見覚えがある。栗原美智子が自殺未遂をおこしたときのナイフだった。そういえばあのとき、美智子の落したナイフを京之助が拾っていたのだ。

「そんなものは捨てなさい!」

「……おしえて……」

 京之助は、なにかをつぶやいていた。

 だが、よく聞き取れない。

「……おしえて……くれなかったじゃないか」

 教えてくれなかったじゃないか──。

 なんのことだろう!?

「おしえてくれなかったじゃないか……先生なのに……」

「なにを教えてほしかったの?」

「大切なものがなにかって、教えてくれなかったじゃないか!」

 怒りを爆発させるように、声量もはじけていた。

 大切なもの……。

 思い当たることはない。が、いつか聞いた蜘蛛と蝶の話が脳裏をよぎっていた。道徳のテレビでやっていたやつだ。蜘蛛の巣にかかった蝶を助けたら、自然の摂理に反していると怒られるのだ。

 まさか高校生が、そのエピソードをもちだして、大切なもの、と表現することはないだろう。しかし京之助にとっては、そのことが大切な「なにか」につながるのではないだろうか……。

「わたし、知ってるわ」

 彼のかわりに、小町が語りだした。

「といっても、昨日聞いたんだけど……沢井くんは、ある人を死に追いやってしまったのよ。中学生のときに……同級生を」

「死に追いやる?」

「同じクラスの生徒が、友人を殺そうとしていたんですって。理由はなんだと思う? 人を殺してみたかった──理由にもなっていないような理由で」

 若年者がひきおこす猟奇殺人の動機で、最近はよく耳にする。

「で、沢井くんは、その犯行を止めようとした」

「……」

 止められなかった……そう話の結論を推理してみたが、この話はもっと奥が深いものだった。

「犯行は未遂に終わったそうよ。沢井くんが、なんとか食い止めたんですって」

 それなら、なにも問題はないはず……。

 このあとの展開に興味をひかれた。早く続きを聞きたかった。

「もちろん、話はこれからです。殺人を犯そうとした同級生は、警察には捕まらなかったそうです。どうしてだと思いますか?」

 あやめは、あえて答えなかった。

「親が都議会議員だったからです。圧力ですよ。でも、沢井くんはそのことはどうでもよかったんですって。同級生が殺人犯にならなくてよかった。そう思ったそうです。ですが──」

 意味深に、小町はタメをつくった。

「自殺しちゃったんですって」

「どっちが?」

「どっちもですよ」

「どういうこと!?」

「殺されそうになったほうは、恐怖と友人への不信感から」

 そちらのほうは、まだ理解できる。

「殺そうとしたほうは?」

 警察に捕まったのならわかるが、罪に問われなかったのに、なぜ死を選んだのだ? 

「そのことで、逆にイジメにあったとか? それとも、世間の眼を気にして?」

「もっと救いのない話。殺そうとした生徒は、殺人を生き甲斐に感じていたんですって。でも、初めての犯行を阻止され、しかもそれによって、親や学校からの監視がきつくなった。新たに犯行をおこすことが困難になってしまったの。殺すことができなくなって、それでその生徒は、世をはかなんだってわけ」

「なんなの、その話……」

 耳に入れるのも、ためらわれる話だ。鬱になってしまいそうだ。

 もしそれが本当のことだとしたら……。

 死の原因として、これほど納得のいかないことはない。

「弱い者を助けようとしたことが、結果、べつの被害者を生んでしまった」

 蝶を助けたら、蜘蛛が死んでしまった。

 正確には、助けたはずの蝶も救えなかった。

 その経験が、彼のトラウマなのだ。

 まだ蝶を助けられたなら、気も晴れたかもしれない。

「沢井くんは、自殺した子の親と、教師から責められたそうよ」

「どうして? 京之助はなにも悪くないじゃない!」

「殺人を止めたから、息子が自殺してしまったんだって」

「なにバカなこと!」

 百歩譲って、親ならまだそう考えるかもしれない。しかし教師までとは、どういうことだろう?

 小町は、あやめが問いただすまえに、先回りして告げた。

「その先生は、議員さんにべったりの人だったんですって」

 そんなのがいたから、京之助は教師が嫌いになったのだ。

「京之助、正気に戻りなさい。姫川さんの渡したクスリは、ただの小麦粉よ」

 あやめは、静かに言い聞かせた。

 予感があった。

「それは、あなたもわかってるでしょう?」

 その問いかけに、小町がわずか驚いたような瞳になった。あやめに答えるように、京之助がうつむきがちだった顔を上げた。

「教えてくれよ……」

 その表情を見て、京之助が、じつは正気をたもったままだということが、あやめにも……おそらく小町にもわかった。

「わたしには、教えることができないの」

「先生じゃないから?」

「……そうよ」

「オレを利用してたのか?」

「否定はしない」

 というより、それ以外のなにものでもなかった。協力者に仕立てようと画策していたのは、まぎれもない事実なのだ。

「先生……いや、先生ですらないんだもんな……」

「わたしのことを恨みたいのなら、それでもいい。でも、そのナイフは捨てなさい。あなたを犯罪者にしたくないわ」

「じゃあ、教えてくれよ。先生じゃなくてもいい。答えを……教えてくれよ!」

「……」

 あやめは、京之助の瞳をみつめた。

 なんと言ってあげればいいのだろう。

 なにが正解だというのだ。

 わからない……。

 わからなくても、なにかは言ってあげなければならないということは理解できる。

 麻薬取締官として──法にたずさわる者として言葉を吐くべきなのか。それとも、人生の先輩として言葉を投げかけるべきなのか。

(わたしも、知りたい……)

 こんなとき、あの先生なら、なんと答えるだろう?

 もう顔も名前も思い出せない。だけど、ただ一人、尊敬できると思った先生……。

 ふいに、周囲の風景が変わったような錯覚におそわれた。

 まるで、高校時代に時空がさかのぼったようだった。あのころの空気感が身体を包む。

 眼を閉じれば、そこにあの先生が立っているような……。

「教えてくれよ」

〈教えてください〉

 京之助の姿に、かつての自分が重なっていた。

「先生だったら……たとえ偽物でも……」

〈教師だったら……〉

「答えを教えてくれよ!」

〈答えを教えてください!〉

 京之助の瞳と、かつての自分の瞳。

 その四つにみつめられた。

「答えは……」

 あやめは、考えるのをやめた。

 頭ではなく、胸の奥からしぼり出す。

 心の声を聞く。

 心は、なんて言ってる?


「答えなんかない」


 京之助と、かつての自分に告げた。

「人間の行動に、正解も不正解もない」

「なんだよ……それ」

 京之助には、その答えが卑怯に聞こえたようだ。小町の顔を見ても、釈然としていないことがわかる。

「話を蜘蛛と蝶の話にしましょうか。蝶を助けなければ、後悔するかもしれない。でも、助けてしまったら、蜘蛛が飢えて死ぬ。どっちにしても後悔するんでしょう? だったら、どっちの後悔を背負っていく覚悟があるかじゃない?」

「……」

 蝶を見殺しにする後悔をとるか。

 蜘蛛を飢えさせる後悔をとるか。

「その答えは、あなた自身が決めなさい。それが、男の決断ってものよ。わたしは教えてあげられない。だって、先生じゃないんだから」

「……」

 京之助のかまえるナイフがおりていた。

「くそ……ニセ教師が」

「あなたの過去は変えられない。蝶も蜘蛛も、もどってこない。これから、その二択に直面したときは──」

 そのさきを、あやめは言わなかった。

 京之助の眼を見ればわかる。そんなこと、もうとっくに気づいているということを。


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