20
次の日、四日目──。
前日休みだった小町も登校し、クラス全員が顔をそろえた。
あやめは、お昼休みに栗原美智子を呼び出した。食事を終えたところを見計らって、体育館の裏へ──人けのない場所へいざなった。
美智子は、おとなしくついてきた。
「ねえ、これ、あなたの?」
「……」
美智子は無言だ。表情も、あの自殺未遂をおこしたときのように、どこか虚ろで感情が麻痺しているようだった。
反応が薄いから、青木沙奈から没収した小さなビニール──白い粉の入ったパケをかかげながら、あやめはため息をつく。
「これは、大事なことなのよ」
「……そうです」
ボソッと、声がもれた。
「そうなの? これは、なに? どうやって手に入れたの!?」
険しい顔つきにおびえてしまったのか、美智子に恐怖の色が浮かぶ。
「ごめんなさい……ごめんなさい」
その後、どんなに問いただしても、ただ謝るばかり。仕方がないので、あやめは美智子を教室に戻した。
入れ替えるように、今度は小町を呼び出した。
「なんですか、先生?」
「いいから、こっちに来て」
実験室に誘い込んだ。
準備室は盗聴されているが、ここは大丈夫なはずだ。
「これ、見覚えある?」
「ありません」
さらっとした返事だった。
なんの淀みもなく、怪訝さも感じていないようだった。
「嘘」
あやめは、言い当てた。
こういう白い粉が入ったパケを見せられたら、高校生なら普通は違法薬物だと思って、やましいことがなくても、なにかしらの動揺をみせるものだ。
「どうして、そう言い切れるんですか?」
「あなたは、これをなんだと思ってるの?」
「薬でしょ。風邪薬か胃腸薬のように見えますけど」
「本当に?」
「まさか、麻薬とか言いませんよね?」
「これ、あなたでしょ」
あやめは、確信をもった。
「あなたが、栗原さんに渡したでしょ!?」
「だとしたら、なんですか?」
小町は、あくまでも冷静だ。
「これの中身、なんだか知ってるわね?」
小町は答えない。
あやめの脳裏に、ひらめくものがあった。
「これ──」
この白い粉末は、麻薬では──ヘロインやコカインではない。それが、いまになってわかった。
そもそも、栗原美智子の汗からは、違法薬物の成分は検出されなかった。
「なんなのこれ?」
「知りません」
「これ、小麦粉かなにかじゃない?」
「……」
はじめて、小町の眉が動いた。
「あなた、麻薬と言ってすすめたわね?」
睨むように、みつめた。
「麻薬とは言ってません。気持ちが楽になるクスリと言いました」
あやめの視線に気押されたからとは思えないが、小町は認めた。
「なにが目的なの? なぜ、そんなことをしたの!?」
「わたしは、悪いことをしたと思ってません!」
むしろ、あやめよりも鋭い視線が返ってきた。
「栗原さんを救うためです。彼女の心は、壊れかけてる。薬が必要なんです」
「栗原さんは、麻薬だと思ってる。だから、異常行動にはしったの! あなたの責任よ」
プラシーボ効果。
ただの小麦粉でも、薬だと信じ込ませて服用させれば、本当に効果があらわれることがある。それのマイナス版だ。
「責任? 教師が教師の仕事をしないから、わたしが代わりにやってあげたのよ!」
これまで、どこか冷めていた小町が、感情をむき出しにしていた。
「医者も教師も彼女を救えない! だから楽にしてあげたのよ!」
「あなたね……!」
「そんなに責められることですか!? べつに違法なものを使ったわけじゃない。かといって、脱法ともちがう」
だが、最初から心の弱っていた栗原美智子にとっては、麻薬によるトリップが、自己を守る唯一の術になってしまった。
そういう人間が一度はまりこめば、まさしく常用者に堕ちてしまう。
おそらく栗原美智子は、友人が自殺したことで精神的に追い詰められて、心療内科にかかったことがあるのではないか。そこで、抗うつ剤や精神安定剤を処方されたはずだ。抗うつ剤も、用法を守らなければ、麻薬と同じ。現にそれらの薬が、詐病を使って取得され、ネットなどで転売されている。もちろん本来の目的ではなく、トリップを目的としてだ。
美智子も用法を守らず、ラムネを噛むように無茶な摂取を繰り返したのではないだろうか。彼女が、最初から快楽目的でそうしたとは考えづらい。飲んでも効かないから、その数がどんどんと増えていった。
その結果、ただの小麦粉でも、麻薬のように効いてしまう体質ができあがってしまったのだ。そうでなければ、ここまで見事にプラシーボ効果があらわれるはずがない。
「クスリで逃げるなんてダメ! それでは、彼女を救うことにはならないのよ!」
「先生なら、救えるんですか!?」
「救えないわ! わたしは精神科の医者じゃないし、教師としての経験も浅い」
「それが、先生の言葉!?」
さすがに小町も、あやめが真っ向から、できないと否定するとは思っていなかったようだ。
「教師は神じゃない! できないことはできないの! あなたは、先生をなんだと思ってるの!?」
昨日、青木沙奈に言ったフレーズと似たものを、あやめは声に出していた。
「最低!」
「あなた、これ……、ほかの人にも渡したわね?」
小町の罵倒を無視して、あやめは続けた。
「いーい! あなたのせいで、山本先生は──っ!」
あやめは、すんでのところで言葉をさえぎった。
言ってはいけない。それを言えば、なぜそれを知っているのかという矛盾が出てくる。
「山本先生?」
「いえ、なんでもないわ……」
「やっぱり山本先生のこと、なにか知ってるんですか!?」
あやめの推理が正しければ、前任の山本教諭は、小町からこれを渡されて、プラシーボ効果にかかった。
そして、本物のヘロインに手を出した。
「わたしは、知らない……」
「先生!」
「もう戻っていいわ」
拒絶するように、そう言った。
不満げなのはあきらかだったが、小町は実験室を出ていった。
「なんなの、あの子……」
一人になったあやめは、考えをめぐらせる。
どうやら姫川小町には、人の心を操る能力があるようだ。あたりまえのことだが、超能力のようなものではない。人間のなかには、立ち振る舞いや表情の変化から自然に相手の思っていることがわかり、どうすればその人を動かすことができるのか、人心掌握術をマスターしている者が存在する。
その専門的なプロが、心理カウンセラーや詐欺師だ。最近では、マジシャンでもその技を使う。腕の良いトップセールスマンも、それにふくまれるかもしれない。
心の弱った相手につけこみ、意のままに操る。
悪用されたら、こんなにも恐ろしいことはない。
「あの子のあだ名は、今日から《プラシーボ姫川》よ!」
小町に、悪気はなかったのだろう。
当然のことながら、法的にも問題はない。
これ以上、このことで責めることはできない。そうわかっていても、腹立たしい気持ちが残る。
(だけど……)
そこで、一つの疑問が浮かんだ。
栗原美智子のほうは、わかる。が、山本教諭のほうは……。
相手の心を操れるにしても、プラシーボ効果を発揮させるのは簡単ではない。
正常な大人に、ただの小麦粉を麻薬だと信じ込ませることは、ほぼ不可能だ。それこそ催眠術をかけるとか、ますます荒唐無稽な方向に話は進む。
山本教諭も、栗原美智子同様、精神が弱っていたのではないだろうか……?
もうすぐ、昼休みが終わる。
あやめは、準備室に入った。
自分の机の上──変化がおこっていることに気がついた。
「え?」
鍵。
見知らぬ鍵が一つ。
「これ……」
瞬間的に鍵を手に取ると、部屋の奥──開かずのロッカーに。
鍵を差し込んだ。
回す。
カチッ。
やはり、ここの鍵だ。
両開きの扉を開ける。
なかに入っていたものが視界に映り、あやめは息をのんだ。
違法薬物のたぐいではない。予想よりも、はるかに凶悪で、物騒なものだ。
自動式拳銃が一挺、ロッカー内に冷たく横たわっていた。