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 放課後。廊下を歩いていたあやめは、まるで自分を待っているように立っていた青木沙奈の姿に気がついて、歩みを止めた。

「青木さん? どうかしたの?」

「あたし、先生に話があるんですけどぉ」

 彼女独特の甘えたような口調で、沙奈は言った。

「なに?」

「ここじゃ、ちょっと……」

 そう答えた彼女の先導で、すぐ近くの教室に入った。一階だから一年生の教室だ。だれの姿もなく、外のグラウンドから聞こえる運動部の声と、自分たちの足音だけが耳に届く。

「どうしたの、青木さん?」

「あたし、見ちゃったんです」

「なにを?」

「栗原さん、きっと危ないクスリやってますよぉ」

 背筋を引っ掻かれたかのように、悪寒が走った。

「どういうこと!?」

「あの子、白い粉、持ってました。カバンのなかに」

「あなたの見間違いじゃないの? 栗原さんは、そんなことをするような子じゃないわ」

 あくまでも、そういうことにうとい、普通の教師を演じた。

「甘いですよ、先生。そういう子のほうが、やっちゃうんだから」

「そんなこと考えられないわ」

 それは、栗原美智子のことを信じているという意味ではない。検査をしたが、薬物の反応はなかったのだ。

 無論、ハンカチで吸い取った汗の量が不充分だったということもあり得る。が、あやめも素人ではない。ちゃんと考慮して汗を採取した。それに、白い粉状の薬を所持していたからといって、それが危ないクスリだと断定するのも乱暴な話だ。

 バスに乗っているとき、美智子の眼を盗んで、カバンの中身と、制服のポケットのなかも確認していたが、それらしいものはなかった。

「だって栗原さん、最近おかしいでしょ? 先生だって、そう思ってる」

 それに対しては、否定できなかった。

「じつは、あたし……彼女のカバンから、それ取っちゃった」

 軽い冗談を飛ばすように、沙奈は言った。

 ほら、と右手の人差し指と親指で挟んだ小さなビニール袋──パケをかかげてみせた。パケには、白い粉が入っていた。粒子は細かく、覚醒剤のような結晶状ではない。もしそれが違法薬物ならば、ヘロインかコカインのたぐいだろう。

 あやめが調べたとき、栗原美智子のカバンのなかに入っていなかったのは、それ以前に青木沙奈が取ってしまったからだろうか?

「それ、わたしに預けなさい」

 沙奈からパケを受け取ろうとした。

 しかし彼女は、まるで意地悪するように、指を踊らせて逃げる。

「青木さん!」

 思わず、あやめは声を荒らげた。悪ふざけにしては、不謹慎だ。

「怒らないでくださいようぉ」

 あくまでも沙奈は、人を食ったような態度を崩さない。

「あたしの話、信じてくれるんですかぁ?」

 そのしゃべり方では、とてもではないが信じられない。

「本当の話なの!? 嘘なの!? わたしのこと、からかってるだけなら、ちゃんと言って。怒らないから」

「先生、美人ですよね」

 唐突に、予想外のことを言われた。

「え?」

「モテるでしょ」

「いまは、そんなこと言ってる場合じゃないでしょう!?」

 沙奈は、不自然に笑った。

 背中のボタンを押して、笑い声をあげる玩具のようだ。

「それを渡しなさい!」

「美人って、いいですよね」

「あなただって、かわいいわ」

 場違いとは思ったが、いまは彼女のご機嫌をとるほうが先決と判断した。

「うそ。そんなこと思ってないくせに」

 沙奈の瞳が、憎悪するように変化していた。

「ヒメと同じよ!」

「姫川さん?」

「生まれもった美人は、いつでもブスを見下してる!」

「あなたは、ブスじゃないわ」

 それは、本心だった。彼女は美人というタイプではないが、あやめの眼から見ても、充分に可愛らしい女性だ。ギャルメイクをしているから、男子的には好き嫌いもあるだろうが、悲観するようなことはないはず……。

「先生は、知らないから」

「なにを?」

「三〇〇万」

 意味がわからなかった。

「? 三〇〇万円がどうしたの!?」

「この顔にかかった金額」

 また、ボタンが押されたように、彼女は笑った。

「それって……」

「何カ所だったっけ。もう場所は忘れちゃった」

「お金はどうしたの!?」

「最初の一〇〇万ぐらいまでは、親に出してもらってた。あとは、自分で稼いだわ」

 高校生が、二〇〇万を……まともなバイトで稼いだとは考えづらい。

「もとの顔だと、だれにも相手にしてもらえなかったけどぉ、親に出してもらった改造手術だけでも、けっこうチヤホヤされたんよ、サナもぉ」

 あやめは、言葉を失っていた。

「それからは、いろんなオジサンにおねだりして、改造費を援助してもらったんだ」

「青木さん……」

「でもね──」

 また、背中のボタンが押された。

「どんなにお金をかけても、ナチュラルな人にはかなわない」

 一転して、攻撃的な視線が向けられた。

 不気味な笑顔との落差が戦慄をおぼえる。

「先生は、どう思いますぅ? 顔いじるの」

 即答できなかった。言葉につまる。

 なんと答えればいいものか……。

「せ、整形がいけない、なんて言うつもりはないわ……」

 まちがった回答をしないよう、一言一言、慎重につむいでいく。

 いや、なにが正解でまちがいなのか、そもそもがあやふやだ。こういう問題を、真剣に考えたこともない。

(わたしは……美容の専門家でも、教育評論家でもない……)

 一般には、否定的な意見のほうが多い。しかしいまの時代、肯定する考えもまた多いだろう。

 自分は……このケースでは、どっちを選んだほうが懸命だろう? ここは、彼女を否定せず、認めてあげるべきではないか。そうすれば、彼女を手なずけられるかもしれない。

 そのほうが得だ。

(でも……)

 それはブラフで、この子は、美への欲求とコンプレックスを止めてもらいたいのかもしれない。

 どっちが得?

「先生も、やってるんですか?」

「わ、わたしは……やって──」

 やってる、と答えるか。

 やってない、と答えるか。

 どっちが得で、どっちが損か。

(そんなことじゃない……)

 損得勘定で考えを変えるなんて、どうかしてる。彼女も異常だが、自分も異常だ。

 教師とか取締官とか、それ以前に人間として、どうかしてる。

「わたしは、やってない」

「だよね。先生は、ナチュラルなんだ」

「ナチュラルだとか、整形してるとか、そんなもの、どうでもいいわ」

 あやめは、強く声をあげた。

「青木さん、あなたはなんて言ってもらいたいの? 整形なんて、いまじゃ普通にだれでもやってるわよ? それとも、大事なのは美しさじゃない。中身を磨きなさい? どっち?」

 沙奈の表情が、動かなくなった。

 笑いもしなければ、憎悪をむき出しにもしていない。戸惑っているような……どう感情をもっていけばいいか、顔の筋肉が迷走しているような……。

「親からもらった大事な身体なんだから、それを安易に変えるものじゃない。それも、正しいことよ。でも、どれだけ整形をしたって、あなたの中身まで変わるわけじゃない。それに、もうしちゃったんでしょ? だったら、そのことを否定しても意味なんてない。結局、その人それぞれよ。なにが正解かなんて、わたしに判断できるわけがない」

「それでも、先生なの!? 先生なら、答えをちょうだいよ!」

 あやめは、沙奈の両肩をがっしりとつかんだ。

「教師は、神様じゃない! すべてのことに答えられるわけないじゃない!」

 じっと、沙奈の瞳をみつめた。

「これは、もらっていくわよ」

 彼女の指に挟まれたままのパケを受け取った。

「じゃあ、先生はもう行くわ」

「……教えてあげる。それを栗原さんに渡してたのは、《ヒメ》よ」

「え!?」

 本当なのかと問いかけようとしたが、やめた。あのボタンを押したような笑みが浮かんでいたからだ。


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