少年と妹―2
お久しぶりです。
翌朝八時五十分。
僕は待ち合わせ場所の駅に着いた。マイちゃんはまだ来ていなかった。だが、しばらくすると
「あら、意外と早いのね」
「おはようマイちゃん。そうでもないよ着いてから一分とかその程度だから」
「あ、そう。それで、どこに行くの?」
「ああ、うん。えっとね―――」
そこから僕達は当たり障りのない会話、どこの駅に行くの、時間は、そこについてからの目的地まではどうやって、金はどれぐらいかかるの、とかそういった内容だ。
幸い電車はすぐ来た。無駄な待ち時間がなくてよかった。そのまま電車に乗り込む。その車両には僕達以外いなかったが僕達は向かい合うように座った。
電車が動き出す。それに合わせて景色も流れていく。静かな空間。この車両で一つの世界を成していた。隔絶された世界を。
沈黙が違和感なくその場に漂っていた。
「ねぇ」
その沈黙をなんの躊躇いもなく破ってきた。だが不思議と不快感はしなかった。
「あそこの人達はどうしてあんなところにいたの?正直住むところに適しているとは言えないわ」
あそこの人達?ああ、路地裏の皆のことか。確かにあそこは人の住む場所じゃあない。
じゃあどうしてあそこに住んでいるか、か……。僕も一度訊ねたことがある。その時の答えは確か……。
「逃げたかったから」
―――数年前。
僕が路地裏に通うようになって一年ほどした頃だ。
その時路地裏には黒ずくめの人しかいなかった。こんなことは後にも先にもこの時だけだった。
黒ずくめの彼女、いやこの時はまだ男と思っていたから彼と言うべきか。
彼はここのリーダー的存在であった。
彼は何とも不思議な雰囲気をしている。決して黒ずくめだから怪しい雰囲気などてはない。包み込むような雰囲気だ。
今ここには彼と僕しかいない。僕はずっと気になっていたことを聞いた。
「皆さんはどうしてここにいるんですか?」
彼は虚をつかれたようで動きが止まった。
そこから少しして膝の上に肘を乗せ顎をその手のひらにのせた。
「聞きたいか?」
とても愉快そうに聞いてきた。いつもの僕なら馬鹿にされたと思い聞くのをやめていただろう。でも、この時はやめなかった。
僕は黙って彼を見つめた。
彼は品定めをするかのようにじっと見つめてきた。見つめてきたといっても何となくでしかない。彼の目は黒い帽子で隠れているから。
「…………逃げてきたんだ」
「え?」
「逃げたかったんだ。細かい動機や経緯は人それぞれだが皆に共通していることは逃げてきたことさ」
そう言って近くの缶を手に取り投げた。
からあん、かん、かん…………
「私は家から逃げてきた。そして楽になった―――だが、同時に大事な物を失った。人として一番大事な物を。でも―――」
彼の帽子から目が覗く。その目はとても綺麗だった。
「新しい家族を得たんだ」
とても、とても優しく嬉しそうな声で不覚にもどきっとしてしまった。
いやいや僕は何を男性にときめいているんだ。僕は男僕は男僕は男と心の中でも繰り返していると
「お前は逃げないでくれよ」
逃げないでと言われても、僕はもうとっくに逃げている。
「いや、お前はまだ完全には逃げていない。ちゃんと自分がいるべき場所に帰っている。けど私達はそこから完全に逃げた。またはそこを壊しもした。もう戻れないんだ、元には」
僕は突き放された気がした。私達とお前は違うんだと線引きをされてしまったんだ。
「だから頼む。お前だけは、お前だけでも―――逃げないでくれ」
その声はとても悲しみを帯びていた。
「その話からだとお兄様も何かから逃げていたというわけね」
僕が話し終えるとマイちゃんがそう感想を漏らした。
「お兄様は一体何から逃げていたの……」
「さあ?僕は一人からしか聞いてないから僕には分からないよ」
そもそも他の人に聞く気はあの時全く起きなかった。きっと今もその気は起きないだろう。
「彼―――いえ、彼女以外の人とはそういう話をしなかったの?」
一応記憶を探ってみる。
「…………ないよ。彼女からしか聞いたことがない」
「そう」
そこからお互い無言となる。
電車ががたん、ごとん、と揺れる。
『次は、万床駅〜万床駅〜』
次で降りなければ。
「マイちゃん、次で降りるよ」
そう言うと彼女はぱあっと顔を輝かせて言った。
「やっと、やっとお兄様のところに!」
それを見て僕の胸がちくりと痛んだ。