103 巨星墜つ
勇者、魔王を討伐する。
その一報は各地を駆け巡り、衝撃を与え伝播していく。その一報はやがて捻れ、大きな唸りとなって世界レベルの動乱を招くことになるが、この時点で最も大きな変化を示していたのは震源地である魔王城であった。
その日王城は酷く陰鬱な雰囲気に包まれ、その空まで暗く染め上げるかの如き陰鬱さは、まさしくその魔王城の名に相応しい物であった。
魔王フォルダの死の次の日。突然の訃報に魔王軍の上層部は集められ、一先ず遺体もない為玉座の間にて黙祷が捧げられた。
その後大きく泣き崩れた副官、ロレックを引き摺り会議室まで連行した。
会議室では軍団統帥権を持つ四天王、そして親衛隊指揮権、及び魔王副官として参政権を持つロレックの5人、進行役の参政長官の計6人で通常通り開会された。名前はなく、単に会議とだけ言われるが、魔王軍に於ける最高意志決定会議である。この会議の決定に魔王が通常異を唱えることはない。魔王の最高軍事統帥権を侵されざる限りこの決定が魔人としての総意とされるのである。
「さて、此度の件に関して、先ずこれからの魔王軍に於ける方針を検討するべきです」
参政長官が重い会議室の雰囲気を破るべく口火を切ると、泣き腫らした気持ち赤い目のままで剣を握りしめ、震えた。
「殲滅すべきだ。人間を」
怒りに打ち震え、質量を持っているかの様にずっしりと重い言葉をロレックは絞り出す。
その一言に、凍った様に張りつめた会議室の空気。本気か、といったニュアンスで否定の言葉がそれに次ぐ。
「それは……、やり過ぎだ。ロレック卿」
四天王が1人。“魔女”と呼ばれる女傑パレス。魔法大隊、弓兵大隊を纏める師団長であり、地方名主の娘という家柄も良いエリートと言える。その血筋の良さから来る魔力量の多さと、身長180を超える恵まれた体格から来る膂力。純遠距離型でありながら近接戦闘でもそこらの兵に遅れを取らない。知識、兵法の心得もある万能の将だ。
「パレス殿……」
ロレックが俯き、消え入る様な声で呼び掛けるが、パレスは聴こえていないのか、そのまま続ける。
「ロレック卿の言い分も個人的には分からなくもない。確かに、私も国父たる陛下が賊に弑虐されたのは悔しい。やり切れない思いで一杯だ。報復してやりたいとすら思う。だがしかし、今我々がすべきなのは新しい魔人国の新王、そして方針の決定であり、その様なことを考えている暇は……」
「黙れ……」
「黙れ?いや、黙れと言われるがロレック卿。上層部が混乱している今がチャンスなのだ。今やらねば六星の意思が主戦派に傾いてしまう。何とか今の混乱している内に、そう陛下の死が知れ渡らぬ内に早く専守防衛体制を固めて六星会議の承認を得なければ大変なことに……」
「黙れと言っている!!!」
「!」
机を叩きいきなり大音声で叫んだロレックにパレスは驚き、知らず乗り出していた身を少し仰け反らせる。当のロレックは机を叩いたそのままの勢いで椅子を蹴飛ばして立ち上がり憎悪に顔を歪めた。
「ふざけるな!何がその様な事だ!
陛下が!陛下が殺されたのだパレス!
卑劣なる人間種に!不意を撃たれ弑虐されたのだ!
先ずは賊を地の果てまで追いかけ惨殺し!その後人間を殲滅するのが道理という物だろう!」
滅多にない普段理性的なロレックの激憤を受け、そしてその狂気溢れる心の内の一端に触れ、心胆寒からしめたパレスの口からは我知らずこんな言葉が飛び出た。
「……気でも、触れたか」
パレスは目の前の人物を理解しかねていた。そしてそれはその目の前の人物もまた同じことであった。
「気でも触れた?それは此方の台詞だ!
私からすれば貴様の方こそ狂っている!
私は貴様が理解できない!何故だ!
何故貴様は平気な顔して其処に座って居られる!
何故貴様は芥子粒程の陛下への礼節も無い!
何故貴様は陛下の死より六星会議を優先する!
何故貴様は賊を無視する!
何故貴様は人間種の根絶やしを主張しない!
何故貴様は陛下の死を悲しむと嘯くその口で、陛下の御身を軽んずる!
もしや貴様は裏切ったんじゃないのか!?
陛下を!魔人軍を!そして私を!
卑属たる人間側に与し!
あまつさえ栄えあるフォルダ様の栄光の日々を、不埒にも穢そうというのではないのか!?」
「なっ!
訂正しろ!私はあくまで魔人国全体にとって此方の方が良いと思ったからこうするまで!それとこれとは別の話だ!ロレック卿こそ国としてのこれからを考えていないのか!」
ロレックの己を誹謗中傷する内容の怒りにいきり立ったパレスも立ち上がり抗議する。それに対しロレックは憎々しげに顔を歪めたまま言葉に熱を帯びさせていく。
「語るに落ちるとはこの事だ!
真に国を守ると言うのならこの主戦派の時流に乗り、国外へ戦争を仕掛け人間を従属させて国を富ませれば良い!
弑虐!奴隷!約条無視!不法侵略!
大義名分は腐る程あるぞ!
それを見て見ぬふりをして国の為と虚言を並べ立てる貴様の言など信じるに値するものか!」
「馬鹿を言うな!
それで一体幾つの命が失われると思っている!
ロレック卿は陛下の御言葉を忘れたか!?
『全ての命を平等に』という陛下の夢を!『全種族の融和』という魔人族の目標を!
我ら魔人軍は全種族の盾!幾ら人間が魔人国に弓引こうとも彼等が守るべき命であることに変わりはない!」
「今度は陛下の為か……!
己の言を翻すのもいい加減にしろ!
本当に陛下の為を想うのならば人間という種を根絶やしにしてでも陛下の仇を討つのが先だろう!
陛下の為で無く!国の為でも無く!貴様の為でも無い!
貴様は全てにおいて中途半端なのだ!」
中途半端、器用貧乏。
それはパレスが子供の頃から幾度となく言われ続けた言葉であった。パレスは全ての事に優れていた。大きい体を持ち、強い拳を持ち、そこそこの権力を持ち、類稀な美貌を持ち、あらゆる武器への適性を持ち、多大な魔力量を持ち、ある程度の学を修める頭を持っていた。
だがそれ故に周りの子と比して成長が遅かった。
早く成長し過ぎた為に筋肉が足りず、体幹は弱かった。重心が定まらず、喧嘩は弱かった。どんな武器も扱えたが、それ故に練習する武器も多く、周りよりも技量が劣った。多大な魔力量を持つが故にコントロールが上手く行かずよく失敗した。なまじ良い頭を持って居たが為に先生に目を掛けられ多くの授業を受けさせられたことにより、結果周りより授業の進みは遅かった。
そうして掛けられる言葉はあの子は容量が悪い、何も秀でる物がない。
それを彼女は受け入れた。肉が足りないなら食べれば良い。技量が足りないならもっと修練すれば良い。魔法が下手なら人に習えば良い。授業の進みが遅いのならば家で自分で学べば良い。権力が人の心を遠ざけるのなら自分が近寄れば良い。
そうして彼女は全てに秀でる様になっていった。そうしてなった地位は四天王。最早彼女を嘲る同輩は居ない。全て彼女の部下となり現在も良好な関係を築いている。
その彼女にとってこのロレックという男は理解が出来なかった。この男に出自はない。ある日突然フォルダ陛下によって連れられ魔王城に来た。この男には武器を扱う才はない。ただ剣を振るうだけである。この男は魔力が少ない。少しの魔法が使えるだけだ。この男は学がなかった。字が読めなかったのだ。この男は醜かった。魔人にして浅黒い肌を持たず、髪は白く、目は赤い。この男は大きい体を持たない。160を少し超える程度で体躯は枝の様に細く、今にも折れてしまいそうだ。
その全てが理解できない。全てが出来た彼女には。だが、最も理解出来なかったのは、この男に芯がないのだ。
ロレックは努力した。ただ毎日剣を振るい続け、書物を読み、魔法を練習した。寝る間を削り、剣以外の武器を捨て、初級以外の魔法を捨て、授業を捨て、人との関わりを捨てて。この才のない男が副王たる副官に選ばれたのはひとえにその努力の賜物だ。
ここまでは彼女は理解出来た。力が無い状態というのはあまり分からなかったが、そこから努力するのは分かる。なんなら好感さえ抱いた。だが、ロレックが分からないのは此処からだった。
彼は遂にその努力まで捨てたのだ。
寝る間を惜しんで研磨した剣技と己が肉体を捨て彼は手術により外部の力を得た。その代償として今迄散々練磨した魔法を捧げた。人と関わり始め、手術という力を使い、落ちこぼれを拾い集めて魔王軍に新たな派閥を作った。
ロレックは自らの中に芯を持っていなかった。
階級を疎かにされ嘲られては反発しなるべく厳しい罰に掛けるが、自らを馬鹿にしている態度を面と向かってされても鼻で笑う。陛下の御為と言いながら平気で陛下に逆らい陛下の意思に反した言動をする。
そんな芯のないロレックに芯がないと罵られた。故に問いかけた。
「そういうロレック卿は如何なのだ!?
陛下の為と言いながら!陛下のお言葉を全て無視している!本当にそれが陛下の為なのか!?」
お前は何なのだと。
パレスにとって得体の知れぬ化け物はようやくその分かりきった本性を皆に晒した。
「そうだ……!陛下の為だ!
私は徹頭徹尾陛下の為に生きている!
陛下が!陛下が居てさえくれればそれで良い!
その為ならば私が幾ら憎まれ様が構わない!
国なんてものは滅んだって構わない!
陛下の身の安全を得られるならば陛下の思いを踏みにじったって構わない!
ただ居てさえくれれば、それで良かったのだ……!
親すら見捨てた私を陛下唯お一人だけが、認めて下さった!
陛下の為に生き!陛下の為に死ぬ!
それが私だ!それが私の存在理由だ!
私にとって陛下は全てだ!
全てだった……!」
ロレックは醜い。より正確に言えば彼は異端だった。彼は生まれつき魔人特有の浅黒い肌を持っていなかった。彼は他の者には無い見るたび人を不安にさせる赤い目を持っていた。病的な迄に色白で、体は弱く、人間的ではない美しさしか持っていなかった。
ロレックは不義の子とされた。
当然だ。他種族と交わっても強く出る肌色を彼は持って居なかったのだから。実際、魔人とエルフの混血と言われるダークエルフにもその肌色は受け継がれており、その優性遺伝子っぷりは疑うべくもない。
それを持たないロレックは人間扱いさえされず、母と化け物の子だろうと噂され村八分にされ、被害者扱いとなった父からは石を投げられ、母からは有らん限り罵られた。
ロレックは、親から愛というものを貰った覚えがない。
そんなロレックが生きていられたのは皮肉にもその誤解された出自のお陰だ。化け物の子であるロレックを殺す事で村に何か災いが起こるのではないかと思われた為だ。
彼への怨みが彼を殺し、彼への恐れが彼を生かした。
薄暗い糞尿の臭いがする寒いあばら屋で、次の食事を待つ日々。その時彼の両親が戦争で死んでいたが、彼はその事についてなんとも思わなかった。より正確に言えば両親を両親と思えるような環境に居なかったのである。
『おい、なんだあの子供は』
泥に塗れた食事で遊んでいたその日、ロレックは太陽に出会った。
『おい!湯を持って来い!早くしろ!』
外の逆光で眩しく輝くその人物が、2代目魔王フォルダその人であると知ったのはもっと後のことである。
これが、彼の神との邂逅であり、彼が生まれた瞬間だ。
「だから私は人間を許さない!
私から全てを奪った人間を!
奴らを必ずこの手で族滅する!」
「そんな、そんな身勝手な!
そんな事が許されると思うのかロレック卿!」
「まぁまぁ、言い争うのはそこまでにせい。若人よ。そう熱くなっては会議にならんじゃろう」
意見が割れて収拾がつかなくなった所で1人の老将が2人の仲裁をする。
「トレット殿!しかしロレック卿は!」
「黙らんかい、ワシとて此度のことは消化し切れん。若人となれば影響されるのも当然の事じゃ。
多目に見てやらんか」
言い募ろうとするパレスを退け会議を一時鎮静化させる。進行の参政長官から目で感謝を伝えられると鷹揚に頷き2人を座らせた。
男の名はトレット。騎兵大隊、竜騎兵大隊を指揮する師団長であり、四天王が1人。皆からは“老公”や“爺”と呼ばれ親しまれる一方、その前に鬼や狸を付けられ怖がられる老兵である。初代魔王の代からの忠臣で生涯現役と言ってはばからないが、その実魔人の平均寿命である300歳を僅かに超えており、引退が近いのでは、と囁かれている。
「会議など最早必要ない。私の方から議題を提出して終わりだ」
「なんじゃと?」
ロレックを庇ったつもりだったトレットが軽く驚きロレックの方を向き直ると当の本人はそれを踏まえて先を示した。
「私が次の魔王に立候補する。当然副官たる私は承認する。勿論これは当方の大隊長の全員の承認を受けている正式な物だ」
「なっ!ふざけるな!国などどうでも良いと言ったその口で今度は魔王になると言うのか!
どこまでこの国を侮辱すれば気がすむのだロレック卿!」
パレスは憤慨するが、ロレックはそれを受け流して続けた。
「当然私が魔王となったあかつきには人間を根絶するつもりで動く。それを大人しく受け入れろ」
「坊……。そこまでか。お前の怒りは、そこまで強いのか」
この時点で、既にこの会議がほぼ詰んでいたことをパレスは悟った。
副王たるロレックの権限は強い。権力の強さで言うなら副王の権力は“四天王全員”とほぼ同等。副官が承認した以上それをひっくり返す手段は四天王全員がそれを拒否し、四天王の優勢を利用して副官の意見を退ける他ない。
「議長。裁決を」
「え、はい。分かりました。裁決に移ります。ロレック様は既に賛成に票を投じましたのでその他の方の意見を。先ずはパレス様」
議長と進行を兼任する参政長官は一瞬取り乱したものの、直ぐに立ち直って投票を開始する。
「勿論反対だ!そんな横暴許してなるものか!」
どうか皆が反対してくれ、と願いを込めて勢い良く反対に票を投ずるパレス。投票は続く。
「トレット様」
「反対じゃ。もしここで道を踏み外せばこれまでの苦労は水泡に帰す」
「テセト様」
「僕も反対」
「ダウナー様」
「賛成だ」
賛成の一言に会議は一瞬張り詰め、その後紛糾する。
「ダウナー殿!悪魔に魂を売り渡したのか!」
「ダウナー!何故じゃ!」
ダウナーと呼ばれた男は悔しげに喉を震わせ、顔を手で覆う。
「……私を責めてくれ。
この話を副官殿から貰った時に私は悩んだ。
いや、詭弁だな。この話を貰った時既に、悩むくらいには受ける方に傾いていた……!
勿論、これより先の、悲劇も、悪夢も、全て分かっている。分かっている!
だが……!
悔しいじゃないか……!
我々がこうして光ある方を二度も失い。悲しみ暮れている中、奴らは何の罰も無くのうのうと生きている!
我々がこれまで払った犠牲も!これから払う犠牲も!全てなかった様に、いや、無かったどころかそれすら嘲笑って……!
私は、それが憎くて堪らない!」
「ダウナー……」
「老公、私はこれよりこの職を辞します。理より感情で動いてしまった私に、この職は相応しくない」
酷く透明なガラス細工の様な笑みを浮かべたダウナーはそのまま退室の許可なくふらふらと会議室を出て行った。
「これで、決定だな。私は帰る」
それに続きロレックが退出するとテセトがそれを追い、残されたのはパレスとトレットの2人だけとなった。
「これから、どうなるのじゃ。どうなってしまうのじゃ、この国は。
すまん。イサハヤ様。
ワシは、この国を守れんかった……」
そこに今までの勇ましい筋骨隆々の老将は居らず、ただ年相応の老人が居た。トレットはこの数分でどっと老けた様にこの会議室で呆けていた。




