正也成長記録2
○月×日 この何でも無い瞬間が幸せ
「はぁ、漸く寝たか。今日もハードな一日だったな」
お気に入りのパジャマを着てスヤスヤと寝息を立てる息子の頭を撫でる。今日も息子に振り回されっぱなしであり、更に寝かし付ける為の絵本に「どうして鬼退治するのにそんな弱そうな奴らけらいにしたの?友だちいないの?だったらきびだんごで別口で人をやとった方が早くない?」などとマシンガンの様に質問を受け疲労困憊。次は辞書でも読んでやろうか。全く、誰に似たんだか。
「起きてる間は悪魔の様だが、こうして寝顔だけ見ると天使の様だな。いつまででも見ていられる」
髪をクシャと一撫ですると息子はんぅ、と顔を揺らしてむずがる。かわいい。
「ただいまー」
ガチャリと音がする。どうやら夫が帰って来た様だ。迎えるべきだとは思うが、もう暫くこの寝顔を見ていたい。
「なんだ、ここに居たのか」
夫は私達を見付けてくれた様で寝室の扉を開ける音と共にそんな言葉が聞こえた。
「しーっ。今寝付いた所なんだ。起きたら困る」
ポンポンと、息子の背を優しく叩きながらもう片方の手で静かにというジェスチャーをする。それで伝わったのか夫は声のボリュームを落とし、1つ謝ると、静かに息子の隣に川の字になる様に寝そべる。
「こんな日が来るなんて思わなかったなぁといつも思うよ」
夫は先程私がしたのと同じ様に髪を撫で、私がしたよりも力が強かったのか、本格的にウザったそうな声を出して息子は夫の方へ寝返りをうった。
「何の話だ?」
夫はよくこんな風に唐突に話し始めることが良くある。察しの悪い私は聞き返すのだが、そうすると心待ち嬉しそうな顔で続きを話し出す。その子供の様な顔が、私はとても好きだ。
「こんなに幸せで良いのかなって話さ。先輩の待つ家に帰れて、オマケに子供まで居るなんてさ」
何処か遠くを見ながらそんなことを言った夫に私は少しムッとした。
「ばかもの。それは私のセリフだ。お前は毎日私を惚れさせてくれる。もうこれ以上無いって位愛して居るのに明日になればそれ以上の愛が私の中から溢れて来るんだ。全く、私をこんなにさせてどうするつもりだ。身重の今はこの愛をお前にぶつけることも出来ん。それにその話で言ったら私こそ随分と苦労した覚えがあるぞ。何せお前は昔っからモテモテだったものな。今でも誰かに盗られないかと毎日ヒヤヒヤものだ」
昨日より私はお前を愛している。明日になったら今日よりお前を愛するだろうということが分かるんだ。怖い。今お前に居なくなられたらどうして良いか分からない。……昔の私だったら今の私を見て何と言うだろう。軟弱者がと一喝するだろうか。それとも受け入れてくれるだろうか。弱くなったものだ。男など要らん。守って貰わずとも何にも負けない強さを得れば良い、などと思っていたのだがな。
「あはは……。勘弁して下さいよ、先輩。そんなこと有りませんって。愛してるのは先輩だけです」
〜〜〜〜ッ‼︎
「これだから信用出来んのだばかもの‼︎不意打ちは卑怯だぞ!この女タラシが!」
怒鳴った私に反応して息子がんぅ、と声上げ、慌てて声を抑える。さっきの苦労が水の泡になっては堪らない。
サラッと愛の言葉を投げかける夫を睨み付けると夫は心外そうな顔をしていた。なんでだ。
「……す、すいません?」
何で謝らなきゃいけないのかわからないという様な顔で小さく頭を下げる夫は若干不服そうだ。気を付けろ、全く。
雰囲気に流され、いつも心の底に澱となっていたものが噴出してくる。それを言うべきかどうか、迷う。その返答如何によっては私は夫を失うかも知れない。怖い。先程息子の頭を撫でている時に感じた温かさが急速に何処かへ行ってしまう。指先が途端に冷たくなり、凍ってしまいそうな気さえする。でも、聞かずには居られない。もし本当に夫がそれを望んでいるのなら私は……。笑顔で去れるだろうか。彼女達と同じ様に。これほどの愛を抱いて。今更ながら彼女達の強さを思い知る。そして自らの弱さを。迷う。怖さを抱いて、ポロっと口から溢れ落ちた。
「……お前は。……本当に私を選んで良かったのか?」
「え?」
こうなったらもう後は早かった。
「私は智代の様にお前と同じ趣味を持って居る訳ではない。私は裕美の様にお前と幼馴染という訳ではない。私は千奈美の様に若い訳ではない。私は朱美の様にスラッとしている訳でもない。逆に三嶋先生の様に胸が大きい訳でもない。皆の様に……強くもない。愛だけは誰にも負けないとは思うが、それは皆一緒だろう」
濁流の様に私の口から溢れ出てくる私のコンプレックス。思い出すのは笑顔で去って行った彼女達の姿。私だけがこんなに幸せで良いのだろうか。そんな想いが私の口を動かす。
「私は気にしないとは言わない。言えない。だが彼女達ならばという思いもある。みんな未だきっとお前のことを……」
続く言葉が何だったのかは自分でも分からない。忘れて居ない、だったのか、愛している、だったのか。だがその続きを言うことはなかった。夫が遮ったからだ。
「そうかもしれない」
その言葉は嫌に大きく響いた。息子が起きるんじゃないかと言うほどに。だが、その続きもまた大きく響いたのだ。
「でも、先輩は先輩でしょ?ほかの誰でもない。俺の先輩。
先輩は、憧れなんだ。俺の危ない時に助けてくれた。俺のヒーロー」
夫は両手を伸ばして私の肩を掴んで引き寄せる。その時、彼の静かな手で触られることで私が知らず知らず震えていたのが分かった。
ギュッと息子ごと抱きしめてられ、それでもまだ足りず、夫の額と私の額がくっ付いた。夫の額は少し冷たく、スーツからは外の匂いがした。
「だが、アレは私に力が有ったから……」
「そうかもしれない。でも、助けに来てくれた。インハイだってあったのに、それをほっぽり出して。俺を助けに来てくれたんだ。
それがなければ今俺はコンクリートに詰められて海の底に居たよ。それに、先輩だったら強くなくても駆けつけてくれたよ。そう思う。それじゃダメ?」
「私はお前の思う程強くない。今もお前が居なくなるかと思うと何も出来なくなる。私の求めていた強さは、ただの弱さだ。みんなや、お前の強さの方がよっぽど……」
「じゃあ今度は俺が守る。あの時のお返しに。俺のヒーローはとっても強いからその必要は無いと思うけどね」
「……ばかもの。お前は本当に史上最高のおおばかものだ」
お前はもう既に私を守っている。救っている。だからこそ私はお前をーー。
「ーー愛しているのだからな」
「え?何か言いました?先輩」
この距離で聞こえ無いとは、幾ら小声とは言え病気を疑うぞ。
「史上最高の……」
大馬鹿者だと続けようとした所で思い直す。
「いや、お前を愛してると言ったんだ。お前を、そして正也を。この世で一番愛してると此処に宣言しよう」
「え?あ、いや、それ俺の台詞……」
夫が何か言おうとするが何より聞いちゃいられない。こっちはあ、愛の告白などという小っ恥ずかしいことした直後だ。こんな気分は久し振りである。
「うるさい。口を閉じろ、ばかもの」
これ以上何か言われようものなら心臓が持たない。丁度近くにある口にキスをして黙らせる。びっくりしている夫を無視してそのまま立つ用意をすると、口を離し熱くなった顔を見せない様に夫の耳元に口を寄せる。
「浮気、してもいい良いからな。10や20の浮気じゃガタガタ言わん。子供が出来たら言え。なんとかしてやる」
そのままささっと立ち上がると正也が起きない様に細心の注意を払いながら部屋を出て行く。
「か、買い物に行ってくる」
取り敢えず、このまま夫と顔を合わせるのも気不味いので外のコンビニに夫の夕飯を買いに行くとしよう。……20分くらい。




