【おすそわけ】
2015年8月21日に書いた三題噺を元にした短編です。
後書きに実際に使ったキーワードを載せています。
「午後の回診、ナナセと回らなきゃいけないんだよね……」
お昼休みも終わりに差しかかり、ナースステーションの休憩室では午後の仕事の話になっていた。
「げっ、ナナセと?ご愁傷様としか言えないわね」
一緒に休憩していたモリマチちゃんがイヤな顔して言う。
ナナセドクターは看護師仲間の間ではすこぶる評判が悪い。腕は確かなのだが、その確かな腕が偉そうな態度に表れ、自信過剰、高慢ちき、傲慢…etcとにかく近くにいていい気分にならない人間なのだ。
「まぁがんばって、テンマちゃん!20分くらいの我慢だよ!」
午後のことを考えるとため息が出るが、仕方ない…腹をくくろうとした時、やたらデカイ声が休憩室の外から聞こえてきた。
「テンマ!回診の準備!」
休憩室で休んでいた看護師全員の眉にシワが寄った。突然の不意打ちに私は腹をくくり損ねてしまった。
まだ休憩時間だっつーの、とモリマチちゃんが言うが、無視するともっとうるさいので私は席を立った。
「テンマちゃんがんばって!」
小声で仲間に見送られ、私は休憩室を出た。
ナナセドクターと担当の患者の病室を回っていく。休憩する前に回診の準備はできていたのでスムーズにスタートを切ることができた。以前、ナナセが来てから準備を始めると小言がイナゴのように沢山飛んできたことがあったので、ナナセ絡みの案件はいつでもスムーズに動けるようにしていた。
黙ってナナセの後ろをついて行くと、小さな女の子が話しかけてきた。
「テンマお姉ちゃん!」
私は目線を合わせるようにかがんでみると、両手にみかんを二つ持っていた。
「サクラちゃん、こんにちは。みかんどうしたの?」
「おとなりのおばあちゃんに貰ったの。おすそわけだって!」
にっこり笑うと、一本抜けた歯が見える。かわいい…癒やされる……
「テンマ!」
少し先を行くナナセが振り向いて呼んだ。私は慌てて立ち上がり、はいと答える。
「テンマお姉ちゃん、203号室のタナカさんのメガネはトイレにあるみたいだよ」
「え?」
サクラちゃんはそういうとみかんを両手に持って自分の病室へ走って行った。サクラちゃんは時々不思議なことを言う。
考える間もなく、うるさくなる前にナナセの方へ行く。しかし歩きながらも小言は飛んできた。
「お前の仕事は子供としゃべることか?だったら保育しになれ」
「…すみません」
心の中で中指を立てながら返事した。
病室に入ると柑橘系の良い匂いが漂っていた。見るとナカザキさんのベッドの横に段ボールに入った沢山のみかんがあった。サクラちゃんはナカザキさんから貰ったのか。
ナカザキさんは私たちに気付くとベッドの上で小さくお辞儀した。
「こんにちは先生。よろしくお願いします」
ナナセは愛想なく、はいと答え、定型通りの質問を聞いていった。
診察が終わるとナカザキさんは袋にみかんを詰めて渡してくれた。
「家で取れたものなんですが、よかったらどうぞ。皆さんで食べてください」
「わー、ありがとうございます!」
私は喜んで受け取った。
「オレみかん好きじゃねぇんだよな…」
私は危うくみかんを落としそうになった。口を半開きにした間抜けな顔でナナセドクターを見る。それを目の前で言っちゃうのかこの男は…
「じゃ、じゃあ貰っちゃおうかなー。ナースステーションのみんなで食べますね!」
ナナセからみかんの袋をひったくりナカザキさんに答える。ナナセは別に何とも思ってないような顔をしていた。
病室を出て行くとナナセがにやついて言った。
「おすそわけババアだな」
なにがおもしろいのか…おもしろいと思っているのか…
こんな天狗になっちゃいけないなと戒めながら回診を進めていった。
「ナカザキさんの術後経過どうだった?大変な手術みたいだったけど」
モリマチちゃんがみかんをほおばりながら聞いてきた。
「大丈夫そうだよ。ナナセドクターはあんな人間だけど腕は確かだし」
「でもさ、自信家で偉そうにしててさ、いつか絶対足下すくわれるわ」
にこにこしながらモリマチちゃんがみかんをほおばる。そしてその言葉はすぐに現実のものとなった。
その夜、ナカザキさんの容態が急変した。
夜勤のドクターが駆けつけて容態を確認する間もなく、ナカザキさんは亡くなってしまった。
「うぅぅ……うぅぅぁぁぁ……ぁぁぁ………」
「ちょっと、テンマちゃん!」
モリマチちゃんが小声で呼びかける。ナカザキさんの死後処置を担当していたのだが…
「うぅぅ……ごめん……」
鼻水と涙でぐちゃぐちゃになった顔をハンカチで拭く。
「テンマちゃん、悲しいことだけれど慣れなきゃ……」
患者が亡くなるところは沢山見てきた。周りのみんなも初めは私みたいだったようだけど、やっぱり何度体験してもお別れは慣れなかった。
ナカザキさんが亡くなった直接の原因は私たちには知らされなかったが、ナナセドクターが上の人間に呼び出されたところを見た看護師がいたらしい。真相はわからない。
翌日、またナナセドクターと回診することになった。今回のことに流石にこたえたのか、とてもおとなしい回診だった。
しかし、異変はすぐに現れた。
「テンマくん、ちょっといいか?」
ドクターのツシマさんがナースステーションの外で手招きしていた。呼ばれるままに駆けつけると、ナナセドクターのことについて聞かれた。少し様子がおかしいらしい。
「おかしいといえば、今日の回診は珍しくとても静かでした。ナカザキさんのことがショックだったんだと思いますが……」
「アイツがかー?…いや、そうか」
ツシマドクターは、邪魔したな、と言いどこかへ行ってしまった。
その夜、ナナセドクターが倒れたという情報が入ってきた。
「じゃ私、応援行ってくるから」
モリマチちゃんはそう言うと手術室へ向かった。私はナースステーションの外までモリマチちゃんの姿を見送った。ふと振り返ると、すぐ側にサクラちゃんが立っていた。
「あ、サクラちゃん、夜に出歩いちゃダメなんだぞ~」
私は目線を合わせるようにかがんだ。サクラちゃんはみかんを持っていた。
「あの男の先生、どうかしたの?」
さっきのモリマチちゃんとの会話を聞いていたのだろうか。心配させてはいけないと話を逸らせた。
「あ、みかんだ。どうしたの?」
「さっきおばあちゃんに貰ったの」
ナカザキさんのことが頭によぎった。でもナカザキさんは昨日亡くなっている。
「あの男の先生にもあげるって言ってたよ。でもみかんじゃないんだって」
「へー、いったいなんだろうね」
サクラちゃんは言った。
「わかんない」
そして、でも、と付け加え
「おすそわけだって」
そう言った。
おわり
三題噺のキーワード。
【レア】【病院】【おすそわけ】
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