5
5
1939年クリスマス
「今、この世界には三種類の国家がある。共産主義国と准共産主義国、そして反共産主義国である。共産主義こそが世界に害悪をまき散らす元凶である。現に共産主義の親玉たるソ連は現在進行系でフィンランドを侵略している。我日本をはじめとし独、英も反共産主義宣言をだしている。諸国が共産主義かどうかを問いたい。准共産主義国は共産主義国と並ぶ悪の枢軸である。わが三カ国をはじめとする理性ある国家がそれを許さないで叩き潰す。期限は1ヶ月だ。諸国が正しい判断をすることを望む。大事なので繰り返すが悪の枢軸たる共産主義国及び准共産主義国は必ずや正義の鉄槌を喰らうであろう。以上だ。」
ジュネーブの国際連盟の会場で後にクリスマス大反共演説と呼ばれるこの演説をぶちあげた俺は直ちに反共同盟を設立し、参加国家を募った。現在進行系でソ連の侵略を受けているフィンランドが最初に加盟した。ソ連も共産主義を潰そうとする帝国主義と称しポーランド、や中国共産党、ユーゴスラビアに参加を働きかけ人民解放連合を結成した。バルカン半島はルーマニアやブルガリア、ギリシャ等が反共同盟に加盟、ノルウェーやスウェーデンが加盟しスカンジナビア半島全国家が加盟した。その後も加盟国家は増え続け、最終的にはアメリカ、カナダ、ブラジルやペルーなどの南北アメリカやオランダ、スペイン(内戦中)、ポーランド、ユーゴスラビア、チェコスロバキアを除いたヨーロッパ諸国に中国国民党、タイ、インドネシア、マレー共和国、満州国のアジア諸国とイギリス連邦が加盟した。逆に人民解放連合にはスペインやオランダ、チェコスロバキア、ユーゴスラビア、中国共産党、メキシコ、モンゴル等が加盟した。その結果史実より長引いていたスペイン内戦と中国内戦は本格的に両陣営が派兵し東西の代理戦争に発展した。スペイン内戦ではソ連、スペイン共和国政府、メキシコ対ドイツ、スペインナショナリスト派、イタリア、イギリス、フランスと言った陣容で、中国内戦はソ連、モンゴル、中国共産党対大日本帝国、満州国、タイ、仏領インドシナ、インドネシア、マレー共和国、イギリス、中国国民党が戦った。フィンランドでは本格的に対共産同盟が増援を送り込んため日本は空軍と陸軍を引き上げさせた。しかし、双方の主要国であるソ連と日独英伊仏米は開戦に至らなかった。日本は新式戦車の九九式中戦車の生産を満州、朝鮮北部で行い続けて戦場に派遣した。日本軍は戦略爆撃の目標を延安とウランバートルに合わせて日夜問わず大量の爆弾を投下し続けた。実際に陸上での戦闘任務についていたのは国民党の兵士であり日本等の応援諸国は外から援助と空爆をしていた。そして、大量の九三式中戦車を史実より強力な(17ポンド対戦車砲搭載)突撃砲、九三式突撃砲を作り、九三式中戦車と共に前線に送り込んだ他サブマシンガンを国民党に売りつけ続けた。スペイン内戦では列強どうしが正面切って戦ったが国共内戦では長大な航続距離を誇る日本軍の航空隊の九八式艦上戦闘機(零戦五二型甲の七,七ミリ機関銃を12・7mm機関銃に換装)と九九式戦闘機隼が制空権を完全に掌握し、九八式重爆撃機と九九式中爆撃機(四式重爆撃機飛龍)が戦略、戦術爆撃を行い続けて確実に共産党の数を減らしていった。ソ連空軍のi16が参戦したが隼や九八式の相手にはならずに次々と叩き落とされて制空権を揺るがしたのはあくまで一時的にとどまることとなった。支那戦線の陸海軍航空隊にはエースパイロットが綺羅星のように現れた。上坊良太郎、篠原弘道、加藤建夫らの陸軍パイロット、武藤金義、黒岩利雄ら海軍パイロットが撃墜を多数記録した。海軍の兵士には防弾装備のある隼を羨んでいたが陸軍の搭乗員は20ミリ機関砲搭載の九八式を欲しがった。本土では新しくマスタング、ベアキャット、Me262等の開発が急がれていた。戦闘機だけでなく来るべき対ソ戦を見据えたティーガーの開発や各種車輌の量産も行った。しかし、海軍の仮想敵はアメリカ海軍になっており、敵とは空母機動戦で戦うドクトリンで、巡洋艦、駆逐艦に守られた敵艦隊攻撃用の正規空母と更に小型の艦隊護衛の戦闘機(F8Fの予定)を搭載する軽空母に分かれて建造し、軽空母の戦闘機が迎撃しながら正規空母の航空隊で敵艦隊を攻撃する。更に接近して戦艦隊や水雷戦隊が残った敵を仕留める。というのがドクトリンでそのためには大量の軽空母が必要だった。しかし、適当な軽空母が無かったのであくまでも量産を最優先にした設計を命じただけだった。そして更にジェット艦上戦闘機も計画していた。しかし、予想通りに行くとジェット艦上戦闘機は大型の正規空母でのみ運用可能となる。そうした場合、小型の軽空母ではやはりレシプロを使い続ける必要が出てくる。まぁ今は国共内戦の真っ只中なので陸軍の増強に力を入れていた。元旦の皇紀2600年記念式典では大パレードを行った陸軍は国民の中で精神的な柱だった。四月には日独英三国首脳会談に置いてバルバロッサ作戦の発動が通告された。スペイン内戦が片付き、国共内戦では毛沢東が死亡して内戦は収まりつつあり、ソ連を叩く機会だったのだ。三個軍集団に分かれ北は英独、中央は独仏、南はイタリアやスペイン、東欧諸国が主力を占めた。北側はモントゴメリー、中央はルンドシュテッド、南はグラツィアーニが指揮を執った。しかし陣容的に南側が最弱なのである。このため南側にアメリカ軍を派遣し、司令官は日独英仏伊米の六カ国会談でパットンに決定した。日本、満州国、中華民国、タイ、インドネシア、マレー共和国等も呼応して北進政策を取るがその開始時期は三ヶ月遅く、1940年9月を予定していた。日本や満州の生産が圧迫されるのは必至であった。戦車隊には八九式中戦車が入っていたりするなどの弱体ぶりであったが航空勢力は圧倒していた。そんな中、俺はインドネシアやマレー共和国、中華民国に軍艦の建造に必要な技術を渡した。まぁそれはおいといて二月一日の御前会議で俺は大規模な人事異動を行った。世紀の愚将である山本五十六は新しく作った総統海軍補佐官に無理やり編入した。又連合艦隊司令長官に角田覚治を抜擢し、連合艦隊航空隊司令官に山口多聞、水雷隊総司令官に南雲忠一を置いて固めた他外務省では石井菊次郎を外相に、宇垣一成を補佐に置いた。陸軍は永田鉄山陸軍大臣の下梅津美治郎参謀長、山下奉文北方方面軍司令官、岡村寧次中央方面軍司令官で対ソ戦の準備を重ねた。中華民国もソ連への派兵を決定した。もちろん作戦概要は決定している。電撃戦でシベリア兵団が西にいる間に資源地帯を制圧するのが目的だ。山下隊と岡村隊、それから栗林隊の三隊が同時に侵入する計画だ。主力なのは未だに九三式中戦車だが九九式中戦車も確実に行き渡っている。九三式突撃砲も配備されつつあり機械化歩兵と機甲部隊の組み合わせの数及び質は間違いなく世界一だった。九月一日、遂に史上最大の作戦、神武作戦が始まった。