屑には石を投げろ
呉の柱島泊地を出港した「扶桑」「山城」と淡路島沖で合流した遣伊艦隊は、漁船に擬装したフランスの情報収集船に見送られギリシャ文明の残照が残る小笠原諸島を南下。かつて柴田勝家が羽柴秀吉率いるアフリカ軍団1万3000を撃破したナイル河口を横切り、イギリス人と始めて遭遇したポートサイドに到着した。
ここからスエズ運河を通過すると相沢にとって因縁深い紅海が広がっている。インド洋は更にその先となる。
「前右府織田信長は大英帝国と交易協定を結びポートサイドに領事館が築かれました。以後、柴田勝家、津田信澄、武田信康と権力者が変わっても両国の友好関係は変わりませんでした」
スエズ運河の行く手には砂嵐が吹き荒れていた。一向に視界は晴れない。
見張り員は口の中に砂が入ったのか、時折唾を吐き出している。
「この運河は1850年に工事が始まり10年で完成しました。貴国の西郷隆盛元帥も除幕式には参列されましたよ」
日本海側の出入り口であるポートサイドで乗船させた水先案内人の英軍士官はベラベラとしゃべり相沢を辟易させていた。
(英国海軍は我が海軍の師匠と言うが、こうも質が低い物なのか)
第一次世界大戦で相沢が乗艦していた「富士」にやって来た観戦武官の英軍士官は寡黙な紳士だった。
艦隊の空気は悪かった。理由は英軍士官の存在だけではない。
「『扶桑』と『山城』は帝国海軍からお役御免になったが役立たずではない。現にイタリア海軍が求めている」
二隻の戦艦を指揮する艦長は相沢から売却と移送の司令を受けた。納得は出来なかったが、海軍軍人として命令には従う義務がある。不満はあったが、言いたい事は飲み込むしかなかった。
他の艦でも艦長から乗員は航海の目的を知らされ、愛する戦艦が他国に売却される事実に愕然とした。
陰鬱とした物を抱える艦隊の事情とは関係無しに厄介事が増える。
陸地に発砲の閃光を確認し「敵襲!」と左見張り員が叫んだ瞬間、舷側から離れた水面に水柱が上がった。
(遠いな。帝国海軍では考えられん)
移動目標に弾を当てる事は困難だが、自他共に認める戦艦屋の相沢は敵の技量を未熟と判断した。自分の部下なら鉄拳制裁や精神棒により気合いを入れ直す所だ。
「扶桑」「山城」は就役当初、ケースメイト式の副砲である四一式50口径15センチ単装砲を装備していたが、アウトレンジでの射撃を目的にした戦艦にとって「糞の役に立たない」と反発を受け撤去された。こうなるとあっても良かったのではないかと考えさせられた。
(次回の課題だな……)
同時に見張り員の報告から、射撃陣地の方位はシナイ半島側からとも相沢は理解していた。アラブ人はイギリスの支配に納得せず各地で抵抗運動を続けていた。
「土人共め」
英軍士官は苦々しげに侮蔑の言葉を吐き出すと、エジプトの反英勢力だと答えた。
エジプトはイギリス人によって300年以上の統治を受けていたが、未だに反乱の芽が絶えない。キプロス島の同化政策の成功した日本とは異なる。
「ヘイスティングス少佐、あれを潰して問題になるか?」
「いえ、感謝しても抗議や批難は無いと約束します」
相沢が約束を取り付けていると、駆け上がってきた「最上」艦長小林八郎大佐が敵の発砲を見ながら呟いた。
「あれは小さい。陸さんの野砲ですね」
存外にその程度の砲撃で「最上」は傷付かないと言っている。
小林のでっぷりとした海軍士官らしくない体型は不満だったが、技術は別だと思いこれまでは特に波風を立てなかった。だが今の一言で底が知れた。
「見れば分かる事を一々言わなくて宜しい。あれでも駆逐艦にとっては脅威だ」
顔を真っ赤にする艦長に侮蔑の視線を向ける相沢。彼の言う通り駆逐艦は主力艦に比べてブリキと呼ばれる程装甲が薄い。75mmクラスの野砲でも船体を突き抜ける。
「それに商品に被害があっては陛下に対して申し訳がたたん」
相沢は艦長に応戦を命じた。ラッタルを駆け降りていく小林の顔が高揚していたのは戦闘による興奮だけではない。
「くそっ、あの骨董品の糞爺が舐めやがって!」
だんっと手すりを小林は叩いた。相沢は艦隊司令官で上官だが自分はただの使い走りではない。巡洋艦の艦長で大佐、だてに長年海軍で飯を食ってきたわけではないと言う自負もある。小僧扱いをされて許せなかった。
「あのアホが!」
訝しげな表情を浮かべる部下達の視線に気付き、海軍士官は剛胆であれと言う村上水軍の伝統を思い出す。年寄りが偉いわけではないと自分を慰める。ようは結果を示せば良い。
「砲術長、日頃の錬成結果を見せる時だ」
『停止した標的を外す様な間抜けは本艦から追い出してやりますよ』
砲術長の返事に小林が機嫌を直すと「最上」は主砲一基による試射を始めた。
「初弾命中!」
観測機からの報告が読み上げられる。
「当然だな」
そのまま射撃陣地に効力射となって降り注ぐ。水柱ならぬ砂柱となって土砂が吹き上がる様子が「最上」の艦橋からも見えた。
「後続艦より射撃許可を求めています」
実戦で実力を試す機会と、「最上」の射撃に触発されて求めてきた。
小林は侮辱された様に感じて噛みついた。
「長官、本艦のみで十分です!」
相沢はイタリアまで何があるか分からないと無駄弾の浪費を懸念した。
「不要だと伝えろ」
艦砲射撃の威力と言う物は陸軍の砲兵を凌駕する。鋼鉄に被われた船を沈める為だから口径や砲身長が増えるの当然だ。
ゲリラの散発的攻撃は「最上」の砲撃で沈黙した。
「流石はアドミラル・イエヤスの子孫ですね」
1600年、カナリス諸島沖で徳川家康率いる織田水軍は、イギリスの支援として北米に向かうスペイン艦隊を洋上撃破した。この海戦で家康は戦死、伝説的提督となった。
(あそこで家康が死んでいたのは、その後の歴史から考えても良かった事だったんだな)
信長は家康の死後、廃藩置県を進め日本近代化の基礎を作った。家康が生きていれば史実から考えても、三河武士団は家康を中心に結束したであろう事は間違いない。家康を盟主とした反信長勢力による激しい抵抗があったと予想される。
(まぁ外人にとっては大差無いがな)
偶然と言う要素が在る。魔がさしたとも言える。
シナイ半島に注意を向けていた艦隊の将兵にとって反対方向からの攻撃は予想外だった。
巧妙に偽装された射撃陣地から砲撃が行われた。
標的は一番目立つ戦艦。
轟音を立てて「扶桑」艦橋の真上に落下してきた。
砲弾は艦橋の九四式方位盤照準装置を粉砕し主砲射撃指揮所の真後ろで炸裂した。
「痛っ!」
衝撃が下の戦闘艦橋まで伝わって来た。直撃ではないがかなりの威力だ。「扶桑」艦長高橋誠治大佐は頭を打って痛みを感じたが、艦長たる者は陛下よりお預かりした艦の保全が第一で、痛む頭を擦りながら現状把握に勤めた。
「報告しろ。被害は?」
伝声管も幾つか破壊された様で返事は来ない。その間にも敵の砲撃が「扶桑」を叩いている。
「伝令!」
艦長の言葉で士官候補生が尻からちり紙を挟んだまま駆けてくる。
パニックに陥っている他人を見ると逆に冷静になれた。額を押さえながらも指摘する余裕が高橋にはまだあった。
「扶桑」の艦橋で炎が踊る様子が「最上」からもはっきりと見えた。すぐさま、他の艦が敵の射撃陣地を潰したが、たかだか野砲相手に「扶桑」が無念の一撃食らった事実は消えない。
相沢の脳裏に、このまま本国に帰港してドック入りすれば売却せずに済むかと不吉な考えが浮かんだ。一方で、多少傷付いたとしても戦艦が欲しいイタリアはそのまま引き取るだろうと言う事も理解出来た。
過去100年、ユーラシア大陸とイタリア列島の間に広がる地中海の覇権を巡って帝政ロシアとイタリア王国は死闘を繰り広げて来たが、第一次世界大戦では相手が変わった。北仏大陸の覇者フランスは太平洋に進出し、イタリアの航路を脅かしてきた。
(次に世界大戦が始まれば、イタリア海軍の現有戦力でフランス海軍に対抗できない)
当然、イタリアでも自前で建造をしてたが、フランスとの外交的緊張状態でいつ開戦でもおかしくなく、即戦力が欲しい状況だった。
「『扶桑』から航行に支障無し、復旧作業中との事です」
報告を聞きながらも、宝石よりも貴重な戦艦と言うが、商品の護衛すら満足に出来ないと言う事は許せなかった。相沢は殺気を込めた表情で怒鳴った。
「警戒を緩めるな! これ以上、商品である戦艦に傷を付ける事は海軍の恥だ」
海軍とは戦う為に存在する。同盟国軍人である水先案内人の姿も艦橋にあり、無様な姿をこれ以上見せられなかった。