004 プロローグ5
次の日の朝。
織姫よりも早く起きているジョナサンは窓の外を一人悩ましげな表情で眺めていた。
雲ひとつ無い晴天を静かに眺めるジョナサン。そんな神妙な顔をしているジョナサンは考えていた。
(はぁ……。ほんまに仕事みつかるかな……)
神妙な面持ちで仕事のことを考えているジョナサン。確かに今の世の中自分で会社を立てるはいいが、波になれない会社はいとも簡単に潰れてしまう。
ジョナサンの会社に仕事が来なくなって半年。どうやって生計を立ててたのか不思議に思ってしまう。
そんなジョナサンは窓際から離れ織姫の寝顔眺めた。
(ほんまに織姫はんは異世界に来た事をなんとも思っておらへんのやな。涎まで垂らして……。ほんまに羞恥っちゅーもんをどっかに落っことしてきたんやな)
そんな風に思いながらジョナサンの表情は浮かばなく、それどころか織姫の幸せそうな寝顔をみて更に暗くなってしまった。
「んー、んー、私はまだ三十路じゃない」
どんな夢を織姫は見ているのか。疑問に思ってしまう。だがそんな寝言を言った織姫が寝返りを打った。そして
「グフォッ!!」
「ん……? なに……? なんか今、柔らかい物を腕で潰したような気がしたよ……?」
寝返りを打った衝撃なのか、はたまは何かを潰してしまったからなのか。眠りから覚めた織姫は目を擦りながら辺りを見渡した。
「あれ? ここは私の家じゃない。ならここはどこ?」
寝ぼけている織姫。それでも今自分がいる場所が自宅ではない事だけは理解できているようだった。そして再び辺りを見渡す。すると自分のベッドの上になにやらピクピクと動く物を織姫は見つけた。
「お、織姫はん……。ひ、酷すぎますよ……」
「ん? 誰?」
自分の腕で潰したとは思っていない織姫は無残にも画像修正されてしまっているジョナサンを見る。そしてそんなモザイクがかかっている様な物体だ、織姫がジョナサンと理解するのは難しい事なのだろう。
「だ、誰やないです……。ワイです。オルヴィウス・サーベント・ジョナサンです……」
「オルヴィウス……? ん? オサーンっ!?」
やっとジョナサンを認識した織姫。そんな織姫はベッドの中から出て
「そっか……。今の私、異世界にいたんだった。それで今日は仕事を探さなきゃいけないんだったわね。ならシャワー浴びなきゃ」
そう言うと織姫は無残な姿になっているジョナサンを無視し、シャワーを浴びに行ってしまった。
「お、織姫はん……。ほんまにひどい……」
ジョナサンの声が宙を舞っていた。
◆
朝の支度を終えた織姫は宿屋を後にする。
そんな織姫の肩上にはジョナサンがなにやら不貞腐れながら座っていた。
「寝起きのあの態度はあんまりやっ! ワイかてな好きで潰されてるのとちゃいますよっ!? 織姫はんの可愛らしい寝顔を見ていたらいきなり体ごとドンッですわ。なのにもかかわらず、織姫はんはワイの事を無視しシャワーを浴びに行くしまつ。ワイはな、怒ってるのとちゃいますよ? ですけどそれなりの誠意っちゅーもんを見せてもらわな困りますっ!」
あからさまに怒っているジョナサン。そんな肩の上に座っているジョナサンに織姫は
「あーはいはい。ごめんなさい。私が悪かった悪かった」
ジョナサンの怒りを軽く受け流す織姫。それはもう無表情で声に感情など全くこもっていなかった。だがイライラしている素振を見せないとこから織姫が低血圧ではない事が伺えた。
そしてその後もジョナサンの文句は延々と続き織姫の適当な謝罪が続いていた。そんな時
「あーまたやられちゃったわ」
イーヴィングの商店街で一人のおばさんが呆れかえりながら声を上げた。
そんな様子のおばさんの周りには他の店の人達も集まっていて。
「本当にどうなってるんだろうね」や「盗賊が居るってのもなんか嫌よね」という声が聞こえている。
そんなおばさん達の所へと織姫が近づいていき
「何かあったんですか?」
「盗賊よ、盗賊。最近この近くに盗賊が出るのよ」
盗賊とはまた物騒な話だ。だが周りの人達を見渡しても本当に困っているようには見えない。それどころか「どうしてだろう?」という疑問さえ浮かべている。
「盗賊が出るって、それ大変なんじゃないですか?」
織姫がおばさんに言う。すると
「それがね。別に商品を盗られてるって訳じゃないのよ。うちは野菜を扱ってるんだけど、商品にならない不恰好な野菜だけが家の倉庫から盗まれるのよ。だから別に商売に支障があるわけじゃないんだけど、お裾分けとかさまぁ色々使うじゃない? だから困っているわけじゃないから困っちゃうのよ」
最後にとても哲学的な言葉を発したおばさん。
だがその状況を見て29歳手前のアラサー女が仕事モードへと移行した。
「それでも近くに盗賊が居るという事が少しながらも嫌という気持ちがあると?」
「そうね。夜も眠れない程困ってはいないけど、盗賊が近くに居るっていうのは嫌ね」
おばさんの言葉を聞いて織姫の瞳が輝きだした。
「そうですよね。盗賊が近くに居るのはそれだけで嫌ですよね。なんなら私達がその盗賊を退治しましょうか?」
おばさんの手を握り猛烈にアピールをする織姫。そんな織姫の態度に戸惑ってしまったおばさんは
「あ、アンタいったい何者だい?」
「私達はこのエルフ領の端っこで細々と【なんでも屋】を営んでいる者です。その名のとおり仕事はどのような内容でも報酬さえ貰えれば引き受ける。まさに市民の使いパシリのような者です」
「なんか胡散臭いわね。まぁでも報酬なんて払えないよ」
自分をゴミのような形で売り込む織姫。それはもう奴隷かなにかと勘違いしてしまうそうな物言いだ。だがそんな織姫に不信感を抱いてしまっているおばさん。そして報酬はないと言う。そんなおばさんに織姫は
「報酬というのは言葉の綾でございます。お客様に最良な結果を持ってくるのが当社の理念であり信念でございます。契約を結ぶという形をとっている為、何かしらこちらにも相応の物が必要になってきます。ですが相応という言葉を勘違いしないで下さい。決して当社は等価交換を求めているのではございません。あくまでもお客様の良心、お客様の気持ち。それが当社の欲している物でございます。ですので報酬とはお客様が自分の気持ちを込めた物理的な何かをさしているのです」
華虞夜織姫。29歳手前の独身。彼氏いない歴7年。仕事は化粧品販売の営業。その実績はとても優秀で商品を売る為なら嘘をついても良いという信念をもっている。
だが彼女の能力は会社へと貢献している為、上の人間は何も文句は言わない。それどころか嘘をついて売っているのにもかかわらず彼女宛にきたクレームは入社してから一度も無い。
どうしてクレームが一度も無いのか。それは、彼女のつく嘘というのは会社の理念やお客様に対しての気持ちの部分だけであって、決して商品説明のさいに嘘をついたりはしていないという事だ。
それが結果的の彼女の売り上げになり信頼になった。そして彼女は20代前半から彼氏も作らずに仕事をこなし続けた。その結果が
「まぁ、そこまで言うなら依頼してみようかしら。本当に報酬はたいした物出せないわよ?」
「それはお客様の気持ちで十分です。では今回の件、私達に依頼なさるという事でよろしいですか?」
「えぇ。なんかアンタ悪い人には見えないし、盗賊が居なくなるんだったらそれが一番よ」
これが華虞夜 織姫の営業力。現実世界じゃないこの異世界でも通用するまさに本物の営業ウーマン。だけど独身。
「じゃあちょっと待ってて今報酬になるもの探してくるから」
織姫とジョナサンを置き去りにし、おばさんは家の中へと入っていった。そして
「お、織姫はん凄いやないですかっ!! こんなにも簡単に仕事を作るなんて、あんた天才やっ!!」
おばさんが居なくなったのを確認しジョナサンは織姫を感賞する。だが織姫の表情は先ほどまで見せていた笑顔がなくなり、無表情へと変わってしまっていた。
「アンタ何言ってんの? 私は自分の世界に帰りたいから必死なだけ。つかアンタの会社の理念とか信念なんて知らないし。口から出たでまかせよ」
あまりにも態度が変ってしまった織姫を見てジョナサンは怯えた表情になり体を少し震わせていた。
「じゃ、じゃあ。さっきのが全部演技とでもいーはるんですか?」
「当たり前じゃない。商品ってのはね売って初めて価値があるものになるの。そして今の私達の商品は仕事をこなす事の出来る私達自身なのっ!! だからさ、盗賊を退治するとは言ったけど絶対に退治するとは約束してないし、この近辺から追い出すとも約束してない。言ってしまえば盗賊を退治できたっていう事実をこの街の人たちが信じればそれでいいの」
あまりにも冷静で淡々と無情な言葉を並べる織姫に対して、もはやジョナサンは言葉を失っていた。
「それに私は今回の件が成立しなくても良いと思ってる。報酬を見て最終判断をするのはアンタだからね。だけど……」
冷静に話している織姫は一拍間を置いた。そして
「誰かから何かを奪うという行為は私も許せないから」
悲しげな表情を見せる織姫。何かを思い出しているその表情はジョナサンの心を動かした。
「なにゆーてはるんですか。せっかく織姫はんが持ってきてくれた仕事。社長のワイがそれを蔑ろにすると思ってはるんですか?」
織姫の肩の上で優しく微笑むジョナサン。その笑顔は自分の部下を心から信頼している微笑みで、誰も織姫のことを責める事はないと言っているようだった。
「はは、本当にアンタって社長にむいてないわ」
ジョナサンの笑みで少し心が和やかになったのか織姫も笑顔をみえる。そしておばさんが今回の依頼の報酬を持ってきた。
「こんな物しかなかったけど、これで大丈夫かしら」
小走りに戻って来るおばさん。そしてそんなおばさんの手にも持たれていた物は
大根だった。
だがその大根は一般的に売られている大根とは似ても似つかないような見た目をしていた。
「ごめんね。これは盗賊に盗られなかった残りものなんだけど、これじゃダメかね……?」
自分で持ってきたのにもかかわらず、おばさん自体が報酬にはならないと認識している。これがおばさんという生命体の図々しさなのか。はたまた本当に報酬になるもが大根しかなかったのか、疑問が残ってしまう。だが
「こ、こ、この大根……。なんなんや……!!」
おばさんが持ってきた大根を見てその瞳を大きく見開き、ジョナサンは驚きを露わにしてる。
「な、なんて卑猥な大根なんや……!!」
そうおばさんが持ってきた大根は盗賊が盗り忘れていった物。すなわち商品にはならない不恰好な物ということだ。
そしてその大根の形は、先端が二つに分かれていてまさに人間の足のように見える。そしてジョナサンのその大根の二つに分かれている付け根を触り
「なぁ織姫はん。何か棒のようの物もってへんか?」
「アンタが一番卑猥なのよっ!」
ジョナサンの言葉を聞いた織姫は、大根の足の付け根を凝視しているジョナサンを掴み怒る。だが今日のジョナサンはそこで引きはしなかった。
「せやかて、あの大根ほんまに卑猥やで? あんなもん見せられたら何か棒のような物を挿したくなるんが妖精さんの性やっ!!」
熱弁するジョナサン。そんなジョナサンを自分の顔の前まで持ってきた織姫はジョナサン以外に聞こえないよう小声で
「てめぇいい加減にしろよ? ここで訳わかんねーこと言って商談が破綻したらどうすんだよっ! 今回の報酬はこの大根なんだから、持って帰った後に好きなだけ挿せばいいだろっ!」
尤もな事を言っているようでメチャクチャな事を言っている織姫。そんな織姫はジョナサンを黙らせ再びおばさんと話し始める。
「うちの社長が取り乱し大変申し訳御座いませんでした。今回の件の報酬はその大根でよろしいという事なので依頼の契約を受諾されるという事でよろしいですか?」
「あら、本当にこんな大根で盗賊を退治してくれるの? それならその契約でいいわよ」
快く契約を受諾するおばさん。だが
「だけど報酬の大根は盗賊を退治した後にあげるわね」
そう言いおばさんは卑猥な形の大根を体の後ろへと隠してしまった。
「大根はああああああああんっ!!」
その瞬間、ジョナサンの悲痛な叫び声が木霊する。まるで最愛の人との今生の別れのような、悲しく切ないラブストーリーの最後を見ているようだった。
ジョナサンは小さい身体で短い腕を精一杯伸ばし大根さんへと近づこうとする。だが
「はいっ! 依頼の報酬は今回の件が全て終わった時に取りに来ます。それで大丈夫ですよね社長?」
「いややっ!! 絶対にいややっ!! 大根はんと離ればなれなりとーないっ!! ワイは……、ワイはっ!!」
ガバッ
叫び続けているジョナサンの口を顔面ごと掴む織姫。その手の中でジョナサンは「んーっ!! んーっ!!」と暴れ続けている。だがそんなジョナサンなんてお構い無しに織姫は
「それでですね。盗賊の特徴や居場所というを知りたいのですが、何か情報とかありませんかね?」
「それがね盗賊の姿は誰も見たことがないのよ。だけど多分街を出て少し行った場所の森の中で生活してるって噂で聞いたわ」
なんとも曖昧な情報なんだ。というか盗賊の姿を町の人が見たことがないという事実に驚いてしまう。
誰にも見られずに物を奪っていくその盗賊は本物の手練なのかもしれない。
「わかりました。街を出た先の森ですね。必ずや盗賊を退治し良い連絡をさせて頂きます」
そう言い織姫はおばさんへと一礼する。そして手の中で暴れているジョナサンを連れ町の外の森を目指し始めた。
◆
そしておばさん達と話しをしていた商店街を抜け、今は街の出口付近を織姫とジョナサンは歩いていた。
既にジョナサンは織姫のアイアンクローから解放させており肩の上で両腕を組み不貞腐れているようだった。
「なんでや。なんでワイと大根はんを引き離すような事を織姫はんは平然と出来はるんですかっ!? ほんまに織姫はんには人の情というものが欠けとるっ!! そんなんやから結婚できへんねん」
感情的に織姫へと暴言を吐くジョナサン。出会ってから何度もか同じような場面になっているが決まってこの後には織姫の制裁が待っている。
「悪かったって。だけどまずは仕事をする事が一番大切でしょ? 別にあの大根とは依頼を成功させればまた会えるんだから、今はワガママ言わないの」
ジョナサンを諭すように言う織姫。暴力という手段を使わず、織姫は優しさという手段を選んだ。だが普段なら暴れている織姫なのにどうしてこのような言動をするのか。
まさかこれが母性!? アラサー女に芽生えた母性だとでもいうのか!?
不思議なくらい優しい織姫にジョナサンは
「な、なんかすんません……。織姫はん……、何か悪い物でも食べはったんですか?」
ジョナサンが疑問を抱いてしまうのは尤もだ。何度も織姫に殺されかけ、それでも何度も織姫を挑発している小さなオッサンは織姫の体調が悪いんじゃないかと疑った。
だがさっきまで織姫はいつもの織姫だった。なのにどうしていきなりこんな態度をとっているのか。体調が悪いだけじゃ解決できない状態だとジョナサンもうすうす感じ取っていた。
その時
「え、えっと……。ここを真っ直ぐ行けば出口です? あ、でもでも、あっちに行けば出口です?」
四方に道が伸びている場所の中心で女の子があたふたとしている。その雰囲気から察するに道に迷っているようだった。
自問自答を繰り返しながら少女はあっちに行ったりこっちに行ったりを繰り返していた。そんな少女に織姫が
「あれ? 君って昨日私にぶつかった子じゃない?」
織姫が言う昨日ぶつかった子。その少女は確かに昨日ぶつかった少女であった。
そんな織姫の声に気がついた少女は
「え、え、えっと。私は昨日お姉さんにぶつかったです? それは本当にごめんなさいですっ!!」
勢いよく下げられる頭。きっとこの少女の頭の中はもう自分が道に迷ってしまっている事を忘れているだろう。
それくらい素晴らしい勢いで謝罪をされる織姫。
「そ、そんな頭なんて下げないでよっ! 私のほうこそちゃんと前見てなかったんだから。というかここで何してんの?」
少女が迷子になってしまっている事に気がつかない織姫。そんな織姫の疑問は普通でありなんの間違いもない。そして織姫の言葉で自分が今何をしているのかを思い出す少女。
「そ、そうですっ! わ、私は家に帰るために歩いていたのです。でも、どの道に進んで良いのかを忘れてしまったです……」
「もしかして迷子?」
「わ、私は決して迷子じゃないですっ! ただ道を忘れてしまってあたふたしてただけですっ!」
大きな胸を震わせ顔を真っ赤に染めながら自分の弁論をする少女。そんな少女の姿を見た織姫は
(なにこの子……。昨日見た時も思ったけど、ちょーかわいいっ!! マジで私の妹になんないかな)
少女の心配をするわけでもなく卑しい事を脳内で繰り広げている織姫。だが織姫はそんな自分の欲求を表に出すことは無く
「どこに行きたいの? 私がわかる場所なら一緒にいくよ」
優しく微笑み少女へと織姫は手を差し出した。すると
「ぐすんっ……。お、お姉さんはとってもいい人なのです……。ありがとうです、ありがとうです……」
急に涙を流しだし、お礼を言い続ける少女。そんな少女を見て自分がどれだけ醜く卑しい存在なのかを理解する織姫は項垂れた。それでも少女に伸ばした手を引くことはなく。少女はその手を掴んでいたのだった。
「そ、それで、どこに行きたいの?」
「ま、街の出口に行きたいです。兄様達が私の帰りを待っているのです」
「街の出口? それなら私達も今から行こうとしてたから丁度いい。ほら街の出口はこっちだよ」
そう言いながら織姫は少し足早に歩き始める。そして少女を誘導するように笑顔で街の出口の方向へと歩み始めた。
◆
街から出て少し歩いた場所。今、織姫とジョナサンそして少女はそんな何もない場所を歩いていた。
「それで君はどこまで行くの? あーつかずっと君って呼ぶのは面倒くさいから名前教えてもらっても良いかな?」
少女の歩幅に合わせながら歩く織姫。その姿はまさに紳士。とても女性にモテるタイプの男性が出来るスキルだ。そして沈黙をさけ、話す内容を提供できるナイスガイ。
「私はリリーナって言いますです。お姉さんは?」
「私? 私は織姫。そしてこの私の肩に座ってるのがオサーン」
自分の名前を言った後、織姫は勝手にジョナサンの事まで言い出した。するとさっきまで黙っていたジョナサンが
「ワイはオッサンあらへんっ!! オルヴィウス・サーベント・ジョナサンやっ!!」
大切な自分の名前を叫びながら元気よく織姫の肩の上で暴れだした。
そんなジョナサンを見てリリーナは驚き
「も、もしかして妖精さんですっ!? わ、私始めて妖精さんを見ましたです」
ジョナサンのことを妖精というリリーナ。
確かにジョナサンは自分の事を妖精と表現することがある。だが、この異世界には四つの種族しかいない筈だ。それはジョナサン自ら言っていた事だ。
だとするといったい妖精とは何者なのか。
「そうやでオッパイ大きなお嬢ちゃんっ! ワイはみんなの大好き妖精さんやっ!」
先ほどまで織姫の肩の上で憤怒していたジョナサンは、その態度を一変させ自分の胸を叩きながら自信満々に言った。
すると、ジョナサンの事をキラキラとした瞳で見るリリーナが
「感動ですっ!! 感激ですっ!! 本当に妖精さんがいるなんて思ってなかったのですっ!!」
その瞳を輝かせたリリーナは飛び跳ねながら喜びを体中で表現すし、ジョナサンという妖精に出会えたこと自体を幸福に思っている表情だった。
だが、そこまで過度に喜んでいるリリーナを見ていた織姫は、自信のなかに芽生えた疑問を率直にリリーナへと問う。
「ちょっと待って。どうしてそこまでこの小さなオッサンと出会えたことを喜んでるの?」
「お姉さんは知らないですか? 《幸せを呼ぶ妖精さん伝説》」
リリーナが言った《幸せを呼ぶ妖精さん伝説》。
この世界には沢山の神話や逸話、そして伝説がある。
織姫の現実世界で言う昔話みたいなもので、その殆どが小さな出来事に尾ひれをつけ出回っているのが現状だ。だがその話の中には真実をそのまま伝承しているものもあると言われている。
「その《幸せを呼ぶ妖精さん伝説》の妖精さんがオサーンなの?」
織姫が疑ってしまうのは十分すぎるほど分かる。
その伝説と言われている妖精さんが、ボロボロで継ぎ接ぎだらけのスーツを纏い、その格好とう正反対な綺麗で美しいシルクハットを被った手の平サイズのオッサンなのだから。
そして織姫の質問を聞いたリリーナは
「はいですっ! 私は生まれてから16年間でこんなに小さな生き物を見たこと無いですっ! オサーンさんは間違いなく妖精さんですっ!」
純真無垢な表情で言ったリリーナ。そんなリリーナを見て織姫は
(え? この子16歳なの!? マジ……? 私と一回りも違うっていうの!? あーマジで妹になんねーかな)
話の本質とは完全に異なった思考を浮かべる織姫だった。
そしてジョナサンは
「だからワイはオッサンあらへんっ! オルヴィウス・サーベント・ジョナサンやっ!!」
ジョナサンの大きな叫びが木霊した。そして
「あ、目的の森ってここよね?」
織姫たちの目の前に現れる大きな森。何故だがは知らないがその森の入り口らしく場所に『ここが森の入り口です』と書かれた看板が立っていた。
そんな看板が立っている事が既に怪しいが、この看板は人為的に作られた物とみて間違いない。そいてその看板があるという事は
「ねぇオサーン。本当にここがアジトになってるのは間違いないみたいね」
看板を凝視した織姫が確信していた。そしてその織姫に賛同するように
「そうやな。これでやっと大根さんを助け出すことができます」
なにやら私情をはさむ発言をするジョナサン。そんな二人はリリーナの存在をすっかり忘れていた。
目つきが異様に殺気立っている織姫とジョナサン。
そんな二人は森の中へと足を踏み入れるのであった。
◆
森の中は大きな木々に覆われ太陽の光を幾分か遮断している状況だった。
ジョナサンが住んでいた森とは雰囲気からして全く違う。いつ獣が林の中から襲ってきてもおかしくないような不気味な雰囲気を醸し出していた。
そして道という道は無く、ただ闇雲に草木を掻き分け歩くしか織姫たちの選択肢は無かった。
「本当にこの森に奴等がいるんでしょうね?」
「せやけど八百屋のおばちゃんはこの森ゆーてはりました」
人が住めるような状況じゃない森の内部を垣間見た二人は、本当にここが目的地なのかと不安を漏らす。
だがそれでも、森の入り口にあった看板の事を思い出し、あっているのだと信じながら突き進んでいく。すると
「お姉さんもオサーンさんも待ってくださいですっ!!」
「ちょ、リリーナついてきちゃったの!?」
森に入る前の二人は獲物を前にした獣のように殺気だっていた。そのせいか途中までついてきていたリリーナの存在を完全に忘れてしまっていた。
そのおかげで、何にも関係のないいたいけな娘リリーナを危険な場所へと導いてしまったのだ。
「リリーナ、今からでも遅くないから早く森の外に帰りなっ!! 本当にここは危ないから」
「で、でもでも……、私もこの━━」
ヒュンッ
リリーナが話しをしている途中だった。織姫を狙ったと思える物体が物凄い勢いで飛んできた。そして
「あぶなっ!!」
「ハギュンッ!!」
間一髪のところで織姫はその高速で飛ぶ物体を避けるが、あろうことか避けた先にいたリリーナへとその物体が直撃してしまった。
「リリーナッ!?」
自分が避けた物体がリリーナに当たったのが分かったのか、織姫は瞬間でリリーナの安否を確認する。
だが、その物体と衝突した時の衝撃なのかリリーナは気を失い倒れてしまっていた。
その物体の大きさは手の平で包める位の小さな物で、感覚的に石つぶてかなにかだという事だけがわかる。
そして気を失ったリリーナ近づいた織姫は
「だから早く森の外に出ろって言ったんだっ!!」
リリーナの体を抱き寄せながら眉間に皺を寄せ織姫は叫ぶ。そして
「なぁオサーン。今の攻撃、絶対に盗賊の仕業だよな」
トーンを落とした低い声音で織姫はジョナサンへと尋ねた。
今の織姫は怒りに満ちている。か弱い女の子を守ることが出来なかったという罪悪感からなのか、はたまた自分の無力さに怒りを覚えているのか。目つきの変る織姫の意思は誰にも分からない。
だがそんな織姫に対しても普段どおりに接するできる小さなおっさんがいた。
「せやな。こないな人が住めへんような複雑な森の中で、正確に織姫はんを狙い打ちしとった。間違いなくこの森の地形を熟知した奴の仕業やで」
普段からふざけているジョナサンでも今の状況を理解し真剣な表情で織姫の質問に答えていた。
そこまで真剣な雰囲気を出している二人だが、未だに盗賊の位置を察知することが出来ていない。
織姫は現代から召喚されたただの女。そしてジョナサンも戦闘というのもから離れた小さなおっさんに過ぎない。今の状況は完全に盗賊有利に事が進んでいる。
だがそんな中、ジョナサンは冗談のような事を言い出す。
「織姫はん。変身しましょ」
「変身っ!?」
「せや。仕事の内容を話したときにいーましやろ? ヒラヒラの服着て仕事できるて」
確かにジョナサンは言っていた。制服はヒラヒラだと。だがその内容を話したときの織姫は泥酔している状況で、その記憶があるのかすら定かではない。
だが何か自信あり気なジョナサンの表情を見て、織姫も決断する。
「分かったわ。変身して勝てるんなら、ヒラヒラの恥ずかしい服でも着てやろうじゃないっ!」
「そうこなくちゃなっ! ワイは信じておりましたでっ!」
笑顔を見せる二人。そしてジョナサンは自分の体の前に両手を出し
「我は命ずる 彼の者の真の姿を呼び覚まし 愚者たる者へと断罪を下す力を与えたまえ」
呪文のような言葉を発したジョナサンの手元は青い光が生まれ、その光は詠唱を終えたときには織姫の体を包んでいた。
「我が召喚に応えた魔女へ力をっ!!!!」
「な、なにこれっ!?」
青い光へと包まれた織姫。そしてその姿を再び現した時
桃色と白のヒラヒラとしたドレスのような服。その胸元には大きな赤色のリボン。そして織姫の髪にも赤いリボンがついている。
その織姫の姿を見たジョナサンは
「誕生や……。新しい魔女の誕生やっ!!!!」
ジョナサンの歓喜と共に、織姫が魔女である本来の姿を現した。