002 プロローグ3
【イーヴィング】
エルフ領の外れにある町。王都からは離れた場所にある【イーヴィング】はエルフ領土内で一番小さな町だ。
この国エルフ領には王都【アスタリア】の他に五つの町が存在する。先に述べた【イーヴィング】の他に【ギリアム】【フィルガンテ】【ティファレ】【カダ】この五つがエルフ領内の町である。
町の大きさはバラバラで王都【アスタリア】に次ぐ大きさを誇る町は【カダ】である。商業が盛んな【カダ】には小さく名前すら地図に載らないような村民等が移住をする地でも有名だった。
町の雰囲気はとても賑やかで王都【アスタリア】と大差が無いほどの人口。そして何より商業の町という事もあってか移住民は直ぐにでも職に就くことができ、苦しい生活をしていた時とは正反対に笑顔を浮かべる。
そんな町【カダ】なら仕事を見つけるのは容易い事だったのかも知れないが、織姫とジョナサンがいる町はとても平和な町【イーヴィング】
この町で《なんでも屋》がお金を作る仕事の依頼が入るとは到底思えない。
「や、やっと町に辿り着いた……」
どれ程険しい道のりで【イーヴィング】まで来たのか。それは彼女の姿を見れば一目瞭然だった。
織姫の身体には大量の葉っぱや木の枝などが付着していて、額からは大量の汗が流れ落ちてきていた。
そんな大量の汗をかいている織姫とは相反して織姫の肩の上で悠々と涼しい顔をしているジョナサン。そんなジョナサンに腹が立ったのか織姫は口を尖らせながら怒鳴る。
「どうしてアンタの家から一番近い町へ来るのにこんなに頑張らなきゃいけないのよ!! つかどうしてアンタはあんな森の中に住んでるのっ!!」
体力が底を尽きそうになっている織姫の最後の力。
家を出る前の織姫ならジョナサンを鷲掴みにし、内臓を口から出さんばかりの力で握っているところだ。だが織姫にはそんな力は残されておらず、怒声を上げた後その場で膝から崩れ落ちた。
「せやかてあの場所なら家賃もいらんし、大声出してもええ。不便なのは織姫はんの世界で言うコンビニが近くにないことくらいでしょ。織姫はんは、駅近でバストイレ別、コンビニが近くにある家賃の高い物件に住んでるからこんな時苦労するんや」
やれやれと言わんばかりに両手を宙に上げ眉を顰め首を横に振るジョナサン。そんなジョナサンの態度を目の当たりにした織姫は再起した。
「てめぇ……。あんまふざけた事言ってっと挽肉にすんぞ……!?」
「ちょ、織姫はん……!! 冗談ですよね……!? ちょ、え、堪忍してええええええええええええっ!!」
怒りをジョナサンへとぶつける織姫。どうして織姫がここまで憤慨しているのか、それはジョナサンの家からここまで辿り着くまでの話だ。
◆
小さくボロい木造のジョナサンの家を出ると目の前には森が広がっていた。 営業をかけると意気込んでいた織姫は唖然とする。
意識が戻った時にはジョナサンの家の中だった為、外の状況が全くもって分からなかった。
そして生い茂っている木々を眼前に織姫はジョナサンを見て口を開く。
「ねぇ、アンタ確かここはエルフの領土の端っこって言ってたわよね……?」
「そうです。ここはエルフ領の端っこの端っこです。森に囲まれてて、ワイの家の先には大きな岩が壁になっていて他の種族もワイの家には近づけない立地になってます」
織姫の肩に座りながらジョナサンは答える。
条件が良いのか悪いのか分からない立地の話をし、ジョナサンは得意げに胸の前で腕を組んだ。
「あのさ……。ここから一番近い町ってどのへんなの……?」
「この森を抜けて少し進んだ場所に【イーヴィング】ゆー町があります。まぁ近いゆーても歩いたら一日強掛かりますけどな」
「一日、強……?」
現実を知った人間はとても深く後悔をする。織姫もそんな人間と同じ存在で、ジョナサンの言葉を聞き後悔を隠すことが出来なくなっていた。
だが織姫は、それでも自分の世界に戻りたいと願っていて、どんな困難も受ける強い意志を備えていたのだ。
「はははは……。この森抜けて、仕事探して、その仕事終わったら、アンタをモザイクだらけの体にしてやる……」
沸々と憎しみを悦に変換していく織姫は、とても女性とは思えないような魔王な笑みを浮かべていた。
「モ、モザイクて……。そんな画像処理せんといけない体て……。まさか、いたいけなワイを全裸にしてあられもない姿にするつもりですか!?」
「あ? アンタ何言ってんの? アンタの体がグチャグチャの肉塊になるからモザイクかけんでしょ。つか、アンタみたいな小さいオッサンの全裸なんて需要ないっつーの」
ジョナサンを冷たくあしらう織姫。そして織姫は一人で森の中を歩き始めた。
「ちょ、待ってくださいお嬢さんっ! ワイを一人にしないでぇぇぇぇ。あと、ワイをグチャグチャにもせんといてぇぇぇぇ」
◆
森の中を歩き始めて少しの時間が経過していた。
延々と続く同じような景色。見えないゴールをひたすら目指す織姫。と言っても【イーヴィング】までは一日強掛かるのだ。まだ少しの時間しか経っていないので先はまだまだ長い。
「ねぇオサーン。何も話してないとメンタルやられそうだから何か話して」
「よーそんな無茶振りができますね。まぁえぇですけど……。取りあえず、お嬢さんの名前を教えてもらってもよろしいですか?」
「え? あー確かに名前言ってなかったわね。私の名前は織姫、華虞夜織姫よ」
気だるそうに自己紹介をする織姫。そんな織姫の肩の上に座っているジョナサンは、織姫の名前を聞きふんと馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「織姫て……。ふふ、完全に名前負けしとるやないですか。この歳まで結婚できない織姫はん。ふふふ、お姫さんも大変ですね」
「なに。私の名前に何か文句でもあるって言うの?」
肩の上に座るジョナサンを睨みつける織姫。その状況はまさに蛇に睨まれた蛙で、ジョナサンは数秒の間恐怖のあまり動くことが出来なかった。
「な、な、な、なんも文句なんかありまへん。さーて楽しい話、楽しい話っと。そや、織姫はんはまだこの世界に来たばかりや。ワイが簡単に説明したるで」
そう言いジョナサンは織姫の肩の上で立ち上がる。
「この世界は四つの種族で構成されてます。その種族はエルフ、サラマンダー、ドワーフ、ウンディーネ。何百年も前に四つの種族は戦争をしてたみたいやけど、今は平和な世界になってます。国同士の争いごとを禁じ、必要以上に他国へのアクセスが出来ないよう今はなってます」
ふざけていたジョナサンの表情は普通のオッサンの表情に戻り、この世界の説明を織姫に続けた。
「ほんでさっきも言いましたが今ワイらがいるのがエルフ領。そんで隣国さんがサラマンダー領になってます」
エルフ領はこの世界の四大種族の中で一番小さな領土になっていて、そんな一番小さなエルフ領の隣国は大国サラマンダー領であった。
武力国家のサラマンダー領はその多大な力を使い、過去の戦争時に領土の拡大に成功した国で、今の国土の状況を見れば分かるが四大種族の中で尤も大きな力を持っている種族である。
そしてサラマンダーの次に国土が大きいのがウンディーネであり、その次にドワーフ、エルフと続く。
ジョナサンが話していたように今は戦争も無く他国間に蟠りがあるわけでもない。いたって平和な世界である。
「ねぇオサーン。どうして国って言葉を使うのに領って言葉も使ってるの?」
「ワイはオサーンあらへんっ! ジョナサンやっ! ジョ・ナ・サ・ンッ!!」
「んなことどうでも良いから早く説明しなさいよ」
再びジョナサンを睨みつける織姫。そんな状況にも慣れてきたのか、ジョナサンは嘆息し話を始めた。
「元々はこの世界に領土も国も無かったらしいんですわ。全ての種族で共存し合っていた。でもある時、どの種族かわからへんけど自分達の領土が欲しい言ったらしいです。それで四大種族の長が話し合いをして世界を四つに分けたらしいんですわ。だから最初は国じゃなく領土だったせいか、今でも領を使っているみたいです。まぁ国でも領でも然程大差はないんやけどな」
ジョナサンは話し終わり織姫の肩の上に座る。そんなジョナサンは追記を話し始めた。
「まぁあれや、今話した内容も本当かどうかわからへん。昔話みたいに語り継がれているだけやから信憑性もないし、織姫はんが質問せーへんかったらどうして国じゃなく領なのか考えもせーへんかったわ」
当たり前のようになっている言葉を異世界から召喚された織姫には当たり前ではなくどこか違和感を感じてしまった。
だがこの世界に生きている種族達にはどうでも良い事なのであろう。
そんな話が終わり織姫は黙り込んでしまった。
「どうしたんです織姫はん? なんやさっきから静かですけど?」
「……」
ジョナサンの言葉にも反応を示さない織姫。というか何か小さな声でブツブツと言っている。そんな織姫の声にジョナサンは耳を傾けた。
「あぁ……。マジでもう無理……。こんな森の中に一日以上いなきゃいけないとか意味わかんない……」
「ちょ織姫はんっ!? ワイの話なんて全く聞いてなかったでしょっ!?」
「どうしよう……。歩いて一日強でしょ? なら走ればもう少し早く着く?」
「織姫はんが話しせーゆーたから話したのに……。ワイの気遣い返せっ!!」
ガシッ
「耳元でギャーギャーギャーギャーうるせぇんだよ」
ジョナサンを鷲掴みにし黙らせる織姫。もう何かあればジョナサンが織姫に鷲掴みにされるのがデフォになってしまっていた。
そしてジョナサンは織姫の手の中で暴れるも力無く項垂れてしまう。すると織姫はジョナサンを解放し
「あぁもうっ!! さっさとこの森抜け出るからアンタ私の肩の上で道案内して」
「ケホッコホッ……。道案内……? まぁえぇですけど走ってもかなり時間かかりますよ?」
「大丈夫。運動神経はわりと良いほうだったから」
何の根拠も無い織姫の自信。きっとその運動神経というのも過去の栄誉なのであろう。今の織姫は30歳手前のアラサー女。そんな女が一日強掛かる森を走り抜ける事なんて不可能だ。
「じゃあ行くよっ!」
そう言い織姫は地面を強く蹴った。
ビュンッ
地面を蹴ったと同時に織姫の速度は風のように速かった。そして先ほどまで歩いていてゆっくりと流れていた景色がまるで乗り物になっているような速さで流れていく。
(なにこれ……? 凄く早く走れる……? つか体もなんか軽いし、どうして……?)
「織姫はんっ! アンタどんだけ運動神経えぇんですか!? 魔女補正がかかっとるゆーてもこの速さは異常ですっ!」
織姫の服にしがみ付きながらジョナサンは叫んでいた。
◆
そして今に至る。
「それにしても織姫はんの足の速さには驚きましたわ。一日強掛かる道程をたった2時間で着いてしまわれはるんですもん」
そう。一日強掛かるとジョナサンが言っていたのにもかかわらず、織姫の凄まじい足の速さで2時間という短い時間で【イーヴィング】まで辿り着いていたのだ。
だからこそ織姫の体力は限界を超えてしまったみたく。【イーヴィング】についてから項垂れっぱなしだった。
「もう、なんでも良いから宿屋探そう……。仕事を見つけるのは明日で良いから……。取りあえず私はフカフカのベッドで寝たいしシャワーも浴びたい……」
力なく言葉を発する織姫。そんな織姫を見かねたのかジョナサンは
「ほんまにもう……。織姫はんはしょうがないですな。取りあえず宿に止まるにもお金が必要でしょ」
そう言いジョナサンは腕を宙へと伸ばした。
「我が身に宿りし力よ、我の願いを聞き、奇跡を起せ」
呪文のような言葉を発するジョナサン。そしてその呪文を詠唱し終わるとジョナサンの手が光り輝く。その瞬間、空間に亀裂が走りその中からは
「よし。これで財布は手にした。これで宿屋を探しても問題あらへんよ」
財布が現れた。
どんな状況で空間に亀裂を作りその中から財布を取り出すというのか。その真実を知っているのはジョナサンだけだ。
そしてそんな摩訶不思議な現象を垣間見た織姫は口をあんぐりと開きながら
「ちょ、ちょっと。今のっていったいなんなの……?」
誰もが当たり前のようにする質問を織姫はジョナサンへ投げかけた。
「何って、魔法に決まってるじゃないですか。今のは空間転移魔法の一種で、ワイの家に置きっぱなしになってたワイの財布を持ってきたんです。何をそんなに驚いてはるんですか?」
財布を手に持ちながらジョナサンは何食わぬ顔で言う。そして織姫にも分かりやすく言い方を変えた。
「まぁ織姫はんの世界で言うにゃんこロボットのポケットみたいなもんですわ」
ここで疑問に思うがジョナサンは織姫の世界のことが詳しすぎる。どこまで精通しているのかは定かではないが、ここまで色々知っていると清々しい気分になる。
「つか待って。空間、転移魔法……だっけ? それってさアンタの家からここまで簡単に来る事って出来なかったの……?」
ジョナサンが魔法を使う事への疑問は無く。織姫は自分がもしかしたら楽できたんじゃないかと考えてしまった。するとジョナサンは
「普通に出来ましたよ? でも織姫はんが急にワイを連れ出して、他にも話さなきゃいけない事や織姫さんの暴力のせいで完全に忘れておりましたわ」
頭に手を添えながら「あはは」と笑うジョナサン。そんなジョナサンの態度が気に食わなかったのか、織姫は拳を強く握り締めながらジョナサンに迫る。
「てかさ、お前さ、何でそういう大事な事を忘れてるわけ? つかさ、ここまで私に連れてきてもらってありがとうとかないの?」
「待ってください織姫はん……! もうワイの体はボロボロなんです……! だから織姫はん、後生や後生や……!!」
虚ろな目をした織姫は、怯えているジョナサンへとその拳を近づける。だが
「はぁ……。なんかもうアンタを殴るのも疲れたわ……。なんでも良いから宿屋探そう」
肩を落とした織姫から力が抜ける。そんな織姫は自分の肩の上にジョナサンが乗っている事すら忘れ、彷徨うように宿屋を探し始めた。