020 異世界の魔女 決着
少女は独り泣いていた。その涙は誰かの目に止まる事は無く、ただひたすらに流れ続ける慟哭。
少女の叫びは誰の耳にも届かず、視界に映る人々が少女には何者なのか分からなくなっていった。そんな少女は世界を憎んだ。
絶望した少女は、可憐な愛らしい顔を無へと変え小さく呟いた。
「もう、何も信じない……」
絶望を知ってしまった少女の言葉はとても強く。その意思が途絶えることは無かった。
そんな少女は今、全てに絶望した時と同じように、その可憐で愛らしい顔を無へと変えてしまっている。そして少女は憎んだ人間を見下しながら小さく呟いた。
「フリーズレイン」
少女のその言葉は忌むべき存在を殺そうと、自分の意思が正しかったのだと自分に言い聞かせるように放った。
そして少女の周りには何十個もの大きく鋭利な氷柱が顕現される。そして少女の合図と同時にその氷柱達は大地へと降り注いだ。
そんな残忍な少女の名は
魔女 トウカ。
そして対峙するもう一人の魔女。華虞夜 織姫。
その身体はボロボロで、立っている事すらままならず、その場で膝を折り自分の最期を迎えようとしていた。
(これで、全部終われる……。やっと終われるんだ……)
織姫の思考は何もかもを諦めてしまった考えで、それと同時に苦しみから解放されるという喜びも混ざっていた。だが
「皆、織姫殿を守れええええええっ!!!!」
それはトウカの放った氷柱が地上に降り注ぐ寸前の出来事だった。
諦め目を閉じ、自分の死を覚悟した織姫の目の前に人くらいの大きな盾を持った騎士団の皆が、織姫を守るようにトウカの魔法の前に立ちふさがった。
そしてその盾へと何十もの大きな氷柱が降り注ぐ。
その衝撃は物凄いものだった。大きく重量のある盾を持っている騎士団の皆はその衝撃に耐えるため踏ん張ってはいるが、少しずつだが確実に強制的に後退させられていた。
そんな騎士団を目の前に織姫は
「な、なんで……? 何で私なんかを……」
「私なんかなどという言葉を使うのはお止め下さい織姫殿」
呟いた織姫の声に反応した一人の騎士。その騎士は神獣討伐のさい織姫が助けた騎士だった。
「織姫殿は私を神獣討伐のさいチャロから助けて下さいました。あの時の私はただただ恐怖にかられ狂乱してしまい、本当にお見苦しい姿を見せてしまいました。それでも織姫殿はそんな私を見捨てず、御自分の身体を張り助けてくれました。そんな命の恩人が危機に面しているのです。助けない道理がありますか」
盾に当たる氷柱の衝撃に耐えながら騎士は言う。そんな騎士に織姫は
「違う……。私は守られるような事なんてしてないっ!! 自分が苦しみたくないから、自分が悲しみたくないからやっただけ……。私のはただの自分勝手なの……。だから早く逃げてよ……、じゃなきゃ皆が死んじゃうよっ!!!!」
大声で泣き叫ぶ織姫。その気持ちは本物で、織姫は誰にも傷ついて欲しくないと思っている。そんな織姫だからこそ騎士は
「確かに織姫殿の言うようにこのまま織姫殿がもう一度立ち上がってくれなければ、我々は死んでしまうかもしれません。ですがきっとここにいる皆が思っております。織姫殿は必ずもう一度立ち上がってくれると。だから騎士団を代表して皆の気持ちを私に言わせてください」
そう言い騎士の振り向き、織姫の瞳を見ながら
「我々がどうして織姫殿を助けに来たのか。そしてアヴァン団長の想いを報わせてくださったからです。それでけではありません。我々の為に、エルフ領の民の為に、織姫殿は一人戦おうとしてくれた。異世界の者だというのに、本当にお節介なお方だ。そんな織姫殿が戦っているからこそ、我々は織姫殿の盾になると自らの意思で決めたのですっ!! そしてこれが騎士団皆の気持ちです。織姫殿、我々を助けてくださり感謝します」
騎士の言葉を聞いた織姫の脳裏には、この戦いが始まる前に助けた家族の少女の言葉が甦っていた。
『お姉ちゃんっ!! 助けてくれて、ありがとー!!』
そして織姫の頬に涙が一筋零れた。それは今までの悔しいや、悲しい、そして辛いといった不の感情の涙ではなく、塞ぎこみ全てを背負おうとしていた織姫の心を溶かす優しい涙だった。
「どいつもこいつも……。本当に自分勝手な奴等ばっかだ……」
そう呟いた織姫は重くなった身体を無理矢理に立ち上がらせ、凍ってしまった自分の左肩を右手で掴みながら
「本当にお前等は馬鹿だよ……。その馬鹿さかげんは団長譲りか? それでも元気がでた。ありがと」
微笑む織姫。その姿を見た騎士団の士気は高まる。そんな騎士団達に織姫は空を見上げながら話し始めた。
「きっと、トウカの攻撃はもう少しで止むと思うんだ。私は魔法を使えるわけじゃないから断定は出来ないけど……。でも結局のところ感情に任せて魔法を乱発してるだけだと思う。そんなの体力的にも精神的にも簡単に疲弊する。だからこの攻撃は長く続かない。それまで、皆には辛いかもしれないけど耐えて欲しい……」
「了解しましたっ!!!!」
◆
そして攻撃を始めたトウカ。
地上でボロボロになっている織姫を見下しながら魔法を唱えたトウカの感情は完全に無くなってしまっていた。
そんなトウカの周りには無数の氷柱。その氷柱はトウカの一言で地上へと降り注ぎ、この戦いの終わりを伝えようとしていた。
だがトウカの予想していた現実にはならなく、騎士団達が織姫を守る為に大きな盾を持ちトウカの魔法を防ぎ始めた。
そんな騎士団達の姿を見たトウカは
「なに、あれ……? 織姫を守ろうっていうの……? ふざけんじゃないわよ……。ふざけんじゃないわよおおおおおっ!!!!」
消えてしまったトウカの感情が甦る。それは怒りに満ちていて、トウカを暴走させるのには最適の感情だった。
(どうしてよ。どうして私も同じ魔女なのに、織姫だけが守られてんのよっ!! ムカつく……。ムカつく、ムカつく、ムカつく、ムカつく、ムカつくっ!!)
「てめぇら全員ムカつくんだよおおおおおおっ!!!! 死ねっ!! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねしねえええええええっ!!!!」
暴走したトウカは更に無数の氷柱を召喚し、地上へと降らせる。
感情をコントロール出来ていないトウカは、騎士団達だけではなくその周りの建物全てに氷柱を降らせていた。そのせいで巻きあがる砂埃。トウカからは地上の景色は殆ど見えていなかった。
だがそれでもトウカは攻撃を止める事はなかった。
「何が守るだよっ!! てめぇらみたいな雑魚が群れを成したって大きな力の前では無力なんだよっ!! 弱い者は日陰で暮らさなきゃいけないんだよおおおおおおっ!!!!」
何度も何度も怒りを何かにぶつけるようにトウカは氷柱を降らせ続けた。そしてトウカの手が止まる。
「はぁ……、はぁ……、はぁ……。ふふふふふ、あははははははははっ!! これだけやれば全員死んでなくてもかなりの数が死んだよね。そうすれば怒り狂った織姫が出てくる。それを今度こそ殺してやる……。ふふふふ、あはははははっ!!」
魔法を使いすぎてしまったのか、息を切らすトウカ。だがそんな体力の状態とは相反し狂ったように笑い出す。
その時、トウカの目の前を何かが通った。そしてその姿を瞳に映したトウカからは笑みが消え
「織……姫……!?」
目の前に現れたのは織姫だった。
織姫はトウカの攻撃が止むのを待って、砂埃でトウカが目視できないのを予測し、そのボロボロになった体から最後の力を振り絞り地上から跳躍してきたのだ。
そんな織姫は拳を強く握っており、血だらけのままトウカを睨んでいた。
「お前には言いたい事が山ほどある。アヴァンの事もチャロの事も騎士団皆の事もエルフ領の民の事も……!! 話し始めたら日が暮れちまうくらい沢山ある。でも今はそんな事全部抜きにして、悪い事をしたガキに大人はこうするんだ」
織姫の言葉を聞きながらトウカは防御体制を整えようとした。だが織姫の出現は予想していなかった為か、その行動を完遂することが出来ず。
「ゲンコツだっ!! クソガキイイイイイイイイイイイイッ!!!!」
叫びと同時に織姫の拳はトウカへと振り下ろされ、その拳はトウカの顔面へとぶつかった。そしてその衝撃でトウカは強制的に地上へと落下していく。
まるで隕石が落ちてきたみたいな衝撃で地上に激突するトウカはその勢いで建物を壊していった。
一撃を打った織姫も息を切らしながら地上へと降り立った。そんな織姫へと走って近づいてくる騎士団達。
織姫の身体を労わるような言葉をかけるが、織姫は「心配ない」と言い騎士団を止めた。
(心配ないとか強がったけど、本当はもう限界……。お願いだから立ち上がらないで……)
願う織姫。その時、織姫の凍っていた左肩の氷が溶け始めた。それはトウカの意識が無くなった証拠であった。
そして織姫は全ての戦いが終わったのだと安堵し、その場で膝を崩した。だが
「ふざけんなよ……」
誰もが今の現状を嘘だと思いたかった。
崩れた建物の瓦礫の中から血だらけで現れたトウカ。そんなトウカを目にした織姫には、もう戦うだけの力は残っていなかった。
「一撃食らっただけでこんなにダメージがあるとか、てめぇの補正はイカれてんだよっ!! 何で私にはその力がないんだよっ!!」
叫び散すトウカ。そんなトウカに織姫は
「別に私が求めて得た力じゃない。それに、私は魔法が使えない。だったら平等じゃないのか? 魔法が使えるお前と、補正が異常な私」
「魔法が使えない……? 何言ってんだよ、魔女なのに魔法が使えないとか嘘だろ……?」
血を流し、怪我をしてしまった場所を腕で押さえるトウカ。その表情は驚きを表していて、何が何なのか分からないと言った表情をしていた。
「だからお前と私は同じだ。力なんてただの付加要素でしかない。今の私達は互いにボロボロだ。それは、私達が同じだったからだろ」
微笑みながら話す織姫。だがトウカは
「何が一緒だよ……。全然違うじゃねぇかよ……」
「……トウカ?」
「お前は守られてんのに私は誰にも守られていないじゃねぇかよっ!!!!」
涙をその瞳に浮かべ、叫ぶトウカ。そして
「そうやって綺麗な言葉を並べるだけの大人が私は大嫌いなんだっ!! 優しい言葉を、言い言葉を聞かせれば私の気持ちが晴れるとでも思ってんのかよっ!! そんなもんいらないんだよ……。私はだた、誰かに見つけてもらいたかっただけなんだよ……!!」
その言葉を言うとトウカの身体からは力が抜け、傷を押さえていた腕は重力に逆らえず地上へと伸ばした。
そしてトウカは自分の事を話し出す。
「現実世界での私はただの苛められっ子だった。根暗な性格だったのがいけなかったのは分かるけど、それでも周りの人達に馴染めるように自分なりに頑張ったんだ。だけどさ、女ってすげー陰湿で、常に誰かを標的にしてなきゃ自分の存在理由を理解出来ない生き物だろ? それで私が標的になったんだよ」
トウカの一言一言を真剣に聞く織姫。
「そんな生活が嫌で先生にも相談したし、親にも相談した。でも誰も私を助けてくれなかった……!! おかしいよね、どうして実の娘が泣きながら虐められてるから助けてって言っても助けてくれない親なんだよ……? だから私は全てを憎んだ。どんなに頑張っても報われない、どんなに私を見てほしくても誰も見てくれない。だったらこんな世界なくなればいいって本気で思った。そしたらあの方が私の目の前に現れたんだ。そして私はこの世界に召喚されて力を得た。ねぇ……、私がしてきた事って間違えてるの……? 傷つけられたから傷付ける事のどこが間違ってるのよっ!!」
トウカの叫びを聞き、その場にいる全ての存在が言葉をなくした。それは今まで憎んでいた、敵だと認識していた存在が自分達以上に傷ついて生きてきていたから。
騎士団達の中にもトウカのような生き方をしてきた者は居なかったみたいだ。
だが織姫はそんな傷ついているトウカの言葉を聞き、もう立ち上がることすら困難な身体を無理矢理立ち上がらせた。
「トウカ。お前が言ってる事が本当なら、トウカがおかしくなっちゃうのも分かるよ。でもね、自分が傷つけられたからって誰かを傷つけていい道理にはならない」
トウカを少し睨みながら言う織姫。
「道理にはならない……? 何も分からないアンタなんかに言われたくないわよっ!!」
「確かに私はトウカの気持ちを全て理解することは出来ないのかもしれない。でもね私も孤独だったから、トウカが独りで苦しんでたって気持ちは分かるよ。凄く苦しいよね、凄く辛いよね……。それでも私は嘆かずに生きてきた。それで気がついたらもうオバサンだよ」
笑顔を見せる織姫。そんな織姫の言葉を聞いたトウカは何も言い返せない。
正しいことを織姫は言っているわけではない。だが織姫の言葉にはトウカを理解しようという気持ちが込められているものだった。だからこそ、トウカは何も言い返せなくなってしまった。
「きっとこの世界の皆はトウカを許してくれないかもしれない。トウカのせいで傷ついた者達が沢山いるから……。私だってアヴァンの両親を殺したのがトウカだって分かった時、凄くアンタが憎かったもん。でもね今トウカの気持ちを聞いて私は許そうって思えたんだ。だってさ、トウカも私と同じ独りぼっちで苦しんだ女の子だから」
そして織姫はトウカへと腕を伸ばし
「もう私は独りぼっちじゃない、見てのとおり私のは沢山の大切な人達が出来た。だから私がトウカを見つけてやる」
微笑む織姫。その笑みはトウカの憎しみという感情を全て洗い流すものだった。
「なんでよ……。なんでアンタはそんなに優しいのよ……!!」
大粒の涙を流すトウカの瞳は、もう誰かを傷つける事をしない普通の女の子の瞳をしていた。
そんなトウカを見て少し微笑むのは織姫だけではなく、騎士団の者達も同じだった。トウカの苦しみに気がつき、その手を差し出すのは一人ではなかったということだ。
ここにいる者達がトウカを許したとしても、この先トウカは裁かれる。それでもトウカは温かい場所にいたいと願い、織姫の手へとその腕を伸ばす。
だが
『憎しみがなくなった魔女など不要だ』
この場にいる全ての者達の頭の中で流れる男の声。その声を聞き辺りを見渡す騎士団。だがその声の者はどこにもいなく、誰もが少しばかりの恐怖を感じていた。
『トウカ。何故今更になって他者を求めてしまったのだ。貴様は全てを憎んでいたからこそ選ばれた、器、なのだぞ』
「ウィルディル様……!?」
その声を聞いたトウカは恐怖に支配され、その声の者の名前を震える声で言う。
『まぁよい。既に憎しみが消え去ってしまった貴様は用済みだ。次元の狭間で迷いながら死ね』
ウィルディルの言葉と同時にトウカの後方に大きな亀裂が走る。それは空間の歪みで、全てのものを吸い込もうとしていた。
その空間に初めに吸い込まれようとしていたのはトウカだった。
「いや……、いやああああああああああっ!!!!」
(死にたくない死にたくないっ!! お願い誰か助け……。あれ……? 何で私助けてって思ってるの……? 確かに織姫には許してもらえたけど、自分が危険になるのに助けてなんてくれないよね……。今までの大人もそうだったじゃない。それに、私は誰かに助けてもらえるような善人じゃない……)
空間に吸い込まれていくトウカは抵抗を止め、その身を委ねた。だが
「何かってに諦めてんだよ、トウカッ!!!!」
そこには吸い込まれていくトウカを全力で走りながら追いかける織姫の姿があった。
「なんで……?」
「なんでじゃねぇだろっ!! お前にはまだ言いたい事を全部言ってないんだよっ!! それにな、お前が今までどんな大人と出会ってきたのかわかんないけど、私は苦しんでるクソガキに手を差し伸べられる大人になりたいんだよっ!! 私みたいに誰からも手を差し伸べてもらえなった奴の手を、私を掴める大人になりたいんだよっ!!!!」
「私の手を……、掴める大人……? なによ……、本当に織姫はバカなんだから……。あーあ、もっと早く出会いたかったな」
涙を零すトウカ。そんなトウカは少し俯きそしてその顔を上げたトウカは
「最期の最期でアンタみたいなバカな大人に出会えてよかった。私みたいな奴を本気で助けようとしてくれる大人に……。だからもういいよ。今の私には憎しみなんてないから。織姫に出会えて良かったって思ってるから。だから最期に、ありがとう織姫」
笑っていた。
「トウ……カ……?」
その言葉を残し、トウカは空間へと吸い込まれていった。
そしてトウカを吸い込んだ瞬間に空間は塞がれ、辺りは静寂に包まれた。
(掴めなかった……、助けられなかった……!! トウカはただ苦しんでいただけなのに……、私はそんな女の子すら助けることが出来なかった……!! ちくしょう、ちくしょう……!!)
「トウカアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!」
崩れ落ち、守れなかった者の名前を叫ぶ織姫の声が静かなこの場所で木霊した。