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マモノ使いの姉貴

作者: 山形いぬ

「じゃあ、俺も行ってくるよ」


俺は努めてさりげなく親にそう告げた。姉貴はもう玄関で靴を履き替えている頃か、玄関口でがさごそ音を立てている。父親は勘が鋭い、変に思われていないだろうか。


「いってらっしゃい」


そんな心配も無用だったようで、親は特に何でもない様子で俺たちの背中に声をかけた。

あとはこの先どうなるか、あの男はまたあの場所にいるのか。何も分からない、何も分からないからこそとりあえずは親に何も知られたくない。


ガチャッ!


勢いよく姉貴がドアを開けた。俺もその後に続く。昨日とは打って変わって肌寒い空気が俺たちを出迎えた。

冷たい空気に似つかわしい少しどんよりとした雲が空を覆っている。俺は小さくふーっ、と、ため息をつき姉貴と並んで歩き出した。



あの日は晴れた青空が広がり、絶好のお出かけ日和、という感じだった。

母の日のプレゼントを買いに行こうと姉貴に誘われ、俺は街へと付いて行ったのだ。


「やっぱり花かな?でもその前にちょっとデパートものぞいて小物とか雑貨なんかも見ていこうか」


俺は特に返事らしい返事もせずに、意気揚々と歩く姉の背中につき従う。俺は別段、母の日などというものに興味はないし、プレゼントなんかも正直なんでもいいのだ。ただ、姉貴だけがプレゼントをあげて俺だけ何もしないというのも気まずさが残る。ただそれだけだったのだ。


週末の駅前ということもあり、ペデストリアンデッキには多くの人が行きかっている。目の前を可愛い女の子が通り過ぎていくと、つい目で追ってしまう。春めいた優しい色合いのワンピースを着た細身の童顔女子や、ちょっとボーイッシュだが整った顔立ちをしている女の子……可愛い女の子を見るとちょっと得した気分になる。もっとも、姉貴も俺の友達に言わせればかなりの美人、ということになるらしいが当然、身内には何の興味もない。だからこそ姉貴とは全く違う、キレイというよりは可愛い幼さを残した女の子に惹かれるのだろう。


そんなどうでもいいことを考えながら歩いていると、いつしかデパートのすぐそばまで来ていた。曲がり角を曲がって10メートルほど歩けば中に入れる、という距離のところで、その男はいた。ちょうど曲がり角のところで人通りの邪魔にならないよう、壁側によりかかって立っていた。何をするでもなく、ただ静かに人の波を眺めている。それだけの男が妙に意識に上ったのは、男の顔が異様なまでに整っていたからかもしれない。


物静かで、綺麗な顔に少し暗い影を落とした風のその男は、俺の姉貴を見て、ふっと微笑んだ。そして静かに俺たちの方に歩み寄り姉貴の進路を妨害するように立ちふさがる。


「やっと……見つけた」


妖しげな微笑をたたえて男は言った。瞬間、姉貴の元カレか何かか、そんな考えが頭をよぎる。


しかし、違った。姉貴はサッカー選手がディフェンダーを振り切るように、進行方向を変えその男に背を向けて歩き出した。慣れているのだろうか、それもそうか。どうやら相当美しいらしいのだから声をかけられる機会も少なくなさそうだ。


「ちょっと待ってくれ、君には才能があるんだ。魔物を操る才能が!だからこれを受け取っ……」


俺の目の前で男は必死に姉貴に話しかける。さっきまでの物静かな印象とは打って変わって必死の形相だ。それにしてもマモノツカイ……?これは新手のナンパかキャッチなのだろうか。男の手にはムチのようなものが握られ、それを懸命に姉貴に差し出そうとしている。全てを悟った。この男はSMプレイを希望する変態さんだ。


ムチらしき物体の握り手の下の方には、綺麗な緑色の水晶がついていた。きらきらと妖しげな光を放ってはいるが、それで女の子の気を引こうという魂胆なのだろうか。しかし俺の姉貴に対してはその作戦は完全に失敗に終わった。いわゆるガン無視というやつか。姉貴は一度も振り向かず、男に何の言葉もかけず足早にデパートの中に入って行った。


俺も慌ててその後を追いかけていく。振り向いたとき、男の姿はそこにはなかった。色とりどりの服を着た人々によって彩られる、いつもと何も変わらない賑やかな週末が、そこにはあった。



「ご飯までには余裕で間に合うね、どこか寄りたいところある?」


「いや、いいよ。花も買って用も済んだし、帰って良いんじゃない?」


俺も姉貴も、買い物を終えた時にはさっきの男のことなどほとんど頭に残っていなかった。都会には得てして妙な人間が多いものだ。それよりも母親はプレゼントの花を喜んでくれるのか、まだそっちの方に意識があった。


改札を抜け、電車に乗る。そうして15分ほどで家の最寄り駅に着く。

俺と姉貴は大学であったくだらない話や、お互いの恋愛事情(といってもお互いに恋人はいないのだが)について話し合っていた。年齢が2つしか離れていないこともあって、話は合うのだ。四六時中、顔を合わせているわけだから話さないときは話さないが、盛り上がるときは久しい再開を果たした旧友のごとく盛り上がる。


「それでさ、岡田わかるでしょ?この前も家に来たし。そうそうその岡田がさ……」


なんでもない話に花を咲かせ、最寄駅から家に向かう途中、突然そいつは現われた。


黒い体躯に、吸血鬼のように鋭く尖った牙。小さな体ではあるが、獰猛さを全身で表している。


アメリカンピットブルテリア。俺にはすぐにわかった。姉貴も犬好きで詳しい。きっとわかっていただろう、その犬がどれだけ危険であるか。アメリカでは飼育を禁止されている州もあるくらいなのだ。


犬との距離はわずか7,8メートル。互いに見つめ合ったまま硬直していたが俺たちはわずかに犬から視線を逸らし、少しずつ後ずさった。恐怖心から今すぐ走り去りたかったが、それがどれだけ危険な行為か、俺たちは知っていた。


犬は静観している。よだれをたらし、相変わらず低いうなり声を発してはいたがこのまま逃げ切れそうな雰囲気もあった。なぜリードもせずこんな闘犬を外に出しているのか、そんな恨み節もひとまず閉まっておいて俺たちは距離をあけるのに必死だった。姉貴と横並びになって一歩、二歩と、静かに距離を開いて行く。


遭遇した時よりも距離はかなり遠くなり、犬の体は小さくなってきた。いける、そう思った瞬間だった。


小さな黒い体の悪魔が躍動した。一目散に駆け初め、真っ直ぐこちらに向かってくる。ヤバい。


俺と姉貴の体を恐怖が支配する。そして体は反応していた。全身の力を下半身に集中させ地面を蹴る。逃げ切れるのか、そんな考えは頭になかった、ただ必死で路地を駆け抜ける。


「キャーっ!!!」


姉貴の甲高い悲鳴が耳に届く。犬より俺は遅いが、姉貴はそんな俺よりもっと遅い。後ろを振り向くと、犬と姉貴の距離はかなり詰まっていた。何とかしたい、しかし何もできない。俺はヒーローではない、ただの一学生だ。助けに行って助けられるとも思えない。何しろ相手は小柄ながらも土佐犬を倒すほどの猛者だ。勝てない。


自分がやられる恐怖と、姉貴がやられる恐怖。そんな二つの恐怖に、体は完全に地面に縛り付けられていた。


しかし、そんな恐怖で狭まった俺の視界の中に妙なものが映り込んできた。やけに見覚えのある土色の物体。その細長い形状の先には緑色の水晶のようなものがついている。頭の中ですぐに過去の記憶と結びつく。あれだ、あの男が持っていたムチだ。


何か考えがあったわけではない。男が口走った「マモノツカイ」などという言葉は完全に頭の中から消えていたし、ムチでアメリカンピットブルテリアを追い払えると思ったわけでもなかった。


しかし考えるより先に俺の体は動き、ムチの元へと走って行った。


「姉貴!!」


恐怖で固まり、足もとでけたたましく吠える姉貴に向かって俺はムチを放り投げた。それでどうにかなるという考えもなしに。


しかし、空気が変わった。ムチを華麗に空中で掴み取った姉貴は、すぐさま取ってを握り、それを振りかざした。ムチは大きくしなって弧を描き、その先端が鋭く地面のアスファルトを叩きつけた。


犬の体はビクッと震え、尻尾をしまう。体は小さく丸めるようにし、上目づかいで姉の顔を見上げる。


明らかにそれまでとは違う雰囲気だった。もはや獰猛さの欠片もその犬からは感じ取れなかった。姉貴の方を見ると、静かに、しかしそれでいて厳しさを伴った視線を犬に向けていた。いつもの姉貴には微塵も感じないが、ムチを手にして立つ姉貴からは威厳すら漂っている。


「邪魔。どっか行ってよ……」


犬に鋭い視線を投げかけながら静かに姉貴は言った。すると犬は何を思ったか姉貴の言う通りに歩を進め、あっという間に俺たちの視界から消え去った。


「なんで……」


俺の口から消え入るような大きさの声が漏れる。安堵が広がってはいたが、それ以上に疑問が頭の中を占めていた。どうしてあの犬はあそこまでムチにおびえていたのか……。そんな俺の疑問を察したのか


「ムチみたいなもので虐待されていたのかもね、ほら、犬もけっこうトラウマは残るって言うじゃない。それにしても助かってよかった~」


姉貴が明るい声で言う。さっきまでのピンチが嘘みたいに晴れやかな声で。


「なんで道端にムチなんか転がっていたのかわからないけど、ナイスタイミング♪」


姉貴が俺に微笑みかける。俺は上手く笑えなかった。さっきまでの窮状を、そんなにすぐには忘れられない。


「あ、花は?」

「えっ?」


俺は手元を見た。しかしそこにはない。ビニル袋に入った母の日の花が。


「あっ、ダメじゃない!こんな転がしちゃ……」


姉貴はそう言って、素早く道路の脇のブロック塀のそばに駆け寄ると、隅で転がっているビニル袋を拾い上げた。そして中身を確認するとまたニコリと笑って


「帰ろ。あ、今のワンコの話はお母さんには内緒ね。変な心配かけたくないし」


確かに心配性な母のことだ。何もなく無事だったとは言え、我が子がそんな窮地に陥っていたと知ったらまた外出の時には無用な心配をし始める恐れは十分にある。それにしても……


「それ、どうするの?」


俺は未だに姉貴の左手に握られているムチを見やった。


「置いて行こうか。持ち主もわからないし……」

「俺、たぶんだけど、わかるよ」


そう言ったとき、姉の顔に驚きの表情は現われなかった。


「わかるんだ……。そっか。もしかして、駅前の」

「間違いないよ。薄汚れたムチの手元に、そんな綺麗な宝石みたいなものがついてる……。こんなもの、そんじょそこらにゴロゴロあるものではないでしょ」

「だよね」


力なく姉貴が笑う。どうやら無視しているようで、しっかりとムチは視界には入っていたようだ。それならば聞いていたのだろうか、「マモノ使い」というワードも。


俺は聞かなかった。何も信じられないのに憶測で考えを進めても仕方がない。たぶん、今度俺と姉貴はこのムチを返しにあの男の元を訪れるだろう。そのとき、何を言われるのか。


「とりあえず帰ろ」


俺は姉貴の先を歩き出した。年下とは言え、いつも主導権を握られているわけではないのだ。


今は帰って、母親にプレゼントを渡し、いつものようにご飯を食べる。食後には少しずつ学校のレポートを進める。そういう当たり前の日常を送ることの方が大切だ。


太陽は少し傾き始め、西の空には雲も出始めていた。夜には雨が降るだろうか。


日常の中に、非日常が入り込む。そんなバカみたいな予感を俺は鼻で笑いながら、心の奥底で、少しわくわくとした気持ちが芽生え始めていた。







上手くいけば続編的なものを書きたいです、文章下手ですが。

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