第9話
少し短めです…
…ぴちょん。
水のしたたる音がした。
(雨…?)
雨はキライじゃない。生きとし生けるものの命の源、天の恵みだからだ。精霊殿の花壇にも一雨ほしいところだったし、ありがたい…
(あれ?違う、私はハルメルに来てるはず…)
頭がだんだんはっきりしてきて、気を失うことになった一連の出来事を思い出した。
「!!」
ガバッと跳ね起きると、頭がずきずきと痛んだ。
そうだ、後ろから来た男に嫌な臭いのする布で口を塞がれて…そのあとを覚えていない。
「ここは…?」
辺りを見回すと、どうやら埃っぽい粗末な小屋かなにかに入れられていたらしい。窓は小さな天窓がひとつ、明かり取り程度のものがあるだけで、辛うじて今がまだ夜のうちということがわかる程度だ。そのわずかな明かりに、小屋のすみの水道が見える。さっきの水音はそれが原因らしい。
おまけに両手を荒縄で縛られていて、拐われて監禁されているらしいと気がついた。
「大丈夫?」
そのとき、後ろから声をかけられて、フェリシアはびくっと体を震わせた。恐る恐る振り向くと、暗い部屋の奥に、女性が二人いるようだった。
「あなたも拐われてきたのね。私たちもなの」
暗くて顔はよく見えないが、声で若い女性らしいことがわかる。気を失う直前に、馬車に捕まっていた、あの女性だろうか。
「あ、あの、ここはどこ?あなたたちは?」
フェリシアはおずおずと尋ねた。すると、女性の片方が首を横に振った。
「わからないの…お祭りを見に来てて、広場のはじっこで休んでたら、急に路地裏に引き込まれて」
「私も。気がついたらここにいて・・・でもね、さっき、外で声がしたの。大事な商品だ、って」
もう一人が震える声で言った。
「私たち、どこかに売り飛ばされちゃうのかなあ…」
そういって、彼女のシルエットが小刻みに揺れ始める。彼女は二人の内では小柄で、フェリシアより少し小さいくらいだろうか。子供ではないようだが、どこか庇護欲をくすぐるような雰囲気を持っている。
「だ、大丈夫よ、きっと助けが来るわ」
もう一人の、背の高い方の女性が努めて明るい声を出す。気丈な声音は強がっているのが見え見えだが、最後のほうは声が震えていた。
それから少しの間沈黙が流れた。
「ねえ、あなたたち、名前は?」
フェリシアは静かな声で話しかけた。
「私はエレン。よろしくね」
さすがにフェリシアという名を使うのは憚られる気がして、そう名乗った。するとふたりもなんとかこちらを振り向いた。
「私、マデリーネ」
背の高い方の女性の声が答えた。
「…ロリ」
小柄なほうもなんとかそれだけ答えた。
「マデリーネとロリね。ねえ、ここにはあなたたちだけなの?他にも拐われてきたひとは?」
「さあ…私も気がついたらここにいたから、わからないの」
三人で、天窓から漏れてくるやわらかな月光を頼りに顔を見合わせる。
フェリシアは二人を見た。一緒にこの小屋に入れられていたということは、どちらかがあのとき馬車から逃げ出そうとしていた女性だろう。
「あのとき、馬車から逃げ出そうとしていたのは、マデリーネさんね」
「え!」
フェリシアの言葉に、マデリーネが驚いた声を上げる。
「私、たぶんあなたが路地をつれていかれるところを見かけたんだと思うの。それで、追いかけて」
「ええっ?」
「エレン、それでつかまっちゃったの?」
二人に詰め寄られて、フェリシアは思わずうしろにずりさがる。こくこくと首をたてに振ると、マデリーネたちが大きくため息をつくのが聞こえた。
「なんだってそんな真似したの」
「え?」
聞かれるまでもない。自分は精霊の巫女だ。この国の守護が使命。
ならば、この国の民を守るのも、自分の役目と思っている。
だからこそ、「誰かが危険な目にあっているかもしれない」シチュエーションを見逃せなかったのだ。
「だ・・・だって、助けを求めてそうな人がいたら、助けに行かない?」
フェリシアのその発言に、マデリーネたちは再びため息をついた。
「・・・念のために聞くけど、エレンは剣が使えるとか、武道の心得があるとか、実は騎士だとかいうことはないわよね?」
「ないわ」
マデリーネはがっくりとうなだれてしまった。
何という、箱入り娘なんだろう。自分から危険を避けるという発想はないのか。
「エレン、だめだよ、そういうときはね、誰かを呼ぶの。ひとりで行ったら、逆に危ないでしょ?」
自分よりも幼そうなロリに諭されて、フェリシアはぐっと言葉に詰まってしまった。
全くその通りだと思ったからだ。
「・・・まあ、だとしたら、エレンはわたしのせいで拐かされたことになるのね」
マデリーネがぽそりと言った。
「ええっ!そうじゃないわ、ロリさんが言ったでしょ、私が自分で首を突っ込んじゃったのよ。マデリーネさんのせいだなんて、これっぽっちも思ってないわ」
フェリシアが思わず声を上げると、マデリーネが慌てて前で縛られた両手でフェリシアの口をふさいだ。
「だめよ、静かにして・・・私たちが起きて話をしてるのに気がつかれたら、別々にされちゃったり、最悪何をされるか・・・」
「何って、何を?」
「・・・わからなくていいわ。とりあえず、外にはたぶん見張りの男がいるから、こっちに興味をあまり向けてほしくないってことよ」
「わかったわ。静かにしてる」
マデリーネは頭が痛くなってきた。この女性は、月明かりでもそんなに豪華な服装ではないことがわかるのに、実態はどこかのお嬢様なのだろう。この危機感のなさ、天真爛漫な正義感。お忍びで祭に来ていたとか、そんなところだろうか、と、見当をつけた。
「・・・三人でなんとか逃げられないかしら?」
フェリシアが言った。
「見張りがいるって言ったわよね。何人いるか、確かめられないかしら?」
「む、無茶言わないでよ」
マデリーネがあわてて首を横にふると、フェリシアにつめよられた。
「どうして?やってみなきゃわからないじゃない」
「やってみなくてもわかるでしょ!腕っぷしであんな荒くれ者に敵うくらいなら、最初っから誘拐なんてされてないわ」
「・・・でも、それこそなにもしないで売り飛ばされるなら、ちょっとくらいあがいてみるべきだと思うの」
確かに世間を知らないお嬢ちゃんの発言だが、その一方で正論でもある。
すると、今まで押し黙っていたロリがぽつりと言った。
「そうね。エレンの言う通りかも」
「ロ、ロリまで」
「それから、たぶんもう一人連れてこられた人、いるよ。怪我してるみたい」
「え?」
「わたし、一番先にここに連れてこられたから、ふたりが来たときは様子をうかがってたの。ふたりをここに運び込んできたとき、ドアの隙間からみえたの。腕を怪我した男の人。気を失ってたみたいだけど」
フェリシアの背中をぞくりと冷たいものがかすめた。
腕を怪我した人。
その一言に、あの悪夢のような光景を思い出したのだ。
「腕を・・・?」
「エレン?どうしたの?知ってる人?」
おそらく、彼だ。
自分を助けようと、駆け寄ってくれた人。
フェリシアは、改めて自分の行動の愚かさを噛み締めた。
(私が無謀なまねをしたから、ベルンハルド様は助けようとして、怪我を…)
そのうえ、捕まってしまった、と。
「なんとか…なんとかしなきゃ」
フェリシアはいずまいをただし、背筋を伸ばして天窓を見上げた。わずかに見える夜空は、月がさえざえと輝き、星明かりを消してしまうほどだ。
自分に何ができるだろう。
読んでいただいてありがとうございました。