表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/14

第7話

 まだ朝の鐘が鳴ったばかりの時分に、白い大理石が敷き詰められた部屋にフェリシアはいた。

 部屋は体育館くらいの広さがあり、突き当たりに同じ白い大理石で作られた5段ほどの階段が半円を描くように据え付けられていて、階段の上は祭壇と、床に畳一畳ほどの四角い穴が空いている。同様の穴が天井にも空いていて、どちらも穴の先は何もない。つまり、この部屋は祭壇の部分が崖のようにせりだした構造になっているのだ。

祭壇には四角い大きな陶器の器があり、細く何条かの煙がたなびき、その香りからも香が焚かれていることがわかる。


フェリシアはいつもとは違う、体に沿った銀のドレスに身を包んでいる。ドレスは長袖で手の甲まであり、両手の中指にループをかける造り、また首回りはハイネックになっていて、肌が出ているのは頭と指先だけだ。銀色のかっちりした造りの印象的なドレスだが、腰から下が自然なドレープを描いているところから、生地自体は柔らかいことがわかる。

 光をはらんだような柔らかな黄金の髪はかっちりと編み込んでまとめあげられ、薄いヴェールがとめられて、ヴェールは祭壇の前に立つフェリシアの後ろの階段に流れるように続いている。


フェリシアが手に持った細身の杖を掲げると、先端につけられたたくさんの鈴がしゃらんと鳴り響いた。すっと目を閉じ、意識を集中する。

すると、床に空いた穴からゴーッと音がして、勢いよく風が吹き上がって来た。

風がフェリシアを包み、長いヴェールが舞い上がり、杖の鈴がしゃらしゃらとせわしない音をたて、天井から吹き抜けていく。


この風は、精霊の力。

精霊の巫女は、精霊の力を自身の体と力を通して大地に還元する。精霊の力によって、大地は潤い、豊かになる。

三年に一度のこの精霊大祭で還元した力は大地にストックされて少しずつ消耗していくのだが、それを補う形で、普段精霊殿で祈りを捧げて少しずつ精霊の力を還元しているのだ。

それこそが、国々に精霊の巫女が必要とされる理由なのだ。


フェリシアが力の還元をしている間、階段の下の広間ではマウリッツやヘンリクを始め、国の重鎮の面々や護衛の兵士が静かに控えている。

その時間は一時間以上に及び、やがて風がおさまると、フェリシアはやっと杖をおろした。

それを合図に、ヘンリクの声が響いた。


「儀式は滞りなく終了いたしました。皆様には退室をお願いいたします」


ヘンリクが広間の重鎮たちを促すと、みんなぞろぞろと出て行った。部屋に残ったのはフェリシアとヘンリク、マウリッツ、それに護衛の兵士がふたりだった。


退室していく人々を見送っていたフェリシアは、人が捌けたのを見届けると大きくため息をつき、その場に座り込んでしまった。3年に一度のこの儀式は、見た目以上にフェリシアの体力を必要とする。



「フェリシア!」


マウリッツがすぐに駆け寄ってきた。


「ご苦労だった。おまえのおかげで、また国に平穏が訪れる。今日はゆっくり休んでくれ」

「ありがとうございます、陛下」


 少し汗ばんだ顔で微笑んでみせると、マウリッツがフェリシアの杖とヴェールをとってヘンリクに手渡し、フェリシアを抱き上げた。ふだんなら固辞するところだが、この儀式の後ではさすがに好意に甘えるしかないほど疲れ切っていた。







 マウリッツに部屋まで運んでもらい、レーネに着替えを手伝ってもらって、それからベッドに倒れ込んで半日は眠り込んでしまった。

夕方の鐘で目が覚めて、まだちょっと重たい体をなんとか起こすと、レーネに頼んで食事を摂った。


「今年もお疲れ様でございました」


銀のゴブレットにワインを注ぎながらレーネが声をかけると、受け取りながらフェリシアがふう、とため息をついた。


「半日も寝込んじゃったわね」

「いえいえ、昔よりはましになりましたよ。お小さい頃は熱を出して丸二日は寝込まれましたからね」


懐かしそうにレーネが目を細める。


「さ、今日はお夕食はこちらに運ばせるよう手配してありますから、召し上がったらお休みくださいね」

「ありがとう、レーネ」


 そして、ごめんなさい。

 フェリシアは心の中でレーネに謝った。

 今夜はまたここから抜け出すつもりだから。








 時告星の鐘まであと半時ほど。

 薄暗くなった町に、明かりが灯る。祭りの中心になる広場は、かがり火がたかれ、建物には提灯がつるされ、どこか幻想的な雰囲気が醸し出される。

 そうすると、祭の様子がどこか違って見えるから不思議だ。人々はあいかわらずうかれていて、楽団はにぎやかで、屋台の料理はいい匂いを振りまいていじわるに鼻をくすぐる。


 そんな喧噪と人いきれの中、フェリシアはベルンハルドと歩いていた。

 またしても城を抜け出し、日の傾いてきた丘を駆け下り、なんとか真っ暗になる前にベルンハルドと会うことができた。


「すごい人出ですね・・・ベルンハルド様のおっしゃってた通りでした」


フェリシアはきょろきょろして思わず足が止まりがちだ。そのたびにベルンハルドに「はぐれちゃうよ」と声をかけられ、最後には苦笑されてしまった。


「す・・・すみません、こんなに賑やかなの、初めて見たから、つい」

「いいんだよ、ゆっくり行こう」


 ベルンハルドが楽しそうに笑顔を見せた。でも、ふと何か躊躇するようなそぶりを見せ、それから思い切ったようにフェリシアの手を取った。


 とたんにフェリシアの心臓は、胸を突き破って飛び出してしまうんじゃないかというくらいにばくばく言い始める。


「これならはぐれない」


そう言ってぎゅっと握るベルンハルドの手は、ちょっとごつごつしていて、大きくて冷たかった。

 フェリシアは真っ赤になって小さくうなずくと、手を引かれるままに一緒に歩き出した。


 精霊殿でもうっかりつんのめって支えてもらったことはある。

 でも、こんなふうに手をつないで歩くなんて、ありえない。


(このまま、ずっといられたらいいのに)


そんな夢を見る。


(なんだか、物語で読んだ恋人たちみたいで・・・)


 甘美で、どこかせつないような情熱で心を満たされ、つないだ手に思わず力が入ってしまう。

 ずっとこの時間が続けばいいのに。

 いつまでも。


 けれどもちろん、そんなことはありえないのはわかっている。

 だって、自分の半分は平民の血が流れているから。それに対して、トルド・アルヴェーンは生粋の貴族だと聞いた。


 階級意識の強いこの国では、貴族たちは平民の血が混ざることをいやがる傾向にある。もちろん、母のことはほとんど覚えていないが、それでも自分を生んでくれたことに感謝しているし、バカにされたら悲しくなる。しかし、それを理由に拒絶されることははっきりいって怖かった。おそらく、王の妹という立場でも蔑む目は変わらないのではないだろうか。


 そして、もうひとつ、フェリシアが精霊の巫女であるかぎり、彼女は精霊殿で暮らすことになる。もし自分が伴侶を得る日が来たとしたら、相手にも精霊殿で暮らしてもらわなければならない。

それは酷なことだとフェリシアは思う。


 だから、自分の気持ちは決して告げないと決めた。

 いつか来る別れを覚悟しながらひとときの幸福に酔うのは、辛すぎるから。


 なのに、この幸せな瞬間を手放したくないと考える自分がいる。愚かなことだ、と自分に言い聞かせる。

 こんな蠱惑的な時間を味わってしまったら、ますます手放すのがつらくなるのに。


 ふと、フェリシアは表情を曇らせた。



「エレン?疲れた?」


 はっと気がつくと、ベルンハルドが心配そうにフェリシアの顔をのぞき込んでいる。彼女が暗い表情をしているのに気がついたようだ。


「あ!いいえ!はい!ちょっと、人いきれに酔ったみたいです」


とっさに怪しいいいわけが口をついて出る。


「ちょっと休もうか」


 「はい」だか「いいえ」だかわからない返事に思わず苦笑しながら、ベルンハルドはフェリシアを広場のすみの、建物の角に連れて行った。ここなら祭の輪からすこし外れていて、屋台のあたりよりははるかに人が少ないので、休めると思ったのだろう。角に置いてある木箱の上に、ポケットから出したハンカチを広げておくと、フェリシアをそこに座らせた。


「ここにいて。飲み物でも買ってくるよ」


 そういうとベルンハルドは祭の輪の中に消えていった。

 人いきれに酔ってしまったのは半分は本当だ。そして、朝の儀式の疲れがまだまだ体の奥に残っているのもまた事実なので、ベルンハルドの心遣いをありがたく思いながらフェリシアは楽しそうに笑いさざめく人々や燃えるかがり火を眺めていた。


 楽しそうな笑顔の渦。

 人々は普段は毎日の生活に一生懸命で、そんなに楽しみも多くないだろうに。

 けれど、今は祭だ。こんなときくらい、毎日のつらいことも悲しいこともすべて忘れて、浮かれて騒いで、また明日からがんばるための活力を養っているのだろう。だからこそ、おもいきりはじけて楽しむのだ。


(そうね・・・終わってしまう辛さで暗い顔をして過ごすのではもったいないわ。せめて、今夜だけでも先のことは考えずに楽しもう。そして)


そして、この楽しい時間を思い出にして、精霊の巫女として過ごしていこう。

 フェリシアはそう決めて、ベルンハルドが戻ってこないかと人々の間に視線を走らせた。




「・・・・・・・!」





 そのとき、なにか声が聞こえたような気がして、フェリシアは振り返った。

視線の先は建物と建物の間の細い道。道の先はどうやら所狭しと小さな民家が密集しているあたりらしく、暗くてよく見えない。

 でも、道のつきあたりのT字路をなにか白いものが一瞬ひらりと舞って、そのあとを黒い影が走って行くのが見えた。


 祭の喧噪で、音はよく聞こえない。


 でも、なにか胸が締め付けられるように気にかかる。


 フェリシアは立ち上がって、暗い路地を奥へ進んでいった。



読んでいただいてありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ