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第6話

 気がついたときには王城の鐘が夕刻を知らせていた。ハルメルの街では、夜明けと朝と正午と夕刻、そして日が暮れた後「時告星」と呼ばれるひときわ明るい星が天頂に輝くときに鐘が鳴らされる。街の人々は夜明けの鐘で起き、朝の鐘で仕事に出かけ・・・と、鐘を生活の基準にしている。夕刻の鐘が鳴ったと言うことは、皆仕事を終えて家に帰る時間だということだ。


「もうそんな時間」


フェリシアは驚いていた。


「もう、帰らなくちゃ。兄が心配するまえに。それに・・・ベルンハルト様、こんなに長い時間おつきあいさせちゃって、申し訳ありません。ご自宅にお戻りになるところだったんですよね?」

「私が好きでつきあってたんですから、心配しないで。むしろ、エレンが楽しんでいてくれたかどうかの方が」

「とても楽しかったです」


フェリシアはベルンハルドを見た。


 この人は、トルドだ。

 顔は初めて見るけど、間違いない。

 彼は、私がフェリシアだとは気づいているんだろうか?

 ・・・たぶん、気づいてはいない。

 フェリシアだとわかっているのなら、仕事として守ってくれるだろう。でも、そうでないのだとしたら。

 つまり、精霊の巫女フェリシアとしてではなく、ただのエレンとしてここまでつきあってくれた。

 自分を精霊の巫女としてではなく、一人の人間として接してくれた。それが、うれしい。


 ふわっと胸の奥が暖かくなったような気がする。


「ベルンハルド様、今日は本当にありがとうございました。私、帰ります。」


そういってぺこりとお辞儀をすると、ベルンハルドが慌てて引き留めた。


「ちょっと待って、送っていくよ。さっき、ヨハネスが言ってただろう?ちょっと物騒みたいだし」


 本心を言えばこうやって二人でいられるならうれしいが、送ってもらうのはちょっと困る。自分の向かう先には民家などなく、丘の中腹の洞窟。そしてその先は、王城。

 フェリシアだと、ばれたくない。


 けれど、フェリシアが何度も断っても、ベルンハルドは頑として首を縦に振らなかった。押し問答の末、街の端まで送ってもらうことにした。街の外れから秘密の通路の入り口まではほんのわずかの距離、本当は気が進まないが別れるときに魔法を使おう。そう考えた。


 この世界には、本来魔法は存在しない。フェリシアの魔法は、本当は精霊の力を借りているに過ぎないのだ。だから、使えるのはほんの微々たる力、狭い範囲の幻術のみだ。フェリシアが髪や瞳の色を変えているのも、幻術だ。

 そして一般の人間は、その力の存在を知らされてはいない。知っているのはマウリッツとヘンリクくらいのものだ。


 だから、街の外れに来たら、エレンがどこかの家に入っていく幻術を見せ、ベルンハルドがいなくなってから秘密の通路に向かうつもりだ。


 けれど、そこまで考えて、ふと足が止まった。


「エレン?」


ベルンハルドが気づいて振り返ると、フェリシアはうつむいてたたずんでいた。


(もうかえらなきゃいけないのはわかってる。・・・でも、この人と離れたくない)


そんな気持ちが枷になって、足を縛る。


(ただの一人の女の子として見てほしい、なんて私には夢だってわかってる。

だからこそ、彼が私が誰か気づいていない、ただの女の子として隣にいられるこの瞬間を手放すのは・・・悲しい)


たまらなく熱い感情が胸の奥からわき起こってくる。

たとえまたこっそり街に出られたとしても、ベルンハルド―――トルドと会えるとは限らない。つまり、ここで別れたら、こんなふうに彼と肩を並べて笑い合えるような時間は二度と持つことができないのだ。


「・・・エレン、明日も祭に来る?」


そのとき、ベルンハルドが聞いた。

え、とフェリシアは彼を見上げる。


「明日は夜の方が賑やかだよ。私も仕事は夕方の鐘までだから、そのあとよかったらまた・・・その、祭を見に行かないかと思って」


はにかむようにベルンハルドが口角を上げる。その暴力的なまでの破壊力に、フェリシアは内心悲鳴を上げる。 

 明日は日暮れまで行事が詰まっている。でも、そのあとは何もない。

 そう、たとえば「疲れたから早く寝る」とでも言って・・・

 そんな蠱惑的な考えが頭の中を占める。そして気がついたときには


「日暮れの後なら・・・」


そう口を滑らしていた。







 街の外れでベルンハルドと別れ、やや日の傾きかけた丘を登っていく。丘の頂上に向かう一本道は遠くドリールの街まで続いているので、馬車が通れるほど広い。道の片側は林になっているが、もう片側は拓けて広い野原になっており、フェリシアの大好きな花々が咲き乱れている。色とりどりのその様子は、街の中の飾り付けのように華やかだ。あれはあれで心が華やぐが、やっぱりフェリシアには花の色が心を落ち着かせる。赤やピンク、黄色、白、紫。所々に青い小さな花が塊で咲いて、彩りにアクセントを添えている。


 思わず立ち止まって広がる花畑にうっとりとしていたら、遠くからガラガラと車輪の音が聞こえてきた。

 後ろから馬車が来たのだとわかり振り返ると、丘の裾野のほうから今まさに馬車がこの道に上がってこようとしているのが見えた。こんなところに若い娘が一人でいるのを怪しまれても困るので、とっさにフェリシアは林の陰に身を隠した。

 馬車は結構なスピードで丘を駆け上がり、土煙をたて小石をはじき飛ばしながら走って行く。2頭立ての馬車は大きな黒い箱形で、なんの装飾もなく、また馬車を駆る男も帽子を目深に被っていて顔も見えない。

 馬車はフェリシアのまえを通り過ぎ、スピードを緩めることなく丘を越えて走って行った。






 部屋に戻ると、服を着替えて髪と瞳の色を戻し、ベッドの詰め物を片付けて横になった。夕食まで少しでも休みたいのと、熟練の侍女には「本当に寝ていたか寝ていないか」がばれてしまうかもしれない、と思ったからだ。

 けれど、横になって瞼は重いのに、頭が冴えて眠くならない。まるで寄せる波のようにベルンハルドの顔が繰り返し思い出される。


(明日も・・・明日も、会える)


フェリシアは思わずベッドの中でごろごろと身もだえしてしまった。こんなにうれしいのは生まれて初めてかもしれない。平穏すぎるほど平穏な毎日を送ってきたフェリシアには過ぎた刺激だ。心底うれしいときは、意識しなくても勝手に笑顔を作ってしまうものだと初めて知った。

 

 本当はよくないことだとわかっている。自分が抜け出したことがばれたら、レーネや侍女たちにも迷惑がかかってしまうかもしれない。かといって、精霊の巫女たる自分が市場に遊びに行くなどと、そんなことを言い出したらきっと大騒ぎになってしまう。マウリッツなど、フェリシアが心配だから自分も行くなどと言い出すのではないだろうか。


(それから・・・どうして「ベルンハルド」なんだろう。「トルド」じゃないの?)


その疑問も頭の中でぐるぐるしている。自分も偽名を名乗ったが、それは相手をトルドだと認めたから。彼は自分のことをフェリシアだと気がついていなさそうだったし、だったら偽名を名乗る意味がわからない。


 それから侍女が起こしに来るまで、フェリシアはベッドの中で目をつぶって考え続けていた。


読んでいただいてありがとうございました。


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